海軍卿の事件2
お義母様が亡くなった後、私とトマス様との噂はますます広がっていったようです。巷ではお義母様という障害が亡くなったトマス様と私が結婚するに違いないと言われているらしいのです。だが私はトマス様と結婚するつもりはありません。確かに彼は魅力的な男性で、私の憧れの人でもあるのですが。しかし王位継承権のある私が結婚など軽々しくするものではありません。恋人を作るのですら慎重に慎重を期さなくてはならない。それがお義母様が私に最期に教えてくださったことでした。
その後トマス様がお兄様の宰相であるエドワード・シーモア様に対抗して私の弟エドワードに取り入ろうとしたり、エドワード様を失脚させるべく画策しようとしていたことが発覚しました。その中にトマス様が私と枢密院に秘密で結婚しようとしたという疑惑が持ち上がっていました。王位継承権のあるものは枢密院の同意なしには結婚できず、秘密裡に結婚したならば反逆の意思があるものとみなされ、処罰されるのです。先に巷で私とトマス様が結婚するに違いないという噂があったのもあって、私にもトマス様と共謀して反逆しようとした疑いがかかってしまいました。
私だけが取り調べを受けるのは良かったのですが、宰相であるエドワード様は私を外堀からせめて、最後に取り調べを受けさせるつもりだったらしいのです。この話を聞いたその日、私の養育係だったキャットと私の金庫係だったトマス・パリーが逮捕され、ロンドン塔に送られてしまったのでした。
「なぜ?!どういうことなの?!」
私は執事を問いただしました。
「キャット・アシュレイとトマス・パリーはあなた様に海軍卿との秘密結婚をそそのかした疑いがかかっているそうです。そのことについて尋問するため、ロンドン塔に拘禁されることになりました」
執事は私を気の毒そうに見ながら淡々と事実を教えてくれました。
「そんな……」
呆然とつぶやく私に執事はさらに続けました。
「明日訊問官のロバート・ティルウィット卿がいらっしゃいます。詳しい事情について尋問されることになるかと思います。準備なされた方がよろしいかと」
執事は深刻な顔をして私に告げました。ロバート・ティルウィット卿は厳しい訊問で自白を引き出すのがうまいということで有名な訊問官でした。きっと私を追い詰めて自白を引き出すつもりなのでしょう。それに加えて私と違って王位継承権のないキャットとトマス・パリーはロンドン塔に送られ、拘禁されて朝から晩まで厳しい訊問がなされているのでしょう。あることもないことも話してしまうかもしれません。
そうしてトマス様が私と秘密裡に結婚するつもりだったことが立証され、トマス様の反逆が立証されてしまったら、トマス様はもちろん、私に結婚をそそのかした疑いのかかっているキャットもパリーも処刑されてしまうでしょう。
母のいない私を母の代わりとして私が物心ついたころからずっとそばにいてくれたキャット・アシュレイがいなくなってしまうかもしれない。私はまた『母』を失う悲しみを味わうのでしょうか。そう思うと涙があふれてきて止まらなくなってしまいました。
ひとしきり泣いた後、私は気持ちが落ち着いてきました。彼らがロンドン塔に送られたからと言ってまだ処刑されることが決まったわけではありません。彼らが大切ならば、私の全ての持てる力を使って抗い、彼らを助けなければ。そう決意すると私は明日の訊問に備えて戦いの準備をしました。
翌日、約束どおり訊問官のロバート・ティルウィット卿がやってきました。私に対する訊問は訊問官と一対一で行われることになりました。王の姉という私の立場から、まだ疑いが一切立証されていない状態で私を拘束したり拷問など加えるわけにはいかないので、弁舌のみがお互いの武器です。
「エリザベス様にはトマス・シーモア海軍卿と親密になられて結婚なさろうとしたという疑いがかかっております。キャット・アシュレイとその夫、それにトマス・パリーがそれをそそのかした疑いがかかっております。正直にお話しいただければ、と思います」
私の目をじっと見据えながらロバート・ティルウィット卿はいいました。
「そのようなことを計画したことはありませんし、そそのかされたり勧められたりしたこともありません」
私も彼の目を見つめ返しながら答えました。
「正直にお話しくださった方がよろしいですよ?あなた様のお義母様のもと侍女から、あなた様と海軍卿が大変親密にしていらっしゃったとの証言を得ております。召使の間ではお義母様が亡くなった後はあなた様が妻になられるというお話があったとの証言も得ております」
彼はまだ、じっと私の目を見つめたまま私に話しかけました。
