優駿 ③
一歳の若駒達はトラックから厩舎へ戻っていく。騎乗員達はモンテプルチアータを華麗に乗りこなしたちょっと大柄な女性が元横綱葉月山だとは誰も気付かないだろう。
葉月はモンテプルチアータの背に乗ったまま孝之を見ている。モンテプルチアータはまだ走りたりないのか右前足を必至に前掻きしている。
「まだ物足りないみたいだけど」と孝之は葉月を見ながら
「私にこんな名牝を騎乗させて何のつもりなの?」
「母さんちょっと外れてくれないかなー」
孝之の母はちよっと離れた場所で見ているのだが
「えっ・・でも・・・もうじきお昼だし・・・」
「30分ぐらいしたら戻るから」
「わかったわ」
母は屋内トラックから事務所の方へ歩いていく。
「日高に来たってことはもうわだかまりは溶けたと云う事?」
「わだかまり?」
「高三の時の・・・」
あれは五月のゴールデンウィーク葉月は久しぶりに函館の学生寮から実家に戻っていた。しかしそれは覚悟をしていたとは云え厳しい現実。
「牧場を中河部さんに買い取ってもらうことにした」と云う父の言葉。
そんな時、孝之から会わないかと連絡を貰い無視することもできたが・・・。二人は日高から離れた苫小牧の緑が丘公園で会う事になった。
「話は聞いていると思うけど・・・」と孝之は俯き加減で・・・。
「私を慰めようとでも」
「・・・・・」
「優越感にでも浸ってる」
「そんな云いかたは・・・・」
「中河部牧場は絶好調じゃない。新しい血も入れ替えて」
「・・・・・」
「うちの繁殖牝馬サマーリーフなんか最高でしょうねぇヌレイエフが入ってそこにヘイロ系の馬でも掛ければあなたのところだったら何でもできるんじゃない!・オークス・宝塚記念・安田記念を勝った名牝が転がり込んでくるんだから!」
「なんだよその云いかた!」
「大学行くのも諦めた。高校出たら女子大相撲に行くことに決めたのよ」
「えっ・・」
「大相撲で頂点まで行ってもう一度牧場をする。何年かかろうと・・・」
「葉月・・・」
「気やすく呼ばないで!」
「俺、葉月の事・・・好きなんだ小学生の頃からずっと・・・」
「はぁ~何寝ぼけた事云っているのよ」
「俺と付き合ってくれないかそしてできれば結婚を前提に・・・長男として牧場の跡取りとして葉月なら」
「馬鹿にしやがって・・・私が弱り切っているとおもって・・・ふざけんな!」
「俺は純粋に葉月の事を」
「落ちぶれた哀れなプリンセスを助ける王子様のつもりかふざけんな!」
もう屋内トラックには葉月と孝之そしてモンテプルチアータしかいない。
「あれから20年近く経つのね・・・日高の事は私の記憶から抹殺した。人生すべて相撲に懸けた。それしか生きていく道はなかったからいつしかあれだけ好きだった馬もいつのまにか興味がなくなって・・・」
「馬降りてこの馬じっくり見ろよ。葉月なら気づくことがあるはずだから」
「えっ・・」
葉月は馬を降りじっくり馬体を見回す。鹿毛の馬体は冬毛が生え現役当時の張りはないがそれでも最強牝馬であるという存在感は健在である。
「あっ・・・」
「気づいた?」
右前足だけ長白のマーキングがそして真ん中にスペードのようなマークがちょっこと
「これって?」
「母の母はサマーリーフだよ」
「・・・・」
「葉月が云ってたようにヘイロ系のサンデーサイレスを掛けた生まれた馬はG1で勝てたのはエリザベス女王杯だけだったがそれでも男馬に混じって常に善戦してた。繁殖牝馬になって8頭出産したが活躍できたのは最後にに生んだモンテプルチアータ一頭だけその後急死してしまったけどサマーリーフの血はこの馬に流れている。それを想うとサマーリーフは偉大な馬だ」
「サマーリーフ・・・か」
椎名牧場絶頂期と云ってもいい時期だった。葉月にとってサマーリーフは人間以上に信頼がおけ当歳から世話をし逆に遊んでもらったような存在。
「サマーリーフはまだ健在だよ。もう25歳だけど」
「えっ・・」
二人はモンテプルチアータを厩舎に戻し雪の積もる放牧場へ。
「サマーリーフは家の牧場の園長先生みたいなものだから」
「リードホースをしているのね」
リードホースとは、人間でいう保育士のような存在で、離乳した当歳から1歳の子馬の群れを見るリーダー的な役割を担う。繁殖を終えた牝馬がなることが多いのだ。
二人は放牧場へそこには10頭近くの当歳馬と母馬に混じって威風堂々とゆったり歩いている馬がいる。鹿毛の決して大きくはないがそれでも周りの馬達とは違う雰囲気で・・・。葉月は直感ですぐにサマーリーフだとわかった。
その馬は二人が柵の前で様子を見ているとゆっくりとこっちに向かい歩いてくる。最初は孝之を見てそして葉月を・・・その馬はじっと葉月を見ている。耳をピーンと立て
「サマーリーフ葉月だよ忘れちゃったかな?」手の甲を差し出す。その馬は手の甲の匂いを嗅ぐと急に首を縦に振りだした。
「サマーリーフはかまってほしいみたいだよ」と孝之
