五十三の太刀 吉岡一門との記憶
「黄姫殿……まさか、俺は女を斬れないと高を括っているのではあるまいな?」
「いいえ、そのようなことはありません。あなたは一流の剣士としての分別をきちんとわきまえている。自分の快楽や何の理由もなしに女子供を斬るような真似はしないでしょうが、裏を返せば斬るに足る理由があるのならばあなたは女子供だろうと容赦なく斬る……そうではありませんか?」
女子供だろうと容赦なく斬る。
その言葉を聞いた武蔵は、八年前に吉岡一門と死合った記憶を蘇らせる。
かつて武蔵は天下分け目の関ヶ原の戦いに生き残ったあと、天下無双人を目指すべく京で最強と呼ばれていた吉岡流に闘いを挑んだ。
最初に死合ったのは当主の吉岡清十郎である。
当時の武蔵は二十一歳という若さだったものの、養父・新免無二からの稽古に加えて実戦の経験を積んでいたことで当主の吉岡清十郎に勝利した。
それだけではない。
続いて兄の敵討ちを申し出てきた弟の伝七郎にも打ち勝ち、武蔵は京で知らない者のいないほどの兵法者として名を上げることができた。
しかし、吉岡流との因縁はそこで終わらなかった。
吉岡流の看板である兄弟を失った門弟たちは、あろうことか武蔵に清十郎の実子であった十かそこらの又七郎との決闘を申し出てきたのである。
武蔵は迷いに迷った。
吉岡の門弟たちが又七郎を名目人(名前だけの敵討ち人)に仕立て上げ、助太刀として八十名近い門弟で襲い掛かってくることは明白だったからだ。
普通の兵法者ならば脱兎の如く逃げ出していただろう。
だが、本物の天下無双人を目指していた武蔵は逃げなかった。
ここで逃げては京で上がった名が地に落ちてしまい、そして一度名が落ちた兵法者は二度と日の目が見れないことを養父・新免無二を見て知っていたからだ。
こうして武蔵は一乗寺下がり松において、吉岡又七郎と八十名近い吉岡流の門弟たちと死闘を演じることになった。
そして武蔵は八十名近い吉岡流の門弟たちをことごとく斬り伏せ、目に涙を浮かべて震え上がっていた又七郎も容赦なく斬り捨てたのだ。
心がまったく痛まなかったわけではなかった。
けれども、どんな事情であれ武門の子が決闘場に足を踏み入れた以上は、斬る覚悟も斬られる覚悟も持たなくてはならない。
武蔵も同じであった。
そこを童(子供)だからと躊躇してしまえば、天下無双人になるどころか武蔵は兵法者でもなくなる。
ゆえに武蔵は斬るに足る理由を持って、又七郎に刃を振り下ろしたのだ。
武蔵は意識を現実へと引き戻し、黄姫に鋭い眼光を飛ばした。
「左様(その通り)だ。俺は斬るに足る理由があれば女や童(子供)でも躊躇いなく斬る……俺を愚弄すれば、女であるそなたでも容赦なく斬るぞ」
武蔵は右手を大刀の柄に添えた。
威嚇ではない。
このとき、武蔵は本気で黄姫を斬ろうと抜き打ちの構えを取ったのだ。
しかし、黄姫の態度には細波ほどの乱れもなかった。
「構いません。どうぞ、お斬りになってください。ですが、これだけは断言しておきます」
黄姫は真剣な表情で言葉を続ける。
「今のあなたには、絶対に私の首は落とせません……いえ、それどころか私の肌に傷一つつけることも出来ないでしょう」
「む……」
武蔵は眉間に深くしわを寄せて黄姫を見つめた。
これが並の兵法者ならば一笑に付す間もなく斬りつけていたところだが、相手は並どころか極上の部類に入る強者の黄姫だ。
おそらく、絶対に斬れないと言い切れるほどの何かがあるに違いない。
だが、武蔵にはその何かが一向に分からなかった。
そして、こうなると話が違ってくる。
まるで大きく開けている虎の口に手を入れるような感じだ。
不用意に手を入れれば、確実に無傷ではすまないだろう。
そんな思考を働かせた武蔵が据え物のように固まっていると、黄姫は「私の挑発に簡単に乗らないのはさすがですね」と言った。
「けれども、あなたが私の身体に傷をつけられないのは事実……それは剣士としての技量の問題ではなく、天理使いとしての技量の問題なのです」
そう言うと黄姫は右手を上げて「L」の形のような状態にする。
「それをあなたは身を持って知らなければならない。これから冒険者となり、迷宮で〈ソーマ〉などの宝物級のアイテムを入手したいのならば尚更です」
武蔵は黄姫が言いたいことをすぐに察した。
「なるほど……つまり、首の前にその右腕を斬れなくてはだんじょんでそうまを手に入れることは無理だということだな?」
武蔵は獰猛な虎の笑みを浮かべた。
「この武蔵、美鬼の腕ぐらいは斬ってみせるぞ!」
次の瞬間、武蔵は抜く手も見せぬ速度で鞘から大刀を抜き放った。
紫電のように閃いた大刀が黄姫の右腕に向かって走る。
そして――ガツッという鈍い音が鳴った。
「ば、馬鹿な……」
武蔵は抜刀した状態のまま驚愕した。
大刀の刃は黄姫の右腕を切断するどころか、衣服の表面でしっかりと受け止められていたのだ。
信じようとも信じられない光景である。
刀身から伝わってきた感触によって、黄姫が衣服の下に何も装着してないのはよく分かった。
だからこそ、武蔵は目の前の現実を受け止められなかった。
その気になれば鉄兜すら斬れる自分の斬撃を、金属製の長手甲も装着せずに生身の肉体で受け止められるはずがない。
「これは〈硬気功〉です」
やがて黄姫は右腕で刃を受け止めたまま呟いた。
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