四股名を受け継ぐ者へ ③
葉月が運転するCX-5は国道256号を下呂方面に午前中と云うこともあり流れはいたって順調である。
「女子相撲講習会?」葉月にとっては初耳だった
「昨年から実験的に実技講習会を女子大相撲協会として依頼があれば十両クラスが実技指導をするんだが今回は十和桜にやってもらうことにしたんだ」
「十和桜に・・・そうですか」
「先々で一連の事を云われているようだがそれも十和桜にとってはいい試練になっているはずだファンから辛辣な事を云われたるのが一番堪えるからな」
「それでも辞めないで力士を続けているんですね」
「番付編成会議では、引退勧告を告げるつもりだったんだ、でも百合に花を筆頭に嘆願書を出されてはな、幕下まで落とすこともできなかった。女子大相撲協会は力士の力が強すぎるのはよろしくない、引退した葉月山とか云う奴のせいだまったく」と紗理奈
「葉月山?そんな力士いましたっけ?」ととぼける葉月
車はトンネルに入る。
「葉月、もう相撲に関わる気はないのか、今更聞くのもなんだけど・・・」
サイドウインドに映る紗理奈の顔がオレンジ色のナトリウムランプに照らし出されている。その表情は明らかに寂しげに映っている。
「最初は、行くことのできなかった大学で勉強したかった西経の経済学部国際経営学科の受験の準備もしていたのですが日高に帰って意外な方向になってしまって・・・」
「西経って・・・西経行って女子相撲部にでも入るつもりだったのかい?」と紗理奈は苦笑気味に
「入部は考えていましたよ、もちろん試合は無理でも・・・でもそれも日高に帰って一変しましたけど、譲渡先の【中河部牧場】に今更ながら嫁ぐと云うのも何かしらの運命だって・・・「人は今を生きてるつもりでも過去の世界で生きている」って誰かが云っていましたがだとしたら、私は女子大相撲入りすることで過去の世界を変えようとした・・・でも」
「「過去の世界で生きている」か、力士として生きた時間はお前にとっては幻想ってところか?」
「相撲界を離れてやっと理事長の私への愛情が理解できたと云うより気づいていたのにそれを素直に認められなかった子供のような愚かさに」
「葉月・・・」
「私の命を救ってくれた恩人なのに、それなのに私は!」
葉月の声が震える、入門後紗理奈とプライベートで二人きりになった記憶がないそれは葉月が二人になることを拒み続けていたのだ。紗理奈の想いなど露知らず・・・いや気づいていたのにその想いを受け取りたくなかった意地でも・・・・。
「絶対横綱葉月山!日本女子大相撲いや世界の至宝だった。高校選手権で一年生だったお前を初めて見た時、直感したんだ!お前のすべてを調べて当然牧場の経営状態も・・・」
「紗理奈さんはいつも先を見ているまるで答えを知ってるかのように、私が女子大相撲に入門することは必然であるかのように・・・」
「衰弱死していくような経営状態を見てお前を女子大相撲に入門させるチャンスと踏んだそんな女だからな・・・おまえの命を救ってくれた恩人なんか微塵もないわ」とつい語気を強めてしまった紗理奈
「ある方に云われました。いまのあなたがいるのは女子大相撲のおかげであることは紛れもない事実。妙義山があなたをスカウトしていなかったらあなたも死んでいたんじゃないのかと」
「・・・・・」
紗理奈は目を瞑り葉月の言葉を聞く。(そうかもね・・・・)と心の中でつぶやく。
葉月は車をコンビニの駐車スペースに入れると紗理奈と運転を交代する。
「紗理奈さんが車なんか運転するなんて、少なくとも私の記憶には」
「引退後免許は取ったんだがその後色々忙しかったし理事長なんかなってしまってなかなか表的には運転できなくて・・・だからもっぱら夜中のドライブ専門で車と駐車場は夫以外には内緒で用意して」
「全然知らなかった」
「なかなか難しくてね、自分の時間を持つのも幸い旦那が自分の相撲部屋を持たなかったからね、その代わりスイーツの店開いて経営だけするのかと想ったらそれに飽き足らずスイーツの専門学校行って製菓衛生士の国家資格まで取って自分自身の店をやりたいとか云いだして挙句の果てにはフランスに修行って?・・・とてもついていけないわまったく、そんなこんなでついた愛称がパティシエ大関よ!偶に大相撲関係者と会うと「パティシエ大関は元気ですかって」もう恥ずかしくて!」と紗理奈は怒っているようにも見えるが・・・。
「旦那さんの鷹の里関は理論派の力士でしたよね、相撲ファン向けのムック本を執筆したかと想えばアマチュア選手達のための硬派な解説書も執筆されてましたし、そう云えば「スイーツ探偵」とか云う小説も出してましたよね?」
「・・・・」紗理奈は無言。(相撲の執筆はいいとしても「スイーツ探偵」だ!おまえは私に喧嘩売ってるのか!)
「スイーツ探偵」は、コメディタッチの推理小説、スイーツと相撲観戦が好きな探偵が事件を解決していくと云う実にべたな話なのだが・・・・。問題はこの本に遠藤美香が推薦文を書いたのだがその一文がどうしても紗理奈にとって腹だたしかったのだ。
>理論派の大相撲力士元大関鷹の里らしからぬシャレが効いた文章はなかなかの快文ではあるがその向こうになんとなく見える鬼嫁がいきなり赤ペンを入れてきそうで・・・そんなことも相撲界から少し離れた鷹の里さんは楽しんでるのかもしれない・・・旦那の度量の広さがあってこそ鬼嫁が生き生きと・・・。
あれ?これってなんの推薦文だっけ????
