花の命は短くも ⑥
葉月は慌てて玄関に向かいドアを開ける。
「桃の山どうしたのよ?来るんだったら事前に連絡してくれないと」と葉月。
「すいません、急に思いついたものですから」と頭を下げる妙義山。
「どこからの帰り?そんな大きなキャリーバック引いて」
「タイで相撲の試合があって・・・」
「そう、とにかく上がってよ桃の山」
「あのー・・・」
「なに?遠慮するあれでもないでしょ?」
「桃の山じゃなくて一応・・・妙義山なんで」と照れ笑いをする妙義山
「あぁぁゴメン、そうよねえゴメン妙義山よね・・・さぁー早く上がってよ桃の山」
「妙義山です」
「あっ・・・・」
-------------------ダイニングキッチン----------------
「妙義山、食事は?」
「飛行機の中で機内食を」
「そんなんじゃ足りないでしょ?私もまだ食事してないからなんか作るわよ、と云いたいところだけどレトルトでいい?」
「えぇ、全然」
「二代目妙義山には大変失礼ですが・・・」
「・・・その云い方ってなんか・・・」
葉月はアイルランドキッチンに入り食事の支度を始める。妙義山はカウンタートップの前ある椅子に腰かけ葉月の様子を見る。土鍋で米を炊きながら食事の支度をしていく。そんな葉月の姿を見るのは初めてなうえに大会の時の頃よりあきらかにスタイルが変わっていたのだ。
「相当痩せましたよね?」と妙義山
「病気でね・・・」
「病気???病気って!」
「冗談よ、妙義山声がでかいわよまったく」と笑いながら
「冗談って!私は本気で!」
「ごめんごめんそんな本気で心配すると想わなかったから、全く妙義山は真面目と云うかなんと云うか・・・ゴールデンウィークにね地元に帰ったのよ、その時にね草競馬でジョッキーとして乗ることを約束していたんでね体重55kgぐらいまで落とすつもりでいたんだけどさすがに無理でね、なんとか75までは落とせたのよ、でもさすがに重すぎて馬には申し訳なかったけどなんとか優勝してね、まぁー自分でも驚くくらいの騎乗テクニックでそれでね」
「葉月さんがそんな饒舌に喋るの初めて見ました」
「あぁーそうね・・・地元の帰りにね高校時代の女子相撲部の部員達が函館の母校で同窓会みたいなものを開いてくれてね、私今までそういうの一回も出たことなくてと云うより避けていたのよ、女子相撲部のみんなは大学に進学してね、その中には大学行っても相撲を続けていた先輩や後輩もいてなんかそのことが疎ましくてね、私は女子大相撲に行くことを自分で決断したのに、なんか悔しくて悲しくて・・・」
「母がスカウトしたんですよね?」
「あなたのお母さんに、色々痛いところを突かれてね、「お前には女子大相撲に入門するしか選択の道はない」見たいなことを云われてね、反論できなかった。当時の妙義山に私のすべてを見透かされていた。悔しくて悲しくて・・・」
「葉月さん・・・」
「でもね、今の私がこんな生活を送れているのはあなたのお母さんのおかげであることは事実だし、本当ならば、私は紗理奈さんに恩返しをしなきゃいけないのよ、代表監督の就任後は協会の中枢で女子大相撲のために・・・紗理奈さんからすれば裏切られた気分でしょうね」と云いながらもテキパキと食事の支度の手は止めない。
「女子大相撲は苦痛でしたか?絶対横綱だった葉月さんに聞くことではないですが?」
「そうね、苦痛と云うより女子大相撲しか生きていくしかなかった悔しさかなー大学で相撲をしたかったことが女子大相撲に変わっただけって想えばそれは自分にとってある意味理想的な生き方であったのに、わけのわからないブライトがそれを拒んでいた、でも現実は女子大相撲力士としてもう歩いているのに・・・でもそれも月日が流れて、女子大相撲が日本でも盛り上がると現金なものであれだけ悔しかったことはどこへやらよ、でも北海道時代の友人や知人たちに会うのはそれでも何か躊躇していたんだけどそれもなんかね・・・」
葉月は米の入った土鍋の火を止めると、もう一つの鍋に函館 五島軒のレトルトカレーを入れる。
