裏切りのその先へ ②
西経大女子相撲部の監督倉橋真奈はタイへアマチュア相撲の振興の一環と濱田の養女になった瞳に会うために濱田光と一緒に出掛けている。その留守を預かるのが稲倉映見医学部の五年生である。
映見は、監督がいつも座っている小上がりに上がり座卓にノートパソコンを置きカンファレンスでの発表の資料作りに専念中である。
その小上がりの縁に座り稽古の様子を見ているのは女子大相撲協会の新崎一花。相撲部屋は倍に増え地域ごとの部屋割もなくなり協会そのものが選手のスカウトをすることは無くなっとはいえアマチュア選手から女子大相撲入門のサポート的役割は大事な仕事の一つ。今日の西経大女子相撲部訪問も表向きは石川さくらの様子を見に来たと云うが・・・・。
「稲倉さんは稽古しないの?」と一花は座敷に上がり映見の真向かいに座る
「週に二三回は出ますよ、ただ私の立場はもうレギュラーメンバーではないですし大会のための稽古は、ただ今週は監督が休みなんで一応代理ですけど、三・四年の部員がすべてやってるので、私は部員達の相談役見たいなもんです、あぁちょっと意味が違いますね」と映見
「でも、この前のリーグ戦出てたじゃないそれに勝負に勝って、私にはまんざらではなかったように見えたけど?」
「あの時は、レギュラーメンバーの怪我とかあってまさか私にお呼びがかかるとは、他のメンバーでも私の代わりなんかいるのに、監督が急に云うもんだから・・・でも久しぶりにいい緊張感を味わったと云うか心臓バクバクでしたけど」と映見
「西経はずるいはよね、石川さくらが調子崩しても切り札に稲倉映見と云う隠し玉があるんだから」と一花
「隠し玉って・・・五年になって一回しか出てませんし、稽古だってレギュラーの時の1/3くらいしかしてませんし」
「それでも勝ってしまうところが非凡よね、なんかまだまだ発展途上なんじゃないのかって」
「偶々です、偶には出場もいいですけど今は医師国家試験を目指しているわけで相撲の方は」
「そうよね、その意味ではもう割り切ったって感じ?」
「割り切るも何も現実的に無理ですし、あの大会で入院してしまった時に葉月さんに云われた事が・・・」
「云われた事?」
「二十五歳で入門して何年相撲ができる?女子力士のピークはせいぜい三十手前まで、そこまでに幕内に上がるのは至難の業だって、その言葉に私もつい熱くなって、だとしても、ここまで相撲をしてきたのだからどうしても女子相撲の最高峰で相撲をしたい!もちろんこの先の私の相撲がどうなるかはわかりませんがそれでもあの世界に行ってみたい相撲をしてきた女性として、たとえ一年で廃業するようなことになっても私は後悔はしない。
憧れであり目標であった葉月山さんがいた世界に行ってみたいんです!とか偉そうに・・・。でも冷静に考えれば今は医師国家試験に全力を注ぐ、色々自分なりに考えました、医師免許の取得と女子大相撲入門の同時並行の可能性を、でもそれはなかなか難しいと・・・ 二兎を追う者は一兎をも得ず、それだけは避けたいだとしたらおのずと答えは一択しかない。
ただ、相撲の稽古は偶にですけど最後まで出るつもりです、臨床実習が始まって医師の仕事は体力勝負と云うところもあるんだって実感したんで、それにストレスも・・・」と映見は苦笑しながら
一花にとって、稲倉には思い入れも特段にはないいちアマチュア学生選手。それに今まで稲倉本人が女子大相撲に感心をしめしてこなかったし、医学部に入った時点で女子大相撲への入門は消えていた。ファンや大相撲関係者の中には中退してなどと荒唐無稽なこともまことしやかに云われていた。あの大会以降、女子大相撲協会のなかでは入門の特例条件を見直すべきでは?と云う話も出ていたが・・・。その話は、あまりにもあからさまの話で立ち消えになった。
