三十三の太刀 弟子の覚悟、絶対なる基本技
「ねえたん、こっちこっち! こっちだよ!」
よほど日頃から誰かと遊ぶのが恋しかったのか、外へと出た途端にマサミツは勢いよく駆け出した。
どうやら、近くにお気に入りの遊び場があるらしい。
「そんなに走ったら転ぶよ。大丈夫、お姉ちゃんは逃げないから」
伊織は弟の幼かった頃を思い出しながら、元気を絵に書いたようなマサミツのあとについていく。
二、三分ほど経ったときだろうか。
伊織はふと足を止めた。
疲れたからではない。
東南アジアのスラム街のような光景が広がっている中、遠くのほうに日本人には身近な建物の一部が見えたからだ。
もしかすると寺の屋根かもしれない。
「どうしたの?」
と、マサミツも足を止めて伊織の元に近づいてくる。
「ねえ、マサミツ君。あそこに見える建物って何?」
「どれ?」
伊織が寺に似た建物に一本だけ立てた人差し指を突きつけると、マサミツは「あそこはお寺だよ」と当たり前のように答えた。
「お寺? こんなところにお寺があるの?」
などと驚いた伊織だったが、よく考えてみれば寺の一つや二つあってもおかしくなかった。
なぜなら、この異人街は大倭国と中西国という国の人間が集まって出来た街だと聞いていたからだ。
そして大倭国という国の人間が日本人に似た民族だとすると、日本の文化の一つである寺という存在があっても不思議ではない。
しかもここは何と言っても異世界なのだ。
中世ヨーロッパ風の街中に中華風の冒険者ギルドが建てられていたように、この世界は自分の知らない独特の世界観が存在しているのかもしれない。
「でも、今は誰も使ってないはいでららしいよ。とうたんたちも絶対に近づくなって言ってるし、この辺の大人たちも危ないから近づかないんだって」
確かによく見てみると、屋根の部分がかなり損壊している印象があった。
人の手による修繕はおろか、長年の風雨に晒されて痛んでいる証拠だ。
「ねえねえ、あんなところのことよりも早く僕の遊び場に行こうよ」
伊織ははっと我に返る。
「……そうね。早く行こうか」
伊織は廃寺から目を逸らすと、マサミツとともに再び歩き始めた。
やがて二人は、空き地のように開けた場所に辿り着く。
出入り口以外の周りは石壁に囲まれた、凹みのような形をした場所である。
もちろん、現代日本の公園にあるような遊具などはない。
「マサミツ君、ここでいつも何をしているの?」
「色々だよ。虫を捕まえてきたり、石を遠くへ飛ばしたり、お歌を歌ったり……でも、今日はねえたんがいるから、いつもは出来ない遊びがしたいな」
そう言うとマサミツは、近くに落ちていた木の棒を拾ってきた。
しかも一本だけではなく二本である。
「分かった。チャンバラごっこね」
「チャンバラって何?」
「その木の棒は剣の代わりでしょ? チャンバラって言うのは、本物の剣の代わりに棒やオモチャの剣で打ち合う遊びのこと」
「へえ~、棒で打ち合う遊びのことをチャンバラって言うんだ。じゃあさじゃあさ、ねえたんはチャンバラは得意なの?」
「お姉ちゃんはどっちかって言うと、チャンバラよりも剣道が得意かな」
「ケンドー?」
「そう、剣道。お姉ちゃんがいた国で習っていた武道の一つなの。見たい?」
「見たい!」
伊織は思わず笑みがこぼれる。
こうした興味のあることに食いついてくるところも、幼少の頃の弟にそっくりだった。
「いいよ。じゃあ、剣道の基本技から見せてあげる」
伊織はそう言うと、マサミツから木の棒を受け取った。
およそ五十センチほどの適度な長さの棒である。
(うん……これなら振れる)
伊織はその場で何度か木の棒を振って感触を確かめると、すぐに慣れ親しんだ剣道の基本の構えを取った。
姿勢を崩さないように背筋を伸ばし、左足を前に右足は後ろの送り足ができる間隔で立つ。
木の棒を握っている両手においては、右手は前に左手は手前に握り、その左手はへそとの間に握り拳一個分ほど空ける。
剣道の基本である、中段の構えであった。
それから伊織は甲高い気合の声とともに、面打ち、胴打ち、小手打ちなど、本番の試合さながらの気迫で木の棒を振っていく。
続いて伊織は移動しながら技を繰り出した。
左右の面打ちを繰り返す〝切り返し〟である。
ただ相手がいないので、あくまでも動作を主体として技を披露していく。
どれほどマサミツの前で剣道の技を見せたときだろうか。
伊織は再び中段の構えに戻り、荒くなっていた呼吸を整える。
最初、伊織は軽い気持ちで木の棒を振るつもりだった。
チャンバラごっこを知らないマサミツに、剣道を知っている自分の技を見せて驚いてもらう。
そんな軽い気持ちで木の棒を振り始めたものの、異世界に来て初めて剣道の技を出したことで、伊織の剣士としての自覚が表にありありと出てきた。
同時に別の感情が怒涛のごとく込み上げてくる。
自分自身に対する激しい怒りだ。
異世界に召喚されたとき、冒険者ギルドを訪れたとき、修道院で凶悪な魔物と対峙したとき、まったく自分が何もできなかったことに、伊織は今さらながらに怒りを覚えた。
(私はどこかでこの異世界のことを甘くみていたんだ)
