土俵という舞台へ! ⑤
二人は半地下のトレーニングルームに下りる。土俵と同じ土と砂の感触は真奈美にとっては何年かぶりである。海王部屋には行ってはいたがけして土俵に下りることはなかった。こんな形で映見と会う事など想定もしていなかった。自分のなかでは、映見が卒業した時点で自分もアマチュア相撲の世界から卒業した気分だったのだ。石川さくらには申し訳ないが思い入れの強さでは映見の方が・・・もちろんだからと言って手を抜くつもりはなかったし、自ら東京の海王部屋に行くなどは、里香の時でさえしたことはなかった。それだけ二人には想い入れが強いのだ。
「もうこっちに住んでるの?」
「いいえ、今は青森にいます。来月にはこちらに正式に来る予定です。今日は最後の意思の確認と言うか、もう戻る道は断ったんですが、信用されていないみたいで」と苦笑いの映見
「まだ、戻れるんじゃない?」と真奈美は多少意地悪く
「私が行くことに?」
「私に言う資格はないわ。あなたが決断したのだからそれでいいのよ、わたしも遠回りをしてまたぞろ本業ではないけど、ビジネスの世界に戻ってきた感じよ、それは光さんも同じ、相撲の指導者も嫌いじゃないけど、やっぱりビジネスの世界で生きている光が好きよ、お互いまた起業した当時に戻って人生やり直しよ、バチバチだけどねお互いい意味で」
「私も監督と同じですかね?」
「何が?」
「医師の世界を離れて、この世界ですから・・・でも後悔はしてません。自分で選んだ道ですから」
「そう・・・」
「なんか生き方が監督と似てしまったかなって、どうなるんですかね?」と映見は苦笑気味
「困ったもんね全く。でも、さくらと対決か、見る方としては楽しみではあるけどね、彼女も海王部屋で揉まれているから、瞳もやれるだけのことはしたみたいだから、瞳とは連絡とってるの?」
「えぇ、初代監督以上に口うるさくてまいってます」
「はぁ~?」
こんな場所でお互い会うとは思いもよらなかったが、そこは変に意識することもなく・・・。真奈美はスーツ姿で四股や摺り足をしだす、少々滑稽な姿ではあるが、こんな場所に立っていると黙ってはいられなかったのだ。
「監督は根っからの相撲馬鹿ですね本当に」
「あんたに言われたくないわ全く。本当に女子大相撲の世界に踏み入れてしまったんだから、映見といい里香といい、行かないだろうと想っていたのが行ってしまうのだから・・・本音はね『なんで女子大相撲に行くの!?』って言う想いはあるのよ」
「・・・・」
「西経女子相撲部から女子大相撲に行くのが少ないのは多分に私の意向が強いというか、女子大相撲との関係に積極的にはなれなかった。そんなギャンブル見たいな・・・でもそれは大きなお世話だって、自分だって離婚して、相撲部の監督になっておきながらこの言い草もないけどね、その反省もあってかさくらには色々してあげようかなって、さくらとは連絡とかは?」
「最近はトンとないです、お互い忙しいし、春になれば東京で会えますし、順調にいけば名古屋で対決ですし、なんとか全勝で十両にいきたいですけど、さくらも同じでしょうし」
「さくらは、ここのところ定期的に海王部屋に行っているようだから万全な体制で名古屋は挑むでしょうからそうすんなりには行かないわよ」と如何にも楽しそうに話す真奈美。
「なんか、私が苦しむことを願っているようで」
「あぁぁ・・・バレたか」と真奈美は楽しそうに
「その顔・・・監督と出会っていなかったら相撲は続けていなかった。ましてや女子大相撲に行こうなんって・・・」その表情は真剣で嘘偽りなし、モレウノカ=ゆるやかに渦巻く文様が白地に深い赤で描かれている浴衣姿が余計に
「それって、郡上の踊りに着てたやつよね?確か【葉月山】さんの?」
「えぇ、先輩力士の方々に色々言われちゃいましたけどこれを着るのは自分に対しての覚悟なんで」
