四股名を受け継ぐ者へ ①
午前三時半、山下紗理奈と椎名葉月は宿泊ルームに併設されてあるテラスでテーブルを挟み並ぶように座ってる。月明りに照らされている林の中からは透き通るような虫の鳴き声が騒がしく聞こえてくる。
「今日、葉月と郡上で会うことになったのは偶然なのかいそれとも・・・」
「上手く嵌められたんです。妙義山に」
「・・・・」
「その顔は同じく嵌められたって顔ですね」と葉月は穏やかな笑みを浮かべテーブルに置いてある郡上八幡天然水サイダーをラッパ飲みする。
「・・・バカ娘か」と紗理奈もラッパ飲みする。
混合団体世界大会以降の妙義山の活躍はそれまであった強いがどこかあった危うさが消え、母譲りの勝負強さが加わりますます初代妙義山を彷彿とさせる横綱になってきたことは、初代を知るファンのみならず女子大相撲に詳しくない者も【妙義山】の名は女子大相撲の代名詞なのだ。そして、いまテラスにいる二人は、創成期・聡明期・成長期と繋いでいった二人、今まで二人があくまでもプライベートと云う形で会うことはほとんどなかったのだが・・・・。
「とっくに北海道に帰ったと想ったが?」
「色々とお世話になった方々への挨拶まわりや引退後約束していた仕事とか細々したものきれいにしてから北海道に帰ろうかと・・・」と云いながらどこかに女子大相撲界に残らなかった後ろめたさもあるのだが・・・。
「大会が終わった夜、協会の相撲場で妙義山と手合わせをした勿論本気ではできないが向こうから云われてね」
「昔の理事長なら絶対にそんなことはされなかったと想いますが?」
「妙義山に云われてはわさすがに断れないのでね」少しうれしそうな表情で葉月も笑みを浮かべながら
「初代妙義山を前に云うのもなんですがもう初代を超えた存在です。心技体、桃の山の頃とは比べ物にならないぐらいに、これからどんな相撲をして行くのか、ましてや世界ツアーもはじまり世界の強豪との闘いも・・・日本の女子大相撲の基礎を作った理事長がそして今度は娘さんが世界を相手に戦う!血の強さと云うか生まれるべきして生まれた・・・二代目【妙義山】これから楽しみ以外ないんじゃないんですか」
「相撲界から引退すると口も上手くなるんだなー」
「そんなつもりで」
「妙義山の四股名は一代限りでよかたんだ。間違っても娘を力士にはさせたくなかったなのに・・・でも今の妙義山は桃の山時代のガラスのような力士ではなく鋼のように焼き入れ・焼き戻しを繰り返いし硬さのなかにしなやかな柔軟性を持たせ強靭な鋼になる。今回の混合団体世界大会は桃の山にとっては相撲人生の賭けだったそしてその勝負に勝った。自分の娘であるがゆえに冷静に見れなかったんだ!」
「違いますよね?見え過ぎるくらいに見えていた・・・私の才能を見抜いていた理事長ならなおさら」
「女子大相撲の世界は男子の大相撲以上に過酷だ。海外から発展した女子大相撲はある種閉鎖的な大相撲とは意味合いが違う。来年からは春場所と秋場所の間に暫定的に世界ツアーが組まれるの見据え妙義山は海外遠征を組んだのだろうがここ直近の稽古ではだいぶ調子を落としてるらしい」
「それは、世界の女子相撲関係者が望んだことですよね,ましてや理事長は?何を今更・・・・そのために妙義山は海外遠征を組んで来年から暫定的にではあるが開催されるツアーに備える当たり前の事だと思いますが」と葉月は憮然とした表情で
「相撲界から引退したくせによくしゃべるな全く」
「それは元力士としての意見です」と葉月はきっぱりと
「葉月は日本の女子相撲のために力になってくれることを期待していた・・・」
「ちょっと待ってくださいもうその話は!」
「美香に云われたよ、いい加減に葉月山離れをしろと・・・」
「遠藤さんに・・・」
紗理奈はため息をつきながら
「今の妙義山じゃ物足りない!すべてに恵まれた血統書付きの娘じゃ!」
「ご自分で産んだ娘さんを・・・そんな云い方ありますか!」
「先の大会での娘の活躍は日本の女子相撲にとって大きな意味があった。ロシア主導での流れも変えることもできた。新たなプロとしての女子相撲における世界協会も新たに設立されることになった。女子相撲は次なるステージに飛躍する。でも【葉月山】だったら・・・椎名葉月だったら・・・」
「理事長・・・何故そんなに私を!」
紗理奈の表情が歪む。紗理奈にとって葉月は口にも態度にも出したことはないが娘以上に溺愛していた。葉月は紗理奈が期待をしていた以上に女子大相撲界に貢献してくれた。だから余計に葉月が協会に残り今度は裏方としての活躍を期待していたのに葉月は去る選択をしたことに怒りより寂しさが紗理奈の心を濡らしているのだ。
「ご両親が弟さんを道連れに行ってしまった時のお前はまだ場所中と云うこともあったが帰ることもできたのにおまえは場所を全うした動揺どころか顔色ひとつ変えず・・・・・北海道で高校生のお前をしごくだけしごいた私はおまえの覚悟を試したかったから、おまえを罵倒してそれでもこの世界に来るのかを問いただした時の私を睨みつけたあの目が今でも焼き付いてる」
「・・・・・」
「絶対に椎名葉月を女子大相撲で大成させるとどんなに苦しくとも葉月なら耐えて必ず世界で対等に戦える力士になるいやさせると!」
語気を強めながらも紗理奈の眼が潤んでいるように葉月には見える。
