四十二の太刀 覚醒、宮本伊織の天掌板
(て、天掌板? あの右手が?)
カイエンの天掌板を見た伊織は、あまりの衝撃に言葉が出なかった。
ルリや赤猫から詳しく教えられたことなので、天掌板の性質については記憶にも新しい。
そして半透明の板ではないということは、カイエンの天掌板は第二段階の〈練気化〉なのだろう。
天掌板の〈練気化〉。
半透明の板である第一段階の〈練精化〉と違い、第二段階の〈練気化〉まで天掌板の力を向上させることが出来ると、術者の性格や嗜好に影響された武器やアイテムに変化するというのだ。
けれども、まさか人間の身体の一部にまで変化するとは思わなかった。
伊織は錯覚かもしれないと何度か瞬きを繰り返したが、やはりカイエンの天掌板は本物の人間の右手にしか見えない。
しかもその右手が、紛れもなく空中に浮かんでいるのだ。
それは天掌板が顕現したときと同じであった。
だとすると、やはり浮かんでいる右手は天掌板が変化したものに違いない。
一方の武蔵は眉間に深くしわを寄せると、右半身になって腰を落とした。
次の瞬間、白煙で模られた二人目の武蔵だけが霧散する。
なぜかは伊織にも分からなかった。
白煙で模られた二人目のカイエンは残っているのに、どういうわけか白煙で模られた二人目の武蔵だけが消えてしまったのである。
伊織が頭上に疑問符を浮かべると、臨戦態勢を取った武蔵がカイエンに向かって呟く。
「人でなしどころか、異形の者であったか」
この武蔵の言葉を聞いて、カイエンの目眉がぴくりと動いた。
「異形の者……か。確かにそう呼ばれることは多い。だが拙者のことをそう呼んだ人間は、一人たりともこの世にはもうおらん。なぜか分かるか?」
不意にカイエンの全身から、凄まじい殺気が放出された。
その殺気はさながら突風となって、武蔵と伊織の身体を容赦なく圧してくる。
同時に白煙で模られた、二人目のカイエンに動きがあった。
白煙で模られたカイエンが、左手に持っていた小刀を天高く放り投げるような動作をしたのだ。
しかし、白煙で模られた小刀は手元から離れてすぐに霧散してしまった。
奇妙な光景に伊織が目を丸くさせていると、カイエンは続きの言葉を武蔵に言い放つ。
「拙者のこの右手によって、一人残らずあの世へと旅立ったからだ」
直後、生身のカイエンは左手に持っていた本物の小刀を天高く放り投げた。
すると天掌板の右手は天高く放り投げられた小刀に向かって飛んでいき、空中でしっかりと小刀の柄の部分を握ったのである。
それだけではない。
小刀を握ったカイエンの右手はそのまま空中を泳ぐように移動し、やがて生身のカイエンの目の前までぴたりと止まったのだ。
このとき伊織は、自由自在に動いた天掌板の右手を見て、まさかと思った。
続いてリーチの死体に視線を移す。
ずっと気になっていたリーチの殺害方法――それは天掌板を変化させた右手で行ったのかもしれない。
たとえばリーチの顔面に天掌板の右手を飛ばし、拳打か掌打のどちらかを食らわせて怯ませる。
その隙にリーチの手から同じく天掌板の右手で斧を奪い取り、すかさずリーチの頭部に振り下ろしたのではないか。
などと推測を立てた伊織を無視して、カイエンは武蔵のみに敵意を向ける。
おそらく、この場で危険なのは武蔵一人だけと判断したのだろう。
カイエンは武蔵への眼光を鋭くさせる。
そして――。
「冥土の土産だ。拙者の〈幻影操手〉の力、とくと見せてやろう!」
そう言うなり、最初に動きを見せたのは白煙で模られたカイエンだった。
白煙のカイエンは、武蔵に向かって左手を大きく突き出すような動作をする。
次の瞬間、小刀を握っているカイエンの右手が武蔵に向かって飛翔していく。
それも小刀の切っ先を武蔵に合わせたまま、結構な速度を伴ってだ。
これには百戦錬磨の武蔵も面を食らったのだろう。
顔面目掛けて飛んでくる右手一本の突きに対して、武蔵は突きが当たる直前に真横へ大きく跳躍することで何とか回避する。
だが、〈幻影操手〉と呼ばれたカイエンの右手は止まることを知らなかった。
〈幻影操手〉は突きを躱されると、まるで意志があるように向きを変えて再び武蔵へ飛行していく。
これにはさすがの武蔵も防戦一方にならざるを得なかった。
今の武蔵は両手が刀袋で塞がっている状態であり、とても自分の大刀を抜いて闘える状況ではなかったからだ。
ならば大刀と小刀が入った刀袋を捨てて闘えばいいではないか、というのは刀の扱い方を知らない現代人の考え方でしかない。
けれども剣道と居合道を幼少の頃から学んでいた伊織にとっても、竹刀や木刀はおろか日本刀という存在は特別なものであった。
己の一生を刀に見立てて乱世を生きた武蔵ならば、なおさら粗末には扱えなかったはずである。
ましてや人質の命運を握っている二振りの刀となれば、床に落とすどころか一瞬でも手放すわけにはいかないと武蔵は考えているはずだ。
そんな武蔵に対して、カイエンが不敵な笑みを浮かべた。
