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四十の太刀   宮本武蔵の弟子ということ

(決まった……達人相手に私の突きが……)


 伊織は鉄棒の先端に確かな手応えを感じた。


 剣道の試合でも味わったことのないほどの感触である。


 いくら達人のカイエンとはいえ、しばらくは満足に動くことはできないだろう。


 などと思った伊織の考えは一瞬で(くつが)された。


「ゆ、油断したわ」


 カイエンはむくりと上半身だけを起こすと、左手に持っていた鉄棒を杖代わりにして立ち上がる。


 しかし、達人らしい機敏(きびん)な動きではなかった。


 右胸にダメージが残っているのは間違いない。


 明らかに右胸の痛みを(かば)っているような動きをしていたからだ。


「たかが女子(おなご)の剣と(あなど)りすぎた」


 カイエンは鉄棒を床に落とすと、小刀を抜いて伊織に切っ先を突きつける。


余興(よきょう)は終わりだ。兵法者の身体に傷をつけた罪は、お主の命で(つぐな)ってもらう」


「な!」


 これには伊織も驚きを隠せなかった。


「話が違うじゃない! 私があなたに一撃を入れたら、マサミツ君を返してくれる約束でしょう!」


 そもそも見返りの話を口にしたのは、他でもないカイエンからである。


 カイエンに一太刀でも入れたらマサミツを返す、と。


 それを実際に攻撃を当てたら、あっさりと約束を破るなど言語道断(ごんごどうだん)だ。


 兵法者というよりは、人としてあるまじき行為である。


 カイエンは伊織の(うった)えに対して、「青いな」と酷薄(こくはく)した笑みを浮かべた。


「すべては遊びだと言ったはずだ。それに相手を(あざむ)くことも兵法の内よ」


 悪びれた様子もなく言い放ったカイエン。


 そんなカイエンに伊織は激しい怒りを覚えた。


 おそらく、カイエンは最初から約束を守る気などなかったのだ。


 それどころか自分よりも実力が劣る小娘の攻撃など、一発も当たるはずがないと(たか)(くく)っていたに違いない。


 だとしても、自分から口にした約束を破るのはあまりにもひどすぎる。


 次の瞬間、伊織は下丹田(げたんでん)に燃えるような熱を感じた。


 まるでカイエンに対する怒りが火種(ひだね)となり、触れるものを焼き焦がす〝火玉〟が出現したような錯覚を覚えたほどである。


 伊織は鉄棒を握る両手に力を込めた。


 正直、ただの鉄棒でカイエンの小刀を防ぐことなど不可能だろう。


 しかも今のカイエンは、先ほどと違って自分を(あなど)る気持ちを捨てている。


 下手にこちらから打ち込んでも返り討ちにされ、待ちに徹しても雪崩(なだれ)のような勢いで間合いを詰められて斬られるのは目に見えていた。


 そうなると、もはや伊織が助かる道は一つ。


 このまま全速力でカイエンから逃げることだ。


 ちょうど伊織の後方には、外と通じていた開けっ放しの出入り口がある。


 伊織の健脚(けんきゃく)ならば、痛手を負っているカイエンから逃げられる可能性は高い。


 もちろん、伊織がマサミツを見捨てる覚悟があればの話であった。


(逃げたらダメ……私が逃げたら、きっと矛先(ほこさき)はマサミツ君にいく)


 今のカイエンは、格下の相手に痛手を負わされて不快(ふかい)になっている状態だ。


 そんな中、痛手を与えた伊織が逃げ出せばどうなるか。


 決まっている。


 十中八九、カイエンの不快(ふかい)矛先(ほこさき)はマサミツに向かうだろう。


 伊織は闘う前のカイエンの言葉を思い出す。


 ――もしも、お主が拙者(せっしゃ)に一太刀でもまともに浴びせられたならば、二代目殿の息子を無傷で返すと約束してやろう


 この()()()()()という言い回しだったのは、人質の価値があるのなら多少の怪我を負った状態でも良いという意味を表しているのではないか。


 そうだった場合、やはり伊織に逃げるという選択肢はなかった。


 自分が逃げることで、マサミツに危害が及ぶかもしれないのなら尚更(なおさら)だ。


 目の前の子供一人助けようとしない兵法者など、どれだけ武の技に()けてようとも人として存在する価値などない。


 けれども、勝てないと分かっている相手に立ち向かうべきなのか。


 答えは分からない。


(お師匠様……)


 だからこそ、伊織は師である宮本武蔵の姿を脳裏に浮かべた。


 そして伊織は脳内の武蔵に問いかける。


(私はあなたの弟子として、どうすればいいですか?)


