五十六の太刀 大剣聖、トーガ・カムイ・ブラフマン
武蔵の血に対して〈判別草〉は異常な反応を示した。
天理使いを表す「〇」の形の葉と、魔法使いを表す「△」の形をした葉。
その二枚の葉が別々の色に輝き始めたのだ。
明らかに四つの属性を表す反応のどれにも当てはまらない。
武蔵は瞬きをすることも忘れ、二枚の葉を食い入るように見つめる。
「〇」の形の葉は黄金色に輝き、「△」の形をした葉は白銀色に輝いていた。
「黄姫殿、これは一体――」
どういうことだ、と武蔵が尋ねようとした直後である。
〈判別草〉にさらなる別の反応が表れた。
突如として〈判別草〉の幹が大きく膨れ上がったのだ。
次の瞬間、〈判別草〉の近くにいた三人はハッと気づいた。
武蔵、黄姫、黒狼の三人はすぐさま長机から離れる。
そうした間に〈判別草〉の幹はどんどん膨れ上がっていく。
いや、それは膨れ上がるという生ぬるいものではなかった。
一尺(約30センチ)ほどの大きさだったはずの〈判別草〉が、一気に七尺(約2メートル)はあろう〝木〟になったのだ。
当然ながら長机自体が重さに耐えられるはずもなく、巨木へと成長した〈判別草〉によって長机はあっさりと壊れた。
そのまま〈判別草〉は床へと落ちる。
かろうじて床は抜けなかったものの、十畳ほどの部屋に突如として巨木が現れた光景は異様の一言だった。
そして樹齢数十年と言われても遜色ないほどに成長した〈判別草〉からは、心を落ち着かせる濃密な木の匂いが漂ってくる。
それだけではない。
成長した〈判別草〉の枝には、薄桃色の花が咲いていたのだ。
(これはまさに……)
武蔵は日ノ本の人間ならば見慣れている花を見て唖然とした。
桜である。
〈判別草〉は日ノ本において始まりの象徴であり、古来より森羅万象の移り変わりを示す桜の木へと成長したのだ。
そんな桜の木――〈判別草〉を見上げながら、最初に口を開いたのは全身を震わせていた黄姫である。
「まさか……これは〈大剣聖の花〉」
武蔵を始めとして、ルリや黒狼の視線が黄姫に集中した。
「私も実際に見るのは初めてなのですが、以前に〈世界天理武林〉の本部で長老たちから聞いたことがあります」
黄姫は畏怖とも歓喜とも取れる、微妙に裏返った声で言葉を続けていく。
「かつて世界を救った〈大剣聖〉ことトーガ・カムイ・ブラフマンは、世にも珍しい薄桃色の花が咲き乱れる蓬莱山において修行を重ね、やがて天理と魔法を開眼。そして天理と魔法を体系化したトーガ・カムイ・ブラフマンは自分の流名を〝二天一流〟と命名した、と……その逸話からこの薄桃色の花――サクラは最強者たるトーガ・カムイ・ブラフマンを象徴する〈大剣聖の花〉と呼ばれるようになったそうです」
武蔵は黄姫から桜の木へと顔を向ける。
トーガ・カムイ・ブラフマン。
初めてこの冒険者ギルドを訪れたとき、黄姫から聞かされた。
自分の記憶が確かならば、千年以上前にこの世界を魔物たちから救った英傑の名だったはずである。
そればかりか、天理と魔法の二つの力を世に広めた武人だったという。
「この桜の花が……異世界における最強者の象徴だと?」
武蔵は無意識に桜の木へと近づき、そっと右手で樹皮に触れた。
右手の掌に伝わってくるのは本物の木の感触だ。
「そもそも、どうしてこのようなことが起こった?」
武蔵が尋ねると、黄姫は左右に頭を振った。
「さすがに私も〈判別草〉がこのようになるなど見たことが」
ありません、と黄姫が答えようとした直後である。
「――――ッ!」
武蔵の視界に凄まじい光の奔流が飛び込んできた。
突如として桜の木から放たれた、目が眩むほどの黄金色の煌めく閃光。
そして武蔵の全身は一瞬のうちに黄金色の閃光に包まれた――
黄金色の閃光に包まれている中、武蔵は不思議な感覚に支配されていた。
天上へと昇っているような、もしくは地底へと落下しているような、あるいはそのどちらでもないような上手く言葉に表せない感覚である。
だが、その中でも明確に分かっていることがあった。
それは自分の肉体の自由が利かないということだ。
特に両足にはまったく力が入らず、立つという行為そのものが出来ない。
それでいて、どこかに肉体ごと流されていることだけは武蔵も感じられた。
(俺はどこに向かっているのだ?)
