出世名は選ばれた者に宿る ⑫
名古屋マリオットアソシアホテル 48階〈那古野スイート〉。ジャパニーズモダン。有松絞や七宝焼きのアートワークに加え、組子細工の障子の華やかさ、飛騨家具、組子の障子など、ここは48階の天空の城のように・・・・。二人は窓際の小上がりに夜景を背に腰かける。
二人きりになるのは、葉月の人生を決めたあの北海道以来である。あれから時は流れ、葉月は競走馬の生産及び育成牧場の女性ホースマンとして、日本はおろか海外からも注目を浴びている。真奈美は別れた夫と再婚、福井のオーダーメイド専門のコネクターメーカーから旦那である光が経営・技術面でのテコ入れのためにヘッドハンティングされ「CTO (最高技術責任者)」として会社に携わり、真奈美は光の秘書兼広報としての仕事に携わる。規模は光が創業し今や世界的な企業「Hawk eyeソリューションズ」とは比べ物にもならない中小企業であるが光にとっては、毎日が楽しく若手と現場で丁々発止することが旦那の生きがいである。そのフォローをするのは真奈美であることは、相変わらずだが・・・・。
「なんか、今日は凄い楽しかった」と真奈美
「私もです。なんか・・・でも今日はなんで今まで女子相撲の話をされることはなかったのに、それも協会の一花さんを呼んでまで?」と葉月
「うん。映見やさくらの事もあったしね、それに、あなたと二人だったし」
「えっ?」
「よかったの【葉月山】を映見で、偉大なる四股名をこうもあっさりと」
「もう、女子大相撲とは関係ありませんし、映見さんなら」
「【葉月山】のファンだった私からすると複雑と言うか嬉しい反面大丈夫なのかって、映見もそうだけど私もね・・・」と真奈美は立ち上がり小上がりの座敷に上がり眼下の夜景を眺める。窓ガラスに映る自分に問いかける。
「監督辞めて光の仕事と一緒に福井に移住して相撲との関わり合いを断とうって、離婚した原因は相撲だからね、まぁ相撲が悪いんじゃなくて自分がね、本気で監督はやる気はなかったのよ、あなたとある意味同じ・・・その結果は、吉か凶かと言えば吉、あなたは違うかもしれないけど、今の私がこんな生活ができるのも相撲のおかげ、まぁ元旦那と再婚しちゃったのは想定外だったけど」と真奈美。ガラスに反射し薄く映る自分は笑みを浮かべている。
「私も同じです。女子大相撲力士として・・・紗理奈さんにいい意味で嵌められた。映見さんも嵌められたのかもしれませんが・・・昨年の夏、苫小牧でお会いしてから会っていませんが」
「苫小牧?」
葉月は、小田代ヶ原親方と紗理奈が映見目当てに訪れたこと、そして、葉月が映見を試し完敗し、四股名の継承を許したことなどを説明した。それを聞いた真奈美は、別段驚くこともなく受け流すかのように、真奈美にとって映見は西経女子相撲部においての一つの完成形であり最高傑作だと今でも想っている。アマチュア最高傑作であるのなら当然その先は、女子大相撲であり女力士への道へ行くのがある意味の常道ではあるが、医大生である映見にとってその選択はないと想っていた。
柴咲総合病院相撲部の選択など考えも及ばなかった。医学部卒業と国家試験の合格の上で女子大相撲入門への扉は、全日本の優勝か世界大会三位以内。もしくは、全国実業団か国民スポーツ大会での優勝の四つしかなかったのだ。真奈美なりに模索はしたが・・・。そんななか、元理事長であった山下紗理奈が動き、かつてのライバルであった元関脇十和田富士が、青森にある総合病院で相撲部監督に就任。紗理奈はそこへ映見を入れ、全国実業団選手権優勝からの女子大相撲入りを目指すという手筈を、協会としてではなく紗理奈個人と言う感じで、話を進め見事に映見はそのチャンスをものにしたのだ。
真奈美にしてみれば、自分の知らないところで話が進み映見からも一切の相談がなかった。そのことに一抹の寂しさを感じないと言えば嘘になる。でも、それは、彼女の選んだ道。逆にさくらは頻繁にかけてきてくれたりしても、映見のことは一切言わない。それはまるで、映見と真奈美との間に入ってはいけないかのようの暗黙の了解でもあるかのように・・・。
「名古屋場所一緒に行きませんか?」と葉月は真奈美に不意打ちでもするかのように
「えっ?」
