土俵に落ちる涙 ②
葉月の運転するベージュ色のランクル70は国道235号を日高から苫小牧方面に向かう。
美知佳とのゴルフ対決では、美知佳一打先行で迎えた最終18番、葉月は503ヤードのロングで奇跡の2オンに成功したのにまさかの3パットでパー。対して、美知佳は3オン2パットのパーで見事逃げ切り勝ち。ラウンド上がり、二人はラウンジでドイツ・バイエルン地方のおつまみ【オバツダ】を本来はプレッツェルという菓子パンに塗るのだが、今回はクラッカーに塗りながらノンアルビールを、因みにオバツダとは、二種類のチーズにハーブを混ぜたもので、出されたのはクリームチーズとカマンベールチーズを合わせたものにハーブの一種ディルを加えてある。
「絶対横綱にここにありってところかしら、あなたの事じゃなくて、私のね」とニヤつく美知佳の笑顔
「美知佳なんかに負けるなんて!あぁぁぁぁ悔しい!」
「でもさすがね、IN43で廻れてしまうあたり、シングルなんてすぐじゃない?」
「負けは、負けだから!いいわよ、あんたの相撲部に行ってやるわよ!でも、私がアドバイスしたらあなたの監督としての地位は低下するけどいいのかしら?」
「何?毎週来てくれるの?」
「毎週?そんなの無理に決まってるでしょ!悪のりもいい加減にしなさいよ!」
「まぁ葉月、気が向いたら連絡ちょうだいよ、あなただって忙しいでしょうし、それに、あまり相撲の事に関わりたくない感じだし、私もちょっと調子に乗り過ぎた。ごめん」
「ふん。何言ってるんだが・・・まぁ月一ぐらいだったら考えてみるわ約束はできないけど」
「うちの女子相撲部は、けして強くないけど・・・まぁ私の指導力不足もあるのかなって」
「ふーん・。・、随分しおらしいこと言うじゃない?でも、美知佳が高校のそれも数学の教師とは、そのうえ相撲部の監督とはどうした?」と葉月。
「最初は、同好会みたいなものだったんだけど、それが人数も増えてきて部として認めてもらいたいって話になって、そんでもってどこで聞きつけてきたか、私が相撲していたことと葉月と中学でライバルだったとか知られて、それを踏まえて私に監督兼顧問をしてほしいってことになって、悩んだけど、彼女達の熱意に負けて・・・」
「ふーん。教師も大変ね、とか言いながら、月曜日にサボってゴルフとは」
「上にうだうだ言われたら辞めるから、教師はある種ブラックとか言われてるけど、だからこそ強引にでも有休全部使って休まないと、そういうのも生徒に見せる必要があるのよ、ましてや、サービス残業なんかもってのほか、そう思わない?」
「上司は、大変だわ」
「まぁ、後輩には私の代わりにサービス残業させるけど」
「うわぁー最低最悪!」
そんな、中年叔母さん二人の話は、色々盛り上がる。
「でも、正直意外だった。あなたが日高にそれも中河部牧場に嫁ぐなんて、嫁ぐんだったら孝之がプロポーズした時に、あっ、ごめん。何わたし余計な本当にごめん」
「いいわよ、今思えば、あの時に孝之のプロポーズを受けて、中河部家に嫁ぐべきだった。自分のくだらないプライドと云うか、何か・・・私が素直に孝之と結婚すればあんなことには・・・」
「葉月、あんた・・・」
「女子大相撲に行ったことは、後悔していない。今の私があるのは女子大相撲のおかげ!それは、わたしの人生において最高の時を過ごせたことは疑いようのない事実。でも、一番大切なものを失った。それも事実!」
「葉月が女子大相撲に行ったからあぁなった訳じゃ・・・」
「生き残ったのは、私と名牝【サマーリーフ】それも、同じ中河部牧場に居るという事実。なんだろうね・・・」