理事長から云われた提案に際してはおそらく考えられる女子大相撲入門のプロセスとしてはこれ以上ないとは想う。医師の資格を取ったのち研修医として働きながら実業団選手として相撲ができ秋の実業団全国大会で優勝すれば入門の特例条件をクリアーできる。優勝できなくとも研修医として働けばいいし相撲もしたければ実業団選手としてやればいいのだ。ただこの問題の根本的な問題はまだ稲倉映見の本当の気持ちを聞いていないこと・・・・。勝手に外野が色々考えている一方で稲倉自身から何も具体的な事は聞いていないのだ。六年になれば研修医先の選定をしなければならないだからこそ五年生であるこの冬の時期に稲倉映見に提案しろと云うのが理事長の意向なのだ。
「稲倉の気持ちをこっちから聞く必要はないよ、今日はあくまでも十和田富士さんに会わせるそれだけでいいこっちから誘いをかけるようなことはしなくていいよ、興味があれば自分からアプローチしてくるだろうしこなければそれまでだよ」と理事長は電話で・・・
それに、この話はあくまでも理事長個人の独断で協会関係者で知るのは一花だけ、当然、十和田富士さんに会わせることもあくまでも一花のプライベートとしての行動でそこに協会は一切タッチしていない。
「石川さくらさんなんだけど、もう相撲部屋の方から誘いは来てるの?」
「来てると想いますけど、さくらはまだ部屋の人とは会いたくないみたいです、なにか想う部屋があるみたいです多分妙義山さんの海王部屋じゃないですか?」
「そうか、海王部屋か・・・師匠とか大学に一回も来てないの?」
「大学には・・・・でも監督とは別の場所で会ってるみたいですけど」
「そう・・・・」
「一花さん海王部屋からの依頼で来たとかじゃないんですか?」
「そうではないんだけど、ただ本人の様子をどんな感じか見て見たかったし・・・それと、あなたと話がしてみたかったし」
「私と?」
「この後、少し時間作れない?」
「えぇまぁ多少は・・・」
「よかった、ちょとあなたに会ってもらいたい人がいて」
「私に?」
「うぅん、卒業後の事って決まってるの?」
「まぁどこかの医療施設に研修医として勤めるってことですがまだ研修医先をどうするとか具体的には」
「そう・・・・」
「監督に聞いたのだけど整形外科の方面に行くとか?」
「えぇ、ざっくりですけど・・・」
「そう・・・よかった」
「えっ、何が?」
----------------THE TOWER HOTEL NAGOYA----------------
1954(昭和29)年に、日本初の集約電波鉄塔として完成した名古屋テレビ塔。現在はその役目は終えたものの名古屋の一つのシンボルであることは変わりがない。そのタワーの中にあるのが「THE TOWER HOTEL NAGOYA」である。
スカイツリーやエッフェル 塔 のようにレストランがあるものはあるがホテルそのものと云うのは珍しいのだ。
一花は、名古屋空港から元十和田富士である美紀を自分の車で迎えに行きこのホテルまで送迎してきたのだ。
一花は。「L11-パークビューダブル」と云うダブルルームを用意した。眼下に広がる久屋大通公園は夕陽が落ち街の明かりが輝きだす。部屋は東海地方の作家によるアート&クラフトを採用したインテリアや照明など、名古屋の旧テレビ塔からの歴史に敬服するかのように・・・。
「別に、こんな待遇を受けるあれもないんだけど?」と美紀
「美紀さんにはわざわざ青森から強引に稲倉と会うようにしてもらったんだから失礼のないようにと理事長に云われてますので、食事の方は二階のレストランに頼んでありますので6時半に行ってください。八時ぐらいに稲倉を連れて戻ってきますので」
「一花さん、紗理奈は葉月を稲倉使って考え直させようとでもしているのかい、だとしたら」
「それはないと想います。もう結婚もされて第二の人生を壊すことなど・・・そうならば私はこの依頼は受けません。今回のことはあくまでもプライベートの話で協会としては一切関わってませんので」
「葉月山を受け継ぐ者か・・・」と美紀は眼下の久屋大通公園見下ろしながらポツリ・・・
「えっ、」
「もし、稲倉映見が女子大相撲入門を考えているのなら葉月山が最後の味付けをするべきだろうなそれが女子大相撲に対する仁義だろう。葉月山を生きる四股名としてそれとその四股名を受け継ぐ覚悟が稲倉映見に継ぐ覚悟があるのか・・・私はそれを稲倉に聞きたいんだよ!葉月山だったら絶対に問うだろね、その覚悟があるのか!」