「母は、現実主義者になり損ねた理想主義者なんです。多分母の理想は男の大相撲なんです。でも世界の相撲はスポーツとしての相撲・・・葉月さんが入門された頃はそれでよかったんです。でも、女子大相撲が見世物的な物から男子の相撲並みとは云わないまでも認知されそこから母の理想は大相撲に近づけるって、でも世界の潮流はスポーツとしてビジネスとしての相撲であることに対応できなくなっていた。
その意味では現実的な考えの遠藤美香さんの存在は大きかったのですが協会をお出になられてしまった。それでも陰でアドバイスをしてくれていたことは大きかった。でもさすがに最近は以前ほどの気概も気力もどこかなくなって・・・その意味では葉月さんに期待していたことは大きかった。力士からの信頼が厚いそれは海外力士の間でも、そして女子相撲への提言もそして・・・」
「それは幻想よ、私をみんな過大評価しているのよ。現実に私は紗理奈さんの恩を仇で返してしまって、もう相撲界から去っているのだからね。紗理奈さんはある意味独裁だっただからこそここまで女子大相撲を大きくできた。偉大過ぎたのよあなたのお母さんは、でも遠藤さんをはじめ紗理奈さんには意見を云ってくれる人達がいるわ、あの大会は紗理奈さんのスタンドプレーだったのかもしれないけどあそこで逃げていたらロシアに覇権を握られてしまっていた。
そこを見抜いたうえで勝負を受けたなよ。そこの勝負勘は紗理奈さんじゃなきゃできなかった。もう私は相撲界の人間じゃないから云いたいことを云わせてもらったけど、あなたが山下紗理奈の娘であり二代目妙義山を継いだなら後の世代のトップに立つのはあなたであるはずそれは世襲だとかそんなくだらない話でなく、反対を押し切ってまで入門して横綱までに上り詰めたあなたが・・・て云うか今日はそんな話をしにわざわざ来たわけじゃないでしょ?とりあえず食事しましょう」
------------リビング------------------
食事を終え二人は対面にリビングのソファーに座りテーブルには白ワイン用のブドウ・シャルドネを使ったジュースがワイングラスに注がれている。爽やかな酸味に蜂蜜のような甘さ、そして黄金色の透明なジュースは神秘的な雰囲気さえも醸し出している。二人はそのワインのようなジュースを飲みながら・・・。
「今日、伺ったのは映見さんのことで」
「稲倉・・・・」
「今回のアジアへの遠征に稲倉に同行してもらったんです。最近の映見の試合はご覧になっていますか?」
「見てないわ、私はもう相撲とは関係ないから・・・」
「そうなんですね、あの大会以降調子を落としていてここのところ負けることが多くて」
「それで?」
「映見本人は女子大相撲を目指すようですし、私も女子大相撲に来るように云いました。今回、同行してもらったのは百合の花関から映見を同行させて気分転換をさせてくれないかと云うことで一緒に・・・葉月さんは映見の女子相撲入門に否定的なことを云ったようですね?」
「彼女は医師を目指しているのよ。別に全否定したようなことを云ったつもりはないけどなってみたいだけではならないほうが良い、今の彼女がピークだとしたらもう落ちるだけよ」
「ずいぶん厳しい云い方するんですね」
「厳しい?あたりまえのことだと思うけどね」
葉月はグラスを持ちソファーから立ち上がると庭を望む大きなサッシのガラスに身を預ける。
「女力士の命は短いものよ、高校・大学であれだけ活躍している映見がこのまま維持できるものかしら?彼女は25歳寸前で入門なのよ、医学部なら勉強も大変でしょう稽古の量も必然的に減る、そのなかでトップクラスの相撲を維持しなければ入門はできない。それは入門できる特例の絶対条件だからね、一応は頑張ってとは云ったけど・・・」
「百合の花関も云っていましたが女子大相撲入門に相当迷っています。それが相撲に出てしまっているんです。もう少し云い方があったんじゃないんですか!」
「云い方?」
「映見さんは才能のある選手です華を持った、少しでも女子大相撲に関心を持ってくれているのなら入門を即すような云い方ってものが!」
「ずいぶん偉くなったもんだねあなたも、妙義山の四股名に相応しいぐらいに」
「はぐらかさないでください!」
