全国実業団相撲選手権 ⑨
(葉月さんまだ廻しを締めることがあるんですね・・・・なんかうれしいです!もう相撲を捨てたわけじゃなかったんですね)
小百合は小上がりに腰掛け土俵を見る。映見と那奈は一旦、相撲場を出て外で外のベンチで軽くエネルギーバーを食べながら談笑し一息入れていた。相撲部監督の木原美知佳は職員室へ、他の部員は来てなく、今日は那奈の最終調整と言う意味で、映見との稽古をさせているのだ。そのうえで、元横綱【妙義山】・【百合の花】が映見の件で来校してきたと言え、那奈にとってはこれ以上の稽古のチャンスはなかった。ましてや、紗理奈から直接指導してもらうなんてまずない出来事。百合の花でさえ現役時代、紗理奈からアドバイスすら受けたことがなかったのだから・・・。そんなことを考えていると若干の軋み音とともに鉄の扉が開く、紗理奈の後に廻しを締めた葉月が入ってきた。威風堂々という言葉がぴったしというか、その姿は体形こそ違えど、往年の葉月山そのものである。けして、表情はゆるるんでいない、逆に厳しいぐらいに、それはなんら現役時代と変わらない。
葉月は、チラッと小百合を見ると、股割から始まり、摺り足・四股と入念にしていく、無言のまま黙々とその姿は、現役時代の【葉月山】そのものである。その様子を見ている小百合の隣に紗理奈が並ぶ。
「まだまだやれるって感じだな」と紗理奈は嬉しそうに
「表情ひとつも、葉月山そのもの・・・」と小百合は若干複雑である。久しぶりに見た葉月は、相撲から解放されて新たな世界で活躍しているはずなのに、まるで今でも女子相撲界にでもいるかのように見える。四股一つでさえ、見ればどれだけ鍛錬しているかぐらいはわかる。まったくぶれない体幹はそれを表している。
「葉月さんは、なんのためにここまで鍛える必要があるんですが?」と小百合は思わず紗理奈に聞いてしまった。
「最後の花道ってところか?」
「最後の花道?」
「【葉月山】として映見に四股名【葉月山】の継承ってところだろう、それが葉月山としての最後の花道ってことだよ」
葉月は、二人の会話など興味がないといった感じで、鉄砲柱に突っ張りを入れていく、「パンパンパンパン」と小気味良い音を立てる。脇をしっかりしめ、腰を入れ、出した手と同じ足をすりながら突っ張る姿に、小百合は違う意味で心を熱くしていた。
(なんで辞めたんですか!今の葉月さんは、現役時代となんら変わらない!なんで!)
葉月から「あなたは私の後継だから」と言われた小百合。葉月の自宅と相撲部屋建設のための土地共々小百合が破格の値段で購入。それは、葉月にとって相撲との決別の意味もあったに違いない。しかし、目の前で体を慣らしている葉月は、決別どころかまた戻るかのような状態なのだ。もし、葉月が女子相撲界にに残り、部屋を持つ立場であるのなら、小百合は葉月の部屋に行くつもりでいたのだ。でも、それは、叶わぬことに、それどころか自分が部屋を持つことに、小田代ヶ原部屋がある意味で恵まれたスタートを切れたのは、葉月の影の尽力が大きいのだが一切そのことには答えてくれない、葉月山の人脈は、小田代ヶ原部屋が受け継ぐ形で、そして、ある意味の未完の大器、稲倉映見の女子大相撲入りの件も、紗理奈や遠藤美香と言う、女子相撲界の大御所と言われている二人が動かなければ実現できなかったし、他の部屋の関係者はこの件に関しては、表立っては口に出していない。何部屋は、稲倉映見取得に向けて動いていたと聞くが、それもいつの間にか消え・・・。
そんな時、外で一息入れていた映見と那奈が戻ってきた。二人は鉄砲をしている葉月を横目にしながら小上がりの縁に腰かけその様子を見る。その様子に見とれる那奈に対し映見はどことなく厳しい表情で見ていた。
(こんな厳し表情の葉月さん見たことがない)
この前、この地で初めて会ったときでさえこんな気迫は感じなかった。
