土俵に落ちる涙 ④
美知佳の勤務先である道立苫小牧北高校。中上位校と云った感じの至って普通の高校である。特段進学校でもないし、学業よりは、高校生活を充実させると云った感じの、ある意味緩い学校ではある。そんな学校で数学の教師をしている美知佳。学生時代はけしてできはよくなかった。中学時代、椎名葉月が勉強もスポーツも常にトップであったのに比べると・・・そんななかにおいて相撲だけは自信があったし、道内でもそれなりの結果を出していたが、それも、葉月の参戦で脆くも崩壊。高校・大学と相撲をできる環境はなくここまで来たのだ。そんな美知佳に、生徒から同好会から部の昇格の相談を受け、監督兼顧問を受けることになったのだ。そんな、女子相撲部も北海道大会まで進めるレベルになり、部員もそうだが美知佳自身も楽しんでいるのだ。
美知佳は、警備から連絡を受け駐車場へ。止まっているランクル70から葉月が降りて来た。
「悪かったわね」と美知佳
「なんか、つい来ちゃったけど」と葉月
葉月は作業着のジーパンに薄地のブルゾンで運転席から降りて来た。左手にはボストンバッグを持ちながら。
「流石に似あってるわね、その姿」
「着替えようとも想ったんだけど、めんどくさくてこのままで来ちゃった」
「そのでかいボストンバッグ何?」
「一応、稽古用のレオタードとまわしを・・・・」
「ほぉー、やる気満々で」
「一応だから、勘違いしないでよ」
「はいはい」
時刻は午後四時ちょっと前、グランドには、トレーニングウェアーに着替えた学生達が校舎から出てくる。校舎沿いに歩き体育館の脇に相撲場の建物が見える。少し古びた感じだが・・・。
「男子相撲部と兼用だったなのよ、最初は色々ブツブツ言われたけど、男子部員がいなくなってそれで譲り受けたって感じなの」
「ふーん・・・」
二人は、相撲場の中に入るとすでに部員達は、基本運動である四股、すり足、テッポウを始めていた。相撲場は古びてはいたが白木の板張りはい意味で若干の飴色に、下部はだいぶ黒くはなってはいるが、それでもちゃんと綺麗にされているのはわかる。部員達は葉月を意識しつつも動きは止めない。
「葉月、荷物は小上がりにとう言うか、着替える?」
「えっ?」
「えっ、て何?自分で言ったんだからね稽古用のレオタードとまわしを持ってきたって」
「あぁぁそうだけど・・・・」
「じゃ更衣室へ、廻し締めるの手伝うから」
二人は更衣室へ、美知佳と葉月は着替え廻しを締め合う。中学時代は部活で絞め合うことなどほとんどなかった。彗星のごとく現れた葉月に試合で勝てたのはほんの一瞬で、稽古や試合を積むたびに相撲の差は開くばかり、それが面白くない美知佳の細やかな抵抗・・・。そんな二人が中学以来、まさか、廻しを締め合うのだ想像すらできなかった。
美知佳は、葉月に廻しを締め、つい体全体を手のひらで、両肩から臀部まで撫でるように触っていく。
「ちょっと!?」と声が裏返る葉月。
「現役力士辞めて何年も経つのに、筋肉の衰えとはないみたいに、こんなに引き締まって」
「だいぶ体絞ったからね、流石に3桁の体重で馬に乗るわけにはいかないから」
「葉月・・・」
「なに?」
「・・・いや・・・あっ、行くわよ相撲場に!廻しを締めた以上うちの部員に稽古つけてもらうから!」
「稽古って程のものができるかどうかわからないけどね」
「またまたご謙遜を」
