花の命は短くも ③
真奈美と映見は松丸デパートの十階にあるイタリアンレストラン・アロマフレスカでランチをとっていた。
西経女子相撲部は夏の郡上八幡に照準を当て個人戦・団体戦の優勝を目指している。ただやはり気がかりなのは稲倉映見の状態なのだが・・・。
「どう勉強の方は?」
「三年になって、臨床医学の方の勉強になってなんかやっと医学部らしい授業かなって・・・基礎医学よりはいいかなって」
「そうか、とりあえず勉強のほうはなんとかやっていると?」と真奈美は笑みを浮かべながら
「多少、息は入れられるかなってさぼれるとかではないですが・・・本当はその分相撲がやれるんですけどなんか不甲斐無い相撲しかできなくて、今度の郡上八幡も私が足を引っ張るようなら」
「今日はその話で映見を食事に誘ったわけじゃないのよ。まぁ相撲部としてはあなたの不調の事をどうするのか大会の起用がどうだとかあなたと話すべきことなんだろうけど、それは今は置いといて、全く別の事なの」
「別の事?」
二人は、トルタ・アル・チョコラートにエスプレッソを飲みながら。
「妙義山が春場所以降海外遠征に行ってるじゃない」と真奈美
「あの大会から春場所と休む暇もなくヨーロッパ・南米って凄いですよね。ヨーロッパの大会で優勝できなかったのは悔しかったでしょうけど」と映見
「8月に入ってすぐタイに遠征して東南アジアの大会に出場予定なんだけど、映見、もし都合がつくのなら行ってみる気ある?」
「妙義山さんの遠征にですか?」
「実は、理事長からあなたを指名されてね、現地での妙義山関の稽古相手の意味合いもあるしさすがに一人で遠征するのは色々精神的にきついものがあるのと、今度の大会は東南アジアのタイで行われるのだけど東南アジア女子相撲協会は日本の支援と指導でできた経緯があってそれにアマチュア力士達もめきめき力をつけている。そのことは映見が実感していると想うけど」
「稽古相手?とんでもないですよ横綱相手に、普通だったら大関とかそうですよ伊吹桜関だったらもう昇進は確定的だし!」
「これは協会と云うより妙義山の希望なのよそうは云わないけど多分、あなたのことが気になるのよ妙義山関しかり百合の花関も、あなたにあんな厳しい相撲をさせてしまったってそれでもってここのとこ調子悪いと云うか、何か気持ちが揺れていると云うか…両横綱にしてみれば不甲斐無い思いもあるのかと、そんなこと誰も思っていないし横綱がすべき相撲はやり切っているのに・・・」
「私のここのところの相撲の事で・・・監督」
「うん」
「あの大会の後、葉月さんに云われたんです病室で」
「・・・・」
「二十五歳で入門して何年相撲ができる?って、その時は一年で廃業しても何って云ってしまって、最後は葉月さんに「やった後悔よりもやらなかった後悔のほうが多分一生尾を引く」って云われたけどそれは本心ではないと、「私が少女の時求めていたのはあなたみたいな生き方だったのよ。自分のしたい勉学に励み相撲に熱中して・・・でも厳しい現実には逆らえなかった」とも云われてしまって、「二兎を追う者は一兎をも得ず」私は国家資格を取ったうえで女子大相撲入門と云うのは虫のいい話なんじゃないかと」
「映見・・・」
「アンナさんにぶちかまされて土俵下まで叩き落された恐怖心がないと云えば噓になります。プロの洗礼をもろに受けたアマチュアの比ではないことは直に体験したわけですから、そのことがここ最近の自分の相撲に迷いと云うのか先の相撲どころか今の相撲にも何か集中できなくて、あの大会の自分は今までで会心の相撲だと想っています。心技体すべてが揃った・・・でも・・・・」
「映見、自分のしたい勉学に励み相撲に熱中して、今はそれでいいじゃない先の事を考えるのは大事だけど今を生きられなかったら先もないわ!前も云ったけど先の目標は国家資格を取るそれが第一!違う?」
「そうですね、監督のおっしゃる通りです」と映見はそう一言と云うとエスプレッソを飲み干す。
真奈美が個別に選手と食事することなどほとんどない。監督でありながらもあまり深い関係になることは個人的にはよくないと。ただ映見だけはほっとけないのだ。椎名葉月に云われたという「私が少女の時求めていたのはあなたみたいな生き方だったのよ」と云う言葉は自分も同じ。学生時代のことを思い浮かべば勉強も相撲もやれることはやったと想っている。ただそこに目指すものがあったのか?
