四十五の太刀 師匠としての思い
「〈ソーマ〉は迷宮にある」
そう口にしたルリだったが、すぐに「……多分やけど」と歯切れ悪く言葉を付け足した。
「一体、どっちだ!」
武蔵はルリに向かって叫んだ。
直後、ルリは自分の口元に一本だけ立てた右手の人差し指を当てる。
「静かにせえや、オッサン。せっかく薬が効いてきたのに、伊織が起きてしまうやないか」
ルリの小声を聞いた武蔵は、慌てて伊織に顔を向けた。
伊織は両目を閉じて荒い呼吸を繰り返していたものの、今の怒声に大きく反応した様子は見られない。
どうやら、ルリが飲ませた薬が効き始めているのだろう。
ほっと胸を撫で下ろすと、武蔵は懇願を含ませた眼差しでルリを見る。
「大声を出したことは謝る……だが、はっきりとしてくれ。そのだんじょんにそうまとやらはあるのか? それとも、ないのか?」
武蔵は伊織を刺激しないように小声で訊いた。
「うちも薬草採取の専門家やないから、はっきりとしたことは言えん。せやけど、世の中に出回っていることを考えればあるんやろうな」
「そうか……ん?」
あまりにも軽く言われたので、武蔵は思わず聞き流しそうになった。
「待て待て。そのそうまという薬草は市場で売られているのか? ならば、だんじょんとやらに行く必要はなかろう」
そうである。
迷宮とやらがどのような場所かは知らないが、市場で売り買いされている代物ならば、わざわざ行く必要などない。
などと思った武蔵に対して、ルリは難しい顔をして両腕を組む。
「出回っている意味がちゃう。〈ソーマ〉は普通の薬草と違って、まず一般の市場には出回らん。出回るとしても裏世界の連中が主催する闇競売ぐらいやろうな。そんな闇競売でも滅多に流れてこんのが〈ソーマ〉っちゅう代物や」
ルリはため息をついて言葉を続ける。
「まあ、裏世界の闇競売なんて簡単には参加できんけどな。仮に何らかのコネを見つけて闇競売に参加できたとしても、〈ソーマ〉が競売に掛けられるかどうかも分からん」
「そうなのか?」
当たり前や、とルリは言い放った。
「もしも運よく闇競売に〈ソーマ〉が出品されたとしても、闇競売に参加するのも商品を落とすのにも信じられんほどの金が要るから、どのみち今のうちらのような一介の冒険者と無職のオッサンにはどう足掻いても手に入れることは不可能や」
ここにきて、武蔵にもようやく話の内容が掴めてきた。
おそらく、裏世界の連中とは異世界のやくざ者たちのことなのだろう。
そして闇競売は一般には流通しない特別な代物の競りのことであり、話の内容から察するに強力な伝手がない限り参加することすら無理に違いない。
たとえ幸運が重なって競りに参加できたとしても、肝心の〈ソーマ〉があるかどうかも分からないのならば、闇競売で〈ソーマ〉を手に入れるという行動を取ることは無謀と言える。
ましてや、ルリが指摘するように今の自分には金がないのだ。
だとすると、〈ソーマ〉を確実に手に入れるための手立ては一つしかない。
「まともに手に入らない以上、自らだんじょんとやらにその薬草――そうまを取りにいくしかない……ということか?」
「そういうこっちゃ」
ルリはうんうんと頷く。
よし、と武蔵は颯爽と立ち上がった。
「そうとなれば善は急げだ。今からだんじょんとやらに行くぞ」
「はあ? 今からって……もう夜やで」
「夜だろうが昼だろうが関係ない。事は一刻を争うのだろうが」
「それはそうやけど、今のオッサンが迷宮に行っても門前払いや」
「どういうことだ?」
どうもこうもない、とルリは緩く両腕を組んだ。
「迷宮は基本的に冒険者しか潜れない決まりになっとるから、冒険者登録もしてない等級なしのオッサンが迷宮に潜ろうとしても、入り口の門番たちに追い返されるのがオチや」
ふん、と武蔵は鼻を鳴らした。
「俺が門番程度にやられると思っているのか?」
「いやいや、そういう問題ちゃう。確かにオッサンなら入り口の門番を倒して簡単に迷宮内に入れるやろうけど、そんなことをすればオッサンは立派な犯罪者や。それこそ、伊織を助けるどころの話やなくなってくるで」
武蔵ははっと我に返った。
確かにルリの言うとおりである。