「似合ってるわ。昨日、葉月さんと一緒だったのよ中京で家の馬が何頭か出走してね、旦那が仕事で都合つかなくて私が代理で」
「そうだったんですか」
「言われちゃった。『名古屋場所一緒に行きませんか?』って、葉月さんからそんなこと言うとは思わなかった。競馬場では何回も会ってるけど、そんなこと一度も言ってきたことなかったから・・・あなたのことが気になってしょうがないのよ」
「名古屋に・・・監督も来ていただけるんですか?」
「そうねー・・・それより私はもう監督じゃないから」
「あぁすいません。つい・・・」
「いまは、瞳だからねできるだけ私の影は消し去りたいというか早く瞳のカラーに染めてほしいのよ。いつまでも、倉橋のって言うのはね」
「すいません。でも、瞳先輩の方が前監督のより一枚上手かも」
「そうねー・・・」
そんなことを言いながら、真奈美は映見の後ろに立つとそっと腰に手を廻し自分の体を摺り寄せる。そして軽く抱きしめる。
「監督!?」
真奈美のあまりにも突然の行動に映見は体も心も追いつかない。ただそれは、卑猥/猥褻とかと言う感覚はなく、何か母にでも抱きしめられるかのように・・・。映見にとっては真奈美は相撲の母と言うのも大袈裟だが、厳しくもどこか親心を感じさせる。けして相撲だけではなかった真奈美との関係。想っていることはどこか一致しているのに、そのことに素直になれない二人。真奈美も映見も、アマチュア選手として相撲はとっても力士にはなるつもりはないと・・・・。
「私は、女子大相撲より現実を取った。将来が見えない世界よりも、光と生きることを選んだ。少なくとも、力士として生きることよりも・・・・」
「監督・・・」
真奈美は映見の首筋に自分の頬をあてる。浴衣から石鹸の香りが真奈美の抑えきれない感情めいたものを沈めてくれる。紗理奈から女子大相撲力士への誘いを再三受けていたのにかかわらず、真奈美はその誘いに色よい返事はせず、光と生きていくことを誓い女子大相撲力士と言う選択は取らなかった。でも、それは「体の良い断り文句」であると同時に、将来が見えない世界へ飛び込む勇気がなかっただけなのだ。光と結婚し起業した会社は恐ろしいほどに順調に、海の物とも山の物ともつかない女子大相撲に、人生を賭けなかった自分の選択は間違えではなかったその時は・・・・。
「和樹君とは連絡取ってるの?」
「えっ?えっ・・・いきなりなんですか!?」
「あなた別れてないんでしょう?」
「連絡は取ってません。お互い今の自分の生き方と真剣向き合って五年後、気持ちが変わらなかったら」
「はぁーお互い頑固と言うか、和樹君はどこか光とオーバーラップするって言うか」
真奈美は抱きついていた映見からゆっくり手を解き、白木の壁にもたれかかり腕組みをしながらしげしげと映見を見つめる。頬が若干こけ良い意味で稽古がしっかりできていると言うことがわかる。
「五年後、あなたはスパッと辞められるの?というより辞める必要もないのだけど」
「五年後、お互いの気持ちが一致しているのなら、結婚するつもりでいます。和樹は起業を考えているようですし、この五年はその準備期間だと」と映見
「医師としてどうするの?相撲を引退したとしても医師として、いや、医師の卵としてやることはある。それでも和樹君が起業したらあなたはそれを支える立場でもあるのよ」
「わかってます」
「わかってる?」
「この五年は、お互い今想う自分を考え将来を思考する大事な時間だと考えています。少し遠回りするかもしれませんが・・・この五年はすべての自我を吐き出すために、すべてを忘れ相撲に集中して【葉月山】の名に恥じない地位に自分を三十歳までに持っていく、そこで、力士【葉月山】は終わりです。和樹を妻として支えることは当然としても、それはそれ、医師として生きる道を捨てる選択はありませんから」と映見はきっぱり!
