三十九の太刀 見たか!
伊織はあまりの驚きに目を見張った。
(がんりゅうって……まさか、佐々木小次郎の巌流のこと?)
実際にどのような字を当てるのかは分からなかったが、がんりゅうという特徴的な流派名は佐々木小次郎の巌流しか思い浮かばなかった。
けれども、この異世界に佐々木小次郎の巌流があるはずがない。
なぜなら、異世界どころか現代日本においてもすでに失伝している流派なのだ。
おそらく、この異世界における別の流派名なのだろう。
などと伊織が考えていると、カイエンは落ち着き払った声で言った。
「先ほどの威勢はどうした? 拙者からは打ち込まぬゆえ、お主の好きに掛かって来て良いのだぞ」
そう言われて正直に打ち込んでいくほど、伊織は馬鹿でも素人でもなかった。
先に動いた方が高い確率で負ける、というのが武術の定理である。
ましてやカイエンは左腕一本で、小刀を自由自在に扱えるほどの剣士だ。
何の策もなく不用意に打ち込めば、それこそ逆に急所を打たれて終わりだろう。
(どうする……どうすればいい……考えろ、宮本伊織)
伊織は背中に冷や汗を感じながら、必死になって攻略法を考えた。
先手必勝は当然ながら見込めない。
だが、達人であるカイエンの攻撃に対して後の先――カウンターを確実に取れるかと問われれば、ほぼ無理だと答えるしかないだろう。
それほど伊織とカイエンの実力には、歴然とした差があったのだ。
「拙者の誘いに乗ってこぬか。さすがに馬鹿ではないようだな……では、これならどうだ?」
突如、カイエンは鉄棒の先端を突きつけながら前進してきた。
速くも遅くもない、友人にでも歩み寄るような等速の歩みである。
(――まずい)
伊織はカイエンの間合いの詰め方に戦慄した。
カイエンの歩みには、重心のバラつきは一切見られない。
それでいて、鉄棒の先端にまで〝気〟が行き渡っているのが感じ取れたのだ。
まさに達人の動きである。
(ダメだ、闘るしかない!)
伊織は一瞬で覚悟を決めた。
下手な攻撃は命取りになると分かっているが、カイエンから仕掛けてきた以上は自分の持てる技で対処するしかない。
そして互いの攻撃がギリギリ届くほどの間合いになったとき、
「チェエエエエイッ!」
と、伊織は自分への喝と相手への威嚇を込めた気合を放った。
続いて伊織は勢いよく床を蹴って飛び込むと、カイエンの鉄棒に向かって渾身の一撃を打ち込んでいく。
まずは突きつけられてくる鉄棒を叩き落とし、すかさずカイエンの右肩に体重の乗った一撃を打ち込もうとしたのだ。
しかし――。
「ぬるいわ」
カイエンは伊織の最初の一撃をあっさりと弾き返した。
それだけではない。
間髪を入れず、カイエンは伊織の右肩へと鉄棒を走らせたのだ。
伊織はあまりの衝撃に動くことができなかった。
カイエンに自分の払い技をそっくりそのまま返されたばかりか、肩から数センチの場所で寸止めされたのである。
はっと我に返った伊織は、すぐさま後方に跳び退った。
反射的に中段に構える。
(これが本物の達人の動き)
伊織は改めてカイエンの腕前に絶句した。
本来ならば右肩ではなく頭部を狙う打ち込みだったのだが、鉄棒を本気で頭部に打ち込めば最悪の場合は死に至ってしまう。
そのため伊織は頭部ではなく肩を狙った肩打ちに変化させて打ち込んだのだが、おそらくカイエンはすべて見切った上で同じ技を返してきたのだろう。
カイエンは再び鉄棒の先端を伊織に突きつける。
「さあ、遠慮はいらん。どこからでも好きなように参れ」
大胆不敵なカイエンの言い様に、伊織は誘いなのかどうか分からず困惑した。
カイエンは一流の兵法者であり、剣術の奥に入っているであろう達人である。
下手な攻撃などは今のように弾き返され、完璧なカウンターを取られてしまう。
けれども、このまま待ちに徹するのも危険だと伊織は判断した。
もしもカイエンが本気で襲い掛かってきた場合、カイエンの足元にも及ばない伊織には万に一つの勝ち目はない。
それこそ、カウンターを取って勝利するなど夢のまた夢である。
だとすると、伊織が取るべき行動は一つしかなかった。
ある程度の怪我をするのは覚悟で、隻腕のカイエンが防げないほどの連続攻撃を仕掛けるしかない。
伊織はカイエンの垂れ下がった右袖を見つめる。
剣士としての実力が劣っている伊織にとって、勝機を見いだせるのはカイエンが隻腕であるということに尽きた。
いかにカイエンであろうとも、縦横無尽に繰り出される連続攻撃をすべて片腕で防ぐのは困難なはずだ。
もちろん、これが互いに真剣だったならば話は別であった。
真剣には真剣の戦い方があり、それこそ剣道のような戦い方は通用しない。
互いに手にしている得物が鉄棒というのも、伊織にとって利点が大きかった。
本物の刀よりも、竹刀や木刀を振るう感覚に近かったからだ。
そのお陰で剣道の技を十分ではないが活かすことができる。
覚悟を決めた伊織の行動は早かった。
次の瞬間、伊織は剣道において重要な攻めの勢いでもって鋭く踏み込んだ。
一気に間合いを詰めた伊織は、肉体に染み込んだ剣道の技を繰り出していく。
小手打ちから面打ち、小手打ちから胴打ちなどの二段技を、一つ一つ全身全霊の気迫を込めて打ち込んだのである。
「その程度か?」
けれども、カイエンの技量は伊織の想像をはるかに上回った。
小手打ちはすかされ、面打ちは鉄棒で防がれ、胴打ちなどは当たらない距離の分だけ身体を後退させることで難なく回避されたのだ。
しかし、ここまで来たら絶望している暇などない。
(――これならどうだ!)
