第五話 ゆるふわ
「おはようございます。三島です」
「あら、絵ちゃん。今日は早いのね。でもよかったわ、うちの朝乃も今日は早くて。もう出ると思うわ」
徒歩二分ほどの距離にある、南家は朝乃ちゃんのお祖父ちゃんの家らしい。結構立派な家で昔ながらのって感じ。でも災害には弱そう。
「あ、おはよう絵ちゃん。今日早いねー」
「おはよう。なんか目覚めちゃって。朝乃ちゃんも早くない?」
私が早いのはともかく朝乃ちゃんも今日は早い。いつもより十五分は早いはず。
「だいたい絵ちゃんと同じ感じー」
「そっか」
今朝はゆっくりできそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「それで今日はトランペット吹くんだ?」
「そう。やっぱり吹奏楽と言えばトランペットじゃない? パパーン! って煌びやかな感じのやつ!」
「絵ちゃんテンション高いねー。そういえば昨日の夜もなんか叫んでたよね?」
「それは言わないで……」
盛り上がっているところを、一気にテンションダウンさせられた。まあ私が悪いんだけど。
「ん、あの先輩は……」
「ん? だれ?」
朝乃ちゃんが誰かを発見したらしい。
「昨日トランペットおしえてくれた先輩。ふわふわした感じのひと。髪も性格も」
「あー、確かにそんな人いたかもしれない。私はトロンボーンしかしてないからあんまり覚えてないや」
「家近くなのかなー」
歩くたびにウェーブがかった髪がぴょんぴょんと跳ねている。
自転車通学ではないということは、ほとんどの場合徒歩圏内だ。多分近くに住んでいる。
「朝乃ちゃん話しかけに行けば?」
「え!? やだよー。生意気な後輩だと思われたくないしー」
「大丈夫だって。第一、朝乃ちゃんはそんな生意気キャラじゃないから」
もじもじしている朝乃ちゃんの背中をぐいぐい押して、ゆるふわ先輩との距離を詰める。
「ちょっと絵ちゃん押さないでー!」
その声が聞こえたのか、先輩が顔だけちらりと後ろを向いた。
「あれ。えーっと。あ、トロンボーンの体験の子! と……どちらさま?」
「……」
なぜ私のほうが分かった。朝乃ちゃんを教えてたんじゃないのか。
「……あの私! 昨日先輩にトランペット教えてもらってた、南朝乃です……」
朝乃ちゃんの思い切った声の後、ゆるふわ先輩は少し考え込み、何か思い出したようで、
「あぁ、昨日の体験の。あれ、ミニコン中に倒れてなかったっけ? 大丈夫?」
そういうことは覚えてるのね。
「はい大丈夫です。大切なコンサートを邪魔しちゃってすいません」
「いいのいいのー。それより二人とも、礼儀がちゃんとしてるねー。えらいえらい。わたしびっくりしちゃったー」
「それは、ありがとうございます?」
「二人とも、途中で抜けちゃったけど、昨日のコンサートは最後までやってたの。そしたら途中で見に来てくれた子が、ある楽器のソロのところでひそひそ笑ったりこそこそ喋ったりしてて」
「それって、ミニコンが始まってすぐの時に笑ってた男子のことですか?」
「そう、その子たちなの」
その男子たちは確か、校歌を演奏する、と比村先輩が紹介したときに、鼻で笑っていた人たちだ。
「関わらないほうが良いですね、そういう人たちとは」
朝乃ちゃんもうんうんと首を縦に振っている。
「それがそういうわけにもいかなくて……」
「……?」
「その子たち吹奏楽部に入部したいらしいの」
「え、どうしてですか?」
「それはわたしには分からないけど……絶対入るんだって、ミニコンの後息巻いてたみたいで」
正直、そんな人たちと一緒に活動はしたくない。
「……まさかトランペットじゃないですよね? 私そんな人と一緒に練習したくないです……」
朝乃ちゃんが不安そうな顔で先輩に訴えかける。
「どの楽器になるかは、先生とかとも相談して決めるから分からないけど……」