葉月から女子大相撲の観戦に行かないかと言う提案が出るとは想像もしていなかった。女子大相撲界から去り、新たな競馬界と言うステージで国内外と飛びまわっている彼女から、女子大相撲観戦に誘いをかけてくるとは・・・・。
「女子大相撲とはなんとなく距離を取っていたんですがもうやめようかと」
「なに、距離とってたの?」
「それは・・・」
「そのわりには、北海道で紗理奈さんや小田代ヶ原親方と会ってるくせして、距離もへちまもないじゃない。おまけに、女子大相撲入りを目指している映見に稽古をつけるなんてどこが女子大相撲とはよ全く」
「真奈美さんもう大学の相撲部には本当に行ってないんですか?」
「私は映見が卒業したら監督辞めることは決めていたし迷いはなかった。それと、指導者としての相撲との係わりもね、女子相撲協会から役職にという誘いもあったけど、さして協会の仕事もしてこなかったし、別れた旦那とリセットしてもう一度一緒に人生を生きていきたかったのよ、福井という縁もゆかりも誰一人知り合いがいない地で、相撲との関わり合いはもう・・・別れた原因はそれだから、でも一番は相撲にたいして指導者としての情熱を失った・・・というのが本音かな、相撲が嫌いになったとかではないんだけど」
「対照的ですよね紗理奈さんと、旦那さんも含めて」
「それは、あなたもでしょう」と真奈美は若干呆れたような表情で
紗理奈も葉月も力士引退後、本来であれば部屋を持ち後進の育成にあたると言う第二の相撲人生が進むべきと言うかそれが一番の道であったはず、しかし、二人はそれを選ばず、紗理奈は女子大相撲全体の裏方として女子大相撲を仕切る立場に、葉月は子供の頃からの夢であり目標であった競走馬ビジネスの世界へ、それが二人の思い描ていた理想でありその理想を実現した。でも、どこかに虚しさを感じていた。女力士として最高の【絶対横綱】として女子大相撲で活躍し完全燃焼した。第二の相撲人生を選ばなかったことに、後悔も後ろめたさもなかったと言えば嘘になるかもしれないが、それは性に合わなかったというのが本音。そんな二人が、ふと我を帰ることになった。それは、もう一人の自分でもあった自らの四股名の復活。
初代絶対横綱【妙義山】・二代目【葉月山】。妙義山は紗理奈の娘である愛莉に宿り、桃の山を経て二代目【妙義山】へ、一方の葉月は、アマチュア女子相撲の女王として活躍した稲倉映見に四股名である【葉月山】を自ら稽古でぶつかり、映見を試したうえで継承させた。
それでは真奈美はどうかと言えば、全国大会で無敵のアマチュア女子相撲女王であった山下紗理奈をくだした。そのことは負けることなどなかった紗理奈に火をつけた。その後、来るべき女子大相撲創設での再戦を望んでいた紗理奈は真奈美を誘うも、色よい返事はしなかった。女子大相撲に関心がなかったわけではなかったが、すでに旦那である光と付き合っていたし、起業の話も具体的になっていた。そこに、女子大相撲への選択はなかったのだ。女子大相撲の創設を横目に、真奈美は光と共にビジネスに邁進。ビジネスにおいては最高のスタートを切れたものの、プライベートにおいては、我慢を強いられることになった真奈美。ビジネスにためなら彼の成功のためなら・・・。そんな心の葛藤のなかに西経大の相撲部の話が・・・。光のビジネスは飛ぶ鳥を落とす勢いで、一名古屋のベンチャー企業では収まらず。東京。そして、世界へ・・・。妻として、光の秘書兼広報として、経営者の妻として喜ぶべきことなのに、地位も金も、でも心と体は満たされなかった。それをみたしてくれたのは、男ばかりの相撲部で男子相手に稽古を受ける女子学生達、それは過去の自分を見ているかのように・・・・。
「過去の想いは美化されがちだけど、あなたは【葉月山】の時が一番輝いていたように感じる。今のあなたを否定しているわけではないけど、【葉月山】の相撲は私を熱くさせた。勝負師としての【葉月山】は、常に私を刺激し鼓舞するかのように」
「真奈美さん」
「今度は映見があなたの四股名を継ぐのね嘘みたいな話ね本当に、映見はいけそう?」
「稲倉映見は、妙義山や十和田富士世代の後継になる力士です。そうなってもらわないとでなければ【葉月山】は譲れなかったそう言うことです!それと、紗理奈さんがあそこまで映見の入門に陰ながら拘ったこと、あの人の目に狂いはない!そう確信しています。あの人が私を女子大相撲の世界に放り込んだように」
