薄玻璃の向こうへ ②
「桃の山・・・」
「遠藤さん・・・」
葉月が自宅を出た後も遠藤美香は桃の山と直に話をするために居るのだ。
「なんで遠藤さんが?」
「お前の母親から桃の山に渡してほしいって云われて・・・だからわざわざ葉月の自宅まで来たんだよお前がここに泊まっているって聞いたから」
「渡してほしい物?」
「そこに置いてある」美香はソファーの脇に置いてある荷物を指さした。
「明け荷?・・・・えっ・・・」桃の山はおもわず口を手で覆ってしまった。
それは締め込みなど力士が必要とする道具を入れる葛籠。そして箱には『妙義山』と朱書きされている。
「開けてみろよ」と美香。
桃の山は一瞬躊躇したがゆっくりと漆塗りの蓋を開ける。
「・・・・締め込み」
「妙義山が関取になってから引退するまで締め込みの色を変えなかった。深緋 色の締め込みは後にも先にも妙義山以外しないだろう。情熱的で攻撃的で熱い興奮は見ている者の神経を興奮させるもちろん本人も・・・。ただの明るい赤ではない黄色が入った赤に黒を入れて意図的に暗くする妙義山に相応しい色だよ。見た感じ新調したみたいけどお前のために用意していたんだろうよ」
「母が・・・」
「お前が横綱になった時のために用意していたんだろう二代目妙義山は血の繋がった娘が継いでくれると信じて・・・」
「・・・・」
「別にお前が妙義山を継ぐ必要はないとは思うが止め名にしなかったのはお前が女子大相撲に入門することを本当は望んでいた。本当に反対していたのなら引退した時に止め名にしていたはずそれをいまだにしていないのはそう云うことだよ。おまえは反対していた母親の意に反し勝手に入門して力士になった。だけどそれは妙義山の夢、親子二代の」
「遠藤さん」
「十和桜が入門した時から遅かれ早かれ何かあるとは想っていた。何かあると云う意味は相撲としてののライバルになるのだろうと世間一般には親同士の幕下時代のことは興味がないだろうが関係者の間からしたらその子供もライバル同士になるのかって・・・。現状ではお前が横綱で十和桜が小結入門した年が一年違うとは云え差が開いた。それは忖度の差でもなんでもなく相撲に対する姿勢の差だ。身体能力や技術の差があるわけじゃないと想っている。『心技体』とは言葉通りなんだよ」
その時、テーブルに置いてある美香のスマホが鳴る。美香はおもむろにスマホを取る。見慣れない番号が表示されている。ちょっと迷ったが
「遠藤美香さんの携帯で宜しいでしょうか?」
「どなた」
「…十和桜です」
「・・・・」
(なんで私のスマホに・・・葉月か?)
「桃の山関といっしょにいらっしゃると椎名さんにお聞きしまして・・・桃の山に会って謝罪なりする気があるのなら遠藤さんに電話しろとメールで・・・」
(あの野郎こんな朝早く出かけるのも変だとは思ったが・・・まったく)
美香はおもわず一人笑みを浮かべてしまった。
「どこにいる?」
「下総中山駅にいます」
「こっちの住所知ってるか?」
「椎名さんから聞いています」
「だったらタクシー乗って早く来い!」と云うと美香は電話を切った。
美香は深くため息をつくと
「十和桜がこっちに向かっている」
「えっ・・・」
「ここは大事な局面たぞあえて云うけど桃の山。十和桜を許してやれお前をここまで追い込んで下手すりゃ人生そのものを破壊しようとした女だけど・・・十和桜を相撲界から抹殺することは簡単だそれだけのことをしたんだからお前が許したとしても協会は許さないだろう。
でもな桃の山、彼女が追放処分受けたとしてもそれはお前に絶対に経験しなきゃならない試練を与えてくれた人物だっと云う事忘れるな。お前はあまりにも順調に着過ぎたそれは『心技体』が高いレベルで維持できていたからでも元々のお前の弱点である心の部分が今崩れかけている。多分ここで十和桜と納得いく和解ができなかったらお前も終わる。間違いなく!」
「遠藤さん私・・・。十和桜関の処分がどうなろうとそのこと事より遠藤さん云う通り和解できるかどうかは別として話だけは聞きたいと思っています。十和田富士関と母である妙義山とのこともネットで調べて概要は理解しているつもりです。妙義山との一戦が十和田富士関にとってその後の相撲人生に致命的な怪我になったって・・・」
「桃の山お前まで・・・」
「紗理奈は十和田富士が関脇で終わってしまったのは自分のせいだと本気で思ってるんだ。力士として勝負をしている以上怪我は付き物だそれを紗理奈はそんなわかりきったことを・・・鬼の妙義山とか云われていたしそれは今でも変わらない。でもその一方で意外と他の者に優しいと云うか相手のことを想いすぎるところもある。ただその表現がおかしなことになってしまうこともあるがな・・・」
部屋の時計は午前7時を過ぎていた。美香は敢えて出場を即すようなことは云わないでいたそんなことは自分が判断することましてや横綱。その時、玄関ののチャイムが鳴る。