伊織を早く助けたいあまりに気が急いてしまったが、どんな事情であれ罪人になってしまったら元も子もない。
ルリが注意してくれたように、伊織を助けるどころか今後の行動にもかなりの影響が出てくる。
そう考えたとき、武蔵はふとあることに気がついた。
「だが、それほど厳重に警備されているだんじょんとはどういった場所なのだ?」
そうである。
迷宮がそもそもどういった場所で、何をするところなのか聞いていないのだ。
「いくら可愛い弟子のためやからって、あまりにも気が逸りすぎやでオッサン……まあ、そんな人間は嫌いじゃないけどな」
そう言うとルリは、迷宮について武蔵に説明する。
「ええか、オッサン。迷宮言うんは、地上の常識が通用しないでっかい地下世界のことなんや。そこには希少な鉱物やアイテムはもちろん、金銀財宝がたくさん取れるっちゅうんで昔から多くの人間が潜ってきた歴史がある。けどな……」
ルリは一呼吸だけ置くと、難しい顔で二の句を紡ぐ。
「その反面、世間から隔離されていることをいいことに迷宮内で犯罪が多く起こってきたんや。殺人、誘拐、私刑、麻薬の密売と何でもやな。そこで無法地帯だった迷宮内の犯罪を抑制するため、国は迷宮内に迷宮騎士団を設立した」
「迷宮騎士団?」
ルリは力強くあごを引いた。
「迷宮内の治安維持を名目とした騎士団のことや。通称、迷宮の土竜とも呼ばれとる。たとえオッサンが門番を倒して迷宮に潜ったとしても……いや、門番なんかを倒して潜ったら、それこそ迷宮騎士団に目をつけられて終いやろうな」
「その迷宮騎士団とやらは、それほどの技量を持っているのか?」
「十人ほどしかいない騎士団やけど、全員が超一流の天理と武術の使い手や。それこそ、Sクラスの冒険者でもこの連中とは闘いを避けると言われとる」
その後、ルリは迷宮騎士団以外にも、この国の騎士団と呼ばれる人間たちのことを詳しく教えてくれた。
このアルビオン王国には、王国騎士団と呼ばれる戦闘集団が存在している。
そして、この王国騎士団は城を守護する王宮騎士団、街を守護する防衛騎士団、迷宮を守護する迷宮騎士団の三つに分かれているという。
この中でも迷宮と呼ばれる地下世界の治安を守っているのが、迷宮の土竜という二つ名を持つ迷宮騎士団らしい。
「せやから、門番を倒して迷宮に潜るなんて真似は絶対にしたらアカン。わざわざ自分から迷宮騎士団に目をつけられに行くなんて自殺行為やで。伊織を一刻も早く助けたいオッサンの気持ちは分かるけど、それならなおさら正規の手順を踏んで迷宮に潜るべきや」
「それが冒険者になる、ということか?」
「ああ、そうや。まずは冒険者にならんことには話にならん。せやけど、冒険者になるのぐらいはギルドで登録をすれば簡単になれる……問題はそのあとやな」
「まだ何かあるのか?」
正直、武蔵もそろそろ限界だった。
あまりにも異世界の専門用語が多く飛び交いすぎて、さすがの武蔵も理解することが困難になっている。
「ここからが重要なんや。ギルドで冒険者登録をして冒険者になれば、何の問題もなく迷宮には潜れる。潜ったあとも犯罪行為に手を染めんとけば、少なくとも迷宮騎士団に目をつけられることもないやろう」
ただし、とルリは口調を強めて話を進める。
「問題は二つある。無事に冒険者になって迷宮へ潜れたとしても、〈ソーマ〉の在り処を知っとる〈迷宮案内人〉を見つけて雇えるかどうかが一つ。二つ目は〈ソーマ〉を手に入れたとして、この〈ソーマ〉をちゃんとした薬に調合できる薬師が必要になってくることや……まあ、この薬師に関してはギルドに行けば何とかなるやろうな。確かあのくそデカ拳法女の片割れが――」
と、ルリが言葉を続けようとしたときだ。
「失礼します」
部屋の外から声が聞こえてきた。
武蔵とルリが視線を向けると、部屋の外にはマサムネの姿があった。
「伊織さんの具合はいかがですか?」
そして伊織を気にかけてくれたのか、マサムネは慎重な足取りで部屋の中に入ってくる。
「これはマサムネ殿。おかげ様で伊織も何とか持ち堪えております」
