三十の太刀 路地裏の弟子入り志願
異人街。
アルビオン王国の首都である、コルネオの西側の一角にその街区はあった。
(……何ここ?)
ルリに案内されて異人街へと足を踏み入れたとき、伊織はそれまでに感じたことのない言い知れぬ緊張感に駆られた。
アルビオン城や冒険者ギルド、そしてキメリエス女子修道院とは〝空気〟がまったく違う。
いや、街区そのものを包んでいる感じが異質であった。
それこそ整然と建物が並ぶ中世ヨーロッパ風の街並みから、廃墟と露店が連なる東南アジアのスラム街を思い浮かばせる街並みへと変貌したのだ。
では、あまり人がいないのかと問われれば否である。
むしろ、通りを行き交う人間たちや露店の数は他の街区よりも多かった。
まるでお祭りの最中のような賑わいなのだ。
けれども、どこかピリピリとした空気感が漂っている。
「二人とも、ちゃんとうちについて来るんやで。こんなところではぐれたら、土地勘のない奴は二度と会えへんようになるさかいな」
先頭を歩いていたルリが二人に忠告する。
「中々に活気のある場所だ。それに俺と伊織に似た人間が多いな……ん?」
不意に武蔵は自分たちが歩いてきた方向に顔を向ける。
その顔は何かを訝しむ顔つきであった。
「どうしました? お師匠様」
伊織が尋ねると、武蔵は「いや、何でもない」と再び顔を正面に戻す。
「オッサンらは元の世界では日ノ本っちゅう国の生まれ言うてたけど、ここでは黒髪黒目の人間は中西国と大倭国いう国の人間が多いんや」
ルリは後ろを振り向かず、歩きながら武蔵の問いに答えていく。
「そんで、この異人街は中西国と大倭国から流れてきた移民が集まって出来た街なんやけど……そうそう、言うておくけどここは他の場所とは違って法は通用せえへんからな。冒険者くずれ、犯罪者、難民なんかも多く流れ込んでるさかい、弱みや隙を見せた奴らはすぐに連れ去られるから気をつけるんやで」
「承知した……伊織、お主も肝に銘じておくのだぞ」
「はい、お師匠様」
伊織は威勢よく返事をする。
そして目的地を知っているルリを先頭に、武蔵と伊織は縦一列で歩調を合わせながら進んでいく。
ほどしばくらくして、三人は大通りから人気のない路地裏へと入る。
路地裏に入ると大通りの活気が急に薄れ、別世界に紛れ込んだと錯覚してしまうほどに人気がほとんどなくなった。
鼻につく腐敗臭と、薄暗い雑然とした光景に伊織の緊張感が高まる。
そんな路地裏に入ってから二、三分ほど歩いたときだろうか。
「二人とも止まれ」
突然、武蔵はそう言って立ち止まった。
「どないしたんや?」
「どうしたんですか?」
伊織とルリの二人も足を止め、険しい表情を浮かべている武蔵を見た。
武蔵は自分たちが歩いてきた方に視線を向けている。
「どこのどいつかは知らぬが、いい加減に姿を現せ! 俺たちをつけているのは分かっているぞ!」
武蔵は路地の一角に向かって言い放った。
伊織は驚いて目を見開くと、すぐに自分たちが歩いてきた方角へ視線を移す。
そのときであった。
「へへへ……さすがはギガントエイプを斬った剣士だな」
下卑た声とともに、路地裏の一角から大柄の人間が現れた。
動きやすそうな無地のシャツと茶色のズボンを着用し、厳つい顔に薄茶色の髪をオールバックにしていた二十代前半か半ばほどの男。
鉄斧牛のリーチである。
「誰かと思えばお主か……俺たちに何の用だ?」
武蔵は自然な動きで大刀の柄に右手を添えた。
返事次第によっては、この場で斬り捨てかねない雰囲気である。
「ま、待ってくれ! あんたらに何かするつもりでつけて来たわけじゃねえんだ! 本当だ! 信じてくれよ!」
リーチは慌てて開いた両手を突き出す。
「ならば、何の目的で俺たちのあとをつけて来た?」
「それは……」
一拍の間を空けたあと、リーチは武蔵に対して頭を下げた。
「頼む! 俺をあんたの弟子にしてくれ!」
これには伊織も驚きを隠せなかった。
昨日の絡んできた態度からは想像もできない要求である。
「なぜ、俺の弟子になりたい?」
武蔵の問いかけに、頭を上げたリーチは口の端を吊り上げた。
「そんなもん決まっているじゃねえか。あのギガントエイプを斬っちまうほどの、あんたの強さに惚れたからだよ。俺もあんたのように強くなりてえんだ」
「断る。お主は弟子には取れん」
武蔵の容赦ない即答に、それでもリーチは食い下がった。
