エピソード 3ー7
初日の会談は終わった。
まだ初日で、具体的な内容を決めるのはこれからだ。だが、最初にこそマルコの反発があったが、話し合いが始まってからは逆に不穏と感じるほどに好感触だった。
魔族の民の悪感情を抑えることを理由に、人間に多くの譲歩を求める。そんな展開すら予想していたというのに、むしろ魔族の提案は一歩引いた内容だった。
そんな訳で、人間側の代表――フィオナ、アルヴィン王子、アイリス。それにジゼルとエリオット王子。この五人で客間の一室に集まり、さきほどの会談について話し合う。
最初に口火を切ったのはアルヴィン王子だ。
「おまえたちは魔族の提案についてどう思う?」
「もしあの内容通りで決まったら嬉しいよね」
「そうですね。人間側に負担が少なく、それでいて魅力的な内容でした」
「僕も、魔族があそこまで譲歩してくるとは思いませんでした」
フィオナ、ジゼル、エリオット王子が順番に答える。アルヴィン王子は相槌を打って、答えなかったアイリスに向かって「おまえはどうだ?」と意見を求めた。
「たしかに、魔族の提示した内容は非常に魅力的です。この提案通りに話が纏まれば、リゼルやレムリアは大きく発展することになるでしょう」
魔族側が求める食料の卸値は、輸送費を考えても悪くない価格が提示された。また、人間側が求める魔石の価格も、輸送費を考えてもいまよりも安価で手に入る。
供給と需要のバランスで、値段は随時見直すことも織り込み済みだ。しかも、供給できる食糧に限りが有ることを踏まえて、徐々に仕入れの数を増やすという内容である。
リゼルとレムリアは、農業と商業がともに発展していくことになるだろう。リゼルやレムリアの事情を考えても非常に魅力的な内容である。
そこはフィオナ達の感想通りだが、だからこそ――
「……ですが、危険ですね」
アイリスが付け足した言葉に、アルヴィン王子を除いた者達が首を傾げた。だが、アルヴィン王子だけはその言葉を予想していたようで、続けてくれとさきを促す。
「さきほどの話を聞く限り、魔族は人間に食料の供給を一任するつもりのように思えます。それが、どれだけ危険かは分かりますか?」
「どういうこと? 魔族の領地は作物が育ちにくいんだよね? それなら、他の産業を伸ばして、この大陸から食料を仕入れた方がお得じゃない?」
フィオナがこてりと首を傾げた。
急速に成長を遂げている彼女だけれど、まだまだ他人の悪意については考えが至らないようだ。アイリスはフィオナに微笑みかけ、首を横に振った。
「効率がいいのはおっしゃるとおりです。ですが……この地で干ばつなど、なんらかの理由で飢饉が起きたとき、どうなると思いますか?」
「……食糧が不足するだけじゃないんだよね?」
「はい。結論から言えば、人間と魔族のあいだで戦争が始まるかもしれません」
「……どういうこと?」
分からないと首を傾げたのはフィオナとエリオット王子。アルヴィン王子は頷いて、ジゼルはもしかしてと言いたげな顔をした。
そんな各々の反応を見届け、アイリスは話を続ける。
「レムリア国が百の食料を作り、自国に五十、魔族領に五十供給するとします。ですが、ある年に飢饉が発生して、食料が六十しか得られませんでした。……どうなりますか?」
単純に計算すれば、総人口の四割が飢える計算である。だが、レムリアが必要な食料は五十でしかなく、今年の生産した作物は六十も存在しているのだ。
そのことに気付いたフィオナ達が顔を強張らせた。
「国同士で決めた取り引きです。飢饉だからといって、自国の五十を確保して、残った十だけを魔族領に下ろせばいい、という単純な話でないことは分かりますね?」
信用問題に関わるし、魔族の人間への悪感情は膨れあがることになるだろう。だが、自国への供給を減らせばどうなるだろう?
