砂を噛ますその想い ④
豊洲の高層マンション。35階の部屋からはベランダ下に運河が見える。遠くには葛西臨海公園の大観覧車が・・・。
「忖度横綱・・・云われ放題だなぁ」と遠藤美香(元横綱三神櫻)はリビングルームのソファーに座り
「・・・・・」向かいに座っているのは理事長の山下紗理奈(元横綱妙義山)
美香は紗理奈の自宅マンションに・・・テーブルには冷め切った珈琲が・・・。
「娘の事どころかあんたの事まで記事になるのかねぇ・・・ネットは怖いわ」と美香は冷めたコーヒーを一口
「十和桜の母である十和田富士が関脇で終わったのは私のせいであることは事実だよ」と紗理奈は天井を見ながら
「十和田富士。恵まれた身体能力と精神力そして卓越した相撲センス。あんたが一度も勝てなかった相手・・・。世間ではライバル関係として注目を浴びたけど実際は雲泥の差だった幕下まではね。まだあの大怪我させた事拘っているのかい?」
「あれは潰すつもりでやった・・・そんな気持ちで」
妙義山と十和田富士が幕内に上がれるかどうかの大一番、そして迎えた千秋楽。
立ち合い。鋭く、低く踏み込んできた妙義山の出足に十和田富士が圧倒されもろ差しを許してしまった。そこから一気に後退して俵へ。十和田富士はなんとか右から小手に振って左からの突き落としをみせたしかし腰から崩れ落ちて土俵下へ激しく落下した。
土俵下で立ち上がれない十和田富士を見ながらしてやったりと云う顔の妙義山。しかしそれも一時の事、土俵下の立ち上がれない十和田富士。左腕を「く」の字に曲げたまま土俵下の審判員にもたれかかるように、座ったまま表情を凍らせたままの十和田富士。支度部屋で呻き声を上げながら悶絶してたほどに・・・。その後の診断結果は左大胸筋損傷・左上腕二頭筋損傷・右母趾MP関節靱帯損傷。全治三か月の大怪我。
十和田富士はその後妊娠・出産と云う事で怪我の治療には都合がよかった。同じく妙義山も妊娠・出産その後再度の対決になったが十和田富士には以前の勢いはない上に怪我なども続き関脇昇格後一場所後にひっそりと引退。対して妙義山は破竹のいきおいで一気に大関・横綱に・・・。横綱昇進後の活躍は女子大相撲ファンのみならず大衆を巻き込みいつの間にか絶対横綱と云う称号が自然と湧いてきてファンから命名してもらう事になったのだ・・。
「一部のファンから十和田富士を潰したのは妙義山だとか云われたことあったが怪我は時の運だしそんなもの意図的になんかできるわけがない。もしそんなことをしたらそん時は誰の目にもわかるようなことをしなければ」と美香
「あの時の取り組みからしばらくしてから私に電話があった」
「電話?」
「私にこれからの自分の生き方の相談を持ち掛けられた」
「初めて聞く話だな」
「私にとって十和田富士は一つも二つも上をいっている力士だった。相撲を取れば肌でわかる。でもあの人はある意味強すぎた。家康の遺訓に「勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る」と云うのがある。勝負において負けないことが当たり前とは云うが長期で考えた場合負けることを知っていなければ本当に大事な勝負で足元をすくわれる。あの時の勝負はそう云う勝負だった十和田富士は小さな勝負では無敗だったけど肝心な大勝負で負けた。負けを知らない怖さ・・・私はそう云ったんだ。そのあと彼女は黙って電話を切ったが・・・」
「負けを知らない怖さか・・・」
「十和田富士も私もあの後産休を兼ねて休場することになったんだが実はその間十和田富士から電話や偶に食事をする機会もあったんだ」
「そんなこと待ったく知らなかったが」
「お互い出産して女の子を授かってねぇ。お互い女子大相撲力士でありながら女力士にはさせたくないねぇとよく云ったもんだけど・・・」
「それで娘を力士になることに最後まで反対だった?」
「それもあるけど娘はプロの力士としてやっていくには気持ち的に優しすぎると想ったしもう一つは十和田富士の娘さんが入門してきたこと・・・私の頭に十和田富士とのあの一戦がどうしてもねぇ・・・もし娘同士がなんって想ったら・・・とても」
「でもあなた達のことは娘達が生まれる前の話だし今更関係ないだろう?」
「新弟子検査に十和田富士の娘さんが来るってことでねぇ。行く気はなかったんだがちょっと見て見たいとふと思って・・・」
「気になったか?」
「母親譲りの雰囲気を持っていた。私は話しかけるつもりはなかったのだけど娘さんの方から私に横綱になってリベンジしたいって・・・」
「リベンジ?」
