01 厄災ノ誕生
世とは何か。
人々は答えに見向きもしないまま、ただ時代だけが置き去りにしていく。
人だけでなく……宙に漂う“魔力”を糧として生きる、魔の生命もただ時代を貪る。
そこに差異はないのだろう?
それがありままの自然なのだから。
生命の繁栄が写す鏡には、きっとおぞましいものが写ってるのだろうか。
けれど、誰もそれに気づきはしない。
皆、虚実の光に当てられ影が見えぬ蒙昧なのだから。
……だが誰もが見えぬ影の深淵で、異形の魔力が胎動していた。
その暗く異形の魔力には、繁栄も、生命も、全てを闇に眠らせるだけの力を持っていた。
時代を終わらせるための世界からの使者。
目にしたものは口々に“厄災”と呟く。
だが、そうだろうか?
深い闇とは光の正体を暴くもの……。
皆、ただそれを恐れているだけなのだ。
いや、あるいはそれこそが“厄災”なのだろうか……。
♢ ♦ ♢ ♦
とある大陸に滅びた国があった。
まだ明るいはずの刻だというのに、瘴気で覆われ暗く重苦しい空気が漂う亡国は、ただ一人の生者も寄せ付けない異形の地と化していた。
辺りに見えるは、死者と怨念と膨大な魔力と……。
街中に飾り付けられた物がただ、虚しくなびく。
かつて栄えていたこの国は、当時戦争の渦中にいた。
その最中、どの国よりも優位に立とうと、禁忌と言われていたものに手を出し研究を始めてしまう。
結果、禁忌の暴走。自国の民もろとも死地へと変貌させてしまう。
そしてその調査すら危ういとされ、数十年もの間ただ打ち捨てられていた。
だが、もう何も動かぬ亡国に、滞留する魔力が発生していた。
まるで亡国の罪を咎めるかの如く、その魔力は暗く重いものであった。
それが生まれたのはただの気まぐれか、それとも運命だったのか……。誰が問うこともなく、ただ静かに異形へと形成されていく。
それからどれ程たっただろうか。
滞留した魔力の中に異形をした何かが生まれていた。
ひび割れた獣の頭骨のような頭に、鈍く光る二本の角が生えており、目が異質にも四つもあった。
体は血が乾いたかのように薄黒く、鋭く尖った爪は他者の命を刈り取るための如くついている。
おおよそ、人とは言えない姿をしているそれは、まだ意識はなく静かに佇んでいる。
この異形の誕生を止めるのは今しかなかったが、残念ながら止めるものは誰も現れるはずもなかった。亡国の民は、ただ静かにその誕生を見守っている。
そして、その時は突然訪れる。
滞留する魔力が異形の周りを大きく渦巻き始め、静寂が支配していた国に轟音をもたらす。
やがて音が鳴り止むと、異形が魔力の層を突き破り出てきた。
厄災の誕生。亡国に漂う瘴気が祝福をあげるがの如く、黒くそして濃くなっていく。
溢れる絶望の兆し。世に異を唱え、覇をもたらすそれは、生命にとって絶対的な敵となり得る物だった。
だが、異形はまだ無知故に何を思うか。
しばらく辺りを見渡した後、ゆっくりと歩き始めた。
「キハハ……。ドコダココハ? 何故我ハココニイル……? 何故……我ハ生マレテキタ?」
重く低い声が辺りに響く。聞いたものを戦慄させるような声……。
異形が最初に発した言葉、それはただの疑問。それだけであった。
通常、生命とは時間をかけ、経験をつみゆっくりと成長をしていくもの。
だが、最初から知能と意思を持っており、言葉をも理解できるそれは、異質以外形容できないものであった。
無理矢理何かに属させるのなら、それは“魔物”。
だが、構成物がただ似ているのみで、適切な言葉ではないのかもしれない。
「キハハ……。マア良イ。我ガ思ウ物ニ我有リ。理由トハ我ガ見ツケルノミ」
異形の魔物は達観していた。
魔物は喜怒哀楽の、怒と哀が欠如しており、楽観的な所があった。故に、その思考は本能故のもので、それこそが魔物を厄災たらしめている。
負の感情に振り回されず、尚且つ知能を持ちその力を振るう。
厄災としてはこれ以上ない逸材だろう。
そして突如、魔物は手を広げる。すると亡国に漂う暗い魔力と濃い瘴気が魔物に集まり始めた。
その魔力と瘴気は、魔物が生まれた時とは比べ物にならない程に、大きく渦巻いていた。
あろうことかそれを、魔物は吸収していたのだ。
普通の生命なら体が耐え切れぬものを、ひたすらに吸収していく。
暗い魔力と濃い瘴気。渦巻くその二つがだんだんと小さく、薄くなっていく。
まるで国の罪が浄化されていくように……。
やがて、亡国を覆い漂う物は何もなくなっていた。
魔力も瘴気も怨念も、全て吸収しつくした異形の魔物に暖かい光が当たる。
何も寄せ付けなかった地が、全てを受け入れる地へと変わる。
数十年止まった時が、その罪を浄化し再び動き始める。
「貴様達ノ未練、怨念、大罪……。全テ我ガ奪イ喰ラッタ。文句ハ言ワセヌゾ。貴様ラハ死人故」
ただ空を見上げ、魔物は呟く。
――そう、罪とは簡単に浄化される物ではない。魔物が代わりに請け負い背負っただけのこと。
後に厄災と呼ばれ恐れられる魔物にとって、この程度を背負おうが問題はないのだろうか。
だが、蓄積されていく重みは、気づいた時にはもうおろせない。その時には、荷物は空虚故に。
全てを取り込んだ異形の魔物の体に、膨大な魔力が宿る。
果てなき力を手にした、誰もまだ認知していない脅威は、ただ本能で辺りの強者を探っていた。
だが、ここは滅びた亡国。動く物すらいないこの国に、異形を満足させる相手などいるものか?