自分達の食料が足りないのに、なぜ魔族領へ食料を送らなくてはならないのかと民は怒り、その矛先は決定者である王族や、取引相手である魔族へ向くことになるだろう。
三十と三十ではなく、四十と二十など、妥協できるラインが見つかればいい。だが、それで納得しない者達は抗議するだろう。その声が大きくなれば両国間での争いに発展する。
「それだけではありません。我々が故意に食料の供給を止めれば、魔族は一気に飢えることになります。それはつまり、人間が魔族の生殺与奪の権利を握るも同然です」
アイリスは、人間と魔族が平等でなくてはいけない――と思っている訳ではない。有利な立場に立って、自分達の安全を確保できるのならそれにこしたことはないと考えている。
だが、戦争を止めるための政策が戦争を生み出しては本末転倒だ。
なにより――
「食糧問題に悩まされている彼ら魔族が、その危険性を理解していないとは思えないのです」
自分達の生殺与奪の権利を好んで人間に差し出すはずがない。分かっていないのなら、それとなく指摘すればいい問題ではあるが、もしも分かった上での提案なら……
「彼らはいつか戦争が起きることを期待している?」
アイリスの思考をトレースしたフィオナがその結論に至った。彼女はそこまで口にして、自らの考えについて吟味するように口を開いた。
「……でも、イーヴォさんやマルコさんは、魔王様に従う穏健派なんだよね?」
「エリスはそう言っていました。それに、戦争が起きるとしても、食糧問題を抱える魔族は必ず痛手を負うでしょう。正直、賢い手とは思えません」
だから、他になにか思惑が有るのではないか――というのが、アイリスの考えである。そして、そこまでの話を聞き終えたアルヴィン王子が「俺も同意見だ」と頷く。
「このままスムーズに交渉が進めばいいが、魔族がなにか仕掛けてくるかもしれない。各々が万が一には自分の身を護れるように備えておいた方がいいだろう」
アルヴィン王子の言葉に全員が神妙な顔で頷いた。
そうして、会談は二日目に突入する。
会談の会場に現れたのは昨日と同じメンバー。だが、魔族側の護衛として同席していたエリスとその部下がいない。彼らの護衛として同席しているのはロス一人だけだった。
気になったアイリスは彼に声を掛けた。
「ロス警備隊長、エリスや他の護衛の姿が見えないようですが?」
「エリスとその部下は、イーヴォの命令で町周辺の警備をしています。また、イーヴォが連れてきた直属の部下達は部屋の外に待機しているようですね。行動をもって、人間に対する信頼を示すと、イーヴォは言っていました」
その言葉からいくつかの疑惑が浮かぶ。だが、それらを追及するのはいまではない。そう判断したアイリスは「分かりました」と踵を返した。
「アイリス嬢、先に謝っておきます」
ふと、そんな呟きが聞こえたような気がした。アイリスがクルリと振り返りロスを見るが、彼は「なにか?」とでも言いたげな顔をする。
アイリスはふいっと視線を外し、今度こそ自分の席へと着いた。
こうして、二日目の会談が開始する。魔族側の手のひら返し、あるいは襲撃を警戒していたアイリス達だが、会談は驚くほどスムーズに進んでいく。
あえていうのであれば、血気盛んなマルコがしきりに、取り引きの内容についてケチを付けようとしているのだが、イーヴォがそのたびに諫めてしまう。
食料の供給を輸入に頼りすぎる危険性についてすら、アイリスが示した解決策――飢饉が発生したときは、一定の割合をもって人間側に優先して卸すという内容で同意した。
その代わりに、寒冷地でも育つ作物の栽培支援をおこなうという提案があったとはいえ、本当にそれでいいのかと、アイリス達が心配になるレベルである。
だが、事実としてイーヴォはその契約内容で問題ないという。人間側の不利や不安事項がなくなった以上、アイリス達としても反対する理由はない。
こうして契約内容は文章に起こされ、それぞれの代表がサインをすることになった。
まずはフィオナ。続いてエリオット王子。最後にイーヴォという段階になって、サインをしようとしたイーヴォに、席を立ったマルコが食ってかかる。
「イーヴォ様、お考え直しください! このような不平等な取り引きを交わしては、後の遺恨となりかねません! そのようなことは魔王様も望まぬはずです!」
テーブルに置かれた契約書をまえに、イーヴォは「ふむ……」とペンを置き、自分の隣の席に座るマルコへと視線を向ける。
「マルコよ。そなたはなにをそのように心配しておるのだ?」
「なにもかもすべてと言いたいところですが、一番は食料の供給を頼りすぎる点についてです。ここまで輸入に頼ってしまえば、魔族領が人間に支配されるも同然ではありませんか!」
「なるほど。たしかに、な。では、どうすればいいと思う?」
ここに来て、イーヴォがマルコの意見に耳を傾け始めた。なぜいまの段階になって――と、アイリス達は成り行きを見守った。
そして――
「決まっています。もう少し自国の利益を考えて交渉をやり直すように求めるのです」
「それも一つの手かもしれんな。だが、それよりももっといい手がある」
「おぉ、それはどのような?」
「それは――こうするのだよ!」
イーヴォが唐突に魔法陣を展開する。
それでも、アルヴィン王子から忠告を受けていた面々はとっさに反応した。たとえ攻撃を受けたとしても、誰もがその初撃を防ぐことは可能だっただろう。
だが結果として、その魔法陣より放たれた魔術は標的の胸を貫いた。
この場でたった一人、その者だけは攻撃に備えていなかったから。
「なぜ、だ……」
胸を貫かれたのはマルコだった。
貫かれた胸を信じられないと見下ろした彼は、こふっと血を吐いて膝からくずおれた。
「イーヴォ様、なぜ、このような、ことを……」
マルコが必死に手を伸ばす。だがその手がイーヴォに届くことはなく、自らが絨毯に咲かせた赤い花の上に倒れ込んだ。彼の目から急速に光が失われていく。
なにが起きたのか誰も理解できない。
困惑する人間サイドの者達を他所に、イーヴォが喉の奥で笑った。




