04・いざ、魔窟へ
「弥生さん、色々ありがとうございました」
一晩中央神殿に宿泊させて貰った私は、心身共にそれなりにリフレッシュしていた。
そして部屋で過ごしていた間に、例の「召喚者日誌」に情報も書き込んでおいた。
『蘭 香音・22歳・銀行員・出身地は広島県』
『旦那さん候補がちょっとヤバい人だった。なのでお断りしました』
『でも、相手がゴネたので仮結婚生活で様子見する事に。相手がゴネなければ恐らくスムーズに断れます』
『正式に旦那さんになるか分からないので、職業は明記しません』
――ひょっとしたら、後に召喚された人に「書いとけよ」と思われるかもしれないけど、その時の旦那さんが何の職業か分からないもの。
絶対に、あの人じゃない事は確かだと思う。多分。
「あ、香音さん。”旦那様の職業見学”は”欠席”で出しておいたわよ」
「ありがとうございます!」
――縁談が成立した後、この”旦那様の職業見学”の出欠が取られるらしく、今まで8割の出席率なのだそう。
欠席者の旦那さんの職業は「個人情報だから」と教えて貰えなかったけど、私の場合は欠席以外の選択肢がある訳がない。
何を見るって拷問でしょ?
見る訳ないじゃんそんなの。
そしてある程度のまとまった額のお金と衣類が入ったトランクを渡して貰った。
「残りの衣服やお化粧品類などは追々ルルスさんにお願いして。仮でも一応、あの方は旦那様なんだから。高給取りだから後の事を考えて色んな物を買って貰っておくのも手よ。仮結婚が終わってそのままお別れになっても買った物は貴女のだから」
「……はい」
えーやだなー。
あの変態に「下着買うお金下さい」とか言うの。
不満が顔に出ていたのか、弥生さんは苦笑していたけれど最後には私の背中を力強く叩いてくれた。
「ほら、そんな顔しないで香音さん。私も偶にヤマトに行くし、何か困った事あったらいつでも神殿に来てくれて良いから」
「ありがとうございます!」
弥生さんの言う「ヤマト」とは召喚者達が集まるお店。
店名は戦艦から取ったものではなく、普通に店主さんの名前から付けられている。
あらゆる年代の召喚者に対応できる様に、カフェ系メニューからお酒関係まで充実しているらしく召喚者達の憩いの場なのだそうだ。
心強い仲間も居る事だし、あの変態電波美人に負けない様に1ヶ月頑張ろう。
「じゃあ香音さん。頑張ってね?」
「はい!1ヶ月後には無事に変態から逃げきってる筈なので、新しい出会いのセッティングをよろしくお願いします!」
「え、えぇ、逃げきれてたらね……」
弥生さんの歯切れが悪いのが若干気になるけど、私は前向きに考える事にする。
1ヶ月は長い様で短い。だけど私には考えがあるのだ。
あの禁止項目に「はい」「いいえ」で答えていた時から考えていた。
失敗、若しくは効果があり過ぎた時のリスクが高いからギリギリまで行動するつもりはないけど、この策があるから私は絶対にあの変態には負けない。
弥生さんから変態美人家への地図を渡して貰い、私は意気揚々と一先ずの別れを告げた。
◇
「ここかー……」
地図通りに歩く事40分位。
私はそこそこ大きい、青い屋根の家の前に立っていた。
二階建てでちょっと大きめなお庭もついてる。
あ、素敵。ここでお野菜とか育てても良いかも。収穫時期には既にこの家に居ない可能性大だけど。
って言うか、ヤツの自宅って結構神殿と近かったのね。
まぁここは国の中央、言わば王都らしいから王宮が職場なら近いのも頷ける。
徒歩で往復1時間弱はキツいけど、良い運動になるかも。
これなら何かにつけ弥生さんに会いに行けるから良かった。
――とか何とか考えている内に、玄関扉の前までやって来た。
半開きに開いた唇型のドアノッカーを見た途端、急速に脱力感に襲われる。
やっぱアイツ、どっかオカシイわー……。
でも、この家に入らない事には出られないのだから仕方が無い。
「あのー、すいませ「カノン!!」
「きゃあぁっ!」
バァン!と弾け飛ぶ勢いで扉が開き、中から出て来たのは乱れた髪の美人。
ボタン要らなくない?と言いたくなる位に開けさせた光る黒シャツに銀のネックレス。
左腿の部分に真っ赤な薔薇の刺繍が施されているピッタリした黒革のパンツというなかなかパンチの効いた私服姿。
そして手には何故か大型のナイフを握っている。
(何処に売っとるんそんな服。大阪から仕入れたん……?)
