三十五の太刀 死地への誘い
「何だ、今の音は?」
武蔵は店内のほうから聞こえてきた、異様な音に目眉を細める。
「えらくでかい音やったな。ホンマに何の音や?」
ルリも店内のほうに顔を向けた。
「お二人はここにいて下さい。私が少し様子を見てきます」
そう言ったのはマサムネである。
(……妙な胸騒ぎがする)
武蔵は大刀――〈尊天・清正〉を納刀すると、マサムネに手渡しながら「いや、俺が様子を見て来よう」と言った。
「ですが……」
申し訳なさそうな顔をしたマサムネに対して、武蔵は「遠慮せずとも良い」と口にする。
「こんな真っ昼間から物取り(泥棒)とは思えんが、土地柄的に万が一ということもあるだろう。それとも、絶対に物取り(泥棒)ではないと言い切れるのか?」
「それはありませんが……たとえ物取り(泥棒)だとしても、対応するのは店主たる私の務めです」
などと断言したマサムネだったが、微妙に膝が震えていたのを武蔵は見過ごさなかった。
正直、マサムネよりも隣にいるタエのほうが腕っ節は上だろう。
「心意気は立派だが、それは一人のときに発揮すれば良い。それに見事な刀を見せてくれた礼だ。物取り(泥棒)だとしたら軽く追い払ってやろう」
「待ってや、オッサン。うちも行くわ。助太刀は多い方がええやろ?」
「いらん……と、言いたいところだが好きにいたせ。お主のことだ。どうせ勝手についてくるだろう?」
「当たり前や。オッサンが行くところは、どこまでもついて行くで」
「勝手にせえ」
武蔵はルリに言い放って歩き始めた。
薄暗かった工房内を通り過ぎ、階段を上がって店内へ戻っていく。
もちろん、武蔵の後ろからルリもついてくる。
やがて二人が店内に戻ってきたとき、最初に異変に気がついたのは先頭を歩いていた武蔵であった。
出入り口の扉の横には大きな窓があり、その窓の前には南蛮剣が何本も置かれていたのだが、今はその南蛮剣が無残にも床に散乱している。
しかも散乱していた南蛮剣の中には、大きな石が一つだけ転がっていたのだ。
「外から石を投げ込まれたか」
「みたいやな。せやけど、誰が何の目的で石なんぞ投げ込んだんや?」
「それは投げ込んだ本人しか分からんな」
武蔵は念のため、他に異常がないか店内を注意深く見渡す。
どうやら、石を投げ込まれた以外の異常はなさそうである。
それに店内には人の気配もまったくない。
手狭な店だったため、元より人間が身を隠せる場所などあまりなかった。
「見たところ物取り(泥棒)ではないみたいだが、お主の言うように誰が何の目的で石を投げ込んできたのか分からぬのは気味が悪い」
「まったくや。悪戯にしてはタチが悪すぎんで」
ルリは舌打ち交じりに言うと、床に転がっている石に向かっていく。
そしてルリがおもむろに石に近づいたとき、武蔵は窓の外を見てハッとする。
直後、武蔵はルリに向かって疾風のように駆け出した。
「な、何なんや!」
慌てふためいたルリに、武蔵は移動しながら「動くな!」と声を上げる。
そのときであった。
窓の外から店内に向かって、一本の矢が空気を切り裂いて飛んで来たのだ。
武蔵はルリの横を通り過ぎると、飛来してきた矢を空中で素手で掴む。
常人には不可能な離れ業であった。
「どうやら、ただの悪戯ではないようだな」
武蔵は掴んでいた矢の先柄の部分を見て呟く。
「オッサン、そんな暢気にしている場合ちゃうやろ! はよう、矢を射ってきた相手を探しに行かんと!」
「捨ておけ。矢を射った奴など、もうとっくに消えておるわ。それに相手の狙いがはっきりしない以上、うかつに動けば命取りになりかねん。これがその証拠よ」
武蔵は矢の先柄の部分をルリに見せつける。
「どうして矢に紙なんぞ巻かれているんや?」
ルリが驚くのも無理はなかった。
矢の先柄の部分には、一枚の紙切れが巻かれていたのだ。
「知らんのか? これは矢文と言ってな。戦場での伝令や敵側を挑発することの他にも、素性を隠したい兵法者が果し状などを送る際に用いる手段の一つだ」