>「医師としての大事な研修医としての時間を一旦棚上げしてまでも・・・あなたは」
「三十歳で、引退します。その時の番付がどうであれ」
「三十歳で引退?」
「終わりを決めれば、その日まで相撲に邁進できる。三十歳までに横綱を目指す!そこで私の女子大相撲の人生は全うできる!後腐れもなく」
「後腐れもなく?」
「引退後は、もう一度研修医として」
あの時に言われたことは、いまでも胸に刺さっている。入門して五年後に引退というのは映見にとっては考えているロードマップであることは確かだ。ぼろぼろになるまでやることも一つの美学かも知れないが、私には私の生き方がある。青森の先輩医師にも研修医として青森に行く前に似たようなことを言われた。
>「今度の件で両親二人には、色々心配や迷惑をかけてしまったし、医学部まで行かせてもらっておきながら、女子大相撲に行きたいとか・・・それに和樹の事も。医師として第一段階である研修医としての大事な時期を蹴ってまでさせてもらった以上、そのまま力士ができなくなるまでやるのは、そこは、最後は・・・」
「がっかりだわ」
「えっ?」
「色々心配や迷惑をかけてしまった?何今更そんなこと言ってるの?そんな気概じゃ無理ね、実業団で優勝して女子大相撲?映見、本当に女子大相撲に行く気あるの?今の言葉聞いたらとてもそうは想えない!うちの医院長も十和田富士さんも所詮コケにされたか」
「私はそんな!」
「映見、あんたがこのチャンスを掴むことができたのは周りの人達のおかげでしょうが!そんな中途半端な気持ちなら女子大相撲はきっぱりあきらめて!それと、うちの病院はあんたに相応しくない!それだけ、じゃ切るわ」
三十歳で区切りをつけると言うのは、医師として改めてのスタートを鑑みそのうえでの計画なのだ。そもそも、いくらアマチュアでそれなりの成績を上げていたところで、それが、それがそのまま女子大相撲で通用するとは限らないし、幕内に上がれず早期引退だって、もっと言えば、実業団で優勝できないかもしれないし・・・。
「映見さん。なんで葉月さんここに来たんですかね?」
「えっ、どう言う意味?」
那奈は、一瞬、(あっ!)と言う表情を見せたが、僅かな間を置き口を滑らせる。
「実は、映見さんが来る日を私に聞いてきて、映見さんが来ない日には、何回か稽古に来ていただいていたんです」
「私の来ない日?」
「多分、映見さんに会うことを嫌っていたというか、すいません失礼な言い方で、葉月さんとの間になんかあったのかなって」
「・・・・・」
「元絶対横綱である【葉月山】さん。本来ならうちの相撲なんかに指導になんって来てくれる人じゃないのに、わざわざ一時間近くかけてきてくれるなんって、他の高校からしたら羨ましすぎるというか、それも、うちの相撲部はそんな強くないにもかかわらず、なんでって,もちろんそれは、監督が中学生の時の同級生であることと映見さんが隣の病院で働かれているというのが根本ではあるのでしょうが?」
鉄砲をしていた葉月が、一息いれるように、額の汗をタオルで拭う。多少、息を荒げているように見えるが体は十二分に臨戦態勢ではないが、いつでも相撲が取れると言った感じで、映見と那奈に視線を合わす。表情は相変わらず厳しい葉月、明らかに今日の稽古が単なる稽古ではないというのをあからさまに匂わす雰囲気は、女子プロアマ混合団体世界大会に参加していた時すらなかった。映見が女子大相撲に行くことに、葉月が多少なりの異論があるのであろうことはわかっている。
それは、自分の過去と照らし合わせ、女子大相撲に行く時間があるのなら、本来の医師としてに時間を使うべきだと言うのが、葉月の持論である。どうしても、女子大相撲に行くのなら、燃え尽きるまでと言うのも持論。映見が描くロードマップのように三十歳で女子大相撲をやって、その後は、医師に邁進するみたいなことは、葉月には許せないのだ。と言うより、そのことを口に出したことが許せない。それが、葉月の本心。
