砂を噛ますその想い ⑥
大会当日、時刻は午前三時。葉月は自宅リビング脇にある座敷上がりに横になっている。下のトレーニング場での桃の山との稽古としてのかわいがりいやリンチ。こんなこと自分が一番嫌っているはずなのに・・・。
桃の山は自分のベットに寝かしている。風呂と軽く食事をさせその間一言も交わすことはなかった。
(最後はこんな形になってしまうのね。桃の山が妙義山の娘だから?)
自分をこの世界へ引き入れられた妙義山。相撲は学生でお終いと考えていたのに私の生きていく道は女子大相撲しかなかった。それは単純に実入りがよかったから・・・。入門前、妙義山は私の実力を試すために北海道まで稽古をつけにきた。入門させるためにいいことばかり云う人とは全く違った。さっき私が桃の山にやったようなリンチまがいの稽古を立てなくなるまで永遠に・・・。
「女子大相撲はこんなところだよそれでも来るかい?もうお前の生きていく道は限られてるんだよ。頭のいいあなたならわかっているだろうけどね。女子大相撲は日本ではマイナーだけど世界ではすでにメジャーになっている。世界を視野に考えたら可能性は無限大だ男子の大相撲とは違う。お前がどう想っているか・・・女子相撲の可能性にかけて見たらどうだ・・・私はきれいごと云ってスカウトなんかしたくないんでねぇ・・・手荒な事をさせてもらった。どうする?もうお前は牧場の娘でなくなるんだよご両親から経緯は聞いた。迷う選択なんかないんだよ!」
別に自分だけの生活なら女子大相撲以外で構わなかった。ただ女子大相撲の可能性は高校生ながらも期待はあると想ってはいた。世界的視野に立てば・・・。
外では新聞配達のバイクの音、牛乳瓶か何かがぶつかりあうような音が聞こえてくる。
桃の山にリンチまがいの稽古。その後自分の部屋に桃の山を入室させた後葉月はここで横にはなってはいたが一睡もできなかった。大会当日という興奮ではなく桃の山をしごくだけしごいて罵倒して・・・。
(私は何をやっているのいったい!)
畳の上でスマホがメールの着信を知らせる。
(こんな時間に?)
葉月はスマホを取る。(遠藤さんから・・・)
「宅配ボックスに荷物を入れておいたから・・・」
(荷物?)
葉月はすぐ折り返しの電話を入れる。五回目の呼び出し音で美香が出た。
「こんばんわと云うかおはようございます。美香さんどうしたんですか?」
「どうしたんですかってそれはこっちのセリフだよ葉月、何やってるんだこんな時間?」
「あぁぁちょっと色々あってなんか寝付けなくて・・・」
「桃の山か?」
「まぁ・・・それより荷物って?」
「あぁ理事長に頼まれてねぇ桃の山に・・・」
「今うちの近くですか?」
「あぁ法華経寺にいる」
「近くじゃないですか家へ来ませんか?」
「来ませんかって・・・桃の山は?」
「私の部屋で寝てます」
「そう・・・」
「家の前で待ってますから」
「あぁわかった。じゃすぐ行くよ」
しばらくしてカスケードグリーン色のスバル フォレスター がやってきた。家の前に車を止めて降りてきた。
「どうも」とオレンジのタートルネックプルオーバーにパンツはチョコレート色のコーデュロイパンツで。遠藤は車から降りる。
「遠藤さんとはプライベートではほとんどお会いすることがないので」と葉月
「そうねぇ。あなたと対戦することもなかったし個人的にはホッとしたけどねぇ」と美香は笑いながら
「とにかく上がってください」
美香はキッチンから下の稽古場を見ている。
「ここで体を鍛えていたのねぇ」
「鍛えると云うか調整ですよ」
「横綱美瑛富士の自宅をあなたが買ったと云うのはなんか意味深だなぁ色々噂あったし本人の前で云うのはあれだけど」
「ちょっと危ない関係になり損ねましたけど」
「危ない関係か・・・横綱はあなたとの結婚を望んでいた亡くなられたから云うわけでもないけど夫には相談していたらしいははっきりは云わないけど・・・でもあなたが返事しなかったって」
「横綱とはご結婚される前から付きあってはいましたけど私は女横綱としていっぱいっぱいでそんな余裕はなかったし・・・同郷の方と結婚されると聞いて寂しさはあったけど私的にはホッとして・・・でも横綱は・・・」
「やめましょう・・・って私がいけないのねこんな話になったのは本当に御免」
「でもこの家を買うことになったのもある種の縁ではありますけど・・・この家での生活が私としての相撲人生にとっては最良の場所だったってことです。それより私にとっては美香さんが大相撲の元菊の山関と結婚されたことです。何でとは想いましたが?」
「入門まもないのあなたに失礼な事云った奴だもんねぇ。彼は元々学生相撲で終わりにするつもりだったのだけど欲かいてね・・・彼の想っていた相撲とは違っていたのよ実力はあったのに・・・小結ぐらいまであの人だったら普通にやっていたら行けたのになんか感性で相撲やっていたところがあってそこが大相撲とは合わなかったみたいでスポーツ新聞の記者を経てライターにでもその間にスポーツ全般の月刊誌なんか小さいながら立ち上げでうまくいってたのにあっさり他人に譲ってライター稼業、金儲けとか興味ないのよ」
「でも「sports talk」は私毎号読んでますし旦那さんのスポーツに関する短編小説好きですよ」