 すると脳内の武蔵は伊織に力強く言い放つ。


 ――この武蔵の弟子ならば、剣で死ぬるを本望(ほんもう)といたせ


 その武蔵の言葉は、今の伊織の迷った心に深々と突き刺さった。


 当然ながら伊織も死ぬのは怖い。

 

 本気になったカイエンに立ち向かうということは、猛スピードで走る車に自分から飛び込むようなものである。


 現代人の正しい感覚であるなら、猛スピードで走る車に飛び込むことなどしないしできない。


 だが、武蔵が生きていた戦国時代の兵法者たちは違った。


 死生観(しせいかん)が薄皮一枚の時代の兵法者たちは、自分の(こころざし)()げるためなら躊躇(ちゅうちょ)なく猛スピードで走る車に飛び込んだことだろう。


 意を決した伊織は、鉄棒の先端をカイエンに向けて身体を沈ませた。


 必殺の突きの構えである。


(私は宮本武蔵の弟子だ!)


 伊織は弱気になっていた自分に喝を入れると、カイエンに向かって疾駆(しっく)した。


 同時にカイエンも、床を滑るような歩法を駆使して間合いを詰めてくる。


 二人の距離があっという間に縮まったとき、伊織はカイエンに向かって疾風(しっぷう)のような突きを繰り出す。


 しかし、伊織が狙った場所はカイエンの身体ではなかった。


 小刀である。


 カイエンが隻腕(せきわん)だということを考慮(こうりょ)すると、小刀こそが最大の強みであり弱点だと伊織は思ったのだ。


 だが伊織の鉄棒が届くよりも先に、カイエンの左手から銀色の閃光が走る。


 伊織は戦慄(せんりつ)した。


 小刀に突きを放った鉄棒は、目にも留まらぬ斬撃で半分に切断されたのだ。


 それだけではない。


 カイエンは返す刀で伊織の首を狙ってきた。


 死を覚悟した人間の直感力だったのだろうか。


 伊織はコンマ数秒でそれを直感で察知すると、半分の長さになった鉄棒を自分の首に走ってきた刀に叩きつけるように振るった。


 むろん、そのようなヤケクソな防御が通じるはずがない。


 直後、伊織の鉄棒が明後日の方向に弾き飛ばされた。


(まずい!)


 唯一の武器が無くなったことに慌てた伊織は、飛び退()くようにして大きく間合いを取る。


「ほう、よくぞ今の一撃を防げたな」


 と、カイエンは本当に感心したように(つぶや)く。


 一方の伊織は、首の皮一枚が繋がっていることに奇跡を感じていた。


 幸か不幸か分からなかったが、鉄棒が弾き飛ばされたのは二撃目の斬撃の刃筋(はすじ)がブレていたからに違いない。


 刃筋とは刃先と(むね)を結んだ方向のことであり、真剣ではどんなに斬れる刀であろうとも刃筋がブレている斬撃では人間を斬ることはできないのだ。


 もしかすると、片手斬りだったことも刃筋がブレた原因かもしれない。


 どちらにせよ、鉄棒を弾き飛ばされた程度で済んだのは幸いだった。


 二撃目の刃筋がブレていなかったら、確実に鉄棒ごと首を斬られていただろう。


 伊織はぎりっと奥歯を(きし)ませる。

 

 首と胴体は繋がっていても、手放しで喜んでいられるほど現状は甘くなかった。


 唯一の武器であった鉄棒が手元から無くなったのだ。


 まさに万事休すとはこのことである。


(もう、ここまでか……)


 伊織が諦めかけたそのとき、後方の出入り口に人の気配を感じた。


「ようやくお出ましか」


 カイエンの声を聞いた伊織は、勢いよく顔だけを振り向かせる。


 そこには大刀と小刀を入れた、二つの刀袋を持つ武蔵の姿があった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


中々、面白かった。


何か続きが気になるな。


今度、どうなるんだろう。


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面白かったら★5つ、つまらなかったら★1つと率直な評価でけっこうです。


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