遠藤美香
紗理奈の運転するCX-5は木曽川を上り一路木曽へ走らせる。
「お前はも少し相手の機微を感じ取れ」
「はぁ~」と何とも気の抜けた
「相手が何を触れられたくないとか些細なことも感じ取れ、相手の表情や態度だけではわからないことは往々にしてあるから・・・」と紗理奈はいたって冷静に・・・・。
「そう云われると確かにそう云うことに鈍感になっていたかもしれません・・・ところでさっきの話なんですけど・・・」と葉月は何も意識することなく
「さっきの話?」
「美香さん推薦文かかれてましたよね「スイーツ探偵」の?」
「・・・・・!!!!!」(またその話か葉月!!!)
「美香さんいいこと書いてるなって、確か理事長のことなんでしたっけ?」
「・・・・記憶にない」(葉月!!!)
「あぁぁ、想いだせない・・・理事長にドンピシャの名言と云うか夫婦の関係ってそう云うもんなんだって」
「旦那の度量の広さがあってこそ鬼嫁が生き生きと」と突然紗理奈が云いだした
「あぁぁ、いい文書と云うか鷹の里さんの懐の深さと云うか確かに現役時代も相手に廻しを取らせず、おおらかで誰とでも分け隔てなくそのうえ頭脳明晰で相撲界にいらしたら・・・あっすいません私・・・」
「いいよ・・・」
紗理奈の夫である元大関鷹の里(山下秀男)は大学時代は大学生横綱も取った逸材だった、紗理奈が大学生の時の女子相撲は超マイナー競技で稽古をしてくる相手を探すのも一苦労だった。そんな時偶々女子相撲大学選手権を秀男の大学で行われたことが出会いのきっかけだったのだ。そして秀男はできるだけ紗理奈の稽古相手をしてあげた。
そんな折、女子大相撲の話が現実に・・・紗理奈は照準をそこに絞った。かたや秀男は大相撲入りには否定的だった。そんな秀男に大相撲入門を嗾けたのは紗理奈だった。
「私は女子大相撲に人生をかける!一度きりの人生だから・・・だから大学生横綱も取ったあなたは私以上に大相撲に人生をかけるべきよ!それと・・・私は・・・あなたと人生を賭けたい!」
優勝回数は四回、横綱には昇進できなかったが頭脳明晰で独自の相撲論を持ち角界にも積極的に提言もしてきた。ただそのことをよしとしない空気もあったことも事実。またその頃からの女子大相撲の台頭、ましてや鷹の里の妻である横綱妙義山は女子大相撲の旗手として注目を浴び歯に着せぬ男女相撲界への発言は物議を呼ぶこともしばしば・・・。
大相撲においてはそのことの風当たりが鷹の里にあたってくる。そのことは鷹の里に否定的な力士や親方からすれば恰好な攻撃材料に・・・・。そんな裏事情もあるが大相撲きっての人気力士は鷹の里だったのだ。引退後相撲界からは距離を置いたことは様々な憶測を呼んだが、本人はどこ吹く風、今はやりたいことに邁進してる。
元妙義山との夫婦関係を「横綱と大関」見たいなことと揶揄されることもしばしば云われるが、絶対横綱妙義山は大関鷹の里がいなければ誕生しなかったし桃の山そして二代目妙義山も・・・大相撲界で親方として活躍する鷹の里を見たかったし部屋の女将としてやる覚悟も決め手はいたが・・・。でも今の鷹の里ではなく山下秀男を一番愛しているのだ。鬼嫁ではあるけども・・・。
「紗理奈の云っていることは正論でも相手の機微を感じ取れ、でもそれは自分にとっては大きな心の負担にはなるけども・・・相手のことを想うほどに・・・・それでもいまの女子大相撲を引っ張って行く気概があるのなら、でもそれはよっぽどの精神力と統率力がないと・・・それでもいまの女子大相撲を引っ張っていけるのは紗理奈しかいない間違えなく、もう少し自分の今の立ち位置を考えろ!おまえはもう単なる力士としての妙義山なんかじゃなく女子大相撲の命運を背負ってるんだよその自覚が足りないんだよ!おまえわ!」今迄で鷹の里が紗理奈に本気の怒りを見せたことはあの一回しかない・・・その翌年に鷹の里は身体的理由として引退してしまい協会も抜けてしまった。
(私が大相撲入門を嗾けなかったら、あなたを苦しめることはなかったのに・・・・)
鷹の里が引退した最大の理由は女子大相撲を大相撲側に色物ではなくもう一つの相撲文化として認めてもらうことそしてもう一つは妙義山いや紗理奈を守るため・・・・。大相撲関係者からそんな噂話を聞いた。
大学卒業後、秀男は総合商社に決まっていたのにも関わらず紗理奈が秀男の人生をもてあそんでしまったと・・・でもそのことを今まで口に出して云ったことはないそれは秀男の機微に一番さわることだから・・・。
(旦那の度量の広さがあってこそ鬼嫁が生き生きと)心のなかで呟くとふと笑みを浮かべたと同じく少し目が潤んでしまった。鬼の目にも涙と云うところか?
車は中央西線の鉄路跨ぎ一旦下ると再度緩やかな登り坂を上っていく、2.2リッターディーゼルターボエンジンの大トルクが本領発揮というところか・・・。
助手席の葉月が紗理奈をふと見る。こんなにすごく穏やかな横顔は今まで見たことはなかった。聞こうかとも思ったが、それは紗理奈にとっての機微にふれることかも?いい意味で。
坂を上り切った頂上から下る先に白い屋根がそして景色の切れ間から僅かに見え隠れする土俵、紗理奈の目的地である「木曽町民相撲場」はもうすぐだ。