そんな会話も交えながら、着替えが終わると相撲場へ。何年かぶりに廻しを締めた葉月は、何か自分が興奮しているような感覚に囚われているような、廻しを締めれば当然そうなる。相撲魂に火がつくように。北海道に帰るにあたり、処分するものは処分した。相撲関連は女子相撲資料館に大部分は寄贈した。ただ、木綿の稽古用廻しと絹の締め込みを処分しなかったのは・・・自分を捨てるようで・・・。腰部を覆い、重心部となる腰や腹を固めて身を護り、さらに力を出すための廻しは、葉月にとってある意味の用具である以上に、体の一部であり命だったのだ。化粧廻しではない単なる木綿の稽古用廻しと絹の締め込みを手元に置いておきたかったのは、相撲どうのではなく、もう一人の自分の分身の如く。
二人は相撲場に入る。六人の選手達はすでに稽古を始めていた。熱気あふれる気迫と息遣い!そして、独特の女性フェロモンと云うか、女力士だった葉月の触覚を刺激するのには十分。
「はい、一旦集合!」と美知佳。部員達は動きを止め美知佳の前に集まる。美知佳の隣には、葉月が廻しを締め仁王立ち?葉月本人は、そんなつもりはないのだが廻しなんか締めてる時点で、元絶対横綱のオーラを出してしまっているのだ。本人は、そんなつもりはさらさらないのだが・・・。
「今日は特別コーチを招いたは、通常ならこんな神様みたいな人に招聘することすらできないんだけど」
(招聘?何言ってるのよ!私を罠に嵌めて・・・じゃなかた。私がゴルフ勝負に負けて・・・あぁぁぁぁ)
「それじゃ紹介します。元絶対横綱の【葉月山】こと椎名葉月さんです」と美知佳。
「はじめまして、元女子大相撲力士の椎名葉月と云います。今日は、中学時代の同級生である木原美知佳先生からお誘いを受け伺いました。今は、相撲と関係がなくなりましたが私の経験を踏まえてなにかアドバイスができればと思っていますのでよろしくお願いします」と葉月が頭を下げると部員達も「よろしくお願いいたします」と云うと頭を下げる。
部員達の目は輝く!もし、葉月が現役力士もしくは相撲関係者なら、おいそれとしがない女子相撲部に来ることはまずありえない。元絶対横綱【葉月山】の今の立場は、中河部牧場長男の妻。もう、相撲協会及び相撲関係者とも一切関わりはない。当然、指導者資格もないし取得する気も一切ない。
「じゃ葉月、廻しも締めてることだし準備運動して部員達の相手してよ、【葉月山】」と上から目線
(( ゜Д゜)ハァ?何その云い方!この私に向かって呼び捨て!いくら同級生といえ、私は元絶対横綱として)
「どうした葉月山?」と美知佳は惚けた表情で
「・・・じゃちょっと」と云うと相撲場の片隅で四股・摺り足・股割とし始める葉月。そこには、まったく違和感は全くない。当たり前と言えば当たり前だが、現役選手の高校生に全く見劣りしない動き、部員達もその動きに、魅了される。美知佳は壁に寄りかかりその様子を見ている。
(もう、相撲はどうたらこうたらいいながらやってるなさては?じゃなかったらそんな動きできないでしょうがまったく)と苦笑する美知佳。美知佳も葉月の対角線上に立ち同じ動作をしていく。そこは、相撲部監督として指導をしている者として、四股を踏むのも高々と足を上げ、一切ぶれないところはさすがである。葉月はその姿を横目で見ながら・・・。
「さすが相撲部監督ね、いかにもやってるて感じで」と葉月
「そりゃそうでしょ!先月のマスターズ全国大会に出てるんだから」と美知佳
「マスターズ大会?」
「道央の教員でチーム組んで団体戦に出たんだけど、準々決勝で【ユナイテッド・スターファイヤーズ】とか云うプロレス団体見たいなチームにやられて、私が大将で上がって行けるかなと想ったら、西経の倉橋真奈美に豪快に上手投げ喰らわされて、さすがは元西経女子相撲部の名将って感じで、格の違いを見せつけられたって感じ」
「倉橋さんが・・・」
「そういえば、葉月、女子プロアマ混合団体世界大会の時、アマチュアのコーチとしていたよね?」