「中々にやりおる……だが、本番はここからだ」
続いてカイエンの全身を覆い尽くしていた、黄金色の燐光の旋回速度が明らかに上がった。
その旋回速度に呼応するように、〈幻影操手〉の移動速度も上がる。
まずい、と伊織は思った。
完全に今の武蔵は、〈幻影操手〉からの回避行動を強いられていた。
加えて〈幻影操手〉の移動速度が上がったことで、カイエン本人を狙うことも圧倒的に難しくなっている。
それは傍から見ていた伊織もよく分かった。
〈幻影操手〉を操っているカイエンに間合いを詰めようとしても、まったく予期しない角度から刃の切っ先が文字通り飛んでくるのだ。
しかも〈幻影操手〉の攻撃方法は突きだけではなかった。
それこそ〈幻影操手〉による袈裟斬りや横一文字斬りなど、多彩な斬撃が武蔵に繰り出されている。
いくら宮本武蔵とはいえ、永遠に〈幻影操手〉による攻撃を躱し続けることは出来ないだろう。
伊織の脳裏に、最悪な映像が浮かんでくる。
やがて体力の限界を迎えた武蔵が、〈幻影操手〉が握っている小刀に串刺しにされる光景が。
事実、武蔵の避け方に余裕が感じられなくなってきた。
これまでの闘いとは勝手が違ったこともあるだろうが、やはり〈幻影操手〉の動きがより速く、より複雑になってきたことが大きな原因だろう。
このままでは、本当に武蔵は致命的なダメージを負ってしまうかもしれない。
では、弟子の自分は武蔵がやられるのを黙って傍観しているべきか。
答えは絶対に否である。
互いに納得している尋常な果たし合いならばともかく、これはカイエンの魔の手からマサミツを救う闘いなのだ。
だとすれば、伊織のやるべきことは一つである。
(私がマサミツ君を救うんだ!)
伊織は自分を奮い立たせると、現状を打破するために思考を働かせた。
現在、自分は完全に蚊帳の外に置かれている。
剣士としては屈辱的なことだか、見方を変えればカイエンに対して不意をつけることを意味していた。
または何とかカイエンの目を掻いくぐり、マサミツだけを取り戻せるならベストなのだが――。
(たぶん、それは無理)
伊織は奥歯をぎりりと軋ませた。
腐ってもカイエンは一流の兵法者なのだ。
武蔵に意識を向けながらも、自分に対する警戒も怠っていないはずである。
ならばカイエンの隙をつき、マサミツを取り返すことは不可能に近い。
(じゃあ、どうすればいいの……)
伊織は自分の不甲斐なさに、下唇を噛み締めた。
マサミツを救うと息巻いたものの、今の自分には決定的な手段が何もないのだ。
仮に先ほどまで武器にしていた鉄棒を拾ったとしても、本気になったカイエンには絶対に通じないだろう。
となると残る武器は自分の五体だけなのだか、武器を持っても勝てない相手に素手で勝てるはずがない。
伊織は利き腕である右手を顔の前まで持ってきて、爪が皮膚に食い込むほど強く握り締めた。
(私にもっと力があれば……)
そしてふっと力を抜き、右拳を開いて掌を上に向けたときだ。
伊織の掌上に半透明の板が顕現した。
まるで伊織の悔しさを感じ取り、自分の意志で現れたかのようである。
しかし顕現した天掌板を見て、伊織の悔しさはさらに激しさを増していく。
それは天掌板の第一段階の〈練精化〉であり、ほとんど身分証明くらいにしか役に立たない状態だからだ。
だからこそ、伊織は心中で首を大きく左右に振った。
(違う。私が欲しいのは、こんなステータスもどきじゃない。お師匠様やルリのような本当の――)
力が欲しいと、強く願ったときだ。
「――――ッ!」
伊織は自分の下丹田に凄まじい熱量と圧力を感じた。
やがて、はたと気づく。
下丹田の位置に、黄金色に輝く光球が出現していることを。
「これって……」
伊織は顔を下に向け、下丹田の位置に出現した光球を食い入るように見た。
その光球からは眩い燐光が噴出し、右回りに旋回して伊織の全身を覆い尽くしていく。
武蔵やカイエンと同じ、異様な状態になった伊織。
だが、すぐに伊織は我が目を疑うことになる。
光球が次第に炎球へと変化していき、伊織の全身を覆っていた燐光も明らかな火の粉へと変わったのだ。
第三者からすれば、伊織の身体は火だるまになったような光景である。
けれども、伊織自身は炎に包まれているような熱さは感じていなかった。
感じていたのは、血液が沸騰するほど体内から溢れてくる生命のエネルギーだ。
そう認識した瞬間、伊織の全身を覆っている火の粉に動きがあった。
とてつもない生命の力が感じられた大量の火の粉は、伊織が顕現させた天掌板へと吸い寄せられていく。
数秒も経たないうちに、天掌板も伊織と同様に火だるまになった。
伊織は瞬きをすることも忘れ、炎に包まれた天掌板を見つめる。
やがて炎に包まれた伊織の天掌板は、半透明の板から別の形へと姿を変えた。
緋色の火の粉を散らす、一振りの火焔剣へと――。
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