「今日は、そこまでの話は・・・・」
「なんだい、私はそれを聞くために名古屋まで来たんだよ!スカウトで来たわけじゃないからね!」
「美紀さん・・・」
美香は、稲倉映見と話をして映見が即断できないようなら断るつもりでいるのだ。
---------青森・柴咲総合病院 院長室-------------
「女子相撲部の監督に就任させてもらっておきながらいきなりこんな無礼極まりないお願いを・・・」と美香は頭を下げる。
「研修医しながら実業団全国大会で優勝して女子大相撲入りですか・・・心情的には優勝を逃して研修医として働いてもらうが私の希望ですけど」と柴咲康孝は苦笑しながら・・・
「本当に・・・」
「女子相撲部から女子大相撲に入るとしたら最初で最後でしょう?うちが厚生労働大臣指定の臨床研修施設だからできることだけど、こんなことは想定できませんよ・・・・」
「こんな常識外れなほんとうに・・・」
「元十和田富士さんにここまでお願いされたらその話受けない訳にいかないでしょう?でも稲倉さんは本当にその覚悟があるのかちゃんと聞いてくだい。それと引退したらうちの病院で研修医として働くそれさえ約束してくれれば」
「院長・・・」
「女子相撲部を設立しておきながら才能ある者の女子大相撲入りの芽を潰してしまってはね、ただその選択が彼女の医師としての将来に良いのか悪いのかそれは未知数ですけど・・・あとは本人がご両親を説得できるか?医大に行かせてもらっておきながら国家資格を取得したら女子大相撲入門は私が親だったらちょとねぇ・・・」
----------------THE TOWER HOTEL NAGOYA----------------
「それでは、西経の方に行ってきますので」と云うと一花は軽く会釈をして部屋を出る。
美紀は眼下に広がる久屋大通公園を見ながらスマホを手に持ち電話帳をスクロールする。そして、葉月山で止める
稲倉映見の本心を聞くのもそうだが、本当に今聞きたいのは椎名葉月の今の想い・・・。木曽から名古屋空港まで送ってもらったあの日以来連絡は取っていない。もう、葉月は日高で第二の人生を歩んでいる・・・。
>「紗理奈が自分の娘にあの【妙義山】を継がしたように【葉月山】を生きる四股名として残し継承させたいそれにはやっぱり最後はあなたが仕上げることが必要だと想うよ」
(絶対横綱の葉月山に大そう偉そうな事云ったもんだな・・・)と心の中で呟く
理事長の紗理奈に「稲倉に一度会ってみてくれ」と云われたのは今年の夏、わざわざ紗理奈自身が青森まで来たのだ。
二人は、五所川原の金木相撲場の土俵を見ながら・・・。素朴な土俵ではあるがちゃんとしたものである
「十和田富士さんはここから生まれたんですね」と紗理奈
「小・中の頃はまさか関取になるとは想像すらできなかったけどな」と美紀は少々照れながら
「来場所は娘さんもいよいよ関脇です。【十和田富士】を継がせたら如何ですか?」と紗理奈
「もうちょっと前頭で揉まれて十両・幕下まで落ちればよかったものを他の関取のレベルが低すぎて話にならないよ!」
「さり気なく娘さんの自慢になってますけど」と紗理奈はくすくす笑いながら
「はぁ?、・・・・ったく、あんたも話にならないよ全く」と美紀も笑いながら
土俵の上を風がぬけ土の香りが二人の鼻をつく、少女時代に相撲に夢中になっていたあの頃のように・・・。
「葉月山と云う四股名が一代で終わってしまうの惜しくてね」と紗理奈
「それを継ぐ後継者が稲倉映見ってことにしたい・・・・」と美紀は皮肉交じりに
「私は葉月が仕上げた力士を見て見たいただそれだけなんだ、ただ・・・」
「紗理奈の想い、ちゃんと自分で自分の口で云ったのか!」
「それは・・・・」
「葉月山はお前の想い待ってるはずだ。最後の女子大相撲のご奉公そして、あんたも」
「美紀さん・・・」
美紀はスマホをベットに置き室内を突き抜けている鉄骨に身を預ける。冷たい硬質な鉄は美紀の静かに興奮を冷やすのにちょうどいいのだ。
(何に興奮してるんだか私は)




