表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/64

六十の太刀   武蔵、開眼!

「トーガ殿! 本日も一手(いって)指南(しなん)いただきたい!」


 そう高らかに(さけ)んだのは、滝壺(たきつぼ)の横の地面に立っていた武蔵である。


「何度言えば分かる!」


 すぐに武蔵のはるか頭上からよく通る声が返ってきた。


「俺は指南(しなん)などしてはいない! ただ、お前を殺しているにすぎん!」


「それだけで十分です!」


 武蔵は(のど)が張り裂けんばかりの声量で返事をする。


「〈聴剄(ちょうけい)〉を使えば分かりますぞ! これまでにトーガ殿が俺に技を習得(しゅうとく)させんがために、わざと力の流れを見やすくして技を出してくれていたことが!」


 ほう、とトーガは感心したように(うなず)いた。


「ようやく〈聴剄(ちょうけい)〉を会得(えとく)することができたか! お前は力の流れを(あやつ)ることにかけては天賦(てんぷ)の才があるものの、逆に力そのものを大きく多方面に広げて維持(いじ)することの才が(うす)かった……ちなみに今はどんな感じだ!」


 武蔵は「不思議な感覚としか言えませぬ!」と大声で答えた。


 嘘偽(うそいつわ)りのない事実である。


 普段は身体から一寸(いっすん)(約3センチ)ほどの広さで(まと)っていた〝気〟を、今の武蔵は見上げるほど頭上にいたトーガまで広げていた。


 こうなると両目を閉じていても分かる。


 すべてではないものの、トーガが考えている一部のことをだ。


 本当に不思議な感覚であった。


聴剄(ちょうけい)〉を使っていると、その広げていた〝気〟の範囲内にいる者の一部の考えが()()として頭の中に浮かんでくるのだ。


 同時に武蔵は思った。


 おそらく、これは普通の〈聴剄(ちょうけい)〉ではないかもしれない。


「そうだ! 最初の段階の〈聴剄(ちょうけい)〉は力の範囲内にいる生物の気配や動向しか分からないが、今のお前のようにさらに上の段階の〈聴剄(ちょうけい)〉を使えるようになると相手の考えすら明確に読み取れるようになる!」


 トーガはニヤリと笑って言葉を続けた。


「それこそ〈聴剄(ちょうけい)〉の派生技(はせいわざ)――〝読心(どくしん)〟だ……そして、さらに修練を積んでいくと波長(はちょう)の合う者同士と言葉を(かい)さずに頭の中で会話が可能になる!」


 などとトーガは口にした。


 だが、肝心(かんじん)の武蔵には上手く伝わらなかったようだ。


 武蔵は「トーガ殿、(まこと)に申し訳ありませぬ!」と大声を上げる。


(たき)の音のせいであまり聞き取れませなんだ!」


 トーガは見るからに肩を落とした。


 ――この未熟者め!


