薄玻璃の向こうへ ①
「来ないかもしれない?どう云う事ですか!」と女子大相撲側の統括者である長谷川璃子は声を荒げた
「出場するかしないかは桃の山の判断です。監督とは云え横綱相手に強制するつもりはないので」と至って冷静な葉月。
「監督自身で昨日自宅に泊めて話をしたいからと云ってその結果が来るか来ないかわからないってなんですかそれは・・・御自分で何を云っているかわかっているんですか!」
時刻は午前八時、日本チームの控室。試合開始まですでに二時間を切っている。石川さくら・稲倉映見・百合の花はすでに控室に入り体を動かし始めている。
「桃の山は当てにしないでください。アマチュア二人と百合の花で勝負します」
「全く話にならないと云うか・・・どの道この大会が終われば相撲界から去るわけだから・・・何が女子大相撲史に残る名力士であり絶対横綱だ。ふざけんな!」と璃子
「やる気のない者を無理やり土俵に立たせても結果は負けるだけです。そんなのを他の選手に見せるぐらいだったら見せないほうがいい。この土俵に立つための最低条件もクリアできない力士などいりませんし・・・少なくとももしここの土俵に立つのならその時は相撲人生を掛けて立つものだと・・・そして結果を出す。出せなければ自ずと答えは決まっていると想いますそれだけです」
「おまえ・・・」
「監督」と真奈美が声をかける
「・・・・」
「勝負は捨ててませんよね?当たり前でしょうが・・・」
「勝負は捨ててません。そんなことを云うのならここには来ません。それはさくら・映見のアマチュア選手と横綱百合の花に泥を投げつけるようなものですから・・・今やれることそれを全力でやってもらう環境を作ってあげるそれが監督の仕事だと・・・」
「辞めていく人に何が!負けた時の責任が負えるんかい!」と声を荒げる璃子
「女子大相撲の歴史から私を抹消してもらって構いません。来年は女子大相撲のための施設が完成する。そこには女子大相撲メモリアル施設もあるそうですしそこに葉月山と云う名の力士はいなかった。そんな絶対横綱は存在しなかった。それでいいですか?戦ってくれる選手・力士を無駄死にさせるようなことはしたくないんで・・・責任?始まってもないのに負けた時の事?戦う前からそんな事云うなんってあんたは百合の花やさくらや映見に無礼だと思わないのか・・・えっ!」葉月がこんな云い回しをするなんって誰も想っていなかったろう。
そう云うと葉月は選手達の元へ
「こんな事になって申し訳ない。特にさくらと映見には多大なプレッシャーをかけることになって・・・ただ桃の山もこのまま来ないで終わると云う選択はしないと思う。そんな選択をしたら相撲はおろかこれからの人生に今日の事を死ぬまで背負うわけだから・・・百合の花。女子大相撲の横綱として相撲生命を賭けるつもりでやってくれる。あなたが潰れても良いような云い方で申し訳ないけど」
「今日はその覚悟で来てますから・・・ただ私は桃の山を信じてますし彼女がこのぐらいの事で折れてしまう様な力士ではない!そうですよね葉月さん!」
「えぇ、だからこそ中途半端な気持ちで土俵に立ってほしくない。さくらや映見も桃の山がこの会場に来るまで暫く厳しい相撲を強いることなってしまうけど・・・お願いします」と葉月は三人に深々と頭を下げた。
三人は一瞬言葉を失ったが・・・。
「葉月さん頭を上げてください。私もさくらも映見も想いは一緒です。この大会で四人が揃って臨んで優勝するそれは私達の想いです。桃の山が来るまで勝ち続ける・・・・」
「百合の花・・・」
「監督!私も同じ想いですから」とさくらは気持ちが高ぶった表情を見せながら
「・・・・」映見は声に出さず真っすぐ葉月を見ている。三人の中で一番気持ちが高ぶり心が乱れているのは映見かも知れない。トーナメントの一件そして合同稽古で十和桜を完膚なまでに稽古とは云え叩きのめしたことそのことが今度の一件の引き金だと思っている。だからと云って十和桜を許す気はさらさらないし本当は声に出して云いたいぐらいだがそのことについては冷静に自分を抑えている事に本人も驚いているのだ。
葉月は、映見の心の奥に封印している感情を痛いほど察していた。だからこそ映見にはただ頷いて・・・それだけ十分映見には伝わっているはずだと・・・。映見も小さく頷いた。
葉月は体も反転させて
「長谷川さん・倉橋さん。監督として不満はあると思いますがここは私がすべての責任を負いますので助言なり異を唱えて頂いて結構ですが最後の判断は私に一任してください。お願いします」とさっきと同じく深々と頭を下げる。
「監督・・・頭を上げてください」と真奈美。
たいして璃子はその姿に奇異なものを見るような表情をしていた。それは何か予防線を張っているようなと云うかさっきの自分に対する態度からはあまりにもかけ離れているようにしか見えないと云うか・・・いや本当は素直に葉月の想いを認めたくない自分に腹が立っていた。
