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女力士への道  作者: hidekazu
女力士への道 ②

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270/324

全国実業団相撲選手権 ⑥

 上級医師の指導の下、カルテの記入。時刻は午後三時。朝七時からの勤務もラストスパート、研修医として当たり前ながら覚えることの連続。特に手技は回数をどれだけこなすことができるか上達の道、やさしい上級医師?の指導の下鋭意勉強中。ただ、映見の特殊事情というか、実業団で優勝後女子大相撲に行くことに関して、少なからずも異論・不満を持っている医師もいることも事実。


「医院長の趣味の一環だから」「片手間なんだから、適当にやってよ」と、多少辛らつに面と向かって言われたこともあったが、そこは、直属の上級医師である南原くるみが盾になってくれた。南原は元日本女子スピードスケートの代表選手でもあったが、高校あたりから腰椎椎間板ヘルニアなどに苦しめられ、満足いく競技生活は過ごせなかった。また、医学部に入ってからも、競技は続け国際大会にも出場はしたが入賞も果たせなかった。映見自身、片手間と言われることに反論はできなかった。研修医として採用されながら半年後に、実業団の大会で優勝したら辞めて女子大相撲に行きますのでと言うのは都合がよすぎることは、重々承知している。


「この後は、隣に行くの?」と南原。隣とは道立苫小牧北高校相撲部のこと


「あぁ・・・この後は、金城先生が手技の練習やるからって言われてまして・・・」と映見


「金城先生!?」


「ちょっと怖いんですんけど・・・大丈夫かなぁ?」


「金城先生がねぇ・・・先生、相撲やってたの知ってるでしょ?」


「えっ?そうなんですか」


「なんだ知らないんだ。金城先生って高校・大学と相撲やってて、大相撲からの誘いもあったんだけど、夢より実を取ったって言ってたわ。まぁ普通はそうなるか」


「・・・・・」


「あっ、あぁぁほれあれ・・・映見の事言ってるわけじゃ・・・あぁ・・・」と言いながら髪の毛かきむしる南原くるみ。


金城利治(55歳)。中学から始めた相撲。高校に入ってから才能が開花、二年生ながら高校横綱になったこともあった。大学でも学生リーグで活躍。団体戦での優勝。世界相撲選手権では日本チームの優勝に貢献し個人戦重量級で三位、元々医師志望で大相撲に入るという選択はなかったものの憧れはあったし、医師免許取得・大学卒業後に角界入りと言う話もあり、本人の気持ちも揺れ動いたが、最後は夢よりも現実を取った。口には出さないが、稲倉映見の実業団優勝後の女子大相撲入りと言うのは何か、あの頃の自分とオーバーラップするようで・・・・。


 金城自身は、映見の女子大相撲を入りを目指していることに対して否定も肯定も公言してない。ただ、彼の経歴を知る者からすれば、映見の行動に面白くないだろうと言う勝手な妄想を膨らませる医師たちがいるのも事実。むろん金城にとっても迷惑な話ではあるが、心の奥底には、自分が決断できなかったわずかな後悔の念がないはずはないのだ。映見の事を気にかけているわけではないが、先輩医師として映見には興味があったし、大事な研修医としての期間を犠牲にしてまで行くと言う決断をした映見という医師の卵をいや、力士の卵を・・・。


 通常勤務を終えて映見は金城に指定された会議室へ入るとテーブルの上に縫合練習キットが置いてある。


(えっ?私一人!?てっきり研修医何人かとの研修会だと想ったのに)


 縫合は研修医としてまずマスターするもの、整形外科医師のトップである金城医師とは研修会で何回か講義は受けているが直接の指導は受けたことはなかった。それなのにまさかの個別指導?映見は練習キットの置いてある前の椅子に座り金城医師を待つ。映見自身、研修会において、指導医から縫合の練習をするように言われたのは事実、もちろん無難にできるレベルで完璧レベルにはいっていないことは、自覚している。しばらくして会議室のドアが開き、金城医師が入ってきた。がっちりしたアスリート体形だとは思っていたが、まさか、相撲をしていたとは思ってもいなかった映見。


 金城はおもむろにドアを閉める。映見が慌てて席を立つと


「座ったままでいいよ」と金城はあくまでもビジネスライクな物言いで映見の向かいに座る


「あのー・・・」


「指導医から縫合について練習するように言われたと思うけど」と金城


「寮で時間がある時にそれなりに練習してます」と映見は言った瞬間、自身にたいして(なんでそんな言い方した!?)