「監督、妙義山さんの遠征に同行したいと思います。大会以降なかなか話すチャンスもなかったし、春場所のことも聞いてみたいし、一番聞きたいのはモチベーションの持っていきかたを、大会前の出来事から崩れかけていた気持ちをあそこまで持っていったこと、モチベーションの置きどころを迷っている私に何かヒントを頂ければ・・・」
「わかったわ。費用その他は協会のほうで出してくれるそうだから、あとはご両親の許可をいただいて詳細はあとで連絡するわ」
「わかりました。なんかさくらに色々云われちゃいそうだけど桃の山じゃなくて妙義山関の大ファンだから・・・そう云えばさくら、西経に来るんですか?」
「本人も高校の方もその方向で動いているし大学も推薦基準には達しているから秋ぐらいには決まると想うわ」
「最後は監督のさじ加減ですけど」と映見
「別に私が合否決めているわけじゃないからね一応云っとくけど、私が見るのはうちの相撲部でやっていけるかどうかだからねぇ。私は相撲の成績だけで入学してうちの相撲部でって云うのは嫌なのよ、やっぱれそれなりに勉学もしてもらわなきゃ、だからこの子はと想ったら大学には一言ぐらいは云うわよ。それで落とした子もいるけど・・・」
「やっぱり・・・・」
「うちの相撲部はある程度勉強の方もできる人物じゃないと私は認めないのわかってるでしょう?そんな事云わせないでよまったく」
「てことは、さくらは意外とできると?」
「相当頑張っているみたいだし、そこは認めてあげないとね。帰りの新幹線でも話したんだけど、さくらは女子大相撲志望ってきっぱり云ったからもし入学したら私もその線で色々指導はするつもりでいるわ」
「さくらは女子大相撲志望なんですね、さくらはそこまで決めているんですね」
「でもその前に映見を撃破して女子学生横綱の称号を頂くって云ってたわよ」
「はぁ~何舐めた事云ってるんだが、そんなと云ってるんなら郡上八幡は負けられない。さくらごときに負けるのはあんにゃろう調子に乗りやがって」
「さくらも郡上八幡での対戦は楽しみにしているでしょうけどそれはあなたの調子を見てね。さくらだって本調子でない対戦は望んでいないでしょうし出稽古の時のような相撲ならさくらもあなたも失望してしまうから」
「あの時は・・・」
「妙義山との遠征か・・・なんか女子大相撲の力士も敵に回しそうね、同行したい力士はいっぱいいるでしょうに、でもそこはさすが横綱の権威と云うか理事長の威厳と云うか、ちょっと映見に嫉妬するわ。今度の大会で、さくらもあなたも日本はおろか世界から注目されている。それだけあの大会のインパクトは大きかったのとロシアが女子相撲では圧倒的だと想っていたのに、アンナさんが崩された。それも力勝負の相撲で、ましてやウクライナとロシアの情勢がキナ臭くなっていることが裏では影を落としている」
「そう云えばアンナさんは?引退するって云ってその後は?」
「ロシアの相撲協会の要職からは外れたみたい。本来ならナショナルチームのコーチなどはしてもいいんでしょうけど・・・」
「そうなんですか・・・葉月さんはアンナさんを一番尊敬されていたようですし」
「彼女は大学の博士号も持っていて化学製品の会社も経営していながらそれでいながらプロ力士として活躍されていたんだからそれは、葉月さんにとっては尊敬する人物よね、でもあの相撲一つでガラッと人生が変わってしまう・・・そう云う国なのよ会社からも追放みたいな形になってしまったようだし時が流れようと国の体制としては変わらない。アンナさんなら他国へ行ってもいくらでもやれるのに。まぁその話をしだすと長くなるし、私この後15時から講義なのよ全く何でこんなことになってしまったのか、今日はあなたも講義だっけ?」
「18時からなんで稽古のほうはすいませんが」
「謝るのもおかしいんじゃない?大学生なんだからあたりまえのことでしょ?」
「そうなんですけど、なんか部のみんなが私に気を使っているようでどうも・・・」
「なんかずいぶんしおらしいこと云うじゃない」と真奈美はからかい半分
「本当にそう思ってるし、部としては連勝していても私が・・・」
「部のみんながあなたのことを気遣っているのなら少し甘えてもいいんじゃないのもちろんあなたの姿勢もあるけど誰かが調子が悪いときはそれをみんなで補う。あの混合団体戦と同じよ、エースは常にエースでなければならない!そんなのは無理だから、調子が悪いときはそれを素直に認め焦らないで調子を整えていくそれが大学の相撲である団体戦の真骨頂でありそれこそが西経女子相撲部の強さなんだから」
「監督・・・」
「妙義山も長年積もっていたものをあの大会ですべてふるい落として二代目妙義山として生まれ変わった。ましてや今回の遠征は本当に横綱一人で回っているんだからそこは何か秘める想いもあるのでしょうから、色々と学ばせてもらうところはたくさんあるはず相撲だけでなく生きていくことを」
「そうですね。こんなお誘い望んでもできるもんではないですから」
真奈美はテーブルに置いてある明細の入っている二つ折りのバインダーを手に持ち席を立つ。映見も席を立とうとしたが
「あなたにはもう一品頼んであるから」
「えっ、でも・・・・」
「もう少し時間をゆったり使いなさい。焦っても何も云いことはないわよ。今あなたにとって急ぐ時じゃない、あなたにはまだ三年も学生である時間があるのだから、偶にはゆっくり深呼吸でもして無にすることも大事よ。それじゃ」そう云うと席を立ちフロアーから消えていった。
(焦ってもいいことはないか・・・)
「失礼します」とホールスタッフがノンアル・スパークリングのボッリチーネ・ドライ(辛口)・アルテルナティヴァ・アルコール0.0とイタリアの焼き菓子アマレッティをメレンゲをベースとした生地にアーモンドプードルを小麦粉の代わりに使いバター類は一切使わずサクホロ触感なのだ。
映見はボッリチーネ・ドライの泡立ちと柑橘系の香りを感じながらアマレッティを一口。口の中でサクッと崩れたとこへボッリチーネを流し込むと一瞬で泡と消えてなくなるように・・・。
ガラス越しに見えるMIRAI TOWER。眼下には緑のエディオン 久屋広場が南北に伸びている。
(力士として挑戦してみたいのと力士としての私を監督に見て頂きたいから・・・そんなこと想ったことなんかなかったのに、言葉にはできないけどOGの人達がなぜ監督を今でも慕うのか?わかったような気がします。私は偉大な監督に相撲だけではなく生きていくと云うことの意味を)
ワイングラスに小さな泡が僅かに付着している。若干のアルコールを感じるもそれは程よく心を落ち着かせてくれるように。グラスの向こうに見えるMIRAI TOWERと真っ青な空は初夏を想わせるように・・・。




