05・旦那様(仮)とお買い物
「カノン、準備出来た?」
「はい」
――キッチンの使い方だけ教わった所で、私達は一度買い物に行く事にした。
正直この人と一緒に歩きたくはないけど、私は土地勘どころか世界勘が無いのだ。
現地人と行動を共にするに越した事は無い。
ルルスさんが何処かから引っ張り出して来たお買い物かごを持ち、私達は街へと向かって歩き始めた。
歩き出して数分もしない内に、案の定ジロジロと無遠慮な視線を感じる。
うんうん分かりますよ?
私程度の女がこんな、私服は今一つだけど見た目は超絶美人と並んで歩くなんておかしいですもんね。
何となく居心地が悪くて、ほんの少しだけルルスさんから距離を取る。
だけど次の瞬間、私はルルスさんにガッチリと手を握られていた。
「手を握る」事自体はまぁ良いんだけど、余計に注目浴びちゃうじゃない……。
「カノン、俺から離れないで」
「え?」
ルルスさんから静かに発せられた、抑えた様な低い声。
彼は決して高い声ではないけれど、それでもこれまでと異なる声色と雰囲気に驚き思わず彼の顔を見る。
ルルスさんは微かに眉根を寄せ、酷く真剣な顔をしていた。
その見た目にそぐわない鋭い眼差しに、不覚にも胸がドキンとしてしまう。
(ほんま、ただ遠くで見る分にはええんじゃけどねぇ)
もうちょっと抑え気味の格好良さで、そしてこんなド変態じゃなかったらきっと私はもっと浮かれてたと思うんだけど。
そんな事をつらつらと思っていると、ルルスさんがいきなり耳元にそっと囁いて来た。
「カノン、俺達は今はまだ仮結婚だけど、その事を絶対他には言わないで。対外的にはちゃんと結婚して夫婦生活もある様に思わせておかないと駄目だよ?」
「え、どうしてですか?」
「ニホン人を欲しがる輩は多い。この国は配偶者が居る者に手を出すと厳罰に処されるからね、だから本来は神殿で婚姻手続きをしてから外に出て来るんだ。でも、俺達は実際にはまだ正式な夫婦じゃないから。キミがまだ俺のものになってないのがバレたら、誘拐されるかもしれないでしょ?」
私は表面上は大人しく頷きながら、内心では全く別の事を考えていた。
え、そうなの?
それなら私、敢えて誘拐されれば良いんじゃないの?
いやでも待って。その場合は生活は保障されるんだろうか。
もう見た目で人を判断も出来ないし、この人を上回る変態に再度捕まる可能性だってある。
仕方ない。ここはもう少し様子を見るか。
その上で誘拐された方が良いと判断したら、その時に行動に移せば良いのだ。
◇
「ここが王都の中心街だよ。大体のものはここで手に入るから」
「わかりました」
すごい、流石王都。賑わってるなぁ。
服装はやはり日本とは全然違うけど、色んなテイストが入り混じってる。
ツナギの作業着みたいなのだったり中華風だったりチュニジア辺りの民族衣装っぽかったり。
銃の様な物をぶら下げている人も居るし、大きな剣を背負っている人も居る。
私達の横を、着物の上衣の様なブラウスにプリーツスカートを履いた幼い女の子が駆けていく。
その先には、大きな樽を抱えた父親らしき男性がニコニコと女の子が来るのを待っていた。
(良いなぁ、ああいうの。私も子供の頃家族で……かぞく、で……)
「あ、そうだルルスさん。”ヤマト”ってお店知ってます?」
「うん。知ってるよ。行きたいの?」
「いえ今日は良いです。場所だけ教えて下さい」
「良いよ。それとね、カノン。夫婦なのに”ルルスさん”は変だよ?ちゃんと名前で呼んで?」
「そう、ですね。わかりました。えーと、デューティさん」
その時、私は一瞬何かに引っ掛かった気がした。だけど直ぐにその感覚を忘れてしまった。
――もっと、不思議に思うべきだったのだ。
召喚されてから、真っ先に思うべきことを全く思わなかった事に。
召喚日誌にも、絶対に書いてあってもおかしくない事を、誰一人として書いてはいなかった事に。
