輝きを失う女王
「今日の議会の議題は特許権についてのものです。女王陛下の意見を求められると思われますので、ご準備を」
朝一番に現在の国務長官であるロバート・セシルが今日の政務について私に説明しに来ました。彼は私を長年支えてくれたウィリアム・セシルの息子です。ウィリアム・セシルが亡くなってからはロバート・セシルが代わりに私を支えてくれていました。
「特許権ね……貴族の功績に対する恩寵としてお金代わりに与えたものだったのだけれど……こんなに大きな問題になるものとは思っていなかったのよね……」
私の治世で国内のカトリックとプロテスタントの争いはどうにか収まりました。私の出生からカトリックを国教として採ることはできませんが、どちらの宗派にも大きく偏らないことで、カトリックのものもプロテスタントのものも共存できるようにしたのです。こうすることで国内の争いは……小さな諍いや事件はいくつもありましたが……収まり、国内産業を振興し海外進出も奨励することで、何とかイングランドを大陸諸国に比肩するような国家にすることができたのです。
アマルダ海戦やその後も断続的に続いたスペインとの戦争はイングランドの財政をひどく圧迫していました。兵士の手当ても満足に出せないことすらあったのです。イングランドの君主は、政府の支出を王個人の収入で賄わなければならず、議会によって承認されなければならない王室領からの税金に頼っているのです。収入はほぼ一定でしたが、インフレーションと戦費のために支出に対し不足していました。議会から何とか同意を得て特別補助金を要請してもよかったのですが、度重なる支出に議会から同意を得るのはなかなか難しく……特許権で貴族に利益を与えて、働いてもらっていたのです。
その後、私は議会に出席して特許権についての議論を聞いていました。今や特許権は『国家の血を吸う極悪』と言われるようになってしまっていました。国民の生活必需品の値段を不当に釣り上げて、庶民の生活を圧迫するだけのものになってしまっていました。今や特許権は貴族の特権として重要なものであり、権利が売買されることもあるので、なくしてしまうと貴族から強い反発が予想されます。ですが私の心は決まっていました。
皆の議論の後、私の意見を求められたので、私は天蓋付きの玉座から立ち上がって言いました。
「議長殿、あなたはこの国のことを憂えていらっしゃるのですね。ですが……私こそが最もこの国のことを想っているのですよ。私ほど国民のことを愛している君主は他にいないでしょう……。私は国民の愛をいかなる宝物より尊く価値のある宝物だと考えています。私が今日まで無事この国を統治してきたのは国民の皆様の愛を得てきたからだと思っています」
私は話が長くなってきたので、膝まづいている議員たちに立ってもらいました。そして言葉を続けました。
「特許権が国民の生活を圧迫していることを指摘してもらって感謝しております。特許権が国民の嘆き苦しみのもとになっているのなら、放置するつもりはありません。先ほど議論に挙がっていたいくつかの特許権については直ちに停止しますし、他の物についても必要かどうか審査をやり直します」
私がそういうと議員たちは意外そうな顔をしていました。私が貴族たちの特権を守るため、王権を振りかざして、国民を圧迫すると思っていたのでしょうか。
「私は王という権威にそれ程価値を見出してはいません。私の喜びは神に導かれてこの国を守り、この国の民に幸せをもたらすことにありました。その為だけに生きてきたのです」
私はそう言って議会から退出しました。
今のイングランドでは特許権だけでなく、様々な問題が噴出していました。アマルダ海戦から断続的に続いているスペインとの争いやアイルランドの反乱に対応するため莫大な費用が掛かっており、国庫を圧迫していました。王家の財産の身では賄いきれないのでやむを得ず国民の税金を上げましたが、資産家が脱税したり、役人が不正を働いたり……国民の不満は高まる一方で……それに対して何とか財政を緊縮しようとしたものの効果はありませんでした。
私がお姉様からイングランドを引き継いだ時もこんな風に問題が噴出して国民が疲弊しきっていました。国王が変わるときはこんなものなのかもしれません。こうして私に対する国民の愛は失われていって、静かに終わりを迎え、新たな王への期待に代わり、そして新たな王が期待に応えれば国民の愛は新たな王へと向けられることになるのでしょう。成長した子供が親から離れていくように、それが自然なことなのかもしれません。……夫も子供を持たず国家のみに全てを捧げてきた私にとってはつらく寂しいことですが、どうにもならないことなのでしょう。
もうすぐ私は死ぬでしょう。そして皆、私のことを忘れ、新しい国王に夢中になるでしょう……。姉が即位するときも私が即位するときもそうでした。私にはどうにもならないことです。おそらく神の定められた自然の摂理のようなものなのでしょう……。私にできるのは、私から次の国王にできるだけ穏便に王位が継承されるようにすること、次の国王にできるだけ国民にとって有益な人間を指名すること……それだけです。
私が当初後継者にどうか、と考えていた人物はあまりに愚かな人間で……とても国家をゆだねられるような人物ではありませんでした。他の者たちの多くも恋愛で身を滅ぼしていってしまいました。
私だって女性ですから、誰かと愛し合って家庭を作っていきたいという願望は分かります。ですがイングランド女王である限り、その幸せを実現するのは難しい……。女王にとって結婚は王権を二つに分けかねない危険なものなのです。一般的に女性は男性に支えられなければ愚かで弱く生きていけないものだと思われているのですから、女王の結婚は大変危険なものなのです。王位継承権を持ちながら身を滅ぼしていった彼女たちはそれを全く理解していませんでした。残った選択肢は一人だけ……。彼は愚かな人物ではないようなのですが、母親がどうしようもない女だったので、どうも偏った人物になってしまったようです。ロバート・セシルがうまく支えてくれると良いのですが。
そんなことを考えながら私はいつも枕元に置いてある小箱を開けました。中に入っているのはロバート・ダドリーから受け取った最後の手紙です。私はかつて彼と結婚したいと望んだことがありました。……私が結婚して幸せな家庭を築いて……子供を産んで……そんな愚かな夢を見たこともありました。私がそんな夢におぼれそうになった時……神から罰を受けたのでした。ロバート・ダドリーの妻は不審死を遂げ、私は天然痘にかかり生死の境をさまよいました。平凡な幸せなど望んではいけなかったのだと思い知ったのです。
でも、それでも彼を手放すことはできなくて、いつまでもそばに置こうとしてしまった。彼も貴族なのだから、子孫を残さなくてはならないのに。結局彼は私以外の女性と結婚したけれども、いつも私に優しく親切でいてくれました。彼は私が処刑台の一番近くにいた時にも友人でいてくれて、最期まで私に友人として寄り添ってくれた。
死後の世界で彼は私を待っていてくれるでしょうか……。彼にまた会えるのでしょうか……。
1603年3月24日、エリザベス女王は静かに息を引き取った。
メアリー・スチュアートの物語の対となるものとして書いてみたお話です。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