 直後、武蔵の脳内に叱咤(しった)の文字がはっきりと浮かんでくる。


 武蔵は気恥(きは)ずかしくなり大きくうな()れた。


 しかし、この場所で離れた相手の声を聞き取るには多少の無理があった。


 正確な時刻(じこく)こそ分からなかったが、日の光を燦々(さんさん)と降り(そそ)いでいる太陽が真上にあるということは昼頃なのだろう。


 そして、ここは森の中の開けた場所ではない。


 荘厳(そうごん)(たき)がある渓谷(けいこく)の一角である。


 滝口(たきぐち)からは大量の水飛沫(みずしぶき)を上げた水が滝壺(たきつぼ)へと流れ落ちていた。


 その(たき)の音のせいで武蔵はトーガの声を上手く聞き取れなかったのだ。


 しかもトーガは武蔵のはるか頭上の滝口(たきぐち)の近くにいるので、(たき)の音と(あい)まって余計に声が聞き取り(にく)くなっていた。


 何せ滝壺(たきつぼ)近くの苔生(こけむ)した地面に立っていた武蔵から見て、トーガがいる滝口(たきぐち)までは十六(じょう)(約50メートル)はあるのだ。


 これでは満足に声を聞き取れないのも仕方ない。


 と、普通の人間ならば思うに違いなかった。


 しかし、トーガから言わせればそんなものは何の言い訳にもならないという。


 大勢の人間で埋め尽くされている街中。


 敵味方の叫声(きょうせい)であふれ返っている戦場。


 そのような声自体が上手く働かない場所などにおいて、特定の敵の察知(さっち)や味方への伝達を効率(こうりつ)よく行わなければならないことなど多々(たた)ある。


 そして、それは巨大な(たき)がある渓谷(けいこく)だろうと同じだ。


 武人としての矜持(きょうじ)(プライド)があるのならば、常に音だけに頼らず〈聴剄(ちょうけい)〉を使って周囲のすべてに敏感(びんかん)になれ。


 それだけではない。


 常在戦場(じょうざいせんじょう)――常日頃から戦場にいるような心構えでいろ。


 この10年の間にトーガから幾度(いくど)となく指摘(してき)されたことである。


「いつまで落ち込んでいるつもりだ、武蔵! 早くこちらに上って来い!」


 武蔵はハッと我に返った。


「今すぐに!」


 快活(かいかつ)に返事をした武蔵は、瞬時に両足に〝気〟を込めて地面を蹴る。


 すると武蔵の身体は一跳躍(ひとちょうやく)二間(にけん)(約3.6メートル)の高さを飛び、そのまま(たき)の横の断崖(だんがい)()け上った。


 むろん、手などは一切使わない。


 武蔵は断崖(だんがい)から突き出ている岩を足掛(あしが)かりに、まるで飛翔(ひしょう)するかの(ごと)滝口(たきぐち)へと(のぼ)っていく。


 それは文字通り〝()びながら(かけ)る〟の体現(たいげん)だった。


 武蔵は(またた)く間に滝壺(たきつぼ)から滝口(たきぐち)まで移動すると、仁王立(におうだ)ちしていたトーガの前に降り立つ。


「〈箭疾歩(せんしつほ)〉の派生技(はせいわざ)である〝飛翔(ひしょう)〟も中々に(さま)になってきたな。最初の頃の何度も(のぼ)っては落ちを繰り返して死んでいたときとは大違いだ」


「これもトーガ殿との闘いのおかげです」


 武蔵は感慨深(かんがいぶか)く頭を下げた。


箭疾歩(せんしつほ)〉の派生技(はせいわざ)――〝飛翔(ひしょう)〟。


 高速移動で分身を作り出す攪乱技(かくらんわざ)の〝繚乱(りょうらん)〟と違い、〝飛翔(ひしょう)〟は足場の悪い場所を安全に移動する歩行技(ほこうわざ)に分類される。


 上手く使えば垂直(すいちょく)に近い断崖(だんがい)を手を使わずに()け上ることはもちろんのこと、川や毒の沼地なども身体をつけることなく移動する水面歩行(すいめんほこう)も可能だ。


 そして今の武蔵が使える〈外丹法(がいたんほう)〉は〈箭疾歩(せんしつほ)〉だけではない。


 この10年の間にあらかたの〈外丹法(がいたんほう)〉を使えるようになっていた。


 それもすべてはトーガとの実戦を越えた闘いの恩恵(おんけい)に他ならない。


 トーガが一つ一つの技の詳細(しょうさい)を説明しながら殺してくれたおかげで、神技とも呼べる〈外丹法(がいたんほう)〉がどうすれぱ使えるのか肉体で分かることが出来たのだ。


