八の太刀 師匠と弟子、いざ行かん
「俺の弟子になりたいだと?」
威圧するような低い声で訊ねてきた武蔵に、伊織は一歩も臆することなく大きく頷いた。
「はい、どうか私を弟子にしてください! お願いいたします!」
嘘偽りのない伊織の本心である。
すでに頭痛は完全に治まり、武蔵に対する恐怖も綺麗に消えていた。
あるのは、生きている本物の宮本武蔵に対する強烈な欲だった。
宮本武蔵の弟子になりたい、という自分のすべてを対価として払いたいほどの欲である。
なぜなら、あれほど憧れの存在だった生身の宮本武蔵が目の前にいるのだ。
おそらく、この機会を逃せば自分は永遠に宮本武蔵との接点を失う。自分以外に頼れる者のいない異世界でならなおさらである。
また伊織にはもっと別な理由で武蔵の弟子にならなければならない、という思いがあった。
「なぜ、俺がお主のような女子を弟子に取らねばならんのだ?」
伊織はごくりと生唾を飲み込んだ。
「先ほどお師匠様は言われました。何か俺にして欲しいことはないか、と……そして、私はそのして欲しいことを申し上げているのです」
それだけではありません、と伊織は勢いよく言葉を続ける。
「私を弟子に取っていただければ、必ずや今後のお師匠様のお役に立つと確信しています。恐れながら、お師匠様はこの世界のことを知らなさすぎます。この世界は魔法や魔物が存在する、私たちがいた地球とはまったく別の異世界なのです。どれだけお師匠様がお強くとも、この世界の常識を知らないのならばこれから生き抜いていくのは大変に難しいでしょう」
伊織は武蔵の気を引くために一呼吸置いた。
「ですが、私は違います。お師匠様を含めたここにいるクラスメイトの中で、誰よりも私はこの異世界のことを知っています。私を弟子に取っていただければ、この世界でどう生きるかお教えいたします」
武蔵は両目を細めながら首を傾げた。
「おかしなことを言う娘だ。先ほど南蛮娘やお主たちの話を聞いていたが、どうやら俺たちはお主たちも含めて魔法でこの異世界に連れて来られたとみた。ならば、この異世界のことはお主も知らぬはずだ」
伊織はここが正念場だと自分を奮い立たせた。
「確かに私はこの異世界に先ほど初めて来ました。しかし、申し上げたように私は召喚された者の中で誰よりも異世界のことを知っています。私がステータスのことを言い当てたことが何よりの証拠です」
正直、異世界転移物の漫画や小説などで、現代人が異世界に召喚される理由など様々である。
しかし、アリーゼの説明などから自分たちが異世界に召喚された理由は大体分かった。
この異世界にいる人類は凶悪な魔物の襲撃に悩まされており、その魔物たちの対抗手段として異世界人を召喚魔法によって呼び寄せているのだろう。
そして異世界転移物の定番技能である、〈スキル〉や〈ギフト〉などというものが本当にあるかどうかも分からない。
もしかすると〈スキル〉や〈ギフト〉という代物自体がない可能性もある。
などと伊織が思ったのは、自分のステータスの出現方法と職業を聞いたアリーゼの落胆であった。
本来、ステータスは名前を呼べば空中に出現するだけのはずだ。
けれども、自分が召喚されたこの異世界では魔法の素質がある者は左手、魔法の素質がない者は右手に出現するらしい。
しかも魔法の素質がない者は、たとえ〈剣聖〉と名前がついてある職業の者でも〈外の者〉と忌み嫌われ、国外へ追放されて魔物の森へ捨てられるか、国の地下に幽閉されて今後の自由を剥奪されるという。
つまり、この異世界では武術や格闘技の〈スキル〉や〈ギフト〉が存在しない可能性が高かった。
理由は簡単だ。
魔法の素質がなかろうとも魔物に対抗する戦闘の〈スキル〉や〈ギフト〉などが〈外の者〉にもあるのならば、これほど魔法を使える者と使えない者の応対に格差などできないはずである。
だとすると、魔法の素質がない自分のこれからはある程度だが予測できた。
(このままだと、私は百パーセント死ぬ……)
異世界に転移された人間が単独で生き抜いていけるのは、何かしらの特殊なスキルやチート能力があるから可能なのである。