「女子相撲に連載されていたあなたをモチーフにした小説「綱を締める女」は旦那が書いたのよ」
「えっ」
「あなたに対しての彼なりの詫びってところだと想うけどね。あなたが幕内に上がってからの取り組みを全部見ていて寸評加えて全部記録していたわ。多少私の葉月山論も入っているけどね」
「そんなの初耳だし・・・」
「今度旦那にあなたと会わせるチャンス作るわ相撲界から引退するわけだし彼だって本音はじっくり話を聞きたいでしょうから・・・ってそんな話じゃないでしょ!。桃の山は大会出れる精神状態なの?」
「大会に出る出ないは本人次第です。出なれば女子大相撲は引退ですそれだけの話です」
「あなたなら首に縄付けても土俵に立たすと云うと想ったけど・・・意外ね」
「下のトレーニング場で桃の山に砂を噛ませましたそして這わして頭を足で押さえつけて・・・」
「葉月・・・」
「自分でも何やっているのかわからなくなって・・・稽古じゃなくてリンチです私のやったことは入門前に妙義山にやられたことを・・・・その娘に私は同じ事を・・・」
「想いが強いとそうなってしまうのかねぇ?」
葉月はキッチンから下の稽古場を見ながら
「桃の山に云われました。本当は葉月山を継ぎたいんだって・・・なんかそれ聞いたら急に頭に血がのぼってしまって」
「それは薄々感じてただから私は紗理奈に葉月山は止め名にしろって」
「・・・・」
「妙義山を継ぐことに自信が持てない・・・桃の山はどうしても母の四股名を継ぐことの決心がいまだにできない。ある意味致命傷なんだよ勝負師として・・・今度の大会は最大の試練でありここを乗り越えられたら絶対横綱としてファンから認められる。負ければそれなりのバッシングは受けるそれとて忖度横綱と呼ばれようが一から相撲道を歩めればそれはそれで良し。それを葉月は出なければ即引退負けても引退・・・氷のように冷たい女だなぁ」
「女子大相撲の横綱が自分の事さえも決められなければ話になりません。昨日は本当に自分でも何やっているのかわからなくなって・・・でも今冷静に考えればあれだけ私に愚弄され忖度横綱と呼ばれぶつかり稽古で転がされ砂を噛まされて・・・それでも這い上がってこれれば次の道はあります。
でもここで終わるのならそれは忖度横綱なんです。鍛造の刀のように叩いて叩いて鍛錬され金属の内部の結晶が整い強度と硬度を出していく。それは力士とて同じ桃の山には鍛錬の大事な時間をすっ飛ばして横綱になってしまった。横綱とあろうものが転がされ口の中で砂を噛むようなことは最大の屈辱でしょうけど今の桃の山にはそれが絶対に必要なんです。私も精神論だとか根性とか云う言葉は好きではありません。ただ今の桃の山はそれを超越しなければいけないそう思ってます」
「葉月山がなぜ絶対横綱に長い間君臨しもう二度とあんな女横綱は現れないって云われる理由が分かったような気にはなったが私はそんなの認めないよ!ただ、今度の大会を絶対に勝って乗り切るのには精神論は必要だよ!次への扉を開けるためにそして忖度横綱のレッテルを剥がすためそして絶対横綱の称号を得るために・・・私的には認めたくないけどね」
アマチュアでは時々問題になることでわある。行き過ぎた指導と云うより指導ではないリンチまがいの行為。ましてやそれを現役の横綱にやると云うのはありえない。しかしそれさえもやらなければならない程に桃の山の貧弱な精神力に葉月は許せなかった。
入門前の稽古で査定ではないが間違いなく横綱になる逸材であると確信したし実際に若くしてなり今や女子大相撲の顔である。当然他の力士からは標的にされるのは当たり前それでもそれを退けてきた。しかし相撲をすることだけが勝負ではない。相撲以外のことで相手を動揺させて相撲そのものに集中できなくさせることだってあるそれも勝負。桃の山はその勝負に負けてそこから底なし沼に落とされもがいている。それでも必死になって抜け出そうとする気概があればまだしも自らを終わりにさせることを望んでいるようにも見えそのことが葉月には許せなかった。
時刻は午前5時を少し回ったところ。
「私、そろそろ家を出たいと思うので」
「桃の山は?」
「大会に出る気なら自分で考えるでしょ一応ハイヤー会社の連絡先は教えてありますので」
「葉月が会場まで乗せていくのが普通じゃないのかい?」
「・・・・」
「私は桃の山と話をしてから帰るわ」
「そうですかそれじゃ私は先に会場に行きますので後の事はよろしくお願いします」と云うと葉月はいったん自分の部屋に戻り荷物を持ち美香に一礼して駐車場へ下りて行った。
美香はリビングのソファーに座り庭を見る。庭に朝日が降りそそぎ芝生の上で小鳥が何かついばんでいる。そんな庭の様子を見ているうちふと眠ってしまった。
(葉月、おまえさんは妙義山に劣らず厳しいんだな。紗理奈が葉月山から離れられないと云うか本当は妙義山の名をお前に継いで欲しかった。それは自分の娘じゃなくて・・・)
そんな浅い夢を見ている時リビングに通じるドアが開いた音で目が覚めた。
「桃の山・・・」
「遠藤さん・・・」
二人はしばらく沈黙しながらお互いを見合ってしまっている。別に睨むでもなくかと言って笑みを浮かべるわけでもなくそれは女子大相撲の現役横綱と元横綱しかわからない何かを感じているように・・・。