「あんたが俺を弟子に取りたくない理由は分かってる。昨日の修道院での俺の態度にキレてるんだろ。だが、あいにくと俺は本気だぜ」
するとリーチはすぐさま両膝をついて土下座したのだ。
「これでどうだ? あんたら大倭国の人間にとって、この〝ドゲザ〟っていうやつは最上の謝り方なんだろ?」
伊織はリーチの土下座を見て、弟子入りは本気かもしれないと思った。
本気でなくてはこんな汚い場所で土下座など出来ないだろう、と。
「お師匠様……話だけでも聞いてあげたらどうですか?」
武蔵は大きく目を見開いて伊織を見たものの、すぐに元の表情に戻して溜息を一つ漏らす。
「聞く必要などない。俺の弟子は伊織……お主だけと決めている」
続いて武蔵は土下座しているリーチを見下ろす。
「聞いての通りだ。俺の弟子はここにいる伊織一人だけゆえ、お主を弟子に取るつもりは毛頭ない。分かったら俺たちの前から消え失せろ」
そう言うと武蔵は、リーチから目線を外して身体ごと振り向いた。
「行くぞ、伊織」
と、伊織に一言かけてから再び歩き始める。
「そうやな。さっさと行こうで」
同時にルリも何事もなかったかのように歩き始めた。
そして伊織が二人の背中を追いかけようとしたときだ。
「おいおい、待ってくれ。わざわざこんなことをしてまで頼んだ俺の身にもなってくれよ」
リーチは立ち上がり、その場でわめき始める。
けれども武蔵とルリは歩みを止めようとはしなかった。
リーチのわめき声が遠くなってきたとき、ルリは武蔵と伊織に言った。
「気をつけえや。本人もそうやけど、あのリーチっちゅう男の周りにはあまりええ噂は聞かん。何を企んでいるか知らんが、弟子入りを断ったのは正解やで」
「そんなこと言われずとも分かる。あやつが本当に師を求めていないこともな」
二人の会話を聞いた伊織は、「ですが、お師匠様」と横槍を入れた。
「もしかすると、あの人なりに心を入れ替えたのかもしれませんよ。やっぱり、話だけでも聞いてあげたほうが良かったのではないですか?」
この伊織の発言に武蔵とルリは目が点になった。
「あれやな、オッサン……弟子にはまず技を教える前に、人を見る目を教えてやらなあかんな」
「ああ、まったくだ。これでは先が思いやられる」
武蔵は大きな溜息を吐くと、真剣な眼差しを伊織に向けた。
「伊織よ、お主はあまりにも純粋すぎる。それは人としては素晴らしいことだが、武を生業とする者からすれば失格だ。その人を見る目を直さぬ限り、いつか己の身を危うくするぞ」
「は、はあ……」
正直、伊織は武蔵の言っている意味がよく分からなかった。
確かに昨日のリーチの言動はお世辞にも良いとは言えなかったものの、侮蔑した相手が実は凄い力を持つ人間だと分かって心を入れ替えたのかもしれない。
もちろん、侮蔑した相手とは武蔵のことである。
それに異世界転移物の漫画や小説の中に登場するキャラクターでも、最初は傲慢な態度を取っていたリーチのような人物が、主人公の秘められた強さに気づいて仲間になるという話はいくらでもあった。
もしかするとリーチは、本当に武蔵の強さに憧れて弟子入りを懇願したのかもしれない。
そうでなければ、やはり屈辱的な土下座をしてまで頼まないだろう。
「それで、ルリよ。目的の刀工の場所はもう近いのか?」
話はこれで終わりだと言うように、武蔵は伊織からルリへと視線を移した。
「そう慌てんなや。もうそろそろ異人街の鍛冶屋通りに出るはずや」
ルリの案内に従って迷路のような路地裏を進んで行くにつれ、伊織の耳に金属を叩くような甲高い音が聞こえてきた。
それだけではない。
鼻腔の奥を刺激する、むせるような煙と灰の匂いが漂ってくる。
やがて三人は数台の馬車が行き交えるほどの通りへと出た。
「着いたで。ここが異人街の鍛冶屋通りや」
鍛冶屋通りに着いたとき、伊織は好奇な目を輝かせて周囲を見回した。
大通りを挟んで幾つもの店が立ち並び、その店先には一つずつ違った看板が突き出ていたのだ。
剣の形、盾の形、斧の形、槍の形、弓の形など特色のある看板であった。
他にも鍋の形、鎌の形、釘の形、鋏の形など、武器ではなく日用品を扱っていると分かる看板も多く存在していた。
「懐かしい……久しぶりに聞く鎚音だ」
武蔵は各店から聞こえてくる音に耳を傾ける。
「鎚音?」
伊織の素朴な問いに答えたのはルリであった。
