全国実業団相撲選手権 ⑩
インターハイ一週間前、那奈にとっては、稽古もさることながら、元絶対横綱【葉月山】からの直接指導は、どれだけの勇気と気持ちの安定をくれたるのかは、稽古以上のものを那奈は貰っているのだ。
「葉月さん。今日はありがとうございました。表彰台に上がれるように頑張ります」
「表彰台?ではなく、表彰台の真ん中でしょ!違う?」
「えぇっ・・・・」
「それぐらいの気概がないとだめでしょ」と言いながらもその表情はあくまでも柔らかく、まるで娘の頑張りを見るような葉月。
「頑張ります」と那奈は力強く、真剣に、そこに笑みはなかった。
「楽しみにしてる」
「はい!」
那奈の顔が一瞬緩むも、すぐに引き締まった表情に戻る。春から月一・二回直接指導を受けた那奈の相撲はあらゆる意味で飛躍的に向上、技術もさることながら、精神面のゆとりと言うか、元【葉月山】に直接指導を受けることは、那奈にとって何事にも代えがたい。そのことでもっと相撲を深く探求しようとなり、自分なりに色々考えるような素地ができたことは、単に相撲が好きだからとか言うレベルからさらに上を目指すという今までの那奈ならそこまでは考えてはいなかった。女子相撲に関して、超一流の葉月に指導を受けることが、ここまで那奈を女子相撲部を変えたのだ。
葉月は、那奈を見つつ視線は映見に向かう。その視線は、鋭く、厳しく、そして、鬼のような・・・。その視線を受ける映見も、明らかに、自分に対して那奈とは全く異なる態度でいることは、口に出さずとも葉月と映見の間の空気感は明らかに違うのだ。
「美知佳、この相撲場、この後少し使わせてもらえない?」
「それは、全然構わないけど」
「それと、しばらく、映見と二人きりで使わせてもらいたいんだけど」
「ふたりきり?」
「悪いんですが、映見以外の方は、ここから退室してほしいんですが?」と葉月の一言に、美知佳と那奈は戸惑った表情を見せるが、紗理奈と小百合は、表情ひとつ変えず・・・。
「葉月、何?何を」と美知佳
「悪いんだけど、私は映見と大事な話がしたいの!二人きりで、この場所で!」と美知佳の言葉を強制的に遮りいつになく強い口調は、明らかに感情的で威圧感丸出しの口調は、場の空気感を一気に緊張させる。
(葉月さん!映見と何を!)と小百合は心の内で叫ぶも、声には出せなかった。こんな葉月はあまり見たことがなかった。そんな時、紗理奈は一人出口の方に向かう。葉月の表情すら見ず、無言のまま相撲場を出る。それは、まるでこれから葉月が何をするかがわかっているかのように・・・・。
(紗理奈さん・・・) 小百合は、そのまま立ち尽くす。葉月は、再度四股を踏みなおす。それを見た映見は、摺り足から四股を踏む動作に入る。すでに、美知佳と那奈は、紗理奈に連れてすでにこの場を出て行っていた。この場にいるのは、二人以外では、小百合だけ・・・。そこに、葉月が近づいてくる。
「小百合、悪いんだけどここから出って行ってくれない?」
「何するんですか?」
「何?なにって稽古以上のことはないわ」と葉月
「葉月さん」
「出ってくれない?」
「・・・・・」
小百合はそれ以上のことは言えなかった。少し離れた場所では、映見が体を動かしいつでも稽古に挑めると言った感じで、その思いが漲っている。
(映見は葉月さんが普通でないと感じているの?だから)
「小百合、いい加減出って行ってくれない?」と葉月
「私が居てはまずいんですか?映見を預かる身として」
「私は、元絶対横綱【葉月山】として、映見に教えなんきゃいけないんだよ!僭越ながら親方には、大変失礼だけど、少し私に二人の時間をくれないかい小田代ヶ原親方、お願いします」と葉月は、小百合に頭を下げた。
「・・・・」(葉月さん)
あまりにも意外な葉月の態度に戸惑いを隠せない小百合。現役力士時代、そして、その後もここまで高圧的な葉月を見たのは初めて、それでいながら自分に頭を下げるなどあり得なかった。