「それなりにか・・・随分舐めたというか」と金城の表情が一瞬変わった。


「・・・・・」つい黙ってしまった映見。とっさに否定めいた言葉を言うことに無意識にためらいがあったのだ。映見は金城と視線が合う。ただ、その視線に怒りめいた感じは取れなかったけど・・・。


「じゃ、結節縫合からそのキットでやってみて」と金城。映見はあえて金城に視線を合わせず、練習キットの皮膚モデルで運針していく、金城はその様子を向かいの席から凝視する。映見は迷うことなく無意識に針を皮膚に対して刺していく。初回の研修でほんの僅かながら鋭角に刺していたことを指導医からきつく指摘されていたのだ。手首の返し方・攝子の扱い・持針器の扱いなどなど、基本的な扱いができていなかったというより、なんとなくできてしまっていることを厳しく注意されていたのだ。


 映見の手は、スムーズに皮膚キットを見事に縫合していく、研修医とてそんなことができるのはあたりまえとはいえ、実戦の医師と遜色ない見事な手さばきになっていた。


 (相当に練習してるな、稲倉)と金城は心の中でつぶやく、縫合は回数をこなすと同時に、一つ一つの動作に意識を持たなければ上達はしない、なんとなくできているでは、その先の上達はないのだ。


金城は縫合したキットを手に持ちながら心のなかで満足できると思いながら新しい皮膚キットを映見の前に置く。


「じゃ次は器かい」と金城


 映見は、迷いなく器かい結びでの縫合の作業にはいっていくが、いきなり最初の師入点の位置からの間に一瞬左手の糸の持ち位置で迷ったが、若干離し気味に作業に入る。そこからはスムースにいき作業終了。終えた皮膚キットを入念に見ていく金城。


「ちゃんと垂直から鈍角にさしてある。そのことできっちり組織同士が付く、下手糞は表皮だけ合わせて深部の組織をちゃんとつけないから層部の離間や瘢痕で陥凹を作る。そんな奴は最低だけどな!うん。よくできてるたいしたもんだ」と金城は満足しているような表情を初めて見せた。映見は、初めて息を抜くような表情で「ありがとうござます」と安堵。


「あのー金城先生・・・」と映見


「うん・・・」


「学生時代相撲をやられていたと」


「あぁ、でも、稲倉みたいに世界で活躍したわけでもないしね、ましてや大相撲なんて夢の話で・・・」


「夢より実を取った・・・」(あぁぁ何また余計な事言って、あぁ・・・)


「夢より実ね・・・稲倉は実より夢を取ったか」と温和な表情を見せる金城。少なくとも映見は見たことがなかった。


「この病院をステップ代わりに私は偶然の奇跡的チャンスを・・・」


「「幸運は用意された心のみに宿る」フランスの著名な化学者・微生物学者であるルイ・パスツールの名言。成功や幸運は努力と準備によって初めて手に入るものであって、そこに偶然の奇跡的チャンスなんてないんだよ!そして、そのチャンスのためにリスクを取れる覚悟があるか?実業団で優勝して女子大相撲に入門した後のリスクが取れるかどうか?稲倉映見はそのリスクを取ったそういうことだろう?」


「金城先生・・・」


「私にそのリスクを取る覚悟がなかった。夢を取るにはリスクが付き物、それを取れない者には幸運はやってこないんだ!さっきの縫合みて、ちゃんと練習してるんだなーって、単に回数こなすだけでなく、意識すべきポイントを理解し練習してることがわかった。雑な縫合ならおもいっきり罵声浴びさせてやろうとおもったけどな・・・必ず優勝して女子大相撲の世界に行きなさい」


