前哨戦①
「島尾先生三時に取材に来ますのでよろしくお願いしますねぇ」と教頭で顧問である飯尾が確認してきた。
「はい、わかってます」
「正直、先生は取材断るかなと思ったんだけど・・・それにさくらさんの単独インタビューも」
「迷いましたけどそのことで部員達の意識が高まるのならやっぱり受けるべきかなとそれとさくらの単独取材も一つの経験としてもちろん私も付き添いますけど」
「先生、監督もずいぶん板についてきたんじゃないですか?」
「いやいやなんとかやっているだけです」
「石川さくらは別格としても他の部員も実力つけてきたしやりがいあるでしょ」
「ちょっと高大校は期待しちゃってるんですけどね」と笑みを浮かべる朋美
「でも先生、調子には乗らないでくださいよ。伊木力高校みたいなことになったら」
私立伊木力高校は陸上競技特に女子駅伝では常に全国大会上位に食い込む強豪校なのだが一か月ほど前女子陸上部の女子監督が暴力ともとられかねない行動がSNSに動画でupされたのだ。そのことによって県の教育委員会及び県の陸連から厳重注意を受けたのだ。幸い活動停止まではいかなかったが・・・。
「私はあれが暴力めいた体罰とは思いませんけど・・・」
「先生、そ云う発言も気おつけてくださいよ。いつだれが上げ足とって陥れられるかもしれないし」
「教頭、ちよっと神経質すぎまんか?少なくともうちの部ではそのレベルまでいってませんから・・・」
「そのレベルってどいう意味ですか?」
「えっあー・・・例えば全国大会へ行くようなレベルというか・・・行ったとしてもあんなことはしませんから」
「ここは学校教育の場所ですから相撲養成所じゃないんですから」と念を押す教頭。
「肝に銘じておきます」と答えるしかない朋美
季刊雑誌の【女子相撲】は月刊大相撲の姉妹雑誌。男の大相撲から比べれば人気も規模も雲泥の差だがどちらかと云うと海外では女子相撲の方が人気的には上。ネット版でも刊行しているがそちらの方は海外からのアクセスが多いとか
相撲場では通常通り稽古が始まりカメラマンが動画なり写真で稽古の様子を取っていく。その中でも石川さくらは取材のメイン。高校では無敵海外のジュニア大会でも常に上位である日本女子相撲のホープである。そして今回の取材を受けるきっかけになったのは女子大相撲幕下の枇杷の島関が稽古相手に来てくれると云う事が大きかった。
枇杷の島関は高校卒業後女子大相撲中部部屋に所属してわずか一年で幕下に次の場所で幕内を窺う勢いの力士である。体格的には身長168cm・体重は75㎏と石川さくらとは見劣りするのだがそこはプロ。スピード・技・スタミナすべてが石川さくらを凌駕する。高校時代はけして目立つほどの成績は上げていなかったがプロに揉まれるとここまで変わるのだ。
枇杷の島との三番勝負は先に三番勝ったところで終わりと云う事で進んですでに二番先取されているさくらにとっては次で負ければ終わり。プロ相手なのだから負けて当たり前なのだがさくら自身がプロ力士相手に意識し過ぎで自分の相撲ができなくっていたことも事実。
(このまま一勝もできないのはやだ!)さくらは力水を口に含み吐き出すと大きく息を吸いこみゆっくり吐いてく。枇杷の島のすばやい動きに付き合わされてその事だけに集中させられてさくらの得意の体勢である四つの体制にさせてもらえない。わかっているのに・・・・。
さくらは自分の頬を両手で挟むようにして叩いて気合を入れる。そして向かいの枇杷の島を見ると余裕の表情を浮かべている。(あっ)とさくらの頭にふと浮かんできた。それは吉瀬瞳とやったあの一番。瞳に素早い動きをされて自ら動いて追う事ばかりに集中していつのまにか前みつを奪取されて下手捻りで転がされてしまったあの試合を・・・。
(そうだ吉瀬さんの時も私は瞳さんの相撲に乗せられてしまって自分の相撲ができなかったんだ・・・どちらかと云うと私は受けの相撲なのに・・・ここは自分の相撲に徹して受けの相撲でいい)
再度土俵に上がる二人。審判は女子大相撲協会中部ロックの広報である新崎一花がやってくれている。一花は認めないだろうが今回の枇杷の島との稽古の場を作ってくれたのは彼女なしには実現しない・・・・。それは石川さくらのプロ入りをと云う一花らしいプレッシャーのかけ方なのかもしれない。
土俵の上で礼をし、仕切り線まで下がる二人。―はっけよい!!二人の手が離れる。枇杷の島は素早い動きから一気に左に回り込んでいくがその動きにさくらは動じない。枇杷の島はそこから低い体制でさくらの懐に飛び込んだがそれを予見していたさくらは両まわしを取り、連続して投げを打ち、枇杷の島の体勢を崩しにかかる。そこでさくらはここからさらに深くまわしを取り直すとおもいっきり引き付けて胸を合わせ一気に吊り上げた。枇杷の島は足をかけて何とか抵抗を試みるもさくらはここからさらに全体重を枇杷の島にのしかかるように預けて潰していく。浴びせ倒しでさくらが勝ったのだ。部員達は大喜び
(よっし。自分のイメージ通りの相撲ができた)とさくらは右手で軽く握りこぶしを・・・。
たいして、枇杷の島は一瞬呆然としてしまった。高校生にそれも吊り上げられて浴びせ倒される何って・・・・。
