過去の想い・今の思い ③
吉瀬は翌日、大学構内からから羽黒相撲クラブ代表者である濱田光の携帯に電話を入れたが呼び出し音は鳴るもでることはなかった。留守電に切り替わったのでメッセージを残す。
「突然の電話失礼します。私、西経女子大学相撲部主将の吉瀬瞳と申します。お話したいことがありまして電話をさせていただきました。折り返し連絡をいただけないでしょうか?」とメッセージを残して電話を切った。
実の父が相撲クラブをやっていると云うのは西経付属高校に入学した時には知ってはいたが会いに行きたいとは思わなかった。何も父のことは覚えていないし会ったとしても言葉も見つからない。それに今の家族関係を壊すようなことはしたくなかった。しかし、大学卒業以後の自分を考えた時に正直今の自分の立ち位置は吉瀬家としては曖昧模糊だと自分自身は感じていた。今の父は婿養子。母が一人娘であり祖父が後継者として迎え入れられた側面はあるのだろうがその後男子二人が生まれたことは吉瀬家にとってはこれ以上なことはない。その中においてはもう自分の居場所はないに等しいと瞳自身は考えている。
大学の授業を終えいつもなら相撲場へ行くのだが今週は監督命令と云う事で稽古は休み。本当はアポなしで相撲クラブに行こうとも考えていたがさすがにそれは先方を困惑させてしまう。自分はあなたの娘ですと云ったところで私は何の回答をしてもらいたのか?留守電のメッセージを入れた後ふと後悔めいたことを想ってしまったのだ。そんなことを思っている時着信音が鳴った。相手は濱田光。
「吉瀬瞳さんの電話でいいでしょうか?」
「はい。折り返しありがとうございます。吉瀬瞳です」
「それでお話とは?」
「濱田さんと私の関係について会ってお話をしたいことがありまして・・・」と声が震えているのが自分でもわかるほどに緊張していた。暫くお互いに無言の状態が続いた後濱田の方から・・・。
「今どちらですか?」
「大学を出るところです」
「これから会えますか?」
「えっ・・・あぁ・・・大丈夫です」
「そうですかわかりました。もう一度折り返しますのでしばらく待っていただけますか?」
「わかりました」
「では五分後に・・・」と云うと濱田の方から電話を切った。そして五分後。
「すいません。名城線の総合リハビリセンターわかりますか?」
「はい」
「名城線の総合リハビリセンター二番出口に上がる階段のところで五時に待ち合わせできますか?」
「あの・・・」
「今日は無理ですか?」
「いいえ大丈夫です。総合リハビリセンターの二番出口に上がる階段のところで五時ですね」
「すいません。一方的で」
「あの私の服装なんですが」
「わかりますから大丈夫ですよ。私も少しはアマチュア相撲に関係しているんですからあなたの事は知っていますから・・・」
「わかりました」
「それでは」
話は早かった。相手は私に対して不信感を一切持たずに・・・。今日は稽古日ではないのは確認していた。いきなり稽古日に電話をして相撲クラブで会うのもと思ってあえて外して電話をしたのだが今日会えるとは考えてもいなかった。相手を混乱させてはいけないと思ったのに自分の方が混乱している。
私のことを知っていると云う事は試合なりを見ていると云う事なのだろうと云うのは想像できるがそれでも私が連絡してくることを想定したような対応?。
瞳は成人祝いに両親に貰った腕時計「Grand Seiko Elegance Collection」の文字盤を見る。淡いピンクにダイヤカットを施した針やインデックスの煌めきは正直今の自分には似合っていないような気がする。決して安い時計ではない。時刻は三時を指している。まだ少し時間がある。ふと思いついた場所が思い浮かんだ。
(nagoya tv towerに行ってみようか・・・)瞳自身は実は行った記憶がないのだ。
日本初の集約電波鉄塔として完成から60年以上経つ今も、名古屋の街のランドマークとして今も愛されている。
瞳は最上階にあるスカイバルコニーに上がっていた。寒風が瞳の顔にあたるがある種の興奮状態にいる瞳にとってはちょうどいいのかもしれない。遠くに見える伊吹山や白山の山肌には白いものが覆いかぶさっている。今日の名古屋は雪が降ってもおかしくないぐらい寒い。
(いったい私は何をしているの?いったい何をしようとしているの?何をしたいの!)