「理事長には感謝しかありません。ただ私には女子大相撲と云う選択しかなかった。私はどこかで一人で生きていかなければならないと・・・譲渡する牧場に嫁ぐ選択もありました、でもそれは椎名家の長女として耐えられなかった。そんな事を云っていたのに今になってそこへ嫁ぐんですから・・・もう理事長には二代目妙義山が誕生ましてや実の娘さんです、
「二代目妙義山を継いだなら後の世代のトップに立つのはあなたであるはずそれは世襲だとかそんなくだらない話でなく、反対を押し切ってまで入門して横綱までになったのだから」と先日云ったばかりです。本当の妙義山の実力を発揮するのはこれからです。今度の海外遠征もすべて単独で行動したようで横綱なら付き人を何人か同行させてもいいものを、
理事長からしたら物足りないかもしれませんがこれから二代目妙義山として五年・十年横綱を張るとしたら並み大抵のことではない、日本のみならず世界との闘いも待ち受ける・・・いつまでも私に未練がましい想いを抱くのは理事長いや紗理奈さんらししくないと・・・妙義山にはまだまだ経験が足りない部分は多々あります。そこは百合の花から色々学ぶことでしょうし百合の花もけして長くはできないことを自ずと理解してるはずです。私なりには彼女達に教えるべきことは教えたつもりです。
これから女子大相撲を目指して来る者も今以上に増えるでしょう、理事長や私が現役時代とは女子大相撲が色物だと揶揄されてた時が嘘のように・・・稲倉映見や石川さくらを筆頭に」
葉月にとって、もし心残りがあるとしたら・・・・。
「おまえはそれでいいのか」と紗理奈はふと・・・。
「えっ」
「おまえはそれでいいのかと聞いているんだよ!」
「なにがですか?」
東の空が僅かに白みはじめ木々のなかから鳥たちが飛びたっていく。
「稲倉映見が着ていた浴衣の柄はおまえと同じ柄だったな」
「ハッとしましたが」
「稲倉は本気で女子大相撲を目指しているのかい?」
「本人は医師の国家資格を取ることが一番であって女子大相撲入門は私は難しいと想っています。二十三歳以上二十五歳未満の入門特例条件は直近の日本選手権優勝または世界大会無差別クラスでの三位以内、私は相当厳しいと思います」葉月はあくまでも冷静に・・・。
「おまえはまるで稲倉が入門することを望んでないみたいな云い方だな」
「本音で云えば稲倉に入門条件を取ることさえ至難の業でしょましてや石川さくらが間違えなく立ちはだかる。そして稽古は否応なく少なくなるそんな現状を考えれば」
「ずいぶん他人事なんだなあれだけ稲倉の代表入りに拘ったくせに」
「あの勝負に必要だったから稲倉を代表にし結果を出したそこまでがわたしの仕事です」
「同じようなことは稲倉にも云いましたどの道条件をクリア-出来なければ入門の門は閉ざされる」
「おまえだったら入門させるためにどう条件をクリアーさせるかを考えると想ったがな・・・」
「稲倉が卒業する歳の四月に行われる世界大会もしくは秋の日本選手権ですが年齢制限を考えれば春の世界大会しかないそれも医師国家試験の合格者発表の直後、それよりなにより代表になれていなければ話にならない、だから無理なんです、代表になるには前年の日本選手権が選考基準になる、二兎追うものは一兎も得ず、そう云うことです」と葉月は少し語気を強め
「ふぅ・・」紗理奈はおもわず
「なんですか!」
「調べてるんだな関心がないようなこと云いながら」
「私は!」
葉月は紗理奈に痛いところ突かれたのだ。誰よりも倉橋と同じくらいに映見が女子大相撲力士になることに・・・。
「国家資格を取得すること考えれば学生時代に条件をクリアーするには無理がある。ただ少し考えを広げて見ればないことはないし最良の選択がある」
「最良の選択?」
空には日が昇り朝とは云え日差しは肌を刺すように・・・。
「それは」と紗理奈が云おうとした時、部屋の大型のサッシ窓が「ガラガラガラ」と音たてて開いたのだ。
「ちっ・・・」とおもわず舌打ちをする紗理奈
部屋から浴衣タイプの寝巻で真奈美がテラスに上がってきたのだ。
「なんですかこんなに朝早くから二人で仲良く」と真奈美は少しニヤニヤしながら椅子に座ると紗理奈が一言。
「おまえの悪口で盛り上がってねぇ」
「あぁぁそうですか、葉月さんも?」
「えっ?」
「葉月が一番盛り上がってたよ、饒舌に実に滑らかに裏の本性見たりって、感じだったよ」
「ちょっとふざけないでください!真奈美さん理事長ふざけてますから」
「意外とありかも・・・」
「はぁぁ・・・そんなことあるわけないじゃないですか!理事長!」
「おまえの必死さがすべてを物語っているよな」
「理事長!度が過ぎると許しませんよ!」と葉月は妙義山の鬼の形相に負けないほどに・・・。
「吊り出される前に撤退するは」とそそくさと部屋に戻る紗理奈
「理事長!・・・まったくもう・・・真奈美さんまったくのでたらめですからねまったく!」
「わかったは、そう云うことにしといてあげるわ」
「はぁぁ・・・ってそうじゃなくて!」
三人がはじめて揃ったプチ宿泊は三人それぞれ楽しかったと同時にそれぞれの思い違いも少しは解けたのかも・・・・。それよりなにより中年のおばさん連中が揃えば気分は学生と変わらないのだ。