などと武蔵が説明しても、いまいちルリは理解していない様子だった。
「この異世界でも矢文を使うことはあるだろう?」
「いや、そんなもん聞いたこともないわ。オッサンの住んどった国だけの常識ちゃうんか?」
「たわけたことを申すな。ならば、なぜここに矢文がある」
そうである。
矢文が日ノ本独自の伝統だとしたら、こうして実際に異世界で矢文を射られた説明がつかない。
「だとすると、あれか……うちはよう知らんけど、オッサンらが住んどったっていう日ノ本に似た、大倭国には似たようなモノがあるんかな?」
何気ないルリの一言を聞いて、武蔵の脳裏にある男の姿が浮かんだ。
日ノ本の兵法者然とした、全身黒づくめの男の姿がである。
(違うか……あの五体では弓など使えまい)
全身黒づくめだった男は、明らかに剣の奥に達していた使い手の雰囲気だったものの、惜しむらくは右腕のない隻腕だったのである。
あれでは弓を使うどころか、満足に小刀すらも扱えないだろう。
そもそも誰かに頼んだところで、黒ずくめの男が矢文を仕向けてくる理由が分からなかった。
ならば、この矢文を射ってきたのは別の人物に違いない。
ただ、そうなると余計に分からなくなってくる。
誰が何の目的で、店内に矢文を射ってきたのだろうか。
それとは別に、窓の外から石を投げ込んできた相手のことも不明である。
(同一人物の仕業か、それとも同じ魂胆を持った別々の人物の仕業なのか……)
分からんな、と武蔵が再び矢文に視線を戻したときだ。
「なあ、オッサン。ともかく、その手紙に何て書いてあるか確認してみようや。わざわざ矢に巻きつけてあるっちゅうことは、この店の人間に手紙越しに伝えたいことがあるっちゅうことやろ?」
「自らの素性を隠してな」
武蔵は矢文を解くと、さっと中身を確認する。
「一体、何て書いてあるんや? いや、そもそもオッサンは字が読めるんか?」
ルリの質問に対して、武蔵はふとアリーゼの言葉を思い出した。
――可視化されたステータス内の文字は召喚魔法の恩恵により、あなたたちの日常で使用している文字に変換されているはずです。
――召喚魔法の恩恵は文字の変換のみならず、言語もこの世界のものに変換されています。
などという召喚魔法の恩恵のことだ。
「魔法と言うのは不思議なものよな。書いてある字こそ読めぬが、その字の上に日ノ本の言葉が浮かんで読めるようになっておるわ」
事実であった。
武蔵の目には、奇妙な字の上から日ノ本の字が浮かんでいるように見えている。
「二代目殿に告ぐ……」
武蔵はルリにも内容が分かるように、一言一句ゆっくりと読み上げていく。
二代目殿に告ぐ
ご子息の命は預かった
無事に返して欲しければ
本日、暮れ六(午後六時)つまでに
継承作品を持って、白龍寺本堂に来られたし
尚、件の得物はミヤモトムサシ殿を名代(代理人)として遣わすこと
追って書き記す
名代(代理人)以外の者、もしくは継承作品とは別の得物を携えた場合には
ご子息と女子の命はない
と、矢文の内容はこうだった。
「こんなん、うちでも分かるわ。この手紙を書いた人間は……」
「大倭国の人間であろうな。しかも店主殿の打った刀を遣わす名代(代理人)に、俺を名指ししてくるなど……思い当たる節は一人しかおらん」
もはや、この矢文を送ってきた下手人は明白であった。
マサムネの継承作品の刀を欲しがり、なおかつ自分の名を知っている者など思い当たる人物は一人しかいない。
(あの黒づくめの男に間違いあるまい)
そして黒づくめの男は正攻法では継承作品を入手できないと思い、兵法者にはあるまじきマサミツを人質に継承作品を手に入れるという考えに至ったのだろう。
しかも他人を雇ってまで、石や矢文を使うという念の入れ方である。
それゆえに、武蔵は歯噛みした。
すべては自分の好奇心と油断が招いた結果である。
異世界の刀工が打った刀見たさに、伊織とマサミツを目の届かない範囲に行かせてしまった。
