第二話 ゴージャス
トランペットの教室の前で待っていると変で貧弱な楽器の音が聞こえてきた。これが全部トランペットだというのなら、普通に音が出せるようになるまでは、なかなか大変そうだ。もっとも私はマッピだけしか吹いていないからそんなことが言えるのかもしれない。
適当なことを考えているうちに、トランペット体験も終わったみたいで、トランペットの先輩たちが急いだ様子で教室からで出てきた。
「あ……トロンボーンの体験の子……」
最初にトロンボーンの体験へ案内してくれた先輩とちょうど目が合った。
「あ、さっきはどうも」
「こっちこそごめんね……その、トランペット吹かせてあげられなくて……」
どこか抜けていて、心配になりそうな人だ。ほわほわ系っていうのかな。
「いえ、気にしないでください。ミニコン聴きに行きます」
「うん。ありがとう……」
少しウェーブがかった髪をピョンピョン跳ねさせながら、音楽室へ行ってしまった。
「そういえば名前訊いてなかったな……」
なんか親切そうな人だったし、今後お世話になるかもしれない。
「絵ちゃんおまたせー」
彼女も来たみたいだ。
「朝乃ちゃん。トランペットどうだった?」
朝乃ちゃんは、いつも喋るときにメガネの下の部分をクイっと上げる癖がある。もちろん今も。
「結構難しかったよートランペット。こんなに難しいなんて思ってなかったなー」
「確かに変な音聞こえてたしね」
「変な音って言わないでよー。絵ちゃんだってやってみたら分かるってー。あ、そういえばトロンボーンはどうだったの? ちゃんと音出たの?」
「マッピは吹いたけど、楽器は重くて構えるだけで精一杯。一回も吹けずに終わった」
朝乃ちゃんは大層驚いた様子で、
「えーー! そんなに重いの? トロンボーンって!?」
「いや、私が力がないだけだと思う」
「そっかあー」
朝乃ちゃんのリアクションに、空気をパンチしているような肩透かし感を感じつつ、確かに一回くらいは吹いてみたかったなと思う。明日も体験あったりするかな。
「絵ちゃん。そういえば今から音楽室でミニコンサートするらしいけど、時間大丈夫?」
「大丈夫。もともと聴きに行く予定だったし」
「じゃあ行こ―」
朝乃ちゃんと話していつもの雰囲気に戻りつつ、音楽室を目指した。
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「うわっ、結構いっぱいいる」
音楽室前の廊下に着いた私たちは、まだ見ぬ同級生の集団に気圧されていた。特に朝乃ちゃんは分かりやすくて、
「やっぱり帰ろうよー……」
なんて言っている始末だ。
「演奏聴かなくていいの?」
「それは……」
朝乃ちゃんも私と同じく、小学校の時から吹奏楽に入ると心に決めていたのだ。だから、こんな近くでの生演奏は聴きたくないわけがない。
「せっかく先輩たちの演奏聴けるのに」
「でも聴かなくても吹奏楽部には入れるんでしょ?」
それは確かにそうだけど。
「さっきトロンボーンの教室から聴こえてこなかった? 第九のソロ。あれトロンボーンの先輩が吹いてくれたんだよ」
「あ、隣からすごい音量で聴こえて来てた……」
「その先輩が吹いてるとこ見たくない?」
「私は別にトロンボーンはきょぅみなぃ……」
何やらぼそぼそと喋っている朝乃ちゃんだが、今回だけは譲れない。私は絶対にこのミニコンで先輩の音を聴きたい! なんなら、さっきの高身長低身長先輩の演奏も聴きたい!