葉月は、ラウンジからガラス越しのゴルフコースを見る。最終18番、グリーン手前の大きなバンカーに捕まり、悪戦苦闘中のゴルファー、アリソンバンカー、それも顎に近い部分からグリーンを狙うのはなかなか厳しく、一旦フェアウェイに戻すのがセオリーのような気がするが・・・。
「2オン狙いだと、だいたいあのバンカーに捕まる。右はOBゾーンで尚且つ右細長いバンカー、それを嫌ってフェード ボールで狙うと手前のアリソンに、そこをあなたは、あえてドローで攻めていく。落とせる場所は、グリーンとバンカーの間5ヤードに落とすしかない、グリーン右に直接オンでは左に傾斜してるから止まらない。それでもあなたは5ヤードを狙いのせて行くところがあなたらしいと云うか【葉月山】と云うか・・・」と美知佳
「私の人生は常に賭けなのよ、騎手を目指していた小学校から中学、力士に一発勝負を賭けた高校時代、そして、中河部牧場に嫁ぐある種の賭け」
「中河部牧場に嫁ぐのは賭けじゃないでしょうが・・・」
「義理の両親も、孝之も私に気を使いすぎていると云うか、まるで腫れ物でも触るかのように」
「そんなの当たり前じゃないの?あんたは、常に自分に厳しかった。でも、もうあなたはひとりじゃないんだから、中河部家に甘えなさいよ、私には想像できない女子大相撲の世界で生きてきたあなたには、甘えることが必要なのよ、孝之に身も心も委ねなさいよ。男の子だって生まれたんでしょうが!」
孝之と葉月の間には、二歳の男の子がいる、中河部家にとっては待望の男の子。そんな幸せのなかにおいて、葉月の気持ちは何か満ち足りたものになっていなかった。夢であった競走馬ビジネスの世界に身を置き、牧場での仕事だけにとどまらず、国内外も飛び回る。そんな生活を葉月自身が望んでいたはずなのに・・・。
女子大相撲と言う世界に身を置き、それは全く望んでいなかった世界。18歳の葉月にとって、絶望に抗う賭け以外の何ものではなかった。表向きには、牧場の再建のために女子大相撲で稼いで、そして・・・・そんなことは無理だってことぐらい誰が考えてもわかる。女子大相撲の世界で新たな人生を歩み始めた葉月に届いた悲報。両親と弟が自ら命を絶ったことに、悲痛な叫びを上げたいほどになった自分の裏の気持ちに、ほっとしたもう一人の自分がいたのだ。自分でも信じられないくらいに冷静な自分が・・・。こうなるだろうと言う気持ちがあったのだ。
「相撲を辞めたことを後悔してるの?」
「どうかな?・・・相撲部に行くことの返事はちょっと待って、来週は種牡馬のことでアイルランドに行かなくてならなくて、その後は美浦と中山で馬主さんと色々ね、だからちょと返事は待って」
「いいわねアイルランドか・・・ゴルフとかするの?」
「ふっふっふ・・・」と笑みを浮かべる葉月
「何?その含み笑いは?」
「実は、種牡馬の件もそうなんだけど・・・ロイヤルポートラッシュゴルフクラブでゴルフすることになってね」
「ロイヤルポートラッシュゴルフクラブって確か・・・全英オープンやった・・・って超名門コースじゃないの!」
「今日は、その練習もあってね、でも今日はよかったわハーフ40代前半出たし気分よくアイルランドに行けそうだわ」
「・・・・」
「どうした?」
「あんたは、アイルランドに何しに行くの?」
「7対3でゴルフかな」
「・・・・( ゜Д゜)ハァ?」
競走馬ビジネスは右肩上がり、日本経済が低迷から抜け出せないにも係わらず、セレクトセールに掛けられる中河部牧場の馬達は飛ぶように売れる。落札平均売価は4000万を超え売却率は70%、当歳(零歳)馬に限れば80%という驚愕の数字、勿論血統がよくなければ話にならないし勿論、現状の馬の状態も、中河部牧場と椎名牧場の血統の組み合わせが、花開いたどころかサマーリーフを起点とするファミリーラインは世界からも注目されている。それは当然のごとくそのラインの馬に注目が集まり、実際にクラシックディスタンスにおいては、無類の強さを発揮、ダービー・オークスのクラシック戦線・古馬になってからの春・秋の天皇賞、ジャパンカップなど、中河部牧場の馬達は大いに活躍、その後、種牡馬になった馬達に海外から種付けをしに来る馬もけして少なくない。そんなビジネスを望んで、そしてそれが現実として動いていることは、葉月にとって天職だと自負しているはずなのに、何か気持ち的に足りないと云うか満たされないのだ。
