姉の死と即位
「メアリー陛下が亡くなられました」
議会からの使いの者は私の足元にひれ伏し私に伝えました。
「議会はエリザベス様を君主に推挙いたしました」
こういうと、使いの役人は黒いエナメル製の指輪を私に差し出しました。お姉さまが指にしていらした、イングランド国王が戴冠式を行うための指輪でした。それを見てお姉様が亡くなったのだと、やっと実感しました。
お姉様とは結局和解できないままお別れすることになってしまいました。ですが私はその悲しみより、この信じられない瞬間が来たことに、衝撃のあまり打ち震えていました。指輪を受け取ろうとして使者の手に手を伸ばしましたが、私の手の震えはなかなか収まりませんでした。
この私がイングランド国王に。罪人の母を持つ身として、愛人の子供として、このイングランドの片隅でひっそりと生きてきた私がイングランドの国王に。お父様に落胆され、お母様やその親族を処刑台に導き、お姉様やお姉様のお母様をを不幸にした……誰も幸福にしなかった私の出生でした。お姉様の憎しみを一身に受け、私の存在の罪深さを思い知らされる日が続いていました。しかし私がこの世に生まれてきて、生き延びてきたことにこんな意味があったのでしょうか。私が辛酸をなめ、苦労した末に国王になることが神の定めた運命だったのでしょうか。
「『これは主の御業、私たちの目には驚くべきこと』まさにこのこと……」
思わず『詩編』の一節が口について出ました。
私がイングランド王位を継ぐ。そのことは私がついに誰にも処刑されることのない立場に立つことを意味していました。この国で誰よりも高い立場に立ったのです。そのことは喜ばしいことなのでしょうが……この国の現状は王位を得た喜びに浸るには厳しすぎるものでした。
フランスとの戦いに加え、スコットランドとの小競り合いが絶え間なく続き、膨大な戦費が湯水のように流出し、国庫はから同然でした。さらにカトリックによる異端狩りと頻発する反乱のために民心は冷え切り、疲弊していました。姉の死を悲しむ暇など私にはなく、イングランドを立て直すため、この身の全てを捧げて働かなくてはなりません。
私の女王としての最初の仕事は枢密院の議員と私の右腕となる国務長官を任命することでした。国務長官については誰をこの役に任命するか、もうすでに心に決めていました。身分はジェントリですがその能力は誰よりも高く、人格の高潔さについても並ぶ者がいない……私の弟エドワードの時国務長官の秘書を務めていたウィリアム・セシルです。
枢密院の議員についてはかなり吟味が必要です。お姉様の時代、ジェーン・グレイから政権を奪還するときや、トマス・ワイアットの乱のときに功績があったものを大量に議員にしてしまったからです。聖職者もかなり議員になっているので、カトリックからプロテスタント、プロテスタントからカトリックと王が変わるたびに宗派が変わるので混乱のもとになってしまっていました。私は夜通し考えて議員を半分以下に厳選した名簿を作りました。
そして次の日の朝、私はウィリアム・セシルを自分の職務室に呼んで言いました。
「あなたを枢密院議員および国務長官に任命します」
今日最初に呼び出されたことで当然彼は予想していたことでしょう。彼は軽くうなずきました。それを見て私は続けました。
「どうか私とこの国のために骨折ってください。あなたは賄賂でに汚職にまみれることなく、国家に忠誠を尽くすと信じています。あなたは私の意思に逆らってでも国家のために最良と思う助言をするでしょう。あなたは私が内密に知るべきことがあれば私だけに知らせるでしょうし、私もそれをわが胸に秘めることを約束します。……ですからあなたの持てる能力の全てを使って私を支えてください」
私の言葉を聞いてセシルは私をじっと見つめました。しばらくそうした後今度は深くうなずきました。
「身に余るお言葉……。この身には大役ですが私の持てる能力の全てを使ってお仕えすることを約束いたします」
セシルの言葉を聞いて私は早速彼に仕事の相談を始めました。
「昨日夜、枢密院議員について自分なりに選定してみました。この名簿を見てあなたの意見を聞かせてください」
……こんな風に私はセシルやセシルの集めてきた有能な者たちに相談しつつ、彼らと二人三脚で国家を運営していきました。彼らはとても有能なので、個々の能力でしたら私を上回るでしょう。けれど彼らの意見を聞きつつも必ず最終的に私が決定を下しました。国のトップである国王としてのこの権力は決して誰にも譲ったりはしない。……私はお姉さまから王位を承継したときに、神が私を王位に導いてくださったのだと確信した時に固くそのことを決意していたのでした。
私の即位の後初めての議会が開かれると、議員は早速私にできるだけ早く結婚することを求めてきました。私はもうその時には生涯結婚しないことを、夫も子供も持たないことを心に決めていました。ですから彼らに対してこう答えました。
「この指輪を見てください。まさかお忘れではないでしょうね。姉から私に譲られた指輪です。これが示すとおり、私はイングランドと結婚しました。ですからイングランド国民皆が私の家族であり、子供です。ですから私が生まれたままの身で人生を通すことになっても心配しないでください」
議員たちは驚愕していました。
「陛下!!陛下が結婚なさらなくては後継者が産まれません!!後継者はどうなさるのですか?!後継者を設けるのも国王の大きな仕事なのですよ!!」
彼らの一人が叫ぶように私に言いました。それに対して私は静かに話を続けました。
「後継者については心配しないでください。神様が私を導き、また皆様をお導き下さるでしょう。名君は時の采配によって生まれると言います。神様が私の腹から産まれた子よりずっとこの国のためになる後継者をお授けくださいましょう。その方が私にとっても心から満足できますし、私の名誉と神様の栄光にとって良い結果となりましょう。私が息を引き取ったら大理石の墓石に『処女として生き処女として亡くなったエリザベスがここに永眠する』と刻んでください」
私は彼らに自分の決意を仄めかしました。私の言葉をどのくらい本気にするのか……。おそらく彼らは私が話をはぐらかしただけだと思うでしょう。自分の子供が自分の後継者でなくてもいいなど彼らの常識ではあり得ない選択ですから。
しかし私は王位継承権はお父様に認められ、議会からも承認されているものの、お父様の庶子であるというのに変わりはありませんでした。これはカトリックの立場からローマ法王猊下に重ねて確認されているので、正面から否定すればカトリックと正面から衝突することになってしまいます。おそらく私の産む子供についてもカトリックからすれば庶子の子供であり、当然王位承継権がないということになるはずです。私の子供がこの国を継ぐのなら、カトリックとプロテスタントの争いの火種は存在し続けるのです。
私の子が適当でないなら、誰が最適な後継者なのか?現在王位継承権を持つ人間は私の父ヘンリー8世の姉と妹の嫡出の子供たちです。ジェーン・グレイの二人の妹キャサリンとメアリー、アルベラ・スチュアート、マーガレット・ダグラスとその息子ヘンリー・スチュアート、それにスコットランド女王メアリー・スチュアートです。
この中でイングランドにとって最も有益なのは実はスコットランド女王メアリー・スチュアートではないでしょうか。彼女ならば他の誰よりも高貴な血筋であり、しかもスコットランドとイングランドのいつまでも続いている争いを止められる可能性があります。彼女が賢明な人物であれば……ですが。