 金城は、新しい練習キットの皮膚モデルを置き、瞬く間に結節縫合・器かい結び・埋没縫合を映見の前でやって見せた。

 

「凄い!」


「あのなぁー凄いってこれぐらいの事、医師だったらできて当然だらおうがまったく!」


「この病院に戻ってきた時はまたご指導を御願いすると思いますがその時は」


「稲倉が戻ってくるときは、私は定年だろう?今55歳だから多分・・・」


「5年後・・・」


「それじゃ、私は帰るから」と金城が言うと、映見は立ち上がり一礼すると、


「ご指導ありがとうございました」と再度一礼する。


「南条樹里や私がかなえられなかった夢、みさせてくれよ、それじゃ」と金城は言い残しドアノブに手をかけると、軽く右手を上げ会議室を出る。映見はテーブルに置かれた五つの練習キットの皮膚モデルを見る。稲倉自身が縫合した二つ。金城が縫合した三つ。映見の縫合単体で見れば、十分に実践レベルに見えるのの、隣に金城のものを置き、並べれば一目瞭然。ようは金城の縫合は美しいのだ。そのことは、傷跡を患者さんに残さないことでもある。少しでも傷跡を残さずにすることは医師側の務め。意外に外科系医師であってもきれいに縫うための縫合方法は勉強する機会があまりないものである。傷跡は生きてきた証などと言う人もいようが、できれば、目立たないに越したことはない、ましてや当人にしてみれば、当然である。


 女子大相撲入りを目指す今の映見にとって、現時点において医師としての勉強は、もしかしたら無駄な時間なのかもしれない、実業団で優勝できなければ自ずと研修医として、そして、医師として歩めば・・・。


(「幸運は用意された心のみに宿る」か・・・・私はまだまだ全然甘い、本気でリスクを取りに行っていない!力士への鍛錬・医師としての鍛錬!私はまだまだ)


 テーブルに置かれた五つの皮膚キット、そのうちの金城が縫合した3つは見た目の完璧な美しさと同時に、医師としての厳しさを具現化したような・・・。それは、研修医としての稲倉映見へのメッセージであると同時に、力士を目指す稲倉映見への鼓舞激励のように・・・。


--------中河部牧場 事務所---------


事務所の壁掛け電波時計は、午後7時30分を指す。事務所に一人、葉月がパソコンに向かいのデスクワーク。競走馬の育成管理ソフトを立ち上げ、牧場に在厩している育成馬の情報を確認する。馬ごとの日々のトレーニングの設定や結果、体重の測定、治療記録等の情報等々、生産者リーディング常にトップ3に入る中河部牧場にとって管理業務のDX化は飛躍のきっかけのひとつでもある。八月は札幌開催もあり、馬主との接待も絡み、毎週、札幌競馬場に出向く機会も多く忙しい日々を過ごしている。仕事がひと段落しネット版のスポーツ新聞の競馬欄を見ながら他の紙面をめくる。相撲欄の記事のなかに、石川さくらが海王部屋に出稽古に行った記事が掲載されていた。そして、その記事の下に元横綱三神櫻のコラムが・・・。


 タイトルは【若き二強の獅子】。一人は海王部屋に入ることが確定している石川さくら。もう一人は、全国実業団選手権で優勝し最後の大相撲入りの可能性が噂される稲倉映見。次世代の女子大相撲において、この二人への可能性を書いていたのだ。


「相変わらずの狸ね美香さんは」と葉月の独り言。葉月は映見が苫小牧に勤務していることを聞いてから、苫小牧北高校相撲部へ行くことはなくなった。何か映見に会うことに躊躇するというか・・・。研修医としての映見ならば、素直に会える。でも、女子大相撲入りを目指していると聞くと何か・・・。


  (素直にあなたの女子大相撲入りに賛成できないのよ!そんなリスクを取ってまで)


 



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