インターホンのモニターには十和桜が・・・・。
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試合開始前の監督会議は大まかな流れと登録選手の再確認など最終チェックがおこなわれる。葉月も監督として出席し各国の監督ともに各事項をすり合わせる。
会議が終わり多少の雑談タイムの話題は十和桜と桃の山の一件に集中しそうだが他国の監督はそこのところは気を使っているわけではないのだろうがただ一か国を除けば・・・。
葉月もそれなりに英語と多少ロシア語も聞き取れるぐらいはできるのでその点は多少なりとも各国の関係者とは会話ぐらいはできる。
ロシアの監督の視線は痛いほど感じる。そのにやけた表情から送り出す視線に・・・。そして関係者と思しき何気ない会話が・・・・・。
「Это начало конца женской борьбы сумо(女子大相撲の終わりの始まりだ)」だと・・・・そしてにこやかに葉月を見ながら・・・・。その視線に葉月は逸らすことは一切なく逆に自身満ちた表情で相手を見返す。葉月の自信にあふれた表情に裏付けなんかない。桃の山は来ないかもしれないだとしたら百合の花は最後まで戦い抜けるのか石川さくらは稲倉映見は・・・。今の日本チームに最後まで戦い優勝できる可能性は皆無と云ってもいいかもしれない。たとえ桃の山が来たとしても・・・。
最初から負けるつもりはない。ただ心技体の心の部分がチームとして一番病んでしまっているどんなに実力があっても心が病んでしまっては力など発揮できない。
「Hazuki・・・」と後ろから
「スヴィタラナ・トロシウクさん」
相手は一回戦の対戦国ウクライナの監督だった。
「ウクライナへ親善相撲大会に来ていただいて以来ですね」
「そうですね。五年ぶりぐらいですかね」
そんな雑談も国際大会ならではの光景。
「一回戦で当たってしまうのはちょっと」
「いきなり強豪ウクライナと云うのは日本にとっては厳しいですかね」
「Hazukiさん・・・」と心配そうな顔をしながら
「そんな顔しないでくださいよ」と笑みを浮かべる葉月
スヴィタラナ・トロシウクはアマチュア力士からプロになり活躍した元力士。その後怪我などで早期に引退はしてしまったがアマチュア・プロの経験を買われアマチュアのコーチから監督へ・・・。元葉月山は彼女にとって尊敬する一人の力士であり女性なのだ。
葉月は英語で彼女と会話しながら・・・・
「ウクライナとの試合は日本にとっては厳しい戦いになるけど負けるつもりはないのでそれはあなたとも同じでしょうけど・・・」
「今の日本の状態は精神的に最悪でしょうけどだからと云って手心を加えるつもりはないのでそれは失礼にあたるので」
「もちろん。ただ今の日本チームにはその逆境を跳ね返す力は・・・」
「でも今回の事はロシアが・・・」
「スヴィタラナ・トロシウク。それ以上は・・・」
「Hazukiさん・・・」
「давайте битися всіма силами(全力で戦いましょう)」と葉月は片言のウクライナ語で云うと彼女の両手を持ちかたい握手を・・・。
「Hazukiさん・・・」と云うと彼女はおもいっきり抱きしめてきた。
葉月より一回り大きな体で彼女は包み込んでしまうように・・・・。そこには対戦相手であると云う感情は何処かに行ってしまったような・・・。
遠くでロシアの関係者が見ていることも二人は気づいていない。
今回の事はロシアが関係しているとしてもそれをどうこう云ったところで始まらない。十和桜の軽率な行動が招いた結果なのだがそれとて相手に嵌められたと云う事だろうと葉月は想っていた。だからこそ葉月は桃の山と秘密裏に接触させようと十和桜にメールを送ったのだ。幸い美香さんが自宅に来たことは好都合だったのだ。美香さんなら力士達からも信頼されているから・・・。あとは十和桜が覚悟を決めて桃の山に会ってくれるか????。確信はないけど・・・・。
その時、スマホのバイブレーション機能が・・・。葉月はスマホをブリーフケースから取りだし確認する。
(十和桜が来たよ。私はテレビの解説があるから家を出るよ。桃の山と十和桜はお互いが納得するまでは会場には来ないと思う。アマチュア二人がカギだ倉橋さんとよく相談しろ。それと長谷川に百合の花の事はすべて任せろ。お前は堂々としているだけでいいお前が慌てているような表情したら負ける。桃の山は必ず会場に来るから)
葉月はホッと胸をなでおろした。
「なにか良いことありました?」とスヴィタラナ・トロシウク
「えぇ・・・僅かだけど一筋の糸のような光が・・・」
「光?」
「えぇ光です」日本チームの【光明】かもしれないそう思わせてくれる。それだけでも今は十分なのだ