あの黒づくめの男から放たれていた、異常なまでの継承作品に対する欲求を見ていたのだから、このような事態に及ぶことも十分にあり得たはずだ。
このとき、武蔵は自分のうかつさに対して激しい怒りを覚えた。
同時に下手人と思われる、黒ずくめの男に対しても腹の底から憤慨したものの、すぐに武蔵は怒りの感情を消した〝無心〟になる。
凶悪な魔物などと闘う場合は自分を奮い立たせることは必要だが、このように大切な人間を人質に取られた場合には、逆に冷静な心を持たなくてはならない。
一時の激情に身を委ねて行動してしまえば、それこそ取り返しのつかない愚行を犯してしまう可能性があるからだ。
「それで? どうするつもりや、オッサン」
「どうするも何も二人を取り戻す。だが、そのためには店主殿に話をせねば」
武蔵が苦々しく呟いたとき、店内の奥からマサムネが姿を現した。
「こ、これは一体……」
店内の荒れ具合を見たマサムネ。
そんなマサムネに武蔵は手紙を渡し、これまでの状況を順を追って説明する。
「そんな! マサミツが誘拐されたというのですか!」
手紙の内容を確認したマサムネに、武蔵は「まず間違いない」と感情を押し殺した声で言った。
マサムネは身体を震わせると、「こうしてはいられない」と地下の工房へと向かおうとした。
「待て。まさか、お主が行くと言うのではあるまいな」
「当然です! 息子が誘拐されたのなら、父親の私が助けに行くのは当たり前でしょう!」
武蔵はすぐにマサムネの肩を掴み、「落ち着け」と威厳のある声を発する。
「お主が行ったところで何も解決せん。それに下手人はお主が打った刀を、俺に持ってくるように指示している。ならば、ここは俺が行くのが道理だ」
「道理が何だと言うのですか! あの子を誘拐した奴は、継承作品の刀を欲しているのでしょう! だったら、さっさと渡せば済む話ではないですか!」
マサムネは武蔵の手を力任せに払い除けた。
「あの子が無事に帰ってくるのなら、この店にあるすべての武器を渡しても構いません!」
武蔵にもマサムネの気持ちは痛いほどよく分かる。
けれども、武蔵にはこの一件が継承作品の刀だけの問題とは思えなかった。
なぜ、下手人はわざわざ自分を名代(代理人)にしたのか。
ただ単に継承作品の刀が欲しいだけならば、それこそ闘う技術の無いマサムネを指名したほうが簡単に手に入ることだろう。
もしかすると、下手人は黒づくめの男だけではないのかもしれない。
継承作品の刀だけではなく、宮本武蔵本人にも用がある何者かの存在がいるのかもしれなかった。
そうでなくては、あのような書き方などするはずがない。
下手な真似をすればマサミツだけではなく、伊織の命もないような書き方をだ。
武蔵は気が昂っているマサムネを真摯に見つめ、この一件がただの誘拐ではないかもしれないことを淡々と説明した。
やがてマサムネは、徐々に落ち着きを取り戻していく。
「店主殿、会ったばかりではあるが俺を信じて欲しい。必ずご子息を無事に取り戻して見せる。そのために、しばしの間だけますたーぴーすの大小を俺に預けてくれんか? それに、この一件には俺の弟子も絡んでいるようなのでな」
「しかし……それではあなたが危険な目に遭うかもしれませんよ」
「それこそ、いらぬ気遣いだ。この武蔵、多少の荒事はお主よりも経験しておる」
そう言うと武蔵は、マサムネに白竜寺という場所がどこにあるかを尋ねた。
武蔵はマサムネから白龍寺の場所を聞くなり、すぐに出発しようとする。
「オッサン、うちも行くで」
「いや、お主は残れ。相手は俺一人を望んでおるし、俺たちがいなくなったあとに店主殿たちが狙われない保証はないからな」
武蔵はルリに護衛を頼むと、継承作品の大小刀を持って件の場所へと向かった。
マサミツと伊織を人質に取っている外道どもの元へと――。
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