「……あの、改めましてよろしくお願いしますルルスさん。1ヶ月間、お互いが快適に過ごせる様に頑張りますのでどうぞよろしくお願い致します」
手にしたナイフの事にはもう触れない。
ここに来て既に「しょうがないか、変態だから」で流せる境地に達してる気がする。
「嫌だな、そんな堅い挨拶。俺達は夫婦なんだよ?昨日は良く眠れた?俺は全然眠れなかった。今日は仕事も休みだから、ずっとずっとずっとキミの事を考えてた」
うーん、”ずっと考えてた”ならそれなりにときめくのに”ずっとずっとずっと考えてた”と言われたら乾いた笑いしか出て来ないのはなんでだろう。
「キミが来るのが待ちきれなくて、丁度身体にキミの名前でも刻んでようかと思ってた所。ほら、早く入って?今お茶淹れるからね」
「えへへ、丁度録画してたドラマ観ようと思ってたトコ♡」と同じノリで言わないで欲しい。
込み上げる虚無感に苛まれながらも、それでも私は精一杯愛想良く微笑んでみせた。
◇
ヤツの淹れてくれた紅茶を相当警戒しながら飲んだけど、何の変哲もないごく普通の紅茶だった。
お洒落な器にセンス良く盛り付けられたクッキーやチョコレート類。
買って来たものだと聞いてそれなりに安心はしたけれど、食べるのは一つ二つに留めておいた。
「遠慮しないでもっと食べて?大丈夫だよ、まだ媚薬も何も盛ったりしてないから」
「まだ」とか言う危険ワードをサラッと吐くのは止めろ。
日本人特有の曖昧な笑みを浮かべながら紅茶を口に含んだ私は、ふと何か違和感を覚えた。
……あれ?待って。何かが引っ掛かる。
コイツ、今何て言った?
『媚薬も何も盛ったり――』
……あ。マズい。これはやられたかも。
正式な書類にも記載がなかったし、ヤツの提示して来た数々の気持ち悪い項目の中にも入ってなかったから全く思いも寄らなかった。
そもそも「相手に薬の類を盛ってはいけない」という禁止事項は無かった。
そしてヤツも「薬を盛りたい」とは書いて来なかった。
従って私はそれに対して「はい」も「いいえ」も言っていない。
という事は、万が一薬に引っ掛かって私がおかしな事になっても、コイツに罰則は適用されないのだ。
(くっそ、何なんコイツー!)
「ありがとうございます、頂きます」
内心の焦りを一切出さず、涼しい顔でチョコレートを鷲掴み、さり気なく上着のポケットに放り込む。
チョコレートは日持ちがするから、確実に薬の入っていないものを取っておけばお腹空いた時に安心だからね。
「カノン、荷物はこれだけ?寝室に置いて来るから家の中を自由に見てて。それが終わったら買い物に行こうか」
「あ、はい」
何処にどんなトラップがあるか分からないから、家の中はしっかりと観察しておこう。
ヤツがトランクを持って別の部屋に消えて行った所で、私は部屋を隅々までチェックする事にした。
先ずキッチン。
コンロの様な物があるけど、何だか橙色の宝石みたいなものがはめこまれている。
周囲を確認してみても、つまみの様な部分は見当たらない。
「これでどうやって火を起こすの?」
「こうするんだよ」
いつの間にか背後にピッタリとくっついていた変態、もといルルスさんは長身を屈め私を抱き込む様にしながら宝石の上に手をかざした。
『燃え上がれ!愛の炎!』
途端に宝石から炎が吹きあがる。
得意そうなルルスさんの腕を瞬時に振りほどきながら、私は当然の疑問を口にした。
「……何ですかそれ」
「ん?魔石の起動文言だよ?」
「強火にしたい時には?」
「”大いなる愛よ!”」
「中火は?」
「”変わらない愛を!”」
「弱火」
「”鎮まれ!我が愛!”」
……いや絶対無理だから。
この人、コレを料理とかお湯沸かす度に言ってたの?一人で?
「あの、その文言って変えられます?」
「変えられるけど、変えたいの?俺はこのままでも……」
「是非変えたいです」
――結局、「点火・消火」「強火・中火・弱火」と言う、ごく普通なものに変えて貰った。
ホント良かった。これ変えられなかったら私多分ストレスで死んでた。
それにしても、この調子だと家中のチェックにどれだけ時間取られるんだろう。
ちょっと1日じゃ終わりそうにない気がする。
食材や日用品も買いに行かないといけないし、チェックは一旦止めて先に買い物に行っておいた方が良いかもしれない。
「あの、ルルスさん……」
なぁに?と美しく首を傾げたルルスさんの手元を見ると、紙と羽根ペンを持っている。
あ、お買い物メモかな?
良かった、こういう所は普通に気が利くのね。
少しホッとした気分になりながら紙とペンを受け取ろうと手を伸ばしかけた所で、そこに書きつけてある文字が目に入った。
『床』
『ドアノッカー』
『カップとソーサー』
『ソファー』
『ドアノブ』
え。何コレ。
お買い物メモじゃなかったの?
私の不思議そうな顔に気付いたのか、ルルスさんは嬉しそうに微笑みながらソレを見せてくれた。
「これはカノンがこの家に入って来てから触れた物とか場所。忘れない様に書いておこうと思って」
「…………何で?」
「後で舐める為だよ?」
当然の様に言う変態。
余りにも自然に言って来るから、一瞬「あれ、私がおかしいのかな」とうっかり思ってしまう。
(こんな変態に、勝てるんじゃろうか……)
私はここに来て漸く、自分が相手にしているのがとんでもない相手だという事を改めて思い知っていた。