武蔵はマサムネに身体の正面を向けると、その場で深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ何もできなくて申し訳ありません」
「とんでもない。こうして部屋を貸していただけただけで十分です。何と礼を言えばよいか」
「顔を上げて下さい、武蔵さん。礼を言うのはむしろこちらのほうです」
武蔵はゆっくりと顔を上げた。
「お二人は息子の恩人なのですから……いえ、息子だけではありませんね。武蔵さんと伊織さんは、私たち一家全員の恩人です」
武蔵とマサムネの視線が交錯する。
すでにマサムネには白龍寺で起こったことを話してある。
今回のマサミツと伊織を誘拐した首謀者の一人が隻腕の兵法者であり、その隻腕の兵法者は伝承作品の刀を手に入れたあとマサミツで生き試しをしようとしていたことなどだ。
「あの黒ずくめの男の伝承作品への執着を考えれば、遅かれ早かれマサミツは誘拐されていたでしょう。それどころか、もしかするとあの黒ずくめの男は私たち一家全員を殺して、伝承作品の刀を奪い取るという行動を取ったかもしれません」
マサムネの言葉に武蔵は小さく頷いた。
それは大いにあっただろう。
隻腕の兵法者の伝承作品への執着は並々ならぬものがあった。
あの異常なまでの執着ぶりならば、それこそマサムネ一家を皆殺しにしても手に入れようとしたかもしれない。
「だからこそ、礼を言うのはこちらのほうなのです。その礼の代わりと言ったら何ですが、どうぞ伊織さんが回復するまでこの部屋を好きに使ってください」
それは武蔵からすれば願ってもないことだった。
どのみち、伊織を助けるためにはある程度の日数がいる。
それまでは伊織を休ませておく場所がどうしても必要だったが、こうして部屋を貸し続けてくれるのならば、ここは甘えさせてもらおうと武蔵は思った。
「重ね重ね、かたじけない。この礼は必ずいたす」
「いえいえ、お気になさらずに。それに息子も伊織さんが心配なのです。何せ彼女は命の恩人なのですから……なあ、マサミツ」
そう言うとマサムネは顔だけを振り向かせた。
釣られて武蔵もマサムネが見ている部屋の外に目線を向ける。
するとマサミツが顔半分だけを覗かせながらこちらを見ていた。
武蔵とマサミツの目が合うと、やがてマサミツは部屋の中へと入ってきた。
そのままマサミツはマサムネの横を通り過ぎ、荒い呼吸を繰り返している伊織の元へと向かう。
マサミツは伊織の身体の横へと来ると、心配そうな顔で伊織を見下ろす。
ほどしばらくして、マサミツは伊織から武蔵へと顔を向けた。
そして――。
「ねえたん……死んじゃうの?」
掠れるような声でそう漏らす。
武蔵は力強い眼差しでマサミツを見つめ、二、三度顔を横に振った。
「伊織は死なん……俺が絶対に死なせん」
強がりではない。
このとき、武蔵は自分の命に代えても伊織を助けると決めていた。
不思議なものだ、と武蔵は自分に対して思う。
この異世界で伊織と出会ってから数日しか経っていないにもかかわらず、もう何年も共にいたような気がしている。
なぜかは分からない。
けれども、その感覚は武蔵にとって不快ではなかった。
それゆえに、このまま伊織を死なせるのはあまりにも不憫すぎる。
まだ何も円明流の技を教えていないということもあったが、それ以上に伊織には同じく死ぬのならば異能の力の反動というおかしな理由ではなく、一人の兵法者として闘いの中で死なせてやりたい。
これは一人の兵法者としてでもあり、一人の師匠としての武蔵の純然たる思いでもあった。
やがて武蔵はマサミツからルリに視線を移す。
「ルリよ……お主にとっては迷惑だろうが、もうしばらく付き合って欲しい。この武蔵、必ず礼はいたすゆえ」
「まあ、仕方ないな。ここまで来たら、とことん付き合ったるわ。ただ、その礼っちゅう部分は期待してるで。伊織に与えている薬もタダやないんやからな」
「重々、承知している。それも含めて必ず借りは返す。なので、ルリよ――」
武蔵は真剣な表情でルリに言う。
「明日は朝一でぎるどへと向かうぞ」
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