 これにはひたすらに感謝しかなかった。


 おかげで10年前とは比較(ひかく)にならないほど闘いの(はば)が広がったのだ。


「それで? この10年の間にお前が俺に(いだ)いたのは感謝だけか?」


「いいえ、滅相(めっそう)もない」


 武蔵は真剣な眼差(まなざ)しで即答(そくとう)した。


「この切りの良い節目(ふしめ)をもって、トーガ殿との別れと(いた)したく(ぞん)じます」


 武蔵の堂々とした物言いに、トーガは「ほう」と嬉しそうに微笑(ほほえ)んだ。


「俺に一太刀(ひとたち)()びせられる工夫がついたか?」


 武蔵は力強く「はい」と(うなず)く。


「よかろう……ならば来い!」


 トーガは武蔵の視線を真っ向から受け止めながら、長刀(ながだち)と大刀の二刀をそれぞれの手の掌上(しょうじょう)から顕現(けんげん)させた。


 天理の究極形(きゅうきょくけい)――〈色即是空(しきそくぜくう)〉。


 魔法の終極形(しゅうきょくけい)――〈空即是色(くうそくぜしき)〉。


 トーガの二天一流にてんいちりゅうを支える、恐るべき天魔法(てんまほう)の二本柱だ。


 武蔵は二刀流となったトーガを見て、自身の刀もすらりと抜き放つ。


 大刀である〈無銘(むめい)金重(かねしげ)〉は当然のこと、かつてギガントエイプに叩き折られたはずの小刀も颯爽(さっそう)と抜いて見せる。


 武蔵が抜いた小刀は折れてはいなかった。


 なぜかこの蓬莱山(ほうらいざん)では、現世(うつしよ)で折られたはずの小刀も完全に元通りになっていたのだ。


 そしてそれを武蔵が知ったのは10年前のことであり、10年経った今では当たり前のように元通りになった小刀と大刀の二刀流でトーガに(いど)んでいる。


 あれから何万回死んだのだろうか。


 トーガと同じく二刀構えになった武蔵は、ふと(なつ)かしさのあまり両目を閉じた。


 こうして目を閉じれば走馬灯(そうまとう)のように浮かんでくる。


 (いど)んでは殺され、殺されては(いど)んだ苛烈(かれつ)な死闘の日々。


 (くや)しさなどとっくの昔に捨て去った。


 代わりに(ひろ)ったのは、絶対にトーガの技を()()にしたいという兵法者の欲だ。


 やがてその情念(じょうねん)が実を結んだのか、10年経った今では十分ではないが天理も魔法も〈外丹法(がいたんほう)〉も一通りは扱えるようになった。


 それゆえに今となってはトーガの力量(りきりょう)の深さに尊敬(そんけい)の念を(いだ)き、同時にトーガと剣を交えられる喜びを心から感じている。


 トーガはふっと笑みをこぼした。


「余計な雑念(ざつねん)に支配されている限り、俺に一太刀(ひとたち)()びせられることなど永遠に不可能だぞ」


「むろん、それは嫌と言うほど承知(しょうち)しております」


 そう言うと武蔵は静かに両目を開けた。


「む……」


 その武蔵の目を見たトーガは低く(うな)る。


 武蔵の目の光からは、相手に勝ちたいという我執(がしゅう)が消えていたからだ。


 いや、消えていたのは我執(がしゅう)だけではなかった。


 ()()でも相手に勝ちたい。


 自分だけが強くありたい。


 何としてでも負けたくない。


 兵法者ならば誰でも持つ、勝負への我欲(がよく)すらも消えていたのである。


 無心(むしん)であった。


 もしくは一切のわだかまりがなく、()み切った心境とも言えただろう。

 