ランクル70を走らせる葉月の表情はどこか冴えないでいた。
昨年の秋、葉月は中山競馬場での馬主の方々と接待を兼ねての競馬観戦。本来はその後、夕食でもと云うところだが、先方の都合で午前中の2歳新馬戦と2歳未勝利戦を観戦し別れると飛行機までの時間が空いたので元横綱【百合の花】現在は【小田代原部屋】の親方として活躍している彼女の自宅を訪れた。そこで出会った初代妙義山の夫である元大関【鷹の里】の山下秀男との出会い。ひょんなことで、秀男を駅まで送ることになり、その時に、高校女子相撲部での指導依頼をされた話をしたのだ。
>できる範囲でやってみればいいじゃないですか?月一回でも・・・別に優れた選手を育ってようとか考えなくてもいいんですよ、絶対横綱【葉月山】と同じ稽古場にいるだけで選手達は夢のようだろけど適度な緊張感も自然に持たざる得ない、そんな空気を楽しんだらどうです?私なんかにしたら羨ましい、そんな気持ちで稲倉映見に最後のアドバイスをしなさいよ、変な気は回さないで、今度の実業団は札幌だよね、だったら尚更じゃないの?稲倉は優勝しなきゃ女子大相撲に入門はできない最初で最後の人生を賭ける大会に、それとも関係ないかもう相撲なんてどうでもいいか・・・」
鷹の里が、自分にたいして嗾けていることは明白だった。初代妙義山である紗理奈に頼まれてという事はないにせよ・・・・。
小百合(百合の花)は、元葉月の愛車であったCX-5を運転し助手席には葉月を乗せ、東関道を成田方面へ走らせる。時刻は午後7時30分、車は酒々井PA を通過。羽田の最終便でなく成田の最終便20時45分発千歳行きのJetstarに葉月を搭乗させるために小百合は車を走らせる。
「小百合、やっぱり私は女子大相撲の裏切り者だと想うよ・・・」
「えっ?どうしたんですか急に?」
「稲倉が条件クリアーしたら、小田代原部屋か?」
「葉月さんこの話いつから知っていたんですか?」
「二年前の郡上での相撲大会の時に、偶々、十和田富士さんと二時間ばかり話す機会があってね」
「そうですか・・・さっき遠藤さんに話を伺った時、えっ、とは想いましたが映見にそのつもりがあるのなら私は歓迎です。そこまで覚悟ができているのなら」
「百合の花・・・女子大相撲頼んだよ!」
「葉月さん・・・」
「百合の花強き女のやさしさよ」と葉月は詠う
「・・・・・」
「強さは、さまざまな難題に立ち向かうことのできる力、自分の思いを貫く意志のこと。優しさとは、他人をいたわり思いやる心、他者を認める寛容さであり謙虚さ。あの、東京での大会で見せた横綱・百合の花を詠んでみた」
「葉月さん・・・・」
「やっぱり、私の中では百合の花が絶対横綱なんだよ、親方になっても」
「・・・・」
「稲倉の事頼んだよ」
「葉月さん」
CX-5は成田空港第三ターミナルの車寄せへ、葉月は小百合に礼を言い車を降りる。
「葉月さんまた来てください」と小百合
「えぇ・・・機会があれば」と葉月は、ターミナルへ入っていく後ろは振り向かない。
(あなたが羨ましく感じる自分にたいしてのこのもどかしさは何!私は競走馬の世界で生きていくことに邁進しているのに、私の天職だと・・・・なんなのよ!)
そんな想いの自分に腹が立つ!泣きたいぐらいに・・・。