小手から面などに繋げる二段技が通じないと悟った伊織は、すぐに二段技の発展系である小手、面、胴などに繋げる三段技を放っていく。
どれかは当たると確信した伊織に対して、カイエンは目にも留まらぬ速度で鉄棒を振るう。
立て続けに甲高い金属音が三回鳴り響いた。
伊織の小手、面、胴へと繋げた三段技を、カイエンは同じ速度と威力の三段技で返してきたのだ。
これには伊織も絶望するしかなかった。
そして伊織は反撃を嫌って大きく後方に跳び退ったが、あまりの衝撃に鉄棒を握る両手の痺れが治まらない。
(まさか、三段技を同じ三段技で返すなんて――)
青ざめた表情を浮かべた伊織。
そんな伊織にカイエンは抑揚のない声で言い放つ。
「巌流――風車返し」
このとき、伊織はまさかと思った。
カイエンの流派は、やはり厳と書く巌流なのだろうか。
すなわち宮本武蔵の生涯最強の宿敵――佐々木小次郎が創始した巌流なのかもしれない。
もちろん、すべては伊織の憶測でしかなかった。
そもそもこの異世界において、佐々木小次郎が創始した巌流が伝わっていること自体ありえない。
なぜなら慶長十七年(1612年)の四月に、佐々木小次郎は小倉舟島にて宮本武蔵に打ち殺されているのだ。
まさか武蔵に殺された小次郎は同じこの異世界に転生され、どこかで自分の巌流の技を広めているとでも言うのだろうか。
(佐々木小次郎……か)
伊織は宮本武蔵のことを調べる一方、ライバルとして小説や映画にも多く登場していた佐々木小次郎についても調べたことがある。
有名な秘剣・つばめ返しの技を編み出し、三尺(約九十センチ)を超える長刀の使い手として知られた佐々木小次郎。
その小次郎が長刀を使いこなせたのには、小次郎の師であった中条流の達人――富田勢源の稽古相手を務めていたからだという。
大刀や長刀を持つ相手に対して、どうすれば小太刀や小刀で制することができるのかという術理を工夫していた富田勢源の稽古相手を務めていた中、小次郎は自然に長刀の使い方をマスターしたと言われている。
当然ながら長刀以外にも小太刀や小刀を使う修行も積んでおり、カイエンが修めた流派が小次郎の巌流ならば小刀の使い方に優れているのも頷けた。
理由は他にもある。
風車返し、という技名であった。
具体的な技の内容はあまり残されていなかったものの、巌流には「風車」、「虎切」、「峰の松」などと呼ばれる剣技があったらしい。
だとすると、風車返しとは風車のことではないだろうか。
それに巌流の特徴は小次郎のつばめ返しの技名からも分かるように、非常にカウンターを得意とする流派だったという説がある。
ならば、カイエンのカウンターの技量の高さにも説明がつく。
そしてカイエンがまったく攻め込んで来ないのは、先ほど口にしたように余興だと思っているからに過ぎない。
本気になれば、それこそ津波のように襲い掛かってくるだろう。
「どうした? もう終わりか?」
カイエンは肩で息をしている伊織に不敵な笑みを向ける。
正直なところ、伊織が出せる技は残りわずかであった。
無双直伝英信流の居合技は刀を用いたものであり、実践よりも型の稽古を積んでいた伊織にとって、現状を打破するキッカケにはなりえない。
とはいえ、あらかた剣道の技は出し尽くしてしまった。
二段技や三段技はやろうと思えば技のバリエーションは増やせるが、どんなに技の順番を変化させようとカイエンには通じる気がしない。
(小手先の二段技や三段技は通じない。だったら――)
伊織に残された手立ては一つであった。
捨て身の戦法で闘いを仕掛け、その最中に勝機を見いだすことだ。
そうなると、伊織が繰り出せる技は一つである。
突きしかない。
伊織が持つ技の中でもより速く、より遠くの相手にも届く技である。
見切られるのは覚悟の上だ。
(それでもやるしかない!)
伊織は鉄棒の先端をカイエンに向けて身体を沈ませる。
(――参る!)
伊織はそのまま前のめりに倒れ込むように踏み込んだ。
一陣の風になったイメージで間合いを詰め、カイエンの喉笛に向かって最速の突きを放つ。
カイエンは伊織の突きを弾き返そうと、鉄棒を水平に薙ぎ払った。
甲高い金属音が周囲に木霊する。
伊織の渾身の突きは、カイエンの強烈な横打ちで弾き返された。
しかし、こうなることは伊織も読んでいる。
だからこそ突きを弾き返された瞬間、伊織は全身を脱力させてカイエンの横打ちを受け流したのだ。
そのため、伊織はすぐに体勢を整えることができた。
伊織は風に逆らわない柳の枝のように衝撃を受け流すと、そのまま綺麗に回転して元の位置へと戻る。
勝負はここからだった。
(これが本命よ!)
伊織はかっと両目を見開くと、引き絞られた弓から放たれた矢のように踏み込んで再び突きを放つ。
初めてカイエンの表情に曇りが見えた。
伊織の二発目の突きは、わずかに体勢が崩れていたカイエンの右胸に深々と突き刺さったのである。
「ぐうっ!」
カイエンはくぐもった声を上げると、伊織の全体重が乗った突きの威力に押されて後方へと倒れ込んだ。
伊織は突きの手応えを一心に感じながら、仰向けに倒れて苦悶の表情を浮かべていたカイエンを見下ろす。
そして――。
「見たか!」
伊織の魂の叫び声が、本堂の中に響き渡った。
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