全国実業団相撲選手権 ⑤
紗理奈と小百合は、八戸から苫小牧に向かうフェリーに乗船し出航を待ちながらデッキに立ちフェリーターミナルを眺める。
「本当に楽しそうでしたね」と小百合
「えっ、何が?」と紗理奈
「樹里さんとの稽古ですよ」
「それか・・・協会の連中は相手してくれなくて」
「そんなことは・・・」
「百合の花、相手してくれるか?」
「えっ!?」
「冗談だよ」
「あぁ・・・はぁ・・・」
理事長時代の山下紗理奈は、常に厳しい表情で、けして、力士が気軽に声をかけられるような相手ではなかった。そんな紗理奈が、理事長選に出馬せずというのは協会の連中からは意外ではあったが、それは、紗理奈におんぶに抱っこもっと言えば独裁体制とも言えた時代の終焉でもあるかのように・・・。結局のところは、唯一の弟子ではないが、椎名葉月が協会を去ったことが原因であることは、周知の事実だが・・・。
「協会の要職を辞めて、ドライブがてら地方の大会とか相撲クラブに行くことが多いんだ。もちろんアポなしで、まぁ、バレてはしまうのだけど、私はスカウトとか経験ないから」
「でも葉月さんの件で、函館に月に何回も行かれていたって?」
「あぁ・・・なんだっただろうね。葉月の相撲を初めて見た時に何か感じるものがあったんだ」
「直感ですか?」
「直感と言うより第六感かな、函館の高校で牧場の経営危機を突いたときに見せたあの鬼のような形相を私に見せた時、見えたんだよ、絶対横綱【葉月山】が」
「紗理奈さん・・・」
「阿修羅のごとく・・・。阿修羅像って知るか?」
「阿修羅像ですか?えっえぇ確か三つの顔を持って手が六本・・・」
「三つの顔の意味知ってるか?」
「意味ですか?」
「正面から見て右が幼少期、どこかしら攻撃的な顔・左が思春期、どこか迷い苦悩し不安げな・正面が青年期、迷いか抜け出し、そして自分を知り、生き方を悟った時、私の勝手な解釈だけどね。葉月山という力士としの幼少期から青年期を見てきた者としてはね」
「葉月さんは常々言ってましたよ、あの時女子大相撲に行かなかったら、今の私はなかった。紗理奈さんに感謝以外ないって、日本・世界を含めて女性で相撲をしている者にとって【葉月山】は女神なんです、神様相手に女子大相撲をするようで・・・」
「・・・ふっ」と紗理奈はどこか呆れたというか
「えっ?何です今のなんか冗談でしょう見たいな」
「女神相手に相当厳しい相撲してたけどね?」と紗理奈うつむき加減に思い出し笑い
「えっ?あぁぁそれは勝負ですからそこに妥協はありませんから!」と小百合は語気が強い
「当たり前だよ、そんなの」
デッキに流れる海風は、塩の香りを連れ鼻腔を刺激する。岸壁では誘導員が数台遅れてきた大型バイクを誘導し、ライダー達は慌てるように船内に吸い込まれるように入っていく。
「稲倉映見と石川さくらが、次の世代の旗手として、来年揃うことができれば、またもうひとつ盛り上がるだろうな・・・でも、稲倉映見はすんなりあがれるかな?」
「今の実業団クラス相手なら失礼ながら、相手にはならないかいと?」
「相手にならないか・・・」
「なんですか?」
「確かにな・・・。でも、実業団の選手だってすんなり上げさせてしまうのもどうなのかね?」
「どうなのかね?って、まるで上げさせるのが嫌だ見たいな」
「実業団だってプライドがあるだろう?すんなり上げたらなー・・・」
「ただ敢えて言えば、樹里さんでしょうか?」
「・・・・」
「「樹里は、老練な業師なんです、高校生相手じゃ赤子を捻るもんです」と美紀さんがおしゃっていましたが、もし、あたるようなことがあると・・・個人戦に出るようですし」
「樹里ねぇ・・・いい歳だし、まともにフィジカル勝負じゃ無理だろう?そもそも、最近は表彰台手前で力尽きるって感じじゃどうかね?」
「紗理奈さんは、実際に稽古であたってらしゃるんですから何か感じるところが?」
「五十も後半の私に十番勝負で負け越してるようじゃ話にならないわ!」
「それは、紗理奈さん相手では、いくら歳がいっても・・・あっ、いや円熟のえっえぇ」と慌てて口に手をあてる小百合
「なにが円熟だいまったく!親方になると口もうまくなるんだねーえっ!」
「そんなことは・・・もうご冗談をさすがは絶対横綱【妙義山】だと、二代目絶対横綱【妙義山】もお母さまのDNAのいいところを受け継いでいるというか」
「いいところ?どこ?」
「えっ?あぁ・・・相撲センスとか、神のなせる業と言いますか」
「神か・・・小田代ヶ原親方にそう言ってもらえるんだな二代目【妙義山】は」
「無双状態の【妙義山】に唯一対抗できてるのは、関脇【十和桜】ぐらいです。その次の世代である石川さくら・稲倉映見に、期待はしていますが、まだ二人とも入門すらしていない、それを考えるとまだしばらくは妙義山の無双状態は続く。世界ツアーも考えれば、今の女子大相撲は、【妙義山】に負んぶに抱っこです、ある意味初代の時の状況と似ているかもしれません。上手くバトンを繋げなければ」
「【妙義山】の一人相撲状態は、女子大相撲としては自分の娘ではあるが危惧するところはある。女子大相撲・世界ツアーシリーズと休む余裕がない、それが、絶対横綱の責務だとしても」
