土俵に落ちる涙 ⑦
---------愛知・稲倉映見の自宅------
稲倉映見に苫小牧勤務が決まったのは、三月初めの事。てっきり青森勤務だと想っていたがそれは意外だった。
「苫小牧ですか?」
「えぇ、医院長から苫小牧の方に行かすからって、明日当たり連絡が行くと想うけど」と整形外科担当 南条樹里からの電話。
「苫小牧って、確かスポーツクリニックがある?」
「療養施設の機能も併設したアスリート特化型のクリニックってところかな?」
「じゃ、相撲部の方は・・・」
「仕事の事じゃなくて相撲の話?」と樹里は笑いながら
「すいません。つい・・・」
「まぁいいわよそう言う事なんだから、青森とは月に何回か往復することになると想うわ。千歳から青森まで飛行機が飛んでるからそんな遠くもないのよ、それと、北海道の方が稽古できる機会が多いかもしれないし」
「どう言うことですか?」
「苫小牧のクリニックの隣に道立苫小牧北高校って言うのがあって、そこの女子相撲部と稽古をすることが多々あってね」
「高校の女子相撲部?」
「昨年、実業団の大会があった時お世話になってそれ以来の付き合いなのよ、あなたにとっては物足りないかもしれないけど、稽古の番数はこなせると想うし、クリニックの方にも短期療養で治療に男女問わず力士の方も来るから,もしそのチャンスがあれば色々聞けるんじゃない?」
「監督からは、何も聞いてないですが?」
「病医の人事の話だから、それに,まだあなた正式にはうちの病院の研修医になった訳ではないし、おいおい連絡はいくと想うけど」
「南条先生、私、こんな中途半端な状態で研修医勤めて・・・」
「何を今更。映見、うちの女子相撲部からもし女子大相撲力士が出てくれれば、それはそれで大きな意味があるの」
「意味?」
「青森の方は総合病院で、入院患者も多い。病室での闘病生活は辛いものがある。なかなか治りにくい病気もある、特に若い子なんかそれで絶望して、病室から飛び降りようとした者もいた。頑張りましょうと云ったところで、それは、患者には響かない。頑張りとは何かを見せるって言うとあれだけだけど、映見にはそれを期待しているところもあるのよ、多分医院長は」
「私の頑張り?」
「うちの病院から、女子大相撲の力士が出て活躍してくれれば、患者さんも少しは頑張ってみようと想ってくれればいいかなって、医療の技術が飛躍的に向上しても、最後は患者さんの気持ちだから、こればかりは、どうしようもできない。私達の実業団の試合ですら患者さんが応援してくれるのよ、個人的な話で言えばさすがにもう優勝はできないけど、それでも患者さんから声をかけてくれてね、挙句の果てには寸評とかされて、でも、それで少しでも頑張ろうと患者さんが想ってくれればそれでいいのかなって、医師ができる治療なんて、最後の塩加減の調整みたいなものよ、まぁそれが大事なんだけど・・・。個人的には、映見には青森勤務でと想ったんだけど・・・何か意図があるのかなぁ苫小牧勤務に?ああぁでもつんまない」
「えっ、何がですか?」
「だって、せっかく研修医で新人の相撲選手が来たのに、なんかさ・・・おもいっきり可愛がってやろうと想ったのに」
「かわいがり・・・・」
「そうよ、日頃の憂さ晴らし!」
「・・・・・」
「冗談よ、嫌だなもう・・・でも、あなたは、女子大相撲に行くという前提で、一人余計に研修医とったらしいわよ?だからあなたが優勝して行かないと・・・・ねぇ?」
「えっ?」
「絶対に行きなさいよ!女子大相撲に!そして、戻ってきなさいよ!ってまだ病院勤務すらもしてないのにねぇ?」
「南条先生・・・・」
「こんなチャンスはまず絶対にない!このチャンスをものにできれば、間違えなく女子大相撲でも活躍できる。そう言う事よ」
「南条先生・・・」
「医師免許を持った女医力士!なんか男からしたら近づきがたいわよね、ところで映見って彼氏いるの?」
「いるんですけど、もうじきオランダに転勤で・・・」
「オランダかぁまた随分遠いわね」
「彼に云われました。「五年後、もし、お互いの気持ちに相違がなければ、どこかで・・・」そこから先の言葉はなかったけど・・・」
「五年後って映見、三十歳か・・・横綱になれてるかどうかってところかしら?」
「もし力士になっていたとして私としては三十歳で相撲とは区切りをつけるつもりです!前もって区切りをつけておかないと」
「横綱になっていても?」
「そのつもりです!」
「絶対横綱でも!」
「・・・・」
「「桜の花の散るが如く」と去っていくのが横綱という美学らしいけど、私は違うと想う!萎れながらももう一花咲かせ土俵に散る。それが美学。でもね私は萎れて枯れて、風に吹かれ粉々になり土に戻る。ボロボロに見るも絶えなえい姿になってでも土俵に立ち見るも絶えない相撲しかできず、外野に散々言われて消えていく、私は大相撲の稀勢の里が好きだったのよ。
大甘昇進だとか散々言われて挑んだ新横綱の場所。無傷の12連勝!でもその先に落とし穴があった。翌日、横綱日馬富士の出足に圧倒され、左の肩から胸の筋肉を切ったわ。とても相撲なんかできる状態じゃなかったはず!翌日も大関照ノ富士に逆転を許したが、千秋楽直接対決二番で奇跡の逆転優勝。強行出場で劇的な連覇を果たした。そこで、力士生命は終わったのよ!その後の成績は御存じの通りよ、本当なら、翌場所からしばらく休場して治療にすべきだったのよ、それなのに周りはそれを許さなかったし勿論本人も、医師として見れば、こうなることは目に見えていた。でもそれが彼の生き方だったのかもしれない・・・力士にもなってないあなたにこんな話してもしょうがないんだけど、燃え尽きるまでやってほしいどんなにあがいても尽きる時は来るわ。私は区切りをつける必要はないと想う。それとも、彼氏の問題?」