「鉄を鍛える際に出る音のことや。トンカンカンって鳴っているやろ。あんまり聞き慣れてへんやつは耳がおかしくなるんやが、お前は大丈夫なんか?」
「大丈夫。全然、平気よ。むしろ、ずっと聞いていたいくらい」
本音であった。
煙と灰の匂いは少し苦手だったものの、鉄を鍛えている音は心地よいほど身体の中に響いてくる。
各店でバラバラに鉄を叩いているはずなのに、まるで上質なオーケストラでも聞いているかのようだった。
「それなら今から行く刀工のおっちゃんの鎚音を聞いたらビビるで。何せ武器を買いに来る客とは別に、中にはおっちゃんの鎚音を聞くために店に来るっちゅう者もいるくらいやからな。それほどおっちゃんの仕事ぶりは凄まじいねん」
「そう言えば、その刀を打てる鍛冶師ってどんな人なの?」
「キヨマサ・ビゼンっちゅう頑固で酒飲みでスケベなおっちゃんや。けど、おっちゃんの刀を打つ腕前は相当やで。この国は大倭国の刀はあんまり人気がないんやけど、そのおっちゃんが打った刀だけは欲しがる人間が多い。切れ味や耐久性が桁違いからやろうな」
「それは是非とも早く会ってみたい。ルリよ。まだ、ここから遠いのか?」
「いや、ここまで来たらもう目と鼻の先やで」
甲高い鎚音を響かせていた何件もの店を通り過ぎ、やがて三人は大通りから少し離れていた場所にあった店へと到着する。
そこは重厚で素朴な石造りの一軒家だった。
通し彫りの看板のデザインは、職人がハンマーを持っている姿だ。
「ここが鍛冶屋通りでも珍しい、大倭国の刀を扱っている店で……あれ?」
店に着いた途端、ルリは小首を傾げた。
「変やな……鎚音がまったくしてへん」
確かに、と伊織は思った。
目の前の店からは、他の店のような甲高い鎚音が聞こえてこない。
「とりあえず、中に入ろうか」
ルリに促されて店内に入ると、出入り口の扉に取りつけてあったベルが鳴る。
「中々に壮観だな」
「はい、これぞ武器屋って感じです」
武蔵と伊織は物珍しそうな目で店内を見渡す。
特にファンタジー小説に馴染みのある伊織にとって、そこは思い描いていた武器屋の印象そのものだったため、好奇よりも歓喜の感情が込み上げてくる。
薄暗い店内の壁には、形状が違う西洋剣が何十本と展示されていたのだ。
他にも槍などの武器は一つの大筒に入れられて売られていた。
しかし、今回の目的である刀の姿は一振りもない。
「久しぶりに来たけど、また随分と売りもんが変わったな。前は騎士団が使うような長剣なんぞ置いてなかったで。それに肝心の刀がないやないか」
「いらっしゃいませ。何をお求めでしょうか」
出入り口のベルの音を聞いたのか、カウンターの奥から一人の青年が現れた。
ボサボサの黒髪と細目が特徴的で、160センチほどと小さい背丈である。
着ている服も作務衣姿であり、どこをどう見ても日本人にしか見えない。
けれども、この異世界では大倭国という国の生まれだという。
青年はルリを見ると、思い出したように顔を明るくさせた。
「誰かと思えば半年前に来た方ですね。今日はどうされました?」
「あんたは息子さんやな。悪いがあんたやなくて、親方に会わせてもらえんか?」
「父に?」
それまで笑顔だった青年の顔が急に暗くなる。
「父にはどういったご用件で?」
「用件も何も、親方に会いに来る理由なんて一つに決まってるやないか」
刀や、とルリは強調させて言った。
「親方の打った刀を三本欲しいんや。ここは刀を買う客は親方の許可が下りんと売らんのやろ。ボンクラな剣士が下手な使い方をせんようにってな。それは十分に理解しているねん。だから、親方に合わせて欲しいんや」
「申し訳ありませんが、それは無理です」
青年は消え入りそうな低い声で伝えた。
「父は三か月前に他界しました」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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今度、どうなるんだろう。
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また面白い、つまらない、微妙だな、など読者様の正直な感想をいただけると幸いです。
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