妙義山の睨んでいる顔がガラスに鏡のように映し出されている。葉月は浅いため息をつき手に持っているブドウジュースの入ったワイングラスから一口。そしてまたため息を・・・。
「もし、私が大学に行くことができて女子相撲選手として優秀な成績をできていたとして卒業後、女子大相撲に入門していたのか?ふと思ったことがあったのよ夢の中で、その時の結論は行くと云う結論になった。現実の自分を想えば、女子大相撲力士であった時は夢だったのよ、そのことは映見にも云ったわ、引退して夢から現実の世界に戻った時、何か無駄に遠回りしてしまった自分が・・・映見はそれでもいいと云ったけどね」
「無駄って・・・」
「でもね、あの無駄な時間は私を知らぬ間に癒してくれていたのよ、入門した時のあの刺刺しい自分を、自分の描いていた競走馬のビジネスをしたいと想っていたことに絶望してやむなく選んだ女子大相撲で生きていく悔しさに、あんなに好きだった相撲をしていることが悔しくて・・・でもねそんな感情を抱いていながらも心底本当好きだったからここまでやってこれたのよ、そこに嘘はないわ」
ガラスに映し出された葉月の横顔にはどことなく笑みが・・・。
「時間があれば久しぶりに稲倉の実戦でも見に行って頂けないかと・・・今週の日曜、岐阜の郡上八幡で全日本女子相撲郡上大会がありまして、稲倉も出ますし石川さくらも出ますし、結構注目されていると・・・女子大相撲に観戦に行きにくいのならせめてアマチュア相撲ぐらいは見に行っても、今回、ヨーロッパ・南米・アジアと回って相撲をしてきて改めて葉月山が世界の力士以上にアマチュアの選手からリスペクトさていることに、もう女子相撲界からは離れたとしても女子相撲ファンとして相撲を見るのはおかしなことでもなんでもないわけだし・・・葉月さんが中学・高校でやられた時のようにやっている選手を見ることさえも拒否する必要はないかと・・・」
「私も終わったな・・・」
「えっ?」
「あなたに説教される何って・・・」
「私はそんなつもりで」
「それと、四股名よね【妙義山】ってなんかねぇー軽々しく呼んでいるけどなんかあなたのお母さんにため口云っているみたいでちょっと気が引けてたのに、逆に説教されちゃうみたいな。あぁやだやだ」と云いながらグラスのジュースを一気に飲み干す。
「妙義山変わったわね。力士は厳しい相撲を乗り越えるたびに飛躍的に成長する、心技体すべてが・・・、あなたがあの一件で本当に欠場していたらあなたは人として終わってしまっていたわ間違いなく。たとえ出場しても負けていたら少なくとも相撲人生は終わっていた。でもあなたは勝った、それもあれだけの死闘を制して、初代妙義山の娘はやっぱり妙義山の娘ってことを見せつけた。その後の春場所も私からすれば後半は失速するのではと想っていたけどそこをうまく技術とセンスでカバーする当あたり格段に上手くなっているわ。
ヨーロッパの大会は、正直疲れが抜けきらない状態での参戦で表彰台を外さなかったことは褒めるべきなのかもしれないけど私としては感心しない。本当なら調子が良い時ほど積極的に体を休めないと、調子が悪くなってからでは遅いのよ持続的に好調をキープするには調子が良くても積極的に休みを入れることが大事なのよそれと・・・」
「見ていてくれてるんですね、女子相撲の事?」
「別に私は・・・・」
「郡上八幡行ってみてください、葉月さんが一番純粋に相撲をとっていた頃に戻るように」
「わかったわ。ちょっと郡上八幡は遠いけど、妙義山さんに命令されてわ」
「命令って」
「妙義山の背中に妙義山さんが乗っているみたいでとても逆らえないわ」
「母を背後霊みたいに云わないでください」
「妙義山!初代の四股名はとても重いわよ!それを肝に銘じて口に出す必要はないけど内に秘めなさい。百合の花も復帰したとしてもそうは長くはできない、その時は絶対横綱として日本を引っ張るのよ!」
「葉月さん・・・」
妙義山はソファーから立ち上がりおもわず葉月を抱きしみてしまった。ほんの数か月前は砂を口に嚙まされるほどに痛めつけられたのに・・・抱きしめた体はもう力士ではなかった。それは、相撲人・椎名葉月が終わったかのように・・・。