「もし、あなたがその時に【横綱】の地位にいた時にスパッと辞められるの?横綱【葉月山】として辞めれるの?結婚するから三十歳に引退を決めていたから引退します!そんなの世間で通用する?」
「それは・・・・」映見はほんの一瞬、困惑したような表情は見せたが・・・。
「別に、あなたを追い詰めようとするわけでもないんだけどね、まぁ私も偉そうなこと言える立場でもないんだけど、まぁーあなたと和樹君の事なら大丈夫だと想うけど・・・」
「女子大相撲に行かなかったのは、結婚ですか?」
「そうね・・・でも、本音は私にその心構えができなかっただけなの、力士になって結果が残せる残せないとか言うこと以前の問題だからね、私にあなたのような勇気がなかった。その意味ではあなたに嫉妬しているのかもね」
「真奈美さん」
「Ah, Walkin' in the Moonlight」
「・・・・・」
「月明かりのなかを歩く、いまのあなたはそんな感じかしら」
「真奈美さん・・・」
真奈美は柔らかい視線で映見を見ると後ろに回り再度、映見を抱きしめる。真綿で包み込むかのように・・・。
「お互いちょっとしたことで別れてしまった。それがきっかけで西経女子相撲部の監督になった。相撲は学生で終わりと決めていたのにましてや指導者なんて頭の片隅にもなかったのに、紗理奈さんは私と力士として勝負をしたかった。勝った負けたとかでは、なく純粋に相撲をしたかった。プロとしてやりたかった。本当は私自身が一番わかっていたのに・・・・西経女子相撲部監督を受けたのは、偶然ではあるけれどなるべくしてなったのかもしれないそれでも、力士としての人材を輩出するとか言う意識は持たなかった。力士として成功する保証はないし・・・。そこに自分をだぶらせていた。でもそんなことは大きなお世話よね。それを決めるのは本人しだいなのだから・・・私はあなたに、相撲で大成するよりも、女性として幸せになってなってほしい。あなたと和樹君を見ていると何か私達とおなじ雰囲気を感じてね、余計に心配になるというか・・・」
「でも、一度は別れても戻りましたよね。別れて時が経ち、再度出会う。その間の時の流れの中でも過去の想いは流されなかった。五年後の私達が変わらない思いなら、その時に私が四股名に相応しい地位にいたとしても、私は・・・」
「それは、その時考えればいい。五年の時は二人を試すにはいい時よ、和樹君が海外で、あなたが女子大相撲で、少しだけまわり道をしたと想えば、それでいいのよ、四股名【葉月山】は力士として、女性としての生き方をあなたに教えてくれると想うわ」
「監督・・・・」
「少しだけ回り道・・・か」
「えっ?・・・・・」
少しだけまわり道
ハイ・ファイ・セットの曲 ‧ 1978年
つらい別れも いつのまにか
懐かしさに 姿変えた
時の流れの それは粋なはからいね
こうして 見つめあえば
Al, Walkin’ in the moonlight
あの日別れた 同じ舗道ね
Ah, Walkin’ in the moonlight
ひとつの愛を 伝えあうために
少しまわり道を してただけね
そして二人 めぐりあえた
いつもあなたの 想い出から
逃げるように 暮らした日々
胸の奥に しまいこんだ恋心
あなたを 呼んでたのに
Ah, Walkin’ in the moonlight
いいのよあなた もう言わないで
Ah, Walkin’ in the moonlight
時がすぎても 変わらない想い
少しまわり道を してただけね
そして二人 めぐりあえた
ひとり、真奈美は映見の背中に身を委ね、口ずさむ。
「今をしっかり生きなさい。自分の想いに自直に、自ずと答えは出るわ」と言うと真奈美は映見の首筋にかを沈める。首筋に伝わる雫の意味は真奈美の想いが・・・・。
「監督の行けなかった世界へ、行かしてもらいます。その雫とともに・・・」
「映見・・・あんた」