「真剣な顔で云われてねぇ。さすがに何も云えなかったと同時にぞっとしてしまった」
「そう云えば十和田富士って今何してるんだ?」
「普通に生活しているらしい。相撲とは今は一切関係ないらしい」
「本当は協会で仕事をしてもおかしくない人物なのに」
「引退された時もう相撲には関わらないって・・・娘さんが入門した時も一切マスコミのインタビューには答えなかったしな。答えれば力士時代の話になる。もしかしたら私に気を使ってくれているのかも知れないが」
「十和田富士が怪我もなく順調だったなら多分紗理奈は・・・」
「とても十和田富士には敵わなかったと思う。身体的には早熟だったのかもしれないがそこは精神力と相撲のテクニックで十分カバーできたはず・・・だから私はいつも潰す気でぶつかっていったそれでなければとても勝てる相手じゃなかったんだ」
「それが時を経て今度は娘同士の戦に因果の話だよな」
「だから娘は力士にしたくなかった。それなのに・・・・」
それは紗理奈の本心だ。娘の身体能力と相撲のセンスは後になって若き葉月山との稽古のことを入門後すぐ葉月山自身から聞かされた。間違いなく理事長を超える逸材だとそこにリップサービスは一切なく。それは嬉しい反面適当なところで相撲をやめてほしいと云うのも本心だった。
十和桜と桃の山は一年違いの先輩後輩として切磋琢磨しあってきたしかし十両に上がったあたりから少しずつ差が開いてきた。そして桃の山は一気に三役にそして大関・横綱へ十和桜も多少時間はかかったが三役小結にそのあたりからマスコミはかつての母親同士の戦いとダブらせる記事が見受けられるようになってきたのだ。今まで十和桜の母の事に関してはまったく知らなかった。ところがそのことが度々話題になることが十和桜に対する苦手意識を生んでいたのだ。
「確かに娘はあんたとは違うと云うか鬼ではないよなそれがファンから愛される一つかもしれないが」
「それじゃダメなんだよ勝負の世界で生きているのにそれじゃ」
窓の外では風が呻りを上げている音が・・・。
「ところで十和桜の処分どうするんだ?」
「大会終わった後に役員会で処分決定するだろうがその前に本人から話を聞かないと」
「本人との連絡は?」
「ついていない」
「十和田富士さんには?」
「十和田富士さんには連絡するなと云ってあるこれはあくまでも娘の十和桜の問題だ。それにあまり十和田富士さんにはこちらからは極力連絡は・・・」
「まぁ当然もう知っているだろうが」
「桃の山の方にはあんたから何か云った方がいいんじゃないのか?」
「今日は葉月の家に泊めさせるそうだ。代表監督はあいつなんだからなんとかするだろう」
「協会の裏切り者・・・とか云われちゃってるな彼女も・・・」
「葉月が幸せになれるのならそれでいい・・・ちょっと前にお前に云われたろうが蒸し返すなまったく」
紗理奈は冷めたコーヒーを一気に飲み干す。
「明日の大会は日本の女子相撲においては大きな意味を持つ。世界の女子相撲の覇権と云うのは大袈裟だが世界ツアーの開催含め主導的に日本が発言力を持つには勝たなきゃならない」
「それは桃の山次第だろう間違いなく。伊吹桜に聞いたところだと相当意気消沈だそうだよあんたの娘は明日相撲だって下手すりゃ出ないかもなぁ」
「・・・・」
「出なけりゃ忖度横綱は決定だよ。たとえ出たとしても負ければ同じ。払しょくするのには勝つしかない。それができるか・・・厳しいだろうな」
「・・・・・」
「椎名葉月が桃の山を気持ちを切り替えさせて闘志を漲らせることができるかどうか・・・それしか望みはない。妙義山や葉月山だったらその逆境をバネに闘志を燃やすだろうが桃の山はどうだろうかね?」
美香の話を黙って聞いていた紗理奈はあもむろに立ち上がりベランダへ出る。すでに陽も落ちダイヤと花の大観覧車に明かりが灯っている。
ベランダの手すりに身を寄せ夜の街をボーっと見ている。いや、見ているように見えるだけで何も見えていない。頭の中は娘である桃の山の事で一杯なのだ。新弟子検査の時に弾こうと思えば難癖付けて弾くこともできた。でもさすがねそれはできなかった。マスコミがいるのにそんな露骨な事はと云うのは表向きの答えとして本音はどこかに力士にしたいと思っていた。自分の娘にその才能がなければ入門したところで先は見えた。
(でも・・・娘は)と紗理奈
リビングからの窓越しに紗理奈を見る美香。
(もうあんたにかける言葉もないよ。あとは桃の山次第・・・助けられるとしたら桃の山が尊敬する葉月がどうするか・・・母としては娘を黙って見守るしかね)