異世界に召喚されたこともそうだが、魔法や天理などの超常的な力の存在に浮かれた一方、頭のどこかで夢を見ているのではないかと疑っていた自分がいたのだ。
しかし、すべては現実の出来事に他ならない。
宮本武蔵の弟子になったこともそうである。
本物の剣聖である宮本武蔵の正式弟子になったところで、何の役にも立っていない自分自身の不甲斐なさに改めて憤りを覚えたのだ。
(このままじゃダメだ。このままだと、きっとお師匠様に迷惑がかかる)
伊織はかっと目を見開くと、目の前の空間に一人の人物をイメージした。
最初は煙のようにぼんやりとした輪郭だったものが、イメージを強くしていくうちに徐々にはっきりとした形へと変わっていく。
右手に大刀、左手に小刀を持った宮本武蔵である。
「イエエエエエエエエイッ!」
伊織はイメージの武蔵に対して、下丹田に力を込めた裂帛の気合を放つ。
するとイメージした武蔵は鬼のような形相を浮かべ、大刀と小刀の切っ先を交差させるような独特の構えを取る。
伊織も資料で読んだことがあるので知っていた。
円相の構えである。
これだ、と伊織は木の棒を握る両手に力を込めた。
イメージした武蔵は、武蔵本人を模したものではない。
異世界への恐怖が武蔵の形を模しているに過ぎなかった。
直後、伊織は下丹田の位置に燃えるような熱さを感じた。
それは恐怖に対する肉体からのメッセージだ。
逃げずにこの恐怖に立ち向かうんだ、と。
ぎりりと伊織は奥歯を軋ませ、昨日のギガントエイプに襲われたときの記憶を蘇らせた。
あまりにも圧倒的な恐怖に怯え、闘うことも放棄して生きることも諦めかけた情けない自分自身のことをである。
(気を張れ、宮本伊織。ここは平和な日本じゃない。常に死と隣り合わせの異世界なんだ)
直後、伊織はイメージの武蔵に突進した。
イメージの武蔵の頭部に、気合とともに渾身の面打ちを繰り出す。
けれども、イメージの武蔵は身体をさっと後退することで面打ちを避けた。
宮本武蔵の有名な一寸の見切りだ。
伊織は態勢を整えると、今度は手首を狙った小手打ちを放つ。
しかしイメージの武蔵は、この小手打ちもギリギリのところで腕を動かして直撃を回避する。
(――だったら)
伊織は単発の技は通じないと判断すると、再び武蔵の頭部を狙った面打ちを繰り出した。
イメージした武蔵は今度の面打ちも身体を後退して避けようとしたが、伊織はそれを読んだ上で連続技を放っていく。
面打ちと見せかけた胴打ちである。
だが、イメージした武蔵はさらに一枚も二枚も上だった。
イメージした武蔵は小刀で胴打ちを防いだと同時に、大刀を神速の速さで振って伊織の首を狙ってきたのだ。
イメージの大刀の刃が、伊織の首皮一枚の場所でぴたりと寸止めされる。
伊織はすぐに後退して間合いを取り、攻守に優れた基本の中段に構えた。
当たり前だが、イメージの武蔵とはいえ実力の差は歴然である。
では、簡単に倒せるほどイメージを軽くするべきか?
答えは否だ。
そんなことをすればただの自己満足になってしまい、もはや技術を向上させるための稽古ですらなくなってしまう。
伊織はマサミツに剣道の技を見せるという本来のことも忘れ、イメージした武蔵の攻略法を思案する。
下手に攻撃すれば防がれるか躱され、確実に後の先を取られて負けてしまう。
そして、これは何も武蔵だから出来るというわけではない。
自分よりも格上の相手ならば、必ずしてくる戦法の一つである。
だからこそ、伊織はイメージとはいえ軽く考えるわけにはいかなかった。
なぜなら、このような格上の相手と闘う機会はこれから必ずやってくるからだ。
(私が勝てるとしたら、そこを見極めて活路を見出すしかない)
格上の相手に後の先を取られたら、必ず負けるのが武の世界である。
しかし、だからと言って馬鹿みたいに待ちに徹するのも得策ではない。
格上の相手に弱みを見せたら、雪崩のように押し切られる可能性が高いからだ。
ならば伊織が格上の相手に勝つためには、自分から闘いの渦中においてわずかな勝機を見出す技を出すことが不可欠になるだろう。
それは最も早く、最も遠くの相手に技を届かせることに他ならない。
となると、今の伊織が持っている技の中では一つしかなかった。
伊織は木の棒の切っ先を真正面に向ける。
突きの構えである。
(――これしかない)
そう強く自分に言い聞かせた伊織が、身体を沈ませて強く踏み込もうとしたときである。
どこからか周囲に轟くほどの大きな拍手が聞こえてきた。
急に現実に引き戻された伊織は、拍手の鳴る入り口のほうに顔を向ける。
「すげえな。等級なしとは思えないほどの鋭い太刀筋じゃねえか。さすがはあのオッサンの弟子なだけはあるぜ」
伊織はあまりの驚きに目を見開いた。
空き地の入り口に、いつの間にか一人の男が立っていたのだ。
動きやすそうな無地のシャツと茶色のズボンを着用し、厳つい顔に薄茶色の髪をオールバックにしていた二十代前半か半ばほどの男。
「どうしてあなたがここに……」
伊織の目線の先には、リーチが黄ばんだ歯を剥き出しにして笑っていた。
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