「そう云う訳では・・・・」
「女力士であっても、結婚してお子さんもいる力士だっていっぱいいる、それじゃダメなの?」
「今度の件で両親二人には、色々心配や迷惑をかけてしまったし、医学部まで行かせてもらっておきながら、女子大相撲に行きたいとか・・・それに和樹の事も。医師として第一段階である研修医としての大事な時期を蹴ってまでさせてもらった以上、そのまま力士ができなくなるまでやるのは、そこは、最後は・・・」
「がっかりだわ」
「えっ?」
「色々心配や迷惑をかけてしまった?何今更そんなこと言ってるの?そんな気概じゃ無理ね、実業団で優勝して女子大相撲?映見、本当に女子大相撲に行く気あるの?今の言葉聞いたらとてもそうは想えない!うちの医院長も十和田富士さんも所詮コケにされたか」
「私はそんな!」
「映見、あんたがこのチャンスを掴むことができたのは周りの人達のおかげでしょうが!そんな中途半端な気持ちなら女子大相撲はきっぱりあきらめて!それと、うちの病院はあんたに相応しくない!それだけ、じゃ切るわ」
「・・・・・・」
スマホから聞こえる不通音が無情に聞こえる。正直言えば自分の気持ちが落ち着かないのは事実。今の段になって、この選択に不安を覚え始めていた。実業団で優勝できなければ、そのまま研修医として働けばいいことであって、そこに不安は何もない。むしろ不安を覚えるのは、女子大相撲に入門すること・・・。入門しダメであるのなら相撲を辞め研修医に戻ればいいだけの話なのに・・・。本当は、そんなことを考えている時点でダメなのだ。まだ、研修医にもなっていないくせして、そんな内向きなことを考えている時点で・・・。そんな不安定な気持ちの中、デスクに置いてあるスマホに着信音が・・・。
(さくら?)
意外なと云うか、大学での相撲部追い出し会以降さくらと会う事すら連絡一つとることもなかった。あの、追い出し会での自身の女子大相撲を狙う発言以降・・・。
「もしもし、こんばんわ」と映見
「こんばんわです。今、大丈夫ですか?」とさくら
「うん久しぶり。大丈夫だよ、どうした?」
「女子大相撲に行かれるんですよね?」
「いきなりその話、あぁさくらはどうなのよ?」
「私は行きます。色々迷いましたが、先日、海王部屋の親方に正式に行く旨を伝えました。最初に想っていたことに戻ります。行かなかったら必ず後悔するから」
「そう・・・」
「そうって、実業団で優勝したら行くんですよね?」
「さくらは凄いね」
「えっ、何がですか?」
「相撲以外に行くかもって、真奈美監督に聞いてたから」
「あぁでも冷静に考えて、やっぱり女子大相撲に決めました。それにもし願いが叶うのなら、映見さんと女子大相撲で勝負がしたいです!」
「さくら・・・」
「今度は、女子大相撲の土俵で取り組みたい!力士として!」
「力士として・・・・」
まるで、映見の心の機微を見透かしてるように、その心を良質のコットンで撫でられているように、でも若干強すぎてはいませんかと言う気持ちでもある。アマチュア選手と女子大相撲力士。その差は、男子の大相撲程差はないと言われるが、その意味では、【女子プロアマ混合団体世界大会】はいい例だったのかも知れない、石川さくら・稲倉映見の活躍がなければ優勝など絶対にできなかった。あの大会は、ロシアの女子相撲覇権の策略の一環だったと言うのが大方の見方だった。その後のロシアはある意味での低迷期に入り、以前ほどの強さはなりを潜めていた。ある意味において出遅れていた日本は、あの大会をきっかけに女子相撲が活況を呈し、女子大相撲の人気も急上昇!その立役者は、石川さくらと稲倉映見。石川さくらはすでに、妙義山がいる【海王部屋】への入門は公然の事実。そして、もう一人が稲倉映見なのだが、女子相撲の話題的には石川さくらなのだ。稲倉映見が実業団で優勝し女子大相撲を目指すことは、話題にはなっているが、過去においてその経路で入門し大成した者はいない。過去においての稲倉映見の活躍は認めつつも・・・。
「映見さん。もう私は後戻りできないんで、女子大相撲入りを公言して海王部屋まで行って稽古をつけてもらってるんですから・・・追い出し会での映見さんの女子大相撲を目指すと言う発言で、決心したんです。それは、感謝です!」
「さくら、正直ねあんな宣言するつもりはなかったのよ、実業団で優勝するまでは黙っているつもりだったのだけど、何か気が高ぶってね。そうかぁ女子大相撲の土俵か・・・・。」
「伊勢神宮で行われた高大校での映見さんとの取り組みは、私の相撲人生を決めた。今までで映見さんに勝ったのってよく考えたらあれしかないんです・・・おかしいーなぁ」
「おかしい?何が?」
「実力は私の方が上なのになぁ」
「( ゜Д゜)?」
「実業団での優勝祈願しておきますから・・・うふふ」と意味深な笑いのさくら
「なっ、何その笑いは?」
「臆病者」
「!?」
「それじゃ」といきなり電話を切るさくら
「ちょ、ちょっと!さくら!」
映見は一瞬、「かっ!」とはきたが・・・・。
(臆病者かぁ・・・そうね、今の私はどこかに保険をかけるのよね、この場の及んで)




