土俵に落ちる涙 ⑤
「あぁぁぁぁ・・・・あぁ!」
葉月は相撲場の小上がりに大の字になり、雄叫び?ではなく・・・やっぱり雄叫びでしかないいや叫び声?
稽古を終え、部員達と風呂に入りながら、楽しい時間を過ごせた葉月は、相撲場に戻り一息を入れる。まさか、こんなことになるとは思わなかった。いくら高校生相手とはいえ、現役力士を辞めても、元絶対横綱とはいえ、ぶつかり稽古で六人相手に一時間近く一人で相手にした。超人と云うより、単なる相撲馬鹿!
「お疲れさまでした。葉月様」と美知佳は、キンキンの冷えたノンアルビールを葉月のあそこに押し付ける
「はぁ~ぁ~ん、あっぁーんあ、きもちいい……」とつい声をあげてしまった葉月
「あんた・・・溜まってんじゃないの?なんて声を上げてるのよ全く」とあきれる美知佳
葉月にとって久しぶりの本格的相撲の稽古、つい自分でも熱が入ってしまった。高校生のあの時の自分を思い起こさせる部員達の熱き息吹きは、相撲に純粋に熱中できたあの時を蘇らせてくれた。高校から女子大相撲にそして、絶対横綱と云う頂きにたどり着き、頂点を極めた。アマチュア女子選手にとって、【葉月山】は、あこがれであり目標である。部員達にとって【元葉月山】とのぶつかり稽古は神様と稽古をとらせてもらっているのと同じなのだ。その事は葉月も彼女らの目の輝く瞳からの煌めく視線は痛いほどに・・・。それは、葉月自身も同じ。こそこそと、自分がいた女子大相撲のことをネット検索しながら、部屋の親方になった百合の花や絶対横綱として君臨し国内の女子大相撲、そして、世界でも活躍する妙義山など気になってしょうがないのだ。それは、葉月にとってある意味での弟子なのだ。
特に、百合の花に関して言えば、部屋を持ち後進の育成に邁進し、今や【小田代原部屋】は女子大相撲において、もっとも勢いがあり将来の女子大相撲を背負うのは百合の花こと小田代親方であることは間違えない。幕下・幕下を含め総勢40名の大所帯。幕内力士はまだ三人しかいないが昇進予備軍が多数控えている。そのことに、葉月は嬉しい反面でふと後悔の念が頭を持ち上げる。競走馬の仕事は、子供の頃からの夢であり、今、その夢をある種、理想か現実になり、そこに後悔など微塵ない!ただ、それでも、自分が生きるために人生をかけた女子大相撲に、いくら、関係を断ったとはいえ、そこは、気にならないわけがない。
女子大相撲界の将来のために、汗をながす。お礼奉公と言う言葉がある。「奉公人が決められた期間の奉公が済んでも、恩返しとして主家や雇い主のもとにある期間とどまって働くこと」大学病院の医局の礼がよく云われる話である。お世話になった教授や医局のために、地方などの誰も行きたがらない医療施設に行きそこでしばらく従事すること、今の若手医師達には、ある種想像すらできないかもしれない、しかし、それは、ある意味当然なものとして行われてきた。
その意味では、女子大相撲界も同じこと。男子の大相撲程に閉鎖的でないにせよ、女子大相撲もそれに近い。現役力士引退後は、女子大相撲界のために汗を流すことは、口に出さずもそうするのが女子大相撲界で生きてきたものの責務。ましてや、横綱・大関として戦ってきた者にとっては、自分の手で力士を育てるというのは女子大相撲力士冥利に尽きるのだ。贔屓であった力士が部屋を持てば、その部屋の力士をファンとすれば応援したくなる。その意味では、絶対横綱だった【葉月山】が女子大相撲界から去ったことは、女子相撲関係者のみならずファン・そして、女子大相撲を目指しているアマチュア選手達にとっては、多少にかかわらず失望したことは否めない。
そんな葉月が、ある意味、美知佳に嵌められたとはいえ、高校の女子相撲部にやってきて、アドバイスどころか廻しを締めぶつかり稽古をするなど自分自身が想像すらすることはなかったのだ!