「なんと言われようともそのような事実はありません。お義母様の亡くなった後は相続のことなどの事務的な連絡を海軍卿と何度か交わしておりますが、それ以上の話はしたことがありません」
私も彼から目を逸らさずに答えました。
「お認めになりませんか……。それでは仕方ありませんね。こちらをご覧ください。キャット・アシュリーとトマス・パリーの供述書です。彼らの署名もされております」
そういってロバート・ティルウィット卿は彼らの署名がされている供述書を私に差し出しました。
そこにはお義母様がまだ生きていらっしゃった頃、海軍卿と私が大変仲良くしていたこと、私たちが抱き合っていたところをお義母様に見とがめられ、私がチェルシー宮殿を追い出されたこと、お義母様が亡くなったのだから、海軍卿が私を妻に望むに違いないと思っていたこと、大変お似合いな二人なのでめでたいことだと思っていたこと……そんなことが書かれていました。
私はかつての過ちについて彼らが話してしまったことにショックを受けました。恥ずかしくて思わず顔色を変えてしまいそうでした。しかしここでそんな風に動揺しているわけにはいきまさん。私は深くため息をついて落ち着くよう、自分自身に言い聞かせました。
「確かに私が海軍卿と仲良くしていたことは事実です。抱き合っていて、それをお義母様に見とがめられて云々というのは少々誤解があるかと思います。私たちの仲が良すぎて皆に誤解を招くことを恐れたお義母様が私の為に良きように計らってくださったのです。その証拠に私はお義母様からチェルシー宮殿を離れた後も大変心のこもったお手紙をいくつもいただいております。私も何度も手紙に返信しております」
私はいったん言葉を切って供述書から顔をあげてロバート・ティルウィット卿を見据えました。
「……それからお義母様の死後私が海軍卿と結婚を企てたことなどありません。キャット・アシュリーやトマス・パリーが私に勧めたこともありません。王位継承権のある私が国王や枢密院の許可なくして結婚できないことは私も彼らも存じておりますから」
私は彼の目を見据えたままきっぱりと言いました。
その後何日も何日もロバート・ティルウィット卿は私を訪ねてきて何度も繰り返し私を訊問しました。彼の訊問に対し、私はトマス・シーモア海軍卿の兄である宰相エドワード・シーモア様に手紙を書き、国王の姉である私に対して不名誉な噂を流すものがいるので対処するよう要請する手紙を書きました。宰相様から返信はありませんでしたが、私は繰り返し手紙を書きました。
私がこうして抵抗しているのにも関わらず、トマス様はあっけなく他の罪を立証されてしまい、ロンドン塔で処刑されてしまいました。私は初恋の人の死に、一人で泣きました。
トマス様の死を悲しんでいるばかりでいるわけにはいきません。キャット・アシュリーとその夫と私の金庫番のトマス・パリーはまだロンドン塔に拘禁されたままでした。彼らは何とか私が救わなければ。そう決意して私はできるだけのことをすることにしました。宰相様に繰り返し手紙を書き続け、さらに他の枢密院議員に対しても同じ内容の手紙を書き、繰り返し対処を要請しました。
とうとう宰相様は私の罪を立証することをあきらめ、キャット・アシュリーたちはロンドン塔から解放されました。
「ああ、良かった……!!」
彼らの無事な姿を見て、私は思わずキャットに抱き着きました。
「エリザベス様、私たちの為に尽力してくださって……本当にありがとうございました!」
彼らは涙を浮かべて私に言いました。
「エリザベス様に不利なこともお話ししてしまったというのに……本当に……。これでこのままお別れするなんて……」
キャットは私と抱き合ったまま泣きながらいいました。
あらぬ疑いをかけられ、しかも私に不利な証言もしてしまったので、彼らは責められることになってしまい、結局私の許を離れることになってしまったのです。別れは寂しいですが、私に彼らを引き留める力はありませんでした。
「命は助かったのだもの。神に感謝しましょう。いつかまた私のところに戻ってきてね。ずっと待っているから」
私も涙を浮かべて言いました。私の親しい人がまた私の許から去ってしまう。寂しくて寂しくてしょうがありませんでした。
「きっといつかまたお仕えします。その時は……その時こそはもう二度と離れたりは致しませんから」
そういってキャット・アシュリーたちは私の許から去っていきました。
この後、キャットはこのときの言葉のとおり私が即位した後、宮廷を取り仕切る侍女長となり、亡くなるまで生涯私に仕えてくれたのでした。




