裏切りのその先へ ⑤
時刻は午前五時。映見をダブルベッドに寝かせ美紀はエキストラベッドで一夜を明かした。現役から20年以上経ってるとはいえそこは元女力士狭いと云えば狭いがさすがに映見とダブルベッドで寝るのにはかなり無理がある。
入れてくれたエキストラベッドはセミダブルではあったけどもそれなりに・・・。稲倉とは初対面ではあったが色々相撲の話で盛り上がったのはどこかあの木曾の帰りに車中で会話が弾んだ椎名葉月と通じるところがあるのかもしれない。
美紀は窓辺から久屋大通公園を眺めながら、ふと自分の力士生活を思い浮かべた時にあまり良いおぼえと云うか悔しさが心の奥底に・・・。怪我をしたのは時の運と云えばそれまでだが・・・。妙義山を恨むことは少なくとも顔にも声にも出さなかった。でも・・・やっぱりあの一番の大怪我はその後の力士人生を決定的なものにした。
正直に云えば怪我をした時点でもう引退を考えていたのだ力士生活は終止符を打つと決めある程度の改善ができたら地元に帰り治療しながら生きていければ・・・。そんな迷いの時に、柴咲総合病院から治療とリハビリをしませんかと現医院長の父である前医院長から話を頂いたのだ。話をし通常生活ができるくらいに治ればそれで良いと告げると医院長は苦虫を噛むような表情で・・・。
「もう、力士は引退ですか?」
「怪我も怪我ですし、リハビリ後に前のような相撲は、旦那には色々無理をさせてますし、そろそろ子作りもいい頃あいかと」
「妙義山が十和田富士を殺したと云うところですか?」医院長
「そんな風には!」
「あなたが復帰への闘志も見せずこのまま消滅したらお互い深い傷跡を残すのではないんですか?私は精神科の人間ではないので偉そう良な事は言えませんがね」
「医院長先生・・・」
「子作りも考えているのなら時間は十分にある。治療と子作りと同時並行で行けばいい、このまま相撲人生を自ら終わらせるのはあなたらしくない望んで力士になっていままで快進撃でここまで来たのにここでちょっと壁にぶつかっただけでやめてしまう十和田富士はその程度でしたか残念です」
「・・・・・」その医院長の言葉に返せる言葉はなかったが自然と医院長の顔を睨みつけた
医院長も睨み返してきたがすぐに笑みを浮かべて
「最低でも幕内に上がってから引退は考えなさいそのことはあなたのこれからの生き方に大きな意味を持つし、まだ青森から女子大相撲の関取が出ないのは寂しいしね、柴咲総合病院がバックアップしますアマチュア相撲王国と云われながら女子大相撲に多少なりの偏見を持ってる者がいるのならあなたがそれを突き破らなければ、青森で女子相撲に邁進している中・高生のためにあなたは今その立場にいるその認識はもつべきだ!」
「医院長・・・」
「十和田富士は豪放磊落でなきゃね」と笑いながら
最後は関脇まで行けたことは自分でも褒めて良いと想っているがただライバルだと想っていた妙義山は絶対横綱と云う称号をファンから与えられもう彼女は遥か遠くに・・・引退会見も設定せずメディアの取材も断り相撲界から去ってしまった。妙義山にも事前に云わず・・・・。
引退後は、県の団体職員として働くことに夫が県の職員と云うのもあったのだが・・・。その後は県の体育協会に籍を置き続けた。その間に娘の大相撲入りもあったがその件で表に出ることもなく、県の相撲連盟から指導者としての依頼もあったがそれも断ってきた。
そんなある日、県のスポーツ科学センターで柴咲総合病院前医院長の息子であり現医院長であるスポーツ整形の医師でもある柴咲康孝にリコンディショニングについての講習をしてもらったのだ。リコンディショニングとは運動選手などが怪我や病気などで低下した身体的機能を通常の機能に戻すことその先にコンディショニングでさらにパフォーマンスを上げる。リコンディショニングの位置づけはリハビリとコンディションニングの中間のイメージなのだ。中学・高校の指導者が参加し質疑応答も含め20名ほどではあったが充実した内容だった。講習が終わり美紀との雑談・・・。
「今日はありがとうございました」と美紀は頭をさげる
「いつもは大きい会場での講演が多いですが本来はこれぐらいじゃないと」
「いまやスポーツ整形では第一人者ですからね」
「多少、皮肉も入ってますがね」と康孝は笑いながら
十和田富士としての治療は康孝の父が受け持ってはいたがまだ研修医を終えたばかりの「ぺぇぺぇ」医師だった康孝はその後のケアを担った経緯があるのだ。そんな父も五年前に亡くなり病院のトップは康孝に・・・。
「父が云っていたこと実現しようかと」
「お父様が云っていたこと?」
「相撲部のことです・・・・」
「・・・・」