しかし、伊織のステータスには特殊なスキルやチート能力を示す明確な表示は一切なかった。
何せステータスの中には名前、性別、年齢、身長、体重、血液型、そして職業と備考のみしかなく、その職業欄に〈未熟な剣聖〉というワードが記されていたのである。
ただ、その中でも気になったことが一つあった。
最後の備考の欄に「未熟な剣聖から完全な剣聖へとランクアップするための条件として、一流の〝兵法者〟になること」というよく分からないことが記されてあったのだ。
伊織が武蔵の弟子になりたかったもう一つの理由がこれだった。
兵法者。
それは剣術や柔術などの武芸に秀でた人間の総称であり、目の前に立っている宮本武蔵も自分を〝兵法者〟と名乗っていたという逸話を持つ人物である。
とはいえ、武蔵の弟子になることが〈完全な剣聖〉へとランクアップする条件になるかは分からない。
しかも〈完全な剣聖〉へとランクアップしたところで、この異世界を生き抜いていけるようなスキルやチート能力が手に入るかもまったくの不明なのだ。
けれども、何の武器も魔法もスキルも持たない自分が魔物の森へ捨てられた場合、その日のうちに魔物の餌になって死ぬことは明らかであった。
では、どうすればよいか? 答えは〝圧倒的な強者の傍にいること〟である。
少なくとも一人で野に放り出されるよりは生存率が高まるのは間違いない。
ましてや、それが憧れの宮本武蔵ならば言うことはなかった。
だからこそ、伊織は武蔵に気に入られようと必死に猛アピールしたのだ。
自分を弟子に取れば異世界で生き抜ける確率がぐっと上がるぞ、と。
そして困惑したような表情を浮かべた武蔵に、伊織は下丹田に力を込めて声を張り上げた。
「ですから、お師匠様! なにとぞ、なにとぞ私を弟子にしてください! お願いいたします!」
ほどしばらくして、無言だった武蔵はのど仏が見えるほど快活に笑いだした。
「面白い……この宮本武蔵に異世界での生き方を指南いたすというのか?」
「はい」
「その代わりにお主を弟子に取れと?」
「はい!」
どれほどの沈黙が流れただろうか。周囲が固唾を呑んで見守る中、武蔵は顔だけを城主である老人に向けた。
「城主殿、この娘も〈外の者〉とかいうお主らにとっては不要な者だったな?」
城主である老人は「まあ、そうだが……」と歯切れ悪く答えた。
「いらぬなら貰うぞ」
武蔵は伊織に顔を向き直すと、「宮本伊織という名だったな」と改めて存在を確認する。
「はい、宮本伊織と申します!」
曇りのない真っ直ぐな伊織の眼差しを見て、武蔵は「俺は手取り足取りは教えんぞ」と厳しさを含んだ声で言った。
「お主も多少の武の心得があるのなら分かるであろう。武とは教わることが重要なのではない。自得することが重要なのだ。もしもお主が弟子という立場に甘え、自得する性根が薄れた場合は女子など関係なく斬り捨てる……むろん、その程度の覚悟はしてのことだろうな?」
伊織は「覚悟しています」と満面の笑みを返した。
「ですが、お師匠様。私からも一つ言わせてください。もしもお師匠様が師匠という立場に甘え、弟子の私から異世界のことを学ぶ気概が薄れた場合、私はお師匠様に対してどのような判断をすればよろしいのですか?」
目を丸くしたのも束の間、武蔵は嬉しそうに笑った。
「抜かしよるわ……まあ、そうだな。そのときは――」
武蔵は腰帯に差していた大刀の柄を右手でトントンと叩いた。
「この〈無銘・金重〉で俺を斬らせてやろう」
この二人のやり取りのあと、宮本武蔵と宮本伊織の両名は国内における移動や滞在の制限が一切かかることなく城外へ追放された。
だが、この宮本武蔵というあまりにも規格外な人物の騒動によって、この後の世界を狂わせかねない重要なことを確認していなかったことに気づいていなかった。
誰も宮本武蔵のステータスを確認していなかったことに――。
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