七の太刀 女子高生の弟子
「確かにそなたの言う通りだ、異世界の〈外の者〉よ。この場での権限はすべて余にある」
老人は武蔵からアリーゼへと顔を向き直すと、下がれという命令だったのか開いた左手を差し向ける。
「父上、ですが――」
「アリーゼ」
老人は重く低い凄みのある声でアリーゼの名前を口にした。
アリーゼは苦虫を噛み潰すような表情を浮かべて後方へと下がっていく。
さて、と老人は再び武蔵へと視線を合わせた。
「衆目の中で人としての在り方を問うとは、中々に痛いところを突いてくる。これで余が感情に任せてアルバートを処罰してしまっては、余は人としての尊厳を簡単に踏み潰す悪王という噂が立つであろうな」
老人は値踏みするような眼差しで武蔵を見つめる。
これに対して武蔵は先ほどよりも嫌な気分にはならなかった。
なぜなら、この一国の城主であろう老人が暗君の類ではないと少ないやり取りから確信したからだ。
「ミヤモト・ムサシ……という名だったか。国王である余に対して堂々と発言するその胆力たるや、並みの人間ではないな。ましてや、王国最強の剣士と名高いアルバートを一騎打ちで負かすその剣の技量は見事の一言に尽きる」
「回りくどい言い方も俺は好かん。一体、何が言いたい？」
このとき、武蔵はいつでも大刀を抜けるよう柄に手をかけていた。
たとえ老人が人として話の通じる城主だったとしても、鶴の一声で簡単に一人の人間を亡き者にできる立場なのである。
しかも相手は南蛮人なのだ。油断することは決してできない。
「安心せよ。そなたを陥れるような含みなどない。ただ、純粋に興味が出てきたのだ。先ほどそなたはアルバートの処罰を自分ならば防げる、と口にしたな」
「それがどうした？」
武蔵は何が言いたいのかわからないとばかりに眉根を寄せると、老人は感心したように顎ひげをさすりながら頷いた。
「何と機転の利くハッタリを言える者だと思ってな。アルバート一人ならばともかく、さすがのそなたでもこれだけの騎士団を相手に勝算など万に一つもあるまい。それを見越したそなたは、あえて太々しい態度で余に問かけたのであろう？」
老人は得意げな顔で二の句を継いでいく。
「これだけの衆目の中で余に同情を訴えかければ、余がアルバートに対して重い処罰を下す可能性は低くくなる。しいてはアルバートの自害を自分が止めた形になる、と」
なるほど、と納得するような空気が騎士団たちに流れたものの、当の本人である武蔵は眉一つ動かさずに「違うな」と答えた。
「何を勘違いしているか知らんが、それこそ俺はそのような含みを持たせて言ったのではない」
老人は顎ひげをさする手を止め、眉間に強くしわを寄せた。
さしずめそれは表情で「それでは、なぜあのようなことを口にした？」と問いかけているようである。
「できるからよ」
老人からの無言の質問を察した武蔵は、声の調子を変えずに断言した。
「できる？ 何をだ？」
「知れたこと。あるばあと殿に自害の命を下す者を斬ることに決まっておる。それが魔法を使うありいぜ、というあの娘ならばあの娘を斬る。それが城主たるお主ならばお主を斬る……ただ、それだけだ。何の含みなどない」
城主である老人を含め、室内にいた人間たちの全身の毛が逆立った。
無理もない。
武蔵の口から出た台詞は、同じ人間とは思えない悪鬼羅刹の台詞だったからだ。
「ば、馬鹿な！ そなたは気でも狂っているのか！」
突如、血相を変えて大声を張り上げたのは城主の老人であった。
「そんなことをすれば確実に死は免れなかったぞ。それとも何か？ そなたには余を殺しても生きてこの城から抜け出せる策があったとでも言うのか？」
一拍の間をおいたあと、武蔵は空いていた左手を小刀の柄にかけた。
「そんなものはない。城主であるお主を殺せば、間違いなく俺は城中にいる侍たちに囲まれて殺されるだろう。それでも俺はあるばあと殿の自害を止めたかった」
なぜなら、と武蔵は落ち着いた声で言い放った。
「俺はあるばあと殿と剣を交えたことで、あるばあと殿がいかに国を思い、剣の修練を積み重ねてきたのかよく分かったからだ。国は違えど、俺も剣を命と見立ててきた者の一人。目の前において無能な上役の命で自害する剣者など見たくはない」
事実である。
武蔵は心の底からアルバートを死なせるには惜しい男と思ったのだ。
けれども剣の高みのみを目指す剣者ではなく、生き残ることに重きを置いている兵法者という観点からすれば、武蔵が取った行動は兵法者に取ってあるまじきことであった。
それこそ、何の策もなく自分の命を捨てるような真似など本来してはならないことだ。
では、今となって武蔵が失言したと後悔しているかと問われれば否である。
――我、事において後悔せず。
たとえどのような結果になろうとも、自分の選んだ道を悔いることはしない。
これこそが、宮本武蔵を天下無双たらしめている精神力の源だった。
「分からぬ……余にはまったく分からぬ」
一方、城主である老人は信じられないとばかりに首を左右に動かす。
「そなたは先ほどアルバートと殺し合いをしたはず。しかし、今度はそのアルバートを助けるために命を捨てるような言動を取る……一体、そなたは本当に何者なのだ？」
「何者も何も、最初から名乗ったはずだ」
武蔵は大刀と小刀の柄を握っていた手に力を込める。
「宮本武蔵――天下無双人だと」
言うなり武蔵は、城主である老人に対して〝気〟を強く込めた視線を飛ばした。
すると城主である老人は身体を強張らせ、続いて誰かに押されるようにして椅子に座り込んだ。
武蔵の尋常ならざる〝気〟を込めた眼光に圧倒されてしまったのである。
「……ミヤモト・ムサシよ」
十秒ほどの長い沈黙が続いたあと、城主である老人は掠れるような声で武蔵の名を呼んだ。
「そなたはこれからどうしたい？」
「どう、とは？」
「そのままの意味だ。本来ならば異世界の〈外の者〉は国を追放して魔物の森へ捨ておくか、国の地下において幽閉するのが掟とされている。そなたならばどちらを選ぶ？」
「どちらも選ばん。俺は俺の好きにさせてもらう」
それとも、と武蔵は十センチほど大刀と小刀を抜いて見せた。
「俺の命が尽きるまで俺と殺り合ってみるか？」
城主である老人は口の端を上げて小さく笑った。
「やめておこう。余とてまだ死にたくはないのでな」
武蔵は大刀と小刀を勢いよく納刀した。
室内にキインという鍔の音が響く。
「話はついたな。それではこれにて失礼させてもらう……ご免」
武蔵が城主である老人に頭を下げ、くるりと踵を返したときであった。
そこには話を中断させていた伊織の姿があった。
しかし、立ってはいない。なぜか両膝を屈するような形で座り込み、なおかつ額が床に付かんばかりに頭を下げていたのだ。
「み、宮本武蔵先生………いや、宮本武蔵様………いいえ……お、お師匠様！」
伊織は勢いよく頭を上げると、これから切腹するかのような必死の形相で武蔵を見た。
「どうか、私を弟子にしてください！」
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