「そうね・・・・」と、眼下に光をちりばめられた名古屋の街を見ながら、ガラスに映る自分、空気遠近法の向こうに葉月の全身が曇りがちに映し出されている。二人とも相撲の世界から身を引きそれぞれの道で邁進している。でもなにか心に広がる空虚感。二人にとって一番輝ていた相撲時代であることは、疑いのないのにそれを否定してきた。
第二の人生、表面的な幸せは手に入れた「金・物・地位・名誉」少なくとも傍目には、二人は成功しているのだ。なのに、心のどこかにぽっかりと空いた空洞は埋められていない。それが何かは二人ともわかっている。相撲を自ら失ったことは、生きる意味も失ったのだ。「相撲は生きがい」という一時的なものではなく、生きる意味なのだ。それを具現化しているのは山下紗理奈なのだ。力士として、実務として、女子大相撲を支えてきた女帝。そんな彼女も女子大相撲界から去り、後進のために道を譲ったと言えば聞こえはいいが、それは、葉月が北海道に帰郷し成功したことが大きかったのだ。葉月を後継にと考えていたそれは、「生きがい」であった。もし、葉月が相撲界に残っていたら、こうも早く去ることもなかったのだ。
葉月は紗理奈が唯一スカウトした選手。想いれは娘である二代目【妙義山】以上。その葉月が相撲界から去り生きがいを失った紗理奈にとって、映見の相撲は葉月山を彷彿させるかのような雰囲気を持っていたことに黙ってはいられなかったのだ。それでも、映見は医大生でありそこから卒業して女子大相撲入りを目指す道は皆無と想われ、誰もスカウトに行くことはなかったが、紗理奈をそれをやったのだ。
紗理奈のある意味での独善体制を良しとしていなかった連中は、協会を去ったうえで院政でも引くのかとも言われたがそんなチンケな話ではなく女子大相撲のためにただそれだけ、それは、生きがいとかいう一時的なものではなく、生きる意味としての行動だったのだ。そのことは、少なからず葉月の女子大相撲の想いにも影響を与えることに、そして、紗理奈の想いを受け継ぐかのように、葉月は映見との実戦稽古をしたうえで、四股名【葉月山】を継承させることになったのは、偶然ではなく必然だったのだ。
「映見は紗理奈さんに認められチャンスを与えられそれを見事にものにした。葉月山の後継としてあなたにも認められ・・・私にはできなかったわ」
「真奈美さん・・・・」
真奈美が監督だった西経から女子大相撲入りし三役まで上り詰めたのは大関【伊吹桜】ただ一人、大学リーグにおいて絶対的強さを誇った相撲部にしては若干の物足りなさはあった。それは、真奈美が女子大相撲入門にたいしては積極的ではなかったからであることは否めなかった。山下紗理奈との確執も解消したはずだったなのに、真奈美の心理に魚の小骨でも刺さったような異物感を感じていたのだ。稲倉映見・石川さくらの去就にある程度の目途が立ち、監督の後継に旦那の娘である瞳が決まった時点で、監督を辞める決心がついた。そして、女子相撲からも・・・・・でも・・・。
「葉月さん先にバスでも入ってきなよ、セントレア明日何時?」
「いえ、明日は久しぶりに栗東に行ってみようかと、なかなか調教師さんと会えるチャンスがなかったので、もしよろしければいかがですか?」
「そう、お誘いはありがたいんだけど私も色々とあってね、仕事で寄るところもあって申し訳ないけど」
「いえ、それじゃ先に入らせてもらいます」
「えぇ」
葉月はバスルームへ、真奈美は座敷に置いてあるコーチのマンハッタントートバッグからスマホを取り出すと、しばらく考えたのちショートメールを打つ。
「真奈美です。夜分、突然のメールで失礼いたします。明日、東京に行く用事がありましてもしお時間があればお会いできないでしょうか?私の勝手な都合ですいません」
真奈美は打ち終えると、スマホを握りしめながら眼下の街並みを見下ろす。
(あの人には敵わないわ。生きる意味をあなたは相撲に賭けた。それは・・・いまでも)
一分も経たずして、スマホに着信のバイブレーションが・・・・
「えっ!?」
時刻は午後十一時五分。それは、あまりにも早く意外な・・・・。