「石川さくらなかなかやるじゃない。相手の誘いに乗らず自分の形で受けの相撲か・・・ちゃんと考えてるのねぇ」と相撲記者の中島京子が声を上げた。その隣で黙って見ていた朋美だったが・・・。
「静かにしろ!。今二人は真剣に稽古してるんだ何騒いでいるんだいい加減にしろ!!二人に失礼だろう!」一気に静まり返る相撲場。
本音は自分が一番大喜びしたいところなのだが・・・・。
(貴女だって大喜びしたいところでしょうがちゃんと礼節をわきまえていると云うかいつからそんな大人になったのよさくら)
さくらは何事もなかったようにいったん土俵を下り一息入れる。枇杷の島も土俵を下りるがその表情は明らかに苛ついている。ましてや相撲雑誌の取材が入っていることが余計に苛つかせていた。
「枇杷の島、高校生に完敗・・・」
枇杷の島の頭の中にそんな見出しが浮かんでいるかのような・・・・。女子大相撲力士ましてや近々幕内を狙っている力士が高校生に稽古とはいえ負けたことは屈辱以外の何ものでもないと思っても仕方がない。ましてや今最も勢いにのっている力士なのに・・・。
二人は再度仕切り線手前に下がる。―はっけよい!!二人の手が離れる。枇杷の島は素早い立ち合いから張っ手きたのだ。高校生相手にとも云えるが問題は右手でさくらの耳の下を張ったのだ。さくらは一瞬立ち眩みのような状態にそこに今度は枇杷の島は胸元に頭をぶち込んできた。流石のさくらも土俵際まで持っていかれたが何とか踏みとどまりかろうじて枇杷の島両回しに指がかかったがさすがに今度は胸を合わせ一気に吊り上げとはいかず膠着状態に。
「…はっけよぉーい…」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…」
「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ…」
二人とも額に滝のように汗が流れ落ちる。
「枇杷の島さん、はぁっ、はぁっ、私はそんな姑息な手段を使う人は大嫌いです」
「・・・・」
さくらは右上手投げを仕掛けるは枇杷の島は必至に右足で踏ん張ろうとするがすでに万事休す。枇杷の島は身体を反転させられて、土俵に叩き付けられてしまった。安堵するさくら、ところがここで・・。
「このクソガキ!!」と監督である朋美が血相を変えて土俵に入ってきたのだ
さくらは咄嗟に朋美を抑えに入った。
「どけさくら!!。このクソガキ大相撲力士のくせしやがって!」
「監督。ダメです落ち着いてください」と必死に抑えるさくら
「やってはいけないことわかるだろうこのクソガキ!!」
朋美はやっと落ち着いと同時にさくらは朋美に抱きついたままその場にへたり込んでしまった。
「さくら!」
「監督・・・はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…疲れた」と土俵に手をつくさくら。それでもサクラの表情はやりきったと云う顔で・・・
「ビッシ」という鈍い音が・・・・。新崎一花が土俵の上で枇杷の島をひっぱたいたのだ。
「アマチュア相手にましてや高校生相手にあんなことやっていいわけないだろう!!」
鼓膜や耳小骨・三半規管などは、稽古で鍛えることのできない重要器官で損傷すると障害が残る可能性は大なのだ。いくら直接耳には当ててないとしてもその近くだって障害が起きる可能性だってあるのだ。
「協会として今回のことは見逃すわけにはいかない。枇杷の島。厳正に処分するから覚悟して私も今回のことには責任はある。当然私も処分対象になる」
「新崎さん」と記者の中島京子。
「中島さん。今回の事記事にするのだったら私は構いませんから」ときっぱり
「一花・・・」
「朋美、御免、本当に御免。こんな事になるとは考えもつかなかった。さくらさん一応病院に行って精密検査を受けて」
「私は大丈夫ですから・・・」
「今は大丈夫でも後々後遺症が出たら大変なのだから・・・」
「わかりました」
それだけ云うと一花は枇杷の島の臀部を右足でけり上げるように押し出して相撲場から退場させた。
静まり返る相撲場。さすがにこの状況では部員達も声を出す雰囲気にはなれない。
「島尾監督。今日はもう帰ります。ちょっと取材って云う雰囲気ではないしましてやさくらさんにインタビューすることはちょっと」と京子はカメラマンを呼んで帰り支度を・・・
「あのー」とさくらがすーっと立ち上がり
「インタビュー大丈夫ですから・・・」
「でも・・・今の今だし・・・」
「せっかく来ていただいたんですから・・・」
「島尾監督・・・・」
「さくらが良いと云うのなら・・・」
「じゃいいですか」
中島京子にしてみればある意味の特ダネだがさすがに今のことを記事にするのには気が引ける。それよりも石川さくらの冷静な応対には正直驚いた。監督である島尾朋美より遥かに大人なのだ。石川さくらはいったん更衣室でジャージに着替えるとインタビューに・・・・。そして付き添いに島尾朋美。
石川さくらは何をしゃべってくれるのだろうか何をしゃべらそうか・・・・記者の中島京子は迷いに迷っていた。