絶対横綱【葉月山】として女子大相撲を引っ張ってきた葉月にとって、稲倉映見というアマチュア女王が女子大相撲を目指すことに、異論を唱える必要もないしその資格もない!葉月自身だって、引退後の女子大相撲を先頭になり牽引すべき立場だったのにもかかわらず、その責務をある意味拒絶して、違う世界に身を投じた。そして、それなりの成功をおさめ今がある。それとて、葉月の人生においての基礎を作ったのは、相撲であり女子大相撲なのだ。それは、自分の意図とした生き方ではなかったかもしれないが・・・。
「那奈、来週インターハイなんだから、最終調整の意味で今迄、私が教えたことの仕上げするから、軽く体動かして、土俵に上がって」と葉月
「あっ、はい」と言うと、小上がりから立ちあがり、四股・摺り足と何回か繰り返す。葉月も土俵の中で那奈と同じ動作を繰り返す。映見は小上がりの縁に座ったまま、土俵の葉月を見ていた。
映見にとって、葉月、いや、絶対横綱【葉月山】は、本気で相撲に取り組み邁進した相撲の師であり生き方の師なのだ!それは、今も変わらない。女子プロアマ混合団体世界大会 に、協会の反対を押し切って、メンバーに入れてくれたことは、ある意味私を認めてくれたことに、素直にうれしかった。それは、女子大相撲に行きたいと初めて本気で行くことを考えるきっかけだった。そして、今は本気で目指している本気で! いつの間にか無意識に立ち上がり、葉月と那奈の稽古の様子を見ていた。手取り足取り、葉月は、自分の廻しを掴ませながら色々と・・・。
「映見」と小田代ヶ原親方はいつのまにか隣に
「あっ、はい」
「葉月さんと何があった?」
「何って、別になにも、苫小牧に来てからは、一回しかお会いしてませんし」
「一回?」
葉月は、チラッとこっちを見る。映見と小百合が話が気になるという感じではなく、獲物を狙う目のように、その目は映見に向けられていることは、間違えない。その視線をひしひしと感じる映見だが、葉月の真意は全く分からないも、それは、女子大相撲入門の件、けして、入門に良しと想っていなであろう葉月が、あえて、私が来る日、ましてや、初代絶対横綱【妙義山】・元横綱【百合の花】が来ている場で、私に稽古をつける意味は、なんなんのか?
「多分、今日の葉月さんとの本気の稽古は、最初で最後の稽古になると思います。もう、葉月さんと会うこともないと思います。最初で最後の・・・・」
「ちょと、それってどう云う意味よ!?」
「私の心の羅針盤は、元絶対横綱【葉月山】の圧力に耐えられのか?それとも、粉々に粉砕されて、女力士への道しるべは壊されて、入門の扉にたどりつけないのか・・・・」
「映見・・・」
土俵上では、葉月が那奈と三番稽古。葉月は那奈が苦手の左を徹底的につく、那奈の弱点は左手の使い方が下手糞で、それゆえ、右手だけに頼ってしまいそこを狙われる、それは、映見も三番稽古でそこをついていたが、それも、いつの間にか克服して左もつかえるようになっていたのだ。葉月が三番稽古で徹底的に右差しで攻め、那奈に攻略方法を考えさせていたのだ。そしていつの間にか左の攻めもできるようになっていたのだ。
(私には、何も・・・・・) 映見にとって、今日の葉月は何を?
土俵上の二人は、一見、拮抗しているように見えるが、小百合は、相当に手加減していることは、見ればわかる。そこは、戦ったもの同士、本気かそうでないか、ならば、映見には本気であたるのか!?
>「私が、お前の代わりに試してやるよ、稲倉の気概がいかようなものか!」
小百合の体が一瞬、武者震いをしてしまった。何か緊張と言うか恐怖というか、そこはいやな予感が・・・・・。