「私が居てはダメなんですか?」と小百合は食い下がる。
「小百合、私は映見に元横綱【葉月山】として、映見に問わないといけないんだよ、悪いんだけど小百合が入る余地はないんだよ」と葉月は言いながら、映見を見る。その視線に真っ向勝負を挑むかのような視線。
「小田代ヶ原親方、すいませんが、ここは、葉月さんと、いや、葉月山さんと二人にさせていただけませんか?」
「・・・・・」(映見・・・)
二人にそこまで言われては、小百合とてこの場にいるわけにもいかない。小百合は、二人を見合った後、無言で出入り口の鉄扉を開け、二人に振り返らず廊下へ、扉がゆっくりと閉まり、「ガッチャン」と音を立て閉まる。一瞬の静寂と張りつめた緊張感、二人だけの相撲場は二人のために・・・。
「那奈の相撲が急に強くなったのは、葉月さんが指導していたんですね」と映見は言いながらうつむき加減の葉月を見る。
「どうしても、夏のインターハイに出たいってうるさくてね、団体戦は一歩足りなかったけど、個人戦はなんとかね、まだまだ粗削りだし、入賞できれば御の字じゃない?まだ高校生だし、本人は女子大相撲入門を考えているみたいだけど」と葉月は、俯きながら左足の五本の指で、土俵の土を掘り起こすかのように、指の部分だけ窪みができていく・・・。
「私とは、違うんですね?」
「違う?そうね、身の程知らずも程があるって」
「・・・・・」
「相撲をやるにせよ、実業団で趣味の範囲でやればいいのよ、何も女子大相撲が相撲のすべてではない、医師としてエキスパートの道を歩むべき者が、女子大相撲はないだろうってことよ!」
「なんのために、そこまで言う必要があるんです!私が女子大相撲に行こうが行きまいが葉月さんには、なんの関係もないですよね!なんなんですか!」
映見は、葉月が意図的に言っていることであろうことは感じつつも、つい声を荒げてしまう!
「今の那奈なら、あなたといい勝負ができるでしょう?逆に言えば、あなたの今の立ち位置は高校生レベルってことよ、那奈には才能がある。私もあなたには、色々想うところもあるわ。あなたなんでそこまで女子大相撲に拘る?実業団でいいじゃない、何も・・・、研修医としての大事な時間を無駄にするようなことをするのか」
「中学生の時から、葉月山は憧れでした。相撲をやっている者はみんな・・・。ただ、だからと言って、女子大相撲を目指すかは別問題、私の目指すものは医師になる事、現実的に考えて、女子大相撲に行こうとは思ってもいなかった。でも、あの東京での大会に私を拾って頂き・・・あれが、私に相撲というものの憧れを、可能性に目覚めさせた。憧れが夢であったものが現実的な話に・・・・ダメですか?」
映見の想いに嘘はない。相撲は学生までと決めていた。医師と力士の両立などという選択は不可能であり、そんなことは、西経の付属高校に入った時点で覚悟を決めていた。西経でとことん相撲をして、相撲はおしまい。そう決めていたのだ。学生女王・世界選手権での金メダルを含めた活躍は、映見を満足させるのに十分でありアマチュア女子相撲でやれることはすべてやり、心置きなく医師の世界へ邁進できるはずだったのに、【女子プロアマ混合団体世界大会】は、私の心に深く沈み浮かぶことがない夢を引き上げた。そして、憧れの【葉月山】との出会いは、それに輪をかけて・・・。それでも、医師免許取得のために、相撲は忘れ合格に邁進していた。そんな矢先の、柴咲総合病院相撲部の誘いと女子大相撲入門の最後のチャンスの提示。どちらに転んでも、映見にとっては理想的なものである。女子大相撲入門に失敗すれば、研修医として病院で、女子大相撲入門の資格を得ることができれば、そこで選択をすればいい実業団で優勝できれば話ではあるが。
