優駿 ②
車は日高方面へ。沙流川を横目に見ながら海へ下っていく。
「今日は本当にありがとうございました。正直云うと両親と弟と一緒に行きたかったと墓前に立つと・・・それが怖くて殆ど日高には来てなかったのです。私にとって日高にはもう戻れる場所もないですし引退して本当は真っ先に報告に来るべきだったのですがそれもなんか躊躇してしまって・・・一人で来ることに臆病になっていたんです。日高は自分の故郷なのに」
国道237号から少しわき道に入ると周りすべてが牧場なのだ。まだ積雪に覆われているが若い馬は雪
煙をあげて駆け回っている。
「もう三月この時期だと出産は終わっているのかな」と葉月
「私、日高は初めてだし競走馬の牧場何って来たことないし雪がなければサラブレットが駆け回っているんでしょうねぇ。私は競馬場でしか見たことないから」
「真奈美さんって競馬は?」
「元夫が馬主だったんでそれで多少は・・・」
「そうなんですかそれでどんな馬を?」
「えっあぁ重賞勝ったのはセスティーノぐらいで確かAJCCとダイヤモンドSを」
「すごーい。重賞勝つって」
「春の天皇賞を狙っているとか真顔で云うのには少しあきれましたけど」
「オーナーはみんな夢を持たなきゃやれませんし・・・」
「そんなことで多少は・・・」
「寄りたいところがあるのですがいいですか?」
「えっあぁ」
車はとある牧場に入っていく。【中河部牧場】と入り口に書いてあった。車はしばらく進んでいくと厩舎のような建物が何棟もそしてさらに進むとレンガ造りの事務所のような建物の前に車を止め葉月が車を降りる。真奈美も同じく。事務所から一人の初老の男性が葉月をじっと見ている。
「御女王・・・葉月御女王かい?」と離れた場所から
「・・・白芝さん?」
「そうです。白芝です」と云うと慌てて事務所へそうすると中から一人女性が出てきた。
「葉月ちゃん!」
「本当にご無沙汰してます」と深く会釈する葉月
「来るなら来るって連絡してくれれば」
「すいません。本当なら毎年来るべきところですが気持ちが・・・中河部牧場さんには色々助けていただいたのにも係わらず・・・49日以降来ることもなく非礼な事ばかりで・・・」と急に涙声になる葉月
その女性は葉月を軽く抱きしめる。
「そんなことはいいからあなたが日高に来てくれただけで十分。女子大相撲での活躍をテレビなどで見てあなたが御両親や弟さんに代わってしっかり自分の道を生きているんだなぁって主人と話していたのよ。引退を聞いた時すぐじゃなくてもいいから日高に来ないかなぁってよく云ってったのよ」
「・・・御免なさい」と泣きじゃくる葉月
「椎名牧場の血はうちの馬たちに脈々と流れているわ。椎名の血は永遠に・・・」
「奥様・・・・」
「外は寒いから・・・あっ、そちらの方は」
真奈美は軽く会釈する
「西経大学女子相撲部の倉橋監督さんです。今日はかなり無理に云って一緒に来てもらって・・・」
「そうですか。どうぞ寒いですから中へ」と云ったとき一人の男性が厩舎の方から歩いてきた。
「孝之、椎名さんよ」
男性はヘルメットをかぶり手にはステッキを・・・・。
「葉月さん・・・」
「久しぶり、孝之君」
二人はしばらくお互いを見合うように・・・・。
「白芝さん。モンテプルチアータを屋内トラックに出してくれる」
「孝之さん・・・」
「お願いします」
「来ていきなりで悪いけど事務所で着替えて屋内トラックに」
「孝之君。モンテプルチアータって」
「母さん、葉月さんに着替えを」
「えぇっ・・わぁわかったわ。葉月さんこっちへ・・・」
「孝之君なんのつもり?」
孝之は真奈美とその場を離れていく。
真奈美と孝之はちょっと離れた屋内トラックに一周600mのクッション砂を敷き均した屋内型調教施設へ移動する。冬季でも基本的な調教ができるように作られたもの
「モンテプルチアータってた確か牝馬三冠の?」と真奈美
「詳しいんですね」
「多少・・・」
モンテプルチアータは牝馬三冠含めてG1六勝その中には海外G1の一勝も含まれている名牝なのだ。
「昨年は種付けはしなかったんです。少し母体を休ませようと思って・・・だから元気いっぱいで偶に走らせてやらないとストレスが溜まってしまうようで」と孝之は笑いながら
そうそう話しているうちに白芝が【モンテプルチアータ】を引いてきた。
「綺麗・・・」
「ちょっと冬毛が生えてますけど・・・」
「確か初年度産駒で桜花賞勝ってましたよね?」
「よく知ってますねぇ・・・」
「でも本当に綺麗」
「女子相撲で云えば葉月山です絶対横綱ならぬ絶対牝馬です」
「絶対牝馬・・・」
真奈美がその馬体に見惚れていると葉月が乗馬姿で孝之の母とやってきた。
「かっこいい」と思わず声を上げる真奈美
ヘルメットを被りグリーンのジャケットに黒のパンツに茶のライディングブーツ。乗り手としてはちょっと大柄ではあるが・・・。