十和田富士は治療と子作りを兼ねて故郷青森で二年近く静養をすることに、その期間中県内の中・高生に指導まではいかなくもアドバイザー的をする機会があったのだ。力士引退後は指導者の道をと言う声が多かったのだが引退後は相撲には係わらないと自分自身に決めそれを貫いてきた。その意味では相撲界から去り競走馬牧場の奥さんになった元葉月山も相撲とはきっぱり縁を切ったと云うか話題にも上がらなくなった。
「オヤジはあなたの大ファンだったから・・・ただあなたの相撲界からの去り方はよくなっかたよね、悔しかったのはわからないわけでわなかったけど・・・どうですかそろそろ?娘さんもいよいよ大関・横綱を狙う位置まできたし色々あったけど・・・」
「自分の娘ながら凄い努力してきたなーって、私の最高位まで来たのかと改めて想うと・・・」
「相撲で頑張っている中・高生もそうですが社会人になっても相撲をやれる環境を作ると云うのもオヤジの想いだったから、美紀さんは相撲自体もさることながら苦しく悔しい経験をされてきてるのですからその経験を次世代の人材の為にと云うのも・・・オヤジはあなたにそれを望んでいたと想いますよ」と康孝
美紀は想わず「クスクス」と笑ってしまった
「何か?」
「お父様に似てこられましたね」と美紀
「それは、いいことなんだか・・・・」と苦笑する康孝
「お父様の意志を継ぐのなら私も無視するわけにはいきませんね」
「やっていただけるのですか?」
「私も覚悟を決めます。少し時間をください」
「わかりました」
その後、体育協会の仕事をしながら今まで断っていた相撲指導を県内の中・高・大の相撲部に自ら出向いて指導というより部の指導者から教えをこうと云うのが美紀の目的なのだ。本人にとっては女子大相撲力士元関脇などと云う肩書はどうでもいいのだ。自分の娘には一切指導どころかアドバイスの一言もかけなかったのに・・・。
柴咲総合病院相撲部は実業団チームの設立ではあるものの将来的にはクラブチーム化を視野にと云うのが医院長の構想なのだがその前段階での実業団の設立なのだ。病院の勤務医や看護師その他過去に学生時代相撲をやていたものも多く。趣味がてらに同好会と云うより愛好会に近いような会を作り本気モードで県の大会などに出場し団体戦で三位になるほど。元は学生時代は一線級でやっていた選手もいるそれは男女問わず、相撲以外にも運動系の同好会も存在するが本気度はちょっと違うのだ。
また、医師や看護師と病院関係者がアマチュアとは云え活躍することは病院としての宣伝にもなるが患者達も一つの共通の話題として悲喜交々盛り上がれることは病院関係者以上に患者の気持ちにとって大きな意味があると康孝は想っているのだ。
まずは、県の実業団大会で優勝することを目標に始動することになり新たに屋内の相撲場を敷地内に作ることも本気度が違うのだ。相撲場も二面用意されカメラなどの撮影機材も設置され動作分析もできるようになっている。また、相撲場の貸し出しも学校や他のクラブなどにもすることも決めてあるのだ。
そんななかでの女子大相撲協会理事長である山下紗理奈からの依頼は美紀からすると考えすらなかったことなのだ。総合的なクラブチーム化後の話ならいざ知らず立ち上げ早々にアマチュア女子相撲の女王と云われた稲倉映見を入れてその年の実業団全国大会に優勝させて女子大相撲に入門させる。美紀にしてみればこの話はけして軽い気持ちでは受けたつもりはないしお世話になった柴咲総合病院への恩返しのつもりで受けた。しかし、かつてのライバルであった山下紗理奈からの依頼は違う意味で重いものだった。
>「美紀さんをだしに使うようで本当にすいません」と紗理奈は深く頭をさげる
「あんたの目的は、稲倉映見という大器を入れる目的の上に葉月山をこの話に絡ませることが主目的・・・って事か?」
「・・・すいません・・・」と紗理奈は頭を下げたまま
(親の想いなんて子供には通じないもんだよ、娘の十和桜しかり紗理奈の娘二代目妙義山しかり、ましてや葉月山は・・・何か私の若い頃であるような気はするけど・・・)その時後ろから
「おはようございます」と寝惚け眼の映見の声
「おはよう」と美紀
「寝れましたかあのベットで?」
「ベットと云うよりなんかこんなホテルに泊まることは殆どないし青森の田舎暮らしてると落ち着かなくて」と美紀
「夢の中で色々思い浮かんで、もし大相撲に入門できたのなら・・・葉月山を名乗りたい許されるのならそれぐらいの気持ちが自分になければ!」と突然真剣な眼差しで云いだした映見。さっきの寝惚けた声は何!といった感じだが?
「まだ、早いからもう一眠りしなさい六時くらいになったら起こしてあげるから、そしたら朝食食べに行きましょう」
「了解しました!じゃもうちょと寝ます」となぜか敬礼して再度ベットの中に入る映見
(面白いと云うか天然と言うか、葉月山を名乗りたいか・・・それがあなたの本音なのね)