朝乃ちゃんの不安の種は潰しておいたほうが良いだろう。とはいえ、私がそんな輩に何かできるほどのパワーがあるわけじゃないし、なにより部活に入りたいと言っている人を止める権利はおそらく誰も持っていない。
「朝乃ちゃん、とりあえず今日も体験行ってみよう」
「そうだね……」
敵情視察。まずは相手がどんな人間なのかを把握する必要がある。私は昨日ちらりと見た程度で、顔すらよく覚えていない。
「まあそのくらいで、私は入部を諦めたりしないけど」
大変なほうが逆に燃えるというものである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
入学したて独特のレクリエーション的な授業が終わり、教科によっては一回目の授業も終了した。
「あ、絵ちゃん」
私と朝乃ちゃんはクラスが違う。私が一年四組で、朝乃ちゃんが一組。どうやら私のクラスの担任は、帰りの会もといHRが遅いみたいで、昨日も朝乃ちゃんが廊下で待ってくれていた。
「じゃあいこっか」
吹奏楽部が活動しているのは三階、三年生の教室や音楽室などがある階。私たちの教室は一階だ。
「そういえばさ、昨日トランペットの体験は定員オーバーだ、ってなって私はトロンボーンに行ったけど、ほかに何人くらい体験の人いたの?」
「うーん。私入れて六人くらい? 先輩たちが少なかったから大変そうにしてたよー」
「少ないって何人くらい?」
「二人だったよー」
昨日のミニコンで軽く見た感じだと、トランペットの先輩たちは二人どころではない、五人はいたはずだ。後の三人はどこにいたんだろう。トロンボーンも凸凹先輩二人が後からやってきたし。昨日の先輩を見る感じ、別のところで練習していたって感じではない気がする。
まあ、こんなこと入部する前から気にしてるのは私くらいか。
気になることはほどほどにしつつ、三階に着く。
階段近くの教室から、昨日聴いた天使のような横笛の音が聞こえてきた。
「今聞こえてる楽器も気になるな」
「絵ちゃん浮気性ー」
ともかく、今日の目的はトランペットを吹くこと! あと願わくば問題男子の調査! あれ、よく考えたら昨日トロンボーンも吹いてないな、マッピ吹いただけで。
「あ」
先に声に出たのは朝乃ちゃんだった。
例の男子。今は二人みたいだ。いやそもそも二人だけなのか?
「入って行った……」
私たちなんてまるで視界に入っていないみたいに、目先一メートル前を通過した。入ったのは横笛のパートの教室だ。
「トランペットじゃないんだ、よかったー」
朝乃ちゃんは安心しているけど、私からしたら輩があの美しい音を出す楽器を吹くところを想像するだけで恐ろしい、さむい。
「朝乃ちゃん、早く行こトランペットの教室」
「あ、うん」
またトロンボーンを構えさせられては堪ったもんじゃない。放課後すぐの今なら空いているはず。
のしのしとトランペットの教室へ進むと、後ろから今朝聞いた声で話しかけられた。
「そこの二人! えっと、南……さん? と三島さん。待って待って、まだ体験の準備してないから……」
「ゆるふわ先輩こんにちわ」
「ゆる……ふ!? ……とにかくちょっと待っててね、今わたししかいないからちょっと時間かかるかも。椅子に座ってて」
「ゆるふわ先輩しかいないんですか?」
「……まあね、ちょっといろいろ」
まただ。トランペットの先輩が五人だとしたら、四人もいないことになる。めちゃめちゃ気になるけど、ここで訊いたらそれこそ『生意気なやつ』になってしまう。
「……座ってるだけじゃあれなので、手伝えることあったら何かします!」
あくまで普通を意識することにした。
「……いいの? ごめんねー。じゃあ、机を前に寄せてくれる?」
「分かりました!」
私と朝乃ちゃんで机を移動して、体験の準備が整った。