活力のある国でさえ、蹂躙するのみである存在が、ただ虚しく歩き回る。
やがて、廃城の前につくと一つの気配が近づいてきた。
「ヒハハハハ!! 名も知れぬ異形よ!! よくぞこの地の呪いを解いてくれた!!」
「……貴様ハ誰ダ?」
「吾輩はこの国の王! かつて禁忌の研究をさせ、民の命と引き換えにこの力を手にした偉大な指導者だ!」
気配の正体。それは、おおよそ人とは呼べない形をした、王と名乗る異形だった。
体は白く植物のように枝がついており、手は刃のように変貌し、暗い魔力を宿す、巨大な魔物となり下がった物。
「実にありがたい……! この地に漂う魔力と瘴気は、半ば吾輩を幽閉するようなものだった。だが、貴様がそれを取り払ったおかげで吾輩は自由に動き回ることができる」
「キハハ……。ソウカ、デハ感謝ヲ受ケテオコウ」
「この祝いに吾輩に楯突いてきた国どもを滅ぼそう。我が国は滅びたが、この力を手にしたのであれば安いものであった。ふふふ……。どうだ? ここであったのが何かの縁だ。新たに作る吾輩の国の最初の配下にしてやろうぞ」
「……我ハ我故。貴様ノ配下ニナルコトナドナイ。」
狂気に満ちた亡国の王の誘いを、異形の魔物は軽く断った。
魔物は己を至高の個だと考えてるが故、何者にも属さないつもりだったのだ。
「吾輩の配下になれる名誉をいともたやすく断るとは……。死を望むか異形よ?」
「我ヲ配下にシタイノナラセメテ我ヨリモ強クアレ。貴様カラ感ジルハ弱者ノ匂イノミダ」
「ヒハハハハハ! よかろう! では吾輩の強さを身をもって思い知るがいい! 手加減はできぬ故、死んでも文句は言うでないぞ!!」
亡国の王は刃に変貌した手を魔物に向かって振り下ろす。
暗い魔力を宿した王の刃は、有無を言わさず肉塊へと変える。――はずだった。
「な、貴様……どうやって……。吾輩の一撃を止めることなど……!」
魔物は爪一本のみでその刃を止めていた。
所詮、元は人。暗い魔力を宿していようが、その限界は見えてしまう。
暗い魔力そのものから生まれた存在に、敵う道理もなかった。
魔物は刃を振り払うと、手に小さな黒い魔力の球体を浮かべた。
そしてそれを亡国の王へと飛ばす。
ただの小さな魔力球、その油断からか体に当たってしまう。
当たった魔力球は、体の中に入り込むと、亡国の王の魔力を急激に吸い上げる。
そして吸い上げた魔力が暴走し、体内で大きく爆ぜた。
――勝敗は数分と持たずと決まってしまった。
「馬鹿な……。この力を持ってしてなぜ……?」
「我、至高故」
それだけを言い、爆ぜて消滅していく亡国の王を興味もなくただ見続ける。
魔物にとって王は、そこらに転がってる死体となんら変わりなかったのだろう。
亡国は、王の死をもって完全に滅んだ。
異形の魔物は、その事に微塵の関心も持たず、一人廃城へと入っていくのだった。