「覚えてるの?」
サマーリーフの方から顔を近づけ葉月の顔に鼻をこすりつける。
「サマーリーフ・・・」葉月はおもわず涙を流してしまった。嬉しい時も悲しい時もなにかあると馬房に行って話を聞いてくれた。いっしょに一夜を共にしたこともあった。
孝之はその姿を見て何も声をかけられなかった。
しばらくすると仔馬たちがヤキモチをやいたのか何頭もサマーリーフの周りで体をくっつけてくる
「御免ねぇみんな。みんなの園長先生だもんね」と笑いながらでも顔は涙でくしゃくしゃに・・・。
「サマーリーフは仔馬たちのビックマザーなんだ。リーフがいるだけで仔馬も母親も安心する。葉月も知っているだろうけど離乳の時はこっそり母親だけ別のところに移す。その時に母馬も仔馬もパニックになって走り回ったり泣き叫んだりでもリーフは悠々と草食べてそれを見て仔馬も母親もいつのまにか落ち着いて・・・」
「リーフは昔からリーダー的な馬ではなかったけどいつも後ろから見守って・・・」
サマーリーフは葉月にたいし二回首を縦に振り仔馬とともに走っていった。
「今日の日高行きはサマーリーフが導いてくれたのかも・・・中河部牧場にはいや日高にはもう来ることはないと思っていた。でも力士を引退してから日に日に生まれ育った故郷に帰りたいと・・・戻る場所はどこにもないのに・・・」
葉月にとって日高は故郷であるのには間違いなくとも・・・・。馬がいない馬房で両親と弟が首を吊った事を知ったのは女子大相撲の開催中で幕内に上がる直前の出来事。これが三役にでもなっていたら格好のニュースネタだったろう。葉月は開催中と云う事もあり日高には戻らず何事もなかったように取り組みをしていた。中河部ご夫妻が葬儀全般を仕切る形になった。千秋楽の翌日葬儀が行われた。本人的には密葬で済ますつもりだったのだが・・・。
「あなたのご両親に余計な事をしなくても結構ですなんって云ってしまってねぇ。葬儀も四十九日もろくに会話も交わさなかった。列席された皆さんにも・・・今考えると恥ずかしい。遺骨だって納骨堂でいいと思ったけどあなたのお父さんからえらく怒られてねぇ。今日墓に行ったらきれいに掃除してあった」
「今の中河部があるのは間違いなく椎名牧場の馬達が居てこそだと思う。別にお世辞でなくうちの馬との相性が多分葉月のお父さんはそれを見込んでうちに打診してきたんだと思う」
「そうでしょうねぇ多分」
目の前ではサマーリーフと仔馬達がまるで鬼ごっこでもしているように雪煙を上げ走り回っている。
「今週の世界大会が終わったら相撲から完全に引退しようと思っているの」
「引退したんじゃ?」
「力士としてはねぇ。私が云っているのは女子相撲界からの完全引退もう相撲に係わることはやめようかと」
「・・・・」
「本当はどこかで相撲クラブでもやりながら好きな事して何って想っていたんだけどなんかそれさえも虚しくて・・・でも今ここでサマーリーフの元気な姿見てやっぱり私は馬が好きなんだって相撲じゃなくて・・・」
「葉月・・・」
「ウマ娘のアニメをたまたまテレビで見てねぇ私このアニメの事何にも知らないから競走馬を擬人化した女の子のキャラクターなんって悪ふざけもいい加減にしろと思ったんだけどいつのまにか毎週見てて見ているうちに日高のことがどうしても頭に浮かんで・・・」
「ウマ娘ねぇ」
「サイレンスス
ズカの話とかトウカイテイオーとメジロマックインの話とかいい歳して涙しちゃって」と云いながら深く息を吐いた。
「ねぇここでパートでもいいから働かせてくれないかなー。働きながら自分のことを考えたいの一時の気まぐれでなく本当に・・・」
「葉月・・・」
「墓前で手を合わせるまでここに来ることを迷っていた。そんなこと想ってたら両親にいい加減にしろって怒られたわ」高く蒼い空を見ながら
「俺の両親は周りの牧場仲間から葉月の件で色々云われてたよ。女性力士になって優勝しても横綱になっても一切日高に帰ってこないし日高の事すら云わないって・・・でもそんなことも一蹴していた」
「悪いことをしてしまったわね」
「もう一度プロポーズしてもいいいか?」
「プロポーズって・・・結婚してないの?」
「してない」
「そう・・・・」
「だから」
遠くにいたサマーリーフがゆっくり二人の方に歩いてくる。そして二人の前で尻尾を高くふり、軽やかな足どりで駈けまわっている。立ち上がったり、後肢で蹴るしぐさをしたり。
「孝之さん」
「えっ・・・」
蒼い空は青い空へ
「この放牧地が緑になる頃にまた来るわ。眠れない日々が続きそうねぇ」と葉月は笑いながら
「もしかしたら俺も心変わりしているかも知れないけどね」と孝之も笑いながら
サマーリーフが目をほそめて葉月に頭や鼻をすり寄せてくる。
「いい歳してサマーリーフは甘えん坊ですねぇ全く。春になったらまた来るからねぇ」
日高に春が来るのにはまだまだ時間がかかるけど・・・。