「憧れから目指すものか・・・映見の気持ちは変わらないのね。私は望んで女子大相撲に行ったわけではなかったからね、私は、紗理奈さんに見出されて女子大相撲の世界に入った。あの時、中河部牧場に嫁ぐという選択があったのに、私の一時の感情で女子大相撲を選んだ。結果的には、間違えではなかった。でもね、私の目指していたものは、今やってる馬の仕事なのよ、女子大相撲は憧れであって目指しているものではなかった。私にとって二十年のブランクは、あぁ言い方はおかしいけど、少女時代からすれば、その空白は取り返しがつかない、一時の感情で動いてしまったことにね、今はこの仕事に生きがいを感じている、子供の頃から目指していたものだからね、でも、それでも十八歳のあの時に、屈辱的だったかもしれないけど、中河部に嫁ぐのが正解だったのよ、何を今更とあなたは想うだろうけど」
「それって、本心ですか?」
「どういう意味?」
「本当は、女子相撲界から身を引いたことに、多少なりとも後悔してるんじゃないんですか?」
「・・・・」葉月の表情が一瞬強張る。核心をつかれた。いや掠ったかのように
「相撲部に、月に一二回、稽古に来るのは趣味の一環ですか?那奈が急にレベルを上げてきたことにおかしいとは思いましたが」
「那奈には、上位に行けるポテンシャルがある、美知佳がそれなりに指導してきた賜物、そこに、私なりのアドバイスと言う調整をしただけの話。稽古に来るのは趣味の一環かと問われれば、息抜きの一つ相撲の世界に20年近くいたのだから、情がわくのも仕方がないし、中学時代の相撲仲間である美知佳との出会いがそうさせているのは、当然じゃない?」
「この場所で、初めてあった葉月さんの言葉は今でも胸に深く刻まれてる」
>「葉月山は、もう一人の私。絶望の淵から私に生きる糧をさずけてくれた!映見!葉月山の四股名を継ぐ覚悟がないのなら、女子大相撲は諦めなさい!葉月山の四股名など女子大相撲の期待を裏切った時点で殺せばよかった!でも、殺せなかった」
「そんなこと・・・・覚えてないわ。もし、そう言ったのならそうするべきだった。【葉月山】は、私が相撲界を去る時に、止め名にするべきだった!」
「私に、四股名【葉月山】をください!必ず、四股名に恥じぬ相撲をします。お願いします」と頭を下げる映見。映見が正式に、葉月に四股名を譲ってほしいと言ったの初めてなのだ。それに近いことは言っていたが・・・・。
「頭を上げて映見。あなたから初めてよね、四股名の事言われたのは、いいわ。でもそれは、私を納得させられたらの話」
「納得?」
映見は、葉月の表情を見る。相変わらずの厳しい表情で俯き加減に土俵を見る。葉月の両足の指先はまるでクレータのように深く窪んでいる、それは、今の葉月の感情を表すかのように深く深く。
葉月は、ゆっく歩き出すと、外につながる大きな引き戸の鉄扉を施錠する。
「えっ?」思わず呟いてしまった映見。葉月がやっていることが理解できないと同時に、どこか、少なからずの恐怖心を抱かずにいられない葉月の行動。そして、最後に出入り口の扉も、サムターンを廻し施錠。
葉月と映見が見合う。
「なんのつもりですか?」と映見は強い口調で言いながらも、どこか震えているような・・・。
「今日はあなたを潰すつもりで来たわ」
「潰す!?」
「私の潰しの稽古に耐えたら、【葉月山】を譲るわ。耐えられなければそこで終わり!女子大相撲も終わり!やるわよ!」
「・・・・・」(潰しの稽古って、潰しって!?)
葉月はゆっくりと土俵に上がり、仕切り線の前に立つ。映見は小上がりの前に立ったまま、葉月を睨んだまま動かないでいる。
「私が稽古をつけてやるって言ってやってるのに、やるつもりはないって顔だねぇ」と葉月は奥の鏡に映し出された自分を見ながら、まるで過去の自分に言っているように・・・・。鏡に映る葉月のさらに奥に、映見が映し出されている。鏡に映る映見が段々と近づいて・・・・土俵に入ると葉月を正面に仕切り線の前に立つ。
各入り口を施錠された相撲場は、この二人のために・・・・。