「えっ、うん・・・」
葉月には、まったくの初耳だった。日高に嫁いでから、密かに検索していた女子大相撲以外のことは全く関心がなかった。アマチュア相撲も映見の実業団リーグのことぐらいで、まさか、倉橋真奈美がマスターズ大会にせよ、相撲大会に出場していた何って、寝耳に水と云うか、でもそもそも関心がなかったのだから当然と言えば当然。
「それで、倉橋さんのチームは?」
「優勝して世界大会よ!結果は三位だったけどさすがって感じ、倉橋さんは女子大相撲で言えば初代妙義山と同じ世代、行くチャンスはあったろうに、でも始まった頃の女子大相撲を考えればなかなか飛び込むというのは、それを考えれば、妙義山に先見の明があったってところだろうけど、その妙義山にスカウトされた葉月が、絶対横綱として国内外で女王ぶりを発揮したのは当たり前ってところよね」
「その意味では、裏切り者なのよ、私は・・・」
「葉月・・・」
結局のところ、女子大相撲の世界に残らなかったことに後悔しているのだ。こそこそと女子大相撲のことを検索したり、ましてや、のこのこ高校の女子相撲部に来るなど、自分が言っている事と違う行動をしているのだ。そんな自分を孝之には見破られていた。
>「葉月、自分で作った枠に嵌めることないから、自分の思った生き方しろよ、もっと自分に緩く生きろよ」
正直、孝之に言われたあの言葉は、嬉しいと云うより悔しかった。孝之に葉月の心の内をすべて見透かされていたのだ。
「ありがとう美知佳」
「はぁい・・・」
「こんな機会を作ってくれて」
「葉月・・・」
「そんじゃ、あなたの可愛い部員達を虐めてやりますかね」と葉月
「手荒な真似したらはっ倒すからね、覚悟しぃや!」
「あらあらそんなこと言ってこの葉月山に勝てるかしら?」
「無理!」
お互い笑みを見せながら・・・。葉月の心をまるで上質なコットンで柔らかく磨いてくれるように、薄く覆っている油膜を細かい液体研磨剤で磨き最後はバフ掛けを・・・。日高に戻って来たことに僅かに後悔があった。でも、もうそんなことはきれいに消えた。些細な心の擦り傷は、きれいに綺麗に・・・。
葉月は、六人の女子高生相撲選手相手にぶつかり稽古。葉月の気合が入る。それ以上に選手達の気合も入る。何しろ相手は、あの絶対横綱【葉月山】なのだ!最初な10分程は六人相手に余裕を見せていた葉月、受ける側の葉月は、いくら現役力士を引退してから年月が経って云おうとそこは地力が違う。かえって、高校生達の方が息を荒げていたが、流石に30分近く相手をすれば、葉月といえども息があがる。逆に高校生達の方が、ランナーズハイではないが、心の高まり、いやエクスタシーのような感覚になっているのだ。なにしろ相手は、あの最強の絶対横綱【葉月山】なのだ!対して女子相撲をやっている者が興奮せずにいられるわけがないし普段以上に力が出るのは当たり前!
(さすがにきついわ。そろそろ終わりにしてよ・・・)と葉月はチラッと美知佳を見て、それらしき合図を送る・・・が!
(葉月山!が・ん・ば・て・・・・)と歯を見せ笑みをこぼす!いや、それはまさしく楽しんでるかの表情で!
(美知佳ぁー!)葉月は美知佳にしてやられたのだ。
「葉月さん!お願いします!」と部員達はまるで無限の力でも授かったかのように葉月に向かってやってくる。
「もちろんよ!あなた達が立てなくなるまでやるわよ!」と葉月の元絶対横綱のプライドが言わなくて言いことまで言わせてしまった。葉月はもう一度、美知佳を見る。その表情は?
(葉月の相撲・・・・ば・か!)
(はぁ~!!!!!)
終わりなきぶつかり稽古は永遠に?