若き高校生達のぶつかり稽古は、封印していた自分の相撲魂を目覚めさせてしまった。現役力士時代なら稽古にもならなかっただろうが、今の葉月の体力と技量は高校生選手といい勝負なのだ。錆びかけた相撲魂からパラパラと錆が剥がれ落ち、素の下地が現れる。それは、葉月が相撲だけに熱中した中学・高校に戻ったように、函館に単身、寮生活での高校生活。それは、椎名牧場の別離の予感。その緩衝材に相撲があったのだ。
「流石ね、元絶対横綱【葉月山】私にはあんな激しい稽古相手はできないわ。まさか、部員全員潰すとわ思わなかったけどね」と葉月の相撲馬鹿に呆れていながらも、美知佳自身は何気に嬉しく想うのは、ゴルフ場でふと見せた何か寂しげで苦悩させていたような空気感がなくなっていたのだ。相撲の事にはあまりふられたくない感を醸し出していた。だったら、そのことに触れる必要は全くなかった。たとえ、自分が女子相撲部の監督兼顧問みたいなことをしていたとしても、美知佳自身から言う必要はないし、そんな事は、自然の流れでわかる話である。それでもあえて誘ったのには、理由があった。
葉月は、小上がりの上で大の字なっていたが「よいしょっと」言いながら立ち上がる。美知佳は、その掛け声に吹き出しそうになったが、そのことに、葉月は気づいていない。葉月は履き改めて相撲場はうろつくように、ふと壁にかけてある木札に目が行く。小さめの木札枠に六人の木札が掛けられている。六枚の木札は下段に掛けてあるが上段に一枚だけ木札が・・・。
(えっ?なんで?どいうこと?同姓同名?)
木札に書いてある名は【稲倉映見】と書かれている。こんなところで彼女の名を目にするとはおもわなかった。一瞬、その木札を凝視してしまったが即座に、横に振り向き美知佳にこの名前の人物の正体を聞く。
「美知佳、この稲倉映見って札だけど?」
「気づいたか・・・」
「うん?どう言う事?」
「あなたが想っていることよ、多分・・・・」
「・・・・」
美知佳は、缶のノンアルビールを一口飲み軽く息をはく、吐息と言うべきか。
「稲倉映見は、あなたが想っている稲倉映見よ、隣に【柴咲スポーツクリニック】ていうのがあったの気づいた?」
「【柴咲スポーツクリニック】?あっ・・・」
「【柴咲スポーツクリニック】って青森の柴咲総合病院の分院なのよ、アスリートに特化したってところかしら」
「うん?とは想ったけど・・・でもなんで?」
「彼女、隣で勤務してるのよ」
「えっ?」
「月一・二回、青森に行くみたいだけど、メインはこっちみたいよ、私も色々ね」
「美知佳」
「何?」
「私に、声をかけたのは、そう言う事?」
「そう言う事」
美知佳は、顔色ひとつ変えずさらっと答えた。葉月はその態度に、「ムッ」とした表情を見せてしまった。【柴咲スポーツクリニック】が高校の隣にできたのは約二年前。スポーツ整形に特化したうえで、入院手術も行うこともできるのだ。道内のみならず、道外からも患者が訪れる。それに、柴咲総合病院のある青森と新千歳の間には一日五便の飛行機が飛んでおり、病院関係者の往来にも都合がよいのだ。開業をあえて札幌ではなく苫小牧にしたのは、ある程度の規模と入院患者のリハビリテーション及びスポーツトレーニングができる環境面で、苫小牧が選ばれたのだ。
「稲倉映見さんに、時たま稽古相手をお願いしているのよ、うちの部員も【柴咲スポーツクリニック】には、通院することもあるし、その関係ってわけでもないんだけど、偶々ね、流石!女子大生相撲女王って感じで、うちの部員達も彼女に感化されてね、一流に触れることで、自分の在り方も変わる。絶対横綱【葉月山】と言う超一流と肌を合わせた部員達の顔は最高の表情だった。悔しいけど、それは如何ともしし難い、あたりまえだけど」
「稲倉は苫小牧にいるの?」
「病院の側に寮があるそうよ」
「そう・・・・」
葉月にとっては意外だった。てっきり、青森で働いているものだと想っていたのに、苫小牧にいるなんて、ましてや、高校女子相撲部で稽古をつけているなんて・・・。
>紗理奈があなたを最初で最後の愛弟子だとおもって大相撲に連れてきたように、あなたが稲倉を女子大相撲に送り込んでやる最初で最後の愛弟子として