 どちらにせよ、今の武蔵は心身ともに依然(いぜん)とは比べ物にならないほどの高みに達していた。


 それは武蔵の目の光から以外でも十二分に見て取れる。


 いつの間にか武蔵は独特の構えを取っていた。


 感情を()き出しにしない冷静な顔つき。


 二刀を下段に構えていながらも、無駄(むだ)(りき)みが一切ない理想的な脱力状態。


 武蔵の肉体を中心に、天と地が光の柱で(つな)がっているような(じく)のある(たたず)まい。


 以前にアルビオン城でアルバートと相対したときにも取った構えであった。


 しかし、あのときの構えと今の構えは違う。


 見た目は同じ構えに見えても中身が恐ろしく変化している。


 アルバートと闘ったときには、武蔵はこの構えでは完全に()(せん)(カウンター)を取るしか出来なかった。


 言い換えればこの構えでは()(せん)(カウンター)しか出来ないというのが過去の武蔵の見解(けんかい)であったのだ。


 だが、今の武蔵はこの構えからでも他に二つの(せん)を取れるようになっていた。


 (せん)(せん)(相手が動作を起こす前に攻撃する)。


 (つい)(せん)(相手が攻撃してきたあとに反撃する)。

 

 などと呼ばれている二つの(せん)である。


「たかが10年でよくぞここまで」


 トーガは武蔵の構えを見て破顔(はがん)すると、すぐに武蔵と同じ無心(むしん)になる。


 そんなトーガを見ても武蔵は心を()らさず、ありのままのトーガを受け入れた。


 剣術、体術、天理、魔法、〈外丹法(がいたんほう)〉、どれもトーガが上なのは変わらない。


 とはいえ、そこで勝つか負けるかを考えて心を乱すなど()骨頂(こっちょう)


 ゆえに武蔵は何にも(とら)われない無心(むしん)となった。


 ただ、ひたすらに心技体(しんぎたい)(みが)いてきた宮本武蔵という兵法者を信じる。


 その一念のみを(つらぬ)く一振りの刀と化したのだ。


 どれほどの時が経っただろうか。


 互いに一歩も動かず自然に()け込んでいた中、やがて一陣(いちじん)の強風が吹き荒れた。


 その強風に乗って、無数の桜の花びらが二人の間に舞い落ちてくる。


 やがて最後の桜の花びらの一枚が地面に落ちたとき――二人の姿が一瞬にして消えた。


 同時に鋭い空烈音(くうれつおん)が何度も鳴り響く。


 このとき、この場に第三者がいたら驚愕(きょうがく)しただろう。


 誰もいない場所に土埃(つちほこり)と無数の桜の花びらが舞い、空気を切り裂く不気味な音がずっと鳴り続けていたからだ。


 だが、そんな不思議な光景もすぐに終わりが来た。


 ザッ、と地面を(すべ)る音が二つすると、トーガと武蔵の姿がその場に現れた。


 しかし、二人の立ち位置はまったく逆になっている。


 そればかりか二人は(たが)いに背を向けた状態で、六間(ろっけん)(約十メートル)まで間合いが遠のいていた。


 よく見れば構えも最初とは(こと)なっている。


 二人とも最初は二刀を下段に構えていたのだが、姿を現してからの二人は身体を前傾(ぜんけい)にさせながら二刀を振り切ったように大きく両腕を広げていたのだ。


「武蔵……見事(みごと)だ」


 トーガは前方を見つめながら(つぶや)く。


 次の瞬間、トーガの着流しに「×」の字の亀裂(きれつ)が走った。


 続けて傷口から大量の鮮血が噴出(ふんしゅつ)する。


円明流(えんめいりゅう)――」


 武蔵もトーガに背を向けた状態で(うな)るように(つぶや)いた。


「〈直通二剣(じきつうにけん)〉」


 やがて武蔵の目から熱い涙が流れ落ちる。


 それは長年の悲願(ひがん)を達成させた、虎の歓喜(かんき)の涙であった――。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


中々、面白かった。


何か続きが気になるな。


今度、どうなるんだろう。


などなど、少しでも気になる要素がありましたら


是非とも広告の下にある☆☆☆☆☆を★★★★★にさせる評価ボタンがありますので、ぜひともこの作品への応援などをよろしくお願いいたします。


面白かったら★5つ、つまらなかったら★1つと率直な評価でけっこうです。


また面白い、つまらない、微妙だな、など読者様の正直な感想をいただけると幸いです。


その中でも面白かったと思われた方、よろしければブックマークのボタンも押していただけると物凄く嬉しいです。


どうぞ、よろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