やがて一瞬とも永遠とも言えるような時が過ぎ去ると、武蔵の両足に確かな感触が戻ってきた。
同時に視界が徐々に鮮明になっていく。
「な、何だ!」
完全に目の前の光景が視認できるようになったとき、武蔵は思わず声高に叫んでしまった。
無理もない。
眼前に広がっているのは冒険者ギルドの一室ではなかった。
完全にどこかも分からない屋外であったのだ。
しかもいつの間にか夜の帳が下りており、夜空には煌々と大地を照らす満月が浮かんでいた。
「一体、ここは……」
狐につままれたような顔をした武蔵は、それでも必死に状況を飲み込もうと周囲を見渡す。
どうやら自分は森の中の大きく開けた場所にいるようだった。
大気には木々から醸し出された濃密な〝生〟の匂いが充満している。
そして、その森の中に咲き乱れていたのは見事なまでの桜の木々だ。
薄桃色の花片が微風に乗って大量に舞っている。
武蔵はごくりと生唾を飲み込んだ。
なぜ、このような場所にいるのかは皆目見当もつかない。
だが、その中でも武蔵はふと思う。
まるで禅を習った和尚から聞いた異国の桃源郷だ、と。
武蔵はしばらく青白い月光をその身に受け、夜闇に映え踊っていた桜の花びらを眺めていた。
どのぐらい経っただろうか。
「そろそろ気づいて欲しいのだがな」
不意に武蔵の耳に男の声が聞こえてきた。
武蔵はビクッと全身を震わせ、慌てて身体ごと振り向く。
後方にそびえ立っていたのは、他よりひときわ目立つ巨大な桜の木だ。
その桜の木に深々と背中を預けていた男がいた。
二十代半ばほどの年若い男である。
女のような柳眉に桃色の唇。
尖ったあごに向けて頬は滑らかな曲線を描いている。
老若男女を関係なく魅了するような、完璧な造形美を持つ男であった。
それだけではない。
男は女が羨むほどの流麗な黒髪を背中まで伸ばしていた。
着ていたのは和服である。
袴をつけていない着流し姿に草履を履いていた。
日ノ本の町人のような格好だ。
着流しの男は右手に持っていた徳利の中身を、左手に持っていた朱色の盃に注いでいく。
おそらく、徳利の中身は酒だろう。
「まあいい。何はともあれ待ちわびたぞ、新免武蔵守藤原ノ玄信……いや、普段はただの宮本武蔵のほうで通しているのだったな」
妖艶な笑みを浮かべた着流しの男は、ぐいっと盃の中身を飲み干していく。
武蔵は眉間に深くしわを寄せた。
(こやつ、俺のことを知っているのか?)
聞き間違いではない。
着流しの男は確かに自分のことを宮本武蔵だと言った。
そればかりか、着流しの男は自分の本当の名前を知っていたのだ。
新免は名字。
武蔵守(武蔵)は通名。
藤原は本姓。
玄信は諱だ。
その中でも新免は養父である無二の家系の名字であり、武蔵は無二と縁切りしてからは郷里の名前である宮本姓で通している。
そして諱は読んで字の如く〝呼ぶことを忌み嫌う名〟であり、武士にとっては親や主君以外から言われることを大変に嫌った。
武蔵は他の人間よりもその辺はあまり頓着していなかったものの、それでも初対面の人間から諱を言われると良い気はしない。
しかも武蔵は着流しの男と面識など皆無である。
どうして着流しの男は自分の名をすべて知っているのか。
正直、武蔵にとってその疑問のほうが不快感よりも大きかった。
「お主、物の怪の類か?」
そう言うと武蔵は右半身になって腰を落とした。
すぐさま左手の指で大刀の鯉口を切り、右手を大刀の柄に添える。
抜き打ちの構えだ。
武蔵が着流しの男を物の怪と疑うのも当然であった。
初対面の相手の名前をすべて知っていることなど通常はありえない。
他にもこのような得体の知らぬ場所で、優雅に満月を肴に酒を飲んでいるなど普通ではなかった。
しかし、一番の理由は着流しの男が放つ〝気〟の圧力が異常だったことだ。
まるで数千年を生きた大樹のような生命力と、嵐のときの津波のような迫力が混然一体の〝気〟となって押し寄せてくる。
全身から脂汗を流しながら臨戦態勢を取った武蔵。
そんな武蔵に対して着流しの男は「俺が物の怪か……」と鼻で笑った。
「これでも人間だ。それに俺には世に通った名もある」
着流しの男は再び空の盃になみなみと酒を注いだ。
「トーガ・カムイ・ブラフマン」
盃が傾かれ、酒が着流しの男の口内へと流し込まれる。
着流しの男――トーガは空になった盃から武蔵へと顔を向けた。
「人は俺を〈大剣聖〉と呼ぶ」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
中々、面白かった。
何か続きが気になるな。
今度、どうなるんだろう。
などなど、少しでも気になる要素がありましたら
是非とも広告の下にある☆☆☆☆☆を★★★★★にさせる評価ボタンがありますので、ぜひともこの作品への応援などをよろしくお願いいたします。
面白かったら★5つ、つまらなかったら★1つと率直な評価でけっこうです。
また面白い、つまらない、微妙だな、など読者様の正直な感想をいただけると幸いです。
その中でも面白かったと思われた方、よろしければブックマークのボタンも押していただけると物凄く嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願い致します。