「木曽町民相撲場」で偶然に出会った元関脇【十和田富士】現在は柴咲総合病院 相撲部監督 南条美紀を名古屋空港まで送り、別れ際に言われた言葉。それから、月日が経ち、あの話が現実味を帯びる。ましてや、稲倉は苫小牧にいる。
映見からの手紙を読んだのはつい三か月ほど前のこと・・・。映見にとっては、目標である医師になる事と言うことは達成できた。まだまだ生まれたばかりの医師の乳幼児みたいなもの、これからの医師としての人生を考えたらスタートラインにやっと立てた状態、それにもかかわらず、女子大相撲に行く?そのことに、葉月自身はあまり感心はしていなかった。アマチュア相撲選手としての実績は、申し分なく異論はない、女子大相撲の世界でも十分やれるとは想う。
>稲倉を女子大相撲に送り込んでやる最初で最後の愛弟子として
ライバルであった百合の花が部屋を持ち、力士を育てる。そのことに、自分のどこかに寂寥感のようなものが鎮座しているように、ぽっかり空いた心の穴。百合の花の【小田代原】部屋は三倉里香(元大関伊吹桜)を迎え入れ、二人に憧れる入門者は数多い。幕内力士は二人しかいないが、今、もっとも勢いがある部屋と言われている。百合の花は、私にとってはライバルでもあったが、それ以上に自分の後継者だと想っている。口には出さずも、お互い両親を失い、そんな境遇のなかで女力士として生きてきた。今、そんな葉月は牧場の片隅でこそこそと女子大相撲の情報を検索しながら、何を得ようとしているのか?百合の花が女子大相撲界で、着々と地位を築いていることに、嬉しくもありどこか百合の花の生き方に対して、嫉みの感情を抑えられないでいる自分がいることに・・・。
「稲倉さんに会ってみる?」
「えっ?」
「女子大相撲への一発勝負!負ければ永遠に力士になることはない!いいじゃない如何にも勝負師って感じで、医師として大事な時間を無駄にしてまでも、私にはできないけど」
「美知佳、どこまで知ってるの!?」
「どこまでって、もう周知の事実でしょ?」
「周知の事実?」
「女子大相撲のファンサイトとかSNSとか、石川さくらは大学卒業後の進路は、女子大相撲入りを示唆した見たいだし」
「さくらも・・・・」
「実業団全国大会で優勝して女子大相撲入り、可能性は大だけど冷静に考えるべき事柄だと個人的には、想う。本人は表向きはそう私に云ったけどね、多分、私なら潰すでしょうね彼女のために・・・・」
「・・・・」
「あなたが女子大相撲に行ったのは意外だったのよ、素直に孝之と結婚してればあなたの夢はとうの昔に実現し、まったく違う人生として競走馬のビジネスに没頭できた。女子大相撲に行き、ここまで女子大相撲をワールドワイドにしたのは、絶対横綱【葉月山】であることに異論はないわ!でもね、結果論で言えば、あなたは、女子大相撲界にに残らなかった。そんでもって遅まきながら孝之と結婚。20年の力士生活は、あなたの人生には長すぎた空白。稲倉さんとはそんな話もしたことはないけど、なんか、一時の感情に流されてるんじゃないかってね、それは、葉月も同じだったんじゃないかって?」
「あなたに、そんなこと言われる道理もないけど、あの時は今ある現実から逃げたかったのよ、孝之と結婚することは最良の選択だったけど、私のくだらないプライドがね・・・・」
「葉月・・・」
「稲倉は、十分、女子大相撲でもやっていけると想う。それは、女子プロアマ混合団体世界大会で十分に証明された。だからこそ今度の話は、女子大相撲にとっても願ったり叶ったりでしょうし、本人が本気ならしょうがないんじゃない」
「あまり賛成はしてない見たいな・・・で、どうする会う?会って人生のアドバイスでもしてやったら」
「そんな、立場ではないわ」
「一応、あなたが来ることは事前に教えてはおいたけど・・・」
「美知佳!あんた!」
相撲場に掛けてある、セイコー クオーツ掛け時計KX816Wは7時過ぎを示す。
お互い顔を見合わせる。睨むわけでもなく、笑みを浮かべるでもなく、ただ。ただ・・・・。