女子大相撲は四月の春場所・十月の秋場所の二場所制。その間に世界ツアーシリーズが組まれ、国内的には、単発的な大会やら、ファン達との交流の場を含めた巡業のようなものも組まれている。当然、人気が上がれば場所数を増やすべきだという意見も出る。秋場所と春場所の間年明けに初場所を設ける案は、常々理事会では出ているが、そこは、理事長であった紗理奈が保留案件にしていたのだが協会からすれば、稼げるのにと言う思いが強くなるのも、ビジネスの観点から言えば当然なのだが・・・。
「妙義山のお母さまにいう話ではありませんが、初場所開催の案件を保留にしていたのは、元力士としての見識だと想っています。世界ツアーシリーズは、確かに女子相撲の世界を国際的に認知させ更なる飛躍のツアーではありますが、日本力士にとってはかなりハードな日程です。妙義山が強いことは、私も対戦した身としてはよくわかっていますが、ただこれ以上場所を増やすのは、いくら妙義山とて、彼女は女子プロアマ混合団体世界大会の一件以降、相撲に厳しいほど精進しています、それが、力士妙義山無双の神髄、失礼を承知で言わせてもらえば、初代【妙義山】の域をすでに超え、でも、それは己の力士生命を極限にまで削るように・・・・」
「次の理事長選挙は三年後。稲倉が入門したと仮定して、それまでに三役にさせろ!そして理事に入るんだ。今、審判部にいるうちに力を蓄えて置け、部屋の力士を充実させて、他の親方連中に有無も言わせない。お前が、これからの女子大相撲を引っ張るんだ。妙義山は三年後が限界だ!それまでに」
「紗理奈さん・・・」
岸壁に設置された繋留用のボラードからロープが外されると、ムアリングウインチがカタカタ音を立てロープを巻き始める。
興行的に成功すれば、欲が出てくるのは当然。女子相撲だけでそれなりの生活ができればと願い、精進し邁進してきた紗理奈の目的は達成された。その原点がいつしか忘れ去られ、力士はいつしか金儲けの駒程度の認識でしかなくなりつつある。力士として女性としての幸福とは何か?船体は徐々の岸壁から離れていく・・・。紗理奈と小百合は、デッキの手すりに手をかける。総トン数約9500トンの船は一路苫小牧に舵を切る。夜の大海原・空には薄い雲のフィルター越しに少し欠けた月はぼかしが入りどこか柔らかい光を降り注ぐかのように海面を照らす。
紗理奈にとっての相撲人生は、月明かりもない闇夜の大海原に出ていくようなものだった。行先不明の処女航海、女子大相撲が成功する確信などこれぽっちもなかった。それでも、相撲で生きていけるのなら・・・ただそれだけで、船は漆黒の海面の上を滑るようにあてもなく・・・。巨大なディーゼルエンジンは、フルパワーのけたたましい高いエンジン音を奏でっていたが、大海原に入り巡航速度で矢のように低い思いビートを刻み進んで行く。波を刻み船はわずかに前後する揺り籠のように・・・。
「紗理奈さん。そろそろ船内の方に・・・」
「あえて・・・百合の花」
「はい」
「女子大相撲の未来頼んだよ!百合の花!」
「紗理奈さん・・・」
「本当は葉月山に女子大相撲の未来を託したかった。自分が女子大相撲に入門させ、女子大相撲の頂点である絶対横綱の称号を授かり世界的にも【葉月山】女子相撲のシンボル的存在になった。当然にその先の世界にも期待した。でも・・・。葉月があの自宅と相撲部屋になっている土地を百合の花に売却した意図はそこにあると」
「わたしも敢えて言わさせていただきます【妙義山】さん。私は【葉月山】さんから女子大相撲の未来をあぁするべきだとか言われたことは、一回もありませんしもちろん稲倉映見の件も、本当はそのことで相談したいことは山ほどあります。でも、それは、女子大相撲に引き戻すことになる。現実に戻ることはないとしても、気持ち的に・・・あの家と部屋建設用の土地を私に売却したのは、女子大相撲との決別、それは、相撲が嫌いになったとか言う単純な話ではなく!私が何か相談すれば、あの方のことです、嫌な顔をしないでしょう?でもそれは、結局私自身が葉月さんを頼ってしまう!もう、女子相撲界に【葉月山】はいない!もし、【葉月山】と言う四股名が復活するとしたら、それは、稲倉映見しかいない!それは、映見にとっても、私にとっても、そして、【妙義山】さんあなたにとっても・・・。【葉月山】の四股なを名乗る以上、中途半端な力士では終わらせるわけにいかない、最低でも横綱にならなければ、なれなければ、【葉月山】は真の意味で死ぬ!もう甦ることはない!そう言うことです」
「百合の花・・・お前って奴は」
苫小牧港まで約220キロ。シルバーエイト号は航海速力20.5ノット(時速38キロ)で進む。潮風は二人の髪の毛をパサつかせるかのように、海水を含んでいる潮風は髪から水分を奪う、それは二人の心も何か枯れるように・・・。二人にとってのこの旅の目的は、稲倉映見に会うことであること、でも、本音は葉月に会いたい。いや、【葉月山】に会いたい!紗理奈にとっては、北海道に生きる葉月を、牧場で生きる葉月を・・・・。
(葉月には、やり残したことがあるんだ。二代目【葉月山】にお前の相撲魂を伝承さす大きな仕事が)