「手伝うから乗って」
「でもこんな名牝に・・・私は20年以上馬に乗ってないのよ」
「草競馬無敵の天才女性ジョッキーだったあなたなら大丈夫」
「・・・・」
「走りたがってもうウズウズしてるから早く」
馬を見ながら躊躇していた葉月だったが・・・。
「わかったわ」
葉月は左手で手綱と馬のタテガミをつかみ左足を鐙に掛けると右手で鞍を掴み体を持ち上げてもらい静かに鞍に座る。
「忘れてないね」と孝之
「いいのこのままトラックに出て他の馬もいるのに・・・」
「葉月なら大丈夫だろ?」
葉月はトラックに出ると常歩で半周すると徐々にキャンターへ速度を上げる。
「少し大きめのキャンターに17-17ぐらいで」と孝之が指示を出す。
葉月は1ハロン(200m)を20秒前後で行っていたものを18から17秒に持っていく。
「ちゃんときれいにハミが掛かってる信じられないけど」と白芝
真奈美は葉月の騎乗姿に惚れ惚れとする同時に目が相撲を取っているような・・・。トラックを回っている何頭かの一歳馬とはまるで違う迫力と流麗さ。葉月はトラックを一周するとペースを落としていく。ふと孝之を見ると真剣な眼差しで葉月を見る。
「白芝さん厩舎とか見学したいんですけど?」
「厩舎ですか?」
「駄目ですか」と云いながら孝之と葉月を交互に指さして・・・
「あぁぁ・・・わかりました」と云うと厩舎の方へ。
白芝と真奈美は2号厩舎へ。そこには先月生まれた仔馬が母馬と一緒に過ごしている。
「すいません。なんかあの二人の関係があれかなぁって想って」
「葉月さんと孝之は中学まで同じ学校に通っていた同級生なんです」
「やっぱり・・・」
「葉月さんは勉強もスポーツもスバ抜けていてねぇ。逆に孝之はそれなりにって感じで」
「お女王って云ってましたけど」
「小学生の時、草競馬で負けなしでねぇそれでついたのがお女王って訳で本人は本気で騎手を目指していたんだけど体格的問題でねぇこればかりはどうしようもない。中学一年の時は給食すら食べないなんってやっていたらしいが流石に体調不良になって諦めた。相撲はそんなに興味があったわけではないがそれでも中学二年あたりにはぐっと体格もよくなってねぇ。道央の相撲大会で男子と混じって試合をして三位に入ってそこから相撲に真剣になったんですよ。高校は函館の進学校へ親元を離れてねぇそれも特別進学クラスって云うところへ。それと相撲部があったんですよ女子高なのに一番はそれだったんでしょ」
「相撲部・・・函館でと云ったらあそこしか」真奈美はすぐに察しがついた。
「確かに才能は開花して優勝こそしたことはなかったが主要な大会では表彰台は外さなかった」
(そうか優勝はしていないのか・・・・)
「お女王が中三の頃から牧場経営の方がうまくいかなくなっていた。オーナーブリーダーで完全な独立採算制です。成績が上がらなければ金も入りません。そうなれば血の入れ替えもできません。椎名さんは葉月さんが函館に行ったことを期に売却の検討に入っていてうちの牧場に打診があって・・・ただそのことがお女王は気に入らなかった。まだ17・18歳の女の子です。そんな時に妙義山からスカウトされて最初は断っていたのですがそこは家庭の事情で・・・・」
「知らなかった・・・」
「葉月さんは大学で学びたかったことがあってそのうえで相撲もしたかった・・・でもそれは現実的に無理になった以上そこは切り替えて女子大相撲の世界へ行ったんです。そんな時に弟さんも道連れにして死んでしまった。お女王もとは日高の人はみんな想ったが彼女は葬儀も49日も毅然と涙一つ流さなかった。今思えば覚悟を相当前からしていたのかと思うぐらいに」
「葉月さん」
「今日、お女王が日高に来たのはそのあたりのことがやっと消化できたんでしょ。泣いているお女王なんか初めて見たしあんなに感情を表に出したのも・・・あっいやすいませんに私ばっかり喋ってどうも歳取ると話が長くて赤ん坊の時から知ってるんでね・・・でもまさかあんな女子横綱になるなんて」
「葉月山の様な横綱は多分もう出ません。それぐらいな力士です。でも本当は心優しく物凄く壊れやすい・・・日本だけではなく世界でも愛されてきた絶対横綱ですから」
「絶対横綱か・・・お女王に相応しい称号だよ」
「私がそっちの方向に話を振ってしまってすいません」
「いやいやでも倉橋さん競馬詳しいねえ。モンテプルチアータの初年度産駒が桜花賞勝った何って普通は出ないよねぇ」
「実は元夫が馬主で・・・・」
「なるほどねぇ。元夫ってことはもしかして馬が原因で?」
「あぁぁと云うより私の気性が荒くてですかねぇ」と真奈美は笑いながら
「牡馬だったら最悪騸馬にしちゃうけどねぇ」
「一応・・・牝馬なんで」
「いや大変失礼しました。セクハラですよねこれは」
「ですねぇ。間違いなく」