「ほら、前のほう行こ」
「ぅえー、絵ちゃんちょっと待ってぇー」
ざっと見て二十人くらいの人込みをかき分け、音楽室の中の客席に二人まとめて座った。
「ふぇー……」
朝乃ちゃんはすっかりヘタってしまっていた。
いつか甘いものおごるからそれでチャラで、と心の中で思いつつ、進行役っぽい先輩が喋り始めた。もうすぐ始まるみたい。
「皆さん初めまして! そして芳野木中学校吹奏楽部へようこそ! 本日の司会進行を務めます、三年トロンボーンパートの比村あかねです。本日はよろしくお願いします!」
「比村先輩だ……」
「え? なに? 絵ちゃん知ってる人?」
右からこそこそと朝乃ちゃんが話しかけてくる。というか、もう復活したのか。
「さっき言ってたトロンボーンの先輩、第九の」
「えぇー!!、んんむ」
朝乃ちゃんが大声で叫びそうだったので、すかさず左手でカバーを入れる。朝乃ちゃんが、もう叫ばないからとアイコンタクトを送ってくるので、しぶしぶ離す。
「あんなお目目くりんくりんの可愛い先輩が吹いてたわけないでしょー?」
「それがあるんだな」
「うむー」
綺麗に毛先が揃えられたショートボブは、進行のセリフを喋るごとにさらさらとこ気味よく揺れ、思わず自分の髪を触り同じ女子のものか確かめたくなった。
「それでは、この部活の簡単な紹介も済んだところで、さっそく演奏に入りたいと思います! まずは一曲目、芳野木中学校校歌です!」
周りがどよめく。数名の男子が鼻で笑っている。
芳野木中学校校歌と言えば聞こえはいいが、要は校歌、パンチが足りないのだ。しょぼい。恐らくみんなが聴きたい曲ではない。
「なんかやな感じだねー」
朝乃ちゃんはこういう空気は結構嫌うタイプだ。
「そうだね。でもシンプルな曲だからこそ、一曲目にふさわしいかもね」
私たちから見てちょうど左斜め前方に、指揮者の先生が私たちに背を向けて立っている。もちろん演奏する先輩たちは、私たちと対面するようにズラリと並んでいる。四十人くらいだろうか。トロンボーンの場所、向かって右の一番奥、少し高い台のようなセットの上に三人の先輩がトロンボーンを構えている。その他の楽器の人も少し緊張気味な面持ちで構えている。
指揮者が指揮棒を一気に振り上げる――。
まず聴こえて来たのは、ゴージャスで音楽室全体を包み込む伴奏だった。思えばこんなに近くで生演奏を聴くことなんてなかったから、近いというだけで他とは違う圧倒的な臨場感に酔いそうになるほど気圧された。それは、ほかの同級生も同じようで、朝乃ちゃんはすっかり聴き入っているし、さっき鼻で笑っていた男子も黙りこくっている。
続いてメロディに入った。この優しくささやくような音は、最前列にいる楽器だろうか。銀色の金属で出来ていて横笛のような形をしている。音量はそんなに大きくないけど、とても繊細で天使を想像させるような音だ。体育館での「新入生歓迎部活動紹介」の時に聴いた覚えはなかったから、間近で聴いているからこそよく聴こえるんだと思う。
次は聴きたかったトロンボーンが来た。トランペットと同じ音を吹いているみたいで、一体感があって、アメリカのパレードのようなものが連想できた。当たり前と言えば当たり前かもしれないけど、比村先輩は第九を吹いてくれた時みたいな音量では吹いていなくて、みんなで一緒に吹くみたいな、私からすればちょっと期待外れな音だった。
そのままの進行で校歌の演奏は終わった。やっぱりみんな、想像以上だったみたいで、思いのほか拍手は大きかった。私も手を叩いていると、右から拍手の音が聞こえないことに気付いた。
「……朝乃ちゃん?」
完全に気を失っていた。流石に無理に連れまわしすぎた。
すぐに朝乃ちゃんを担いで音楽室を出よう。
「カイちゃん! その子大丈夫!?」
右奥のセットの上から聞こえたその声は比村先輩だった。
「大丈夫です。よくあることなので」
音楽室全体がざわざわとしてきた、校歌が始まる前の時よりもずっと。
「保健室行ってくるので抜けます!」
朝乃ちゃんを担いだ私は、するすると音楽室を出た。
「……そういえば保健室ってどこだ?」
まだ学校に来て一週間も経っていない一年生にとっては、なかなかの難題だった。