「倉橋さん。さくらさんと映見さんのサポートよろしくお願いします。今はアマチュア二人の頑張りに委ねなければなりません。女子大相撲側にいる立場からして恥ずかしく申し訳ないのですが」
「さくらさんも映見もそれなりに国際大会は踏んでいます。二人ともこの大会の意義は十分わかっています」
「そうですね・・・それと長谷川さん」
「・・・・」
「さっきはすいませんでした。ちょっと熱くなってしまって」
「いや、私も年甲斐もなくつい」
「百合の花は日本の最後の防波堤です。本気で勝つためには潰れていもいいと想っている力士です。でも彼女にはもう少し横綱として女子大相撲を支えてもらわなければなりません。その点を頭に入れてアドバイスしてやってください。多少寡黙な力士ですが突っ走るところがあるので」
「わかりました。百合の花は内に熱いものを秘める力士ですから」と璃子は少し笑みを浮かべ
「そうですね」と葉月も笑みを浮かべ・・・。
凛子が知っている葉月は常に冷静で感情は表に出さずと云う印象しかなかったのに・・・
「それじゃ監督会議に行ってきますので」と云うと控室を出て行った。
百合の花や映見は至って冷静なのだが高校生のさくらはどうしても落ち着かない。それでもさくらにとってはいきなりの強豪ウクライナとの対戦それもいくら稲倉映見と云う女子アマチュア横綱と云えどもプロと対戦しなくてはならないことが余計に先鋒としてましてやアマチュア同士負けられないと云うプレッシャーに潰されそうになっていた。
「映見さん・・・・」と落ち着きのない云いかたで
「なに、さくらド緊張状態・・・なんかうける」と映見
「うける?・・・何がうけるんですか!」
「さくらさぁ今更どうしたってしょうがないんだから・・・それにそんなに緊張してたらもとないよまったく」
「もしかしたら・・・」
「桃の山さんは来るから心配しなさんな。日本にとっては一回戦のウクライナ戦がある意味大きな山なんだから・・・さくらはとにかくいい相撲する。あとは私と百合の花さんで仕留めるから・・・」
「百合の花さんは別格としても映見さんは・・・」
「ちょっと待った!なんですかあれですかそれは私は負けると・・・ちょっとあーんた何様ですか私はさくらじゃ心持たないから云ってやってるのになんですかそのあのあれだその糞生意気な態度は」
「一応私は正選手として・・・映見さんはおまけですよね?」
「かぁーおまけ?さくらあんたこの私に向かっておまけってくぅぅぅ・・・聞きました百合の花さん全くもって失礼なちょっと云ってやってくださいこの女に」
「さくら少し云いかたを考えろよ。映見は付きものなんだよさくらにとってそんなことが云えるのも映見がいるからまぁわかって云ってるんだろうし映見だってわかって云い返してるんだろうしそう云う関係ってことだよ。なぁ映見そうだろう?」
「さくらは私がいるから力は発揮できるのよわかっている?いい私はあなたのストレスを如何に和らげてリラックスさせるかを常に考えさくらの無言の罵声にも耐え本当は陰で泣いているのよなんでなんで私がさくらより下の扱いなの・・・・ってそこんとこを汲んでほしいわねぇ」
(よく喋るな本当に)と苦笑いの百合の花
「そうだったんですかすいません全然気づかなくて・・・・って云う事は簡単に云うと付き人ってことでいいですか?」
「付き人????」
「私のために心身ともリラックスできる状態に常にしてくれるってことですよね?」とさくらはちょっと惚けた表情
「さくらぁー・・・・甘い!」
「えっ何が?」
「ウクライナ戦は私も出場するのよねぇ・・・ということは私は補欠なんで先鋒で出してもらって中堅のさくらにプレッシャーをかける・・・さくらは正選手だから・・・」
「プレッシャーって・・・」
「私、さくらの付き人の序の口なんで・・・さくら関、中堅での活躍期待してます」
「???????」さくらは困惑状態。でもなんか楽しそうな?
百合の花は二人の実にくだらない漫才にもならない話を聞きながら・・・・。
(私は桃の山ともっと話をするべきだったのか?)
女子大相撲はプロ同士の戦いでありアマチュアとは違う。百合の花はどちらかと云うと孤高の力士と云われているし自分でも意識的にそうしてきた。妙義山や葉月山のように圧倒的に強く力士達を引っ張っていく統率力もないと想っているしその気もなかった。ただ映見を見るにつけけして自分だけがよければという想いではないのだ。さくらを小馬鹿にしているような態度をしながらも実はさくらの気分を少しでもリラックスさせようと・・・・。
(桃の山のことをもっと考えてやるべきだったプロ同士はやるかやられるか・・・でもこの大会は団体戦なんだ相撲を愛する仲間として・・・桃の山!)