この寒空の下、地上100mの屋外展望台。窓がない吹き抜けの空間には自分以外誰一人もいない。ここまで生きてきた自分を思い起こす。幼稚園の頃にはすでに今の父親だった。そしてネットで見た女子相撲の存在と倉橋真奈美と云うアマチュア相撲にかけた生き方そしてそれに共感して相撲を始めた自分。そのなかで知った実の父である濱田光と倉橋真奈美の関係。女子相撲と巡り合わなければこんなことにはならなかったしおそらく実の父を考えることなど自分が結婚する時まで考えなかったと思う。そしてもう一人父を繋げてくれた存在は後輩の稲倉映見の存在。彼女と巡り合わなければ相撲クラブのことも知ることはできなかった。みんな相撲で繋がっていることの偶然なのか必然なのか?そんなことを考えているといつのまにか時は過ぎていた。瞳は慌てるようにtowerを下りた。
総合リハビリセンターで降り改札口を抜け二番出口の階段へ、そこにはすでにスーツの上にチェスターフィールドコートを着た男性の姿が右手にレザータイプのビジネスバッグを持ちながら立っていた。体格のいい如何にも学生時代スポーツをしていましたという感じの男性である。
(あの人が・・・・)
その男性は瞳に向かい軽く会釈をする。その姿を見て瞳も会釈をするがどこかぎこちない。
「濱田光です。初めましてと云うのはちょっと違うのだろうけどあなたとはいつか会わなければならないとは思っていました」
「吉瀬瞳です。その言い方は察しはついていると云う事で宜しいでしょうか?」と瞳
「あなたから電話をいただいた時、あなたが私のことをどう思っているのかは別として正直会いたいと思う反面怖かった。恨まれてもしょうがないと・・・」
「私はあなたのことを恨んだ気持ちになったことは一度もありません。それは本当です。ただ今の生活においてあなたのことを知ったことは今の自分にふさがっていた穴を開けられた気分です。開けられたことが良かったのか悪かったのか正直今の私にはわかりませんが」
「貴女のお母さんと別れてしまったのは私が原因ですそれは全面的に認めます」
「倉橋真奈美さんですか母を真に愛せなかったのは?」
「・・・・・」
「その倉橋真奈美さんが監督をしている女子相撲部で実の娘が主将をしていると云う事実」とあえて挑発めいた云い方をすると一瞬濱田の顔から視線を逸らす瞳。
「何を云われても仕方がないと思っています。今日はあなたの今の気持ちをストレートにぶつけてもらって構いません心の準備はしているつもりです。近くのレストランの個室を取ってあります。もし貴女がこれでと云うのなら私は構いません。私は成人になった実の娘と再会できたことである意味満足ですしここへ来てもらったことは・・・・」と言葉につまる濱田。
「いつかは会って話をしたいと思っていたのは私も一緒です。ただ今日の今日に会うことは考えていませんでした。ここへ来る途中nagoya tv toweの屋外展望台で泣きそうなぐらい迷いました。でも会わなかったらもう永遠に会うことはないだろうと・・・それは結果がどうであれ後悔することになるだから私はここへ来ました。それは私の正直な気持ちです。だから・・・」と言葉に詰まる瞳。
改札口からの人の流れはこの二人に誰も注目することなく流れていく。列車が到着するたびに流れてくる温い風の流れもいっしょに・・・。
「とにかく食事をしませんか?」と濱田
「わかりました」と瞳
濱田が瞳の五歩先に階段を上がり地上に出る。すでに陽は傾き街路灯がポツポツと点きはじめ走行する車のヘッドランプにも灯が入る。
瞳は濱田の大きな背中を見ながらついて行く。その後ろ姿を見ているとどうしても倉橋監督の顔が浮かんでしまう。別に倉橋から生まれたわけではない。それなのにどうしても監督の顔が浮かんでしまう。これから私は何を話すつもりでいるのだろうか?自分自身がわからないほどに頭も心も真っ白なのだ。歩くこと約十分。低層マンションの一階にあるイタリアレストラン「ポルトフィーノ」
入り口にはオリーブの鉢植えが一つと丸いテーブルが置いてありそこにはオレンジ色のテーブルクロスが敷いてありその上に数本のワインの空瓶がさりげなく置いてある。
濱田をコートを脱ぎドアを開けると瞳を店内へ入いるように手招きをする。瞳はゆっくりとした足取りで店内へそのあとに濱田が入る。
二人はコートとバックを店員に預け個室へ案内され席に座る。
「料理は私に任せてもらっていいですか?」
「はい」
「お酒は大丈夫ですか?」
「多少なら・・・」
「わかりました」
濱田は食前酒にネグローニと瞳にはランブルスコと云う白ワインがメインのスパークリングの中でも珍しい、赤ワインのスパークリングワインなのだ。多少の渋みは食欲を掻き立ててくれるだろう。
これから本当の意味での二人きりでの再会の時間が始まろうと・・・・。