◇
「えぇっと、お肉はこれだけあれば十分よね。お魚は今日の夕飯にして、お野菜と卵と……」
生鮮食品はこんなもので良いか。
調味料は結構揃ってたから食材はこれで良いとして、私の衣類は少なくとも3日分はあるし、また明日買いに来れば良いだろう。
「ルル……じゃなくてデューティさん。他に何か足らないものとかあります?」
「ん?ううん、無いよ」
デューティさんは荷物を両手に持ったまま、本当に嬉しそうに私を見ている。
彼は、私が縁談を断った時に大暴れをしたと聞いた。
その時に発したあの変態発言は心底怖いけど、今はただのまともな美人に見える。
それでも彼との結婚をお断りしたい意思は変わらないけど、1ヶ月の行動如何によってはせめてお友達とかになれるのではないだろうか。
「ふふ、カノンは本当に可愛いね。ちょっとスカート捲っても良い?」
「駄目です」
――前言撤回。
危ない危ない。絆される所だった。
本物の変態は一般人に擬態するスキルも優れているのね。
「今日のお買い物はここまでにします。帰ったらヤマトの場所教えて貰っても良いですか?明日行ってみようと思います」
デューティさんは少し首を傾げた。何かを考えているらしく、目を閉じている。
やがて目を開くと、彼は家とは反対方向に足を向けた。
「ここからそう遠くないから。今行ってみようよ」
「え、でも荷物沢山ありますよ?」
「大丈夫だよ。俺は力あるから」
まぁ本人が良いと言うなら良いか。
「じゃあ場所だけお願いします。中には入らなくて良いですからね?」
「俺は1ヶ月後には入らせて貰うけどね」
「え?何で1ヶ月後?」
「あぁ、俺が入りたいのはヤマトじゃなくてカノンの中……」
……滅びろこのド変態が。
********
召喚者の憩いの場、料理屋”ヤマト”は買い物をしていたお店街の反対側にあるらしい。
城下街の中心には大きな噴水があり、そこから放射状に、6方向へ道が伸びている。
巨大噴水は、大理石に細かな彫刻が施してあり、とても美しい眺めだった。
噴水の横を通過し、丁度対角線上の道を進んで行く。
少し奥に入ったところで、大きく「倭」と書かれた看板が目に入った。
近付くにつれ、ふわりとダシの良い香りがする。
「わ、良い香りー!まさか異世界でダシの匂いを嗅げるなんて思わなかったなぁ」
「俺は”オヤコドン”が一番好きなんだ」
「デューティさん、来た事あるんですか?」
「あるよ?俺も仕事仲間と昼に時々来るんだ。明日カノンが行くなら俺も来ようかな」
えぇー、明日は避けて欲しいなぁ……。
せっかく日本人と話が出来るかもしれないのにー。
「あ、そうだ!私、明日お弁当作りましょうか?」
「オベントウ?」
あら、もしかしてお弁当文化が無いの?
「お弁当って言うのはですね……」
お弁当について説明すると、デューティさんは「あぁ」と納得した顔になった。
「何だ。”ラブランチ”の事か」
「ラブランチ!?」
「うん。これもニホン人が広めた文化。愛する人に箱詰めのランチを渡すって言うヤツ、俺もずっと憧れてたんだ!カノン、ヤマトの場所は分かったでしょ?じゃあ急いで買いに行かなきゃ!」
「な、何を?」
「ラブランチ用の箱だよ!ほら、早く早く!」
――大量の荷物を持っているにも関わらず、彼は予想外の腕力で私を引き摺って行く。
ちょっと待て。誰だ。
お弁当にそんなダサいネーミングをつけた挙句に流行らせた奴は誰なんだ!
「あ、あの!箱って何処に売ってるんですか!?」
「雑貨屋。店主がニホン人男性なんだ」
……ソイツか。
って言うかさぁ、普通に「オベントウ」で良かったじゃん!
何なのよ「ラブランチ」って。ラブが無いと作っちゃいけないのか?
しかもこの変態美人には別にラブ感じてないしー!
――私は雑貨屋店主に絶対一言文句を言ってやろう、と思いながら、ズルズルと引き摺られ続けていた。