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31/32

31・ごめんなさい

 

 唇を噛みしめ、魔法陣を凝視している私の肩に弥生さんの手がポンと置かれた。ゆっくり振り返ると、弥生さんは優しい笑みを浮かべていた。


「香音さん。王宮からの使いが戻るまでにはまだ時間がかかるわ。部屋にお茶の支度をさせるから、そこで休んでなさい。何ならベッドで仮眠しても良いわよ?貴女、とっても顔色悪いわ」

「はい……」


 精神的に色々あったし吐いたりもしたから、顔色の悪い自覚はあった。確かにここでぼんやり突っ立っていても仕方が無い。私は弥生さんの提案に従う事にした。


 ◇


 廊下を並んで歩きながら、ふと湧いた疑問を弥生さんに聞いてみた。今なら、何を聞いても答えてくれる筈だ。


「弥生さん。一つ確認しても良いですか?」

「えぇ、良いわよ」

「召喚条件は、健康で恋人や想い人の居ない未婚の男女。クジに当たった人との関連性と年齢。召喚の媒体になる自転車に乗っている事。そして一番は」

「……えぇ」


 やっぱりすごく言いにくい。でも言わないと、弥生さんはきっと答えてくれはしないだろう。


「向こうで命を失っている事、ですよね?」


 弥生さんは顔を伏せた。暫く待っていると、その首が微かに縦に動いた。そしてその俯いた姿勢のまま、ポツポツと説明してくれた。


「肉体そのものが時空を超えるのは難しいみたいなのね。だから魂のみの召喚になるの。他の国でも異世界召喚は行われているけど、他国の召喚者の術法や技量は分からないからひょっとしたら肉体ごと転移して来てる場合もあるかもしれない。噂だけど、ご夫婦やご兄弟、親子で召喚された例があったという話もあるわ」

「そう、なんですか」


 独りぼっちでない、というのは心強いかもしれない。私だって、他の召喚者の皆がいなかったらどうなっていたか。仲間が居たお陰で、今回だって愛さんの所に逃げ込むという選択肢があったのだから。


「だけど、この国では違う。あくまで呼べるのは魂のみ。香音さん、貴女は召喚のタイミングでは恐らく心肺停止状態だったんでしょうね。由羅ちゃんも多分そう。だけどカエルムに来れる位の状態な訳だから、由羅ちゃんは程無くして召喚条件を完全に満たした。香音さんが由羅ちゃんと異なったのはそこから。貴女は命が繋がった。奇跡的にね。くじ引きは王宮の占星術師が”良い星の動き”が見えたタイミングで言って来るから私達は魔法陣を毎日チェックしてるの。貴女がルルスさんのお宅に行って何日目だったかな、魔法陣が淡く光っているのを見つけたの」


 私が最初に体調不良になったのは、ヤマトに行って他の召喚者達みんなと会った時。やまとさんに頭を撫でて貰って、私はその手の温かさに触れて唐突に父を思い出したのだ。


「あの時は神殿中が大パニックになったわ。貴女が来るまでは起こらなかった現象だから、貴女の事だというのは直ぐに分かった。そして色々情報を集めていく内に貴女の命が微かに繋がっている事を確信したの。だけど、それは本当に弱いものだった。何日も光が消えたままの事もあったし。実は神官長である夫は、貴女に事実を告げて光が復活した瞬間に帰してあげようって言ってたの。……それを止めたのは私。ごめんなさい」


 ――気付くと、初めてデューと会った部屋の前に到着していた。弥生さんに促され、部屋の中に入る。

 するとそこには、青褪めた顔の由羅さんがいた。


「あ、由羅さん……どうして……」

「神殿から使いが来たって聞いたから。ごめんなさい、まだ香音さんの処遇についての話し合いは続いてる。でも私、居ても立っても居られなくって……」


 由羅さんは青い顔のまま、私に近寄り手を握り締めてくれた。その手は驚く程冷たい。その時、背後から弥生さんの溜息が聞こえた。


「……由羅さん、貴女なんて事してるの。そんな身体で転移魔法陣を使ったらどうなるか分かってるでしょうに。殿下がお怒りになるわよ?」

「は、はい……でも……」


 そうか、由羅さんは転移魔法を使って来たんだ。だからお使いの方が戻るより早く神殿に来れたのね。


「あれ、でも……」


 魔力の無い私達異世界人は転移魔法陣を使えないのではなかったの?そう疑問を込めた目で弥生さんを見る。弥生さんはあぁ、と言った顔でその疑問に答えてくれた。


「由羅さんは、今お腹に赤ちゃんが居るの。我々女性はお腹に赤ちゃんが居る時に限り、その子の魔力の恩恵を得られるのよ。その代わり、後で身体に物凄い負担がかかるけどね」

「えぇっ!?」

 ちょ、ちょっとそんな大事な身体で何してるのよ!私は慌てて由羅さんの手を引きベッドに座らせた。


「香音さん、ごめんなさい……。やっぱりあのお茶会の時に貴女に話すべきだった。そうしたら、少なくとも貴女は家族に会えた。向こうの貴女に意識があるかどうかは分からないけど、それでも……!」


 顔を覆い、泣き出す由羅さんの肩を弥生さんがそっと抱き締める。そして、辛そうな顔で私の方を見た。


「さっきも言ったけど、止めたのは私なの。由羅さんの言う通り、魔法陣の光り方から見ても貴女の意識がある可能性は限りなく低い。だったら、こちらで新たな人生を送らせてあげたいって思ったの。全て私が勝手に思った事よ。だから毎日、神殿に泊まり込んで魔法陣を見守っていた。貴女の光が完全に消える時、せめて私だけでも側に居ようって思った。でも、それは完全なるエゴだった。本当にごめんなさい」


 私は二人を黙って見つめた。どれだけ考えても、騙された、裏切られた、という気持ちには全くならなかった。私は人並みの良心を持ってはいるけれど、聖女並みの良心は持っていない。そして不平不満や妬み嫉みも多く、他人の悪口だって平気で言うどちらかと言えば下劣な人間だ。その私が、何とも思わないと言う事は、私は本当にこの二人に対して怒りなど抱いてはいない。


「……ここは神聖王国カエルム。”カエルム”は、ラテン語で言うと”天国”。国名は偶然なのかもしれない。でも私は、由羅さんの言っていた”無限に存在する世界”の中の天国の一つなのだと、思います」

「香音さん……」

「私に謝らないで下さい。だって私、もうここでデューと……デューティ・ルルスの妻として生きて行こうと思ってたんだもの。だけど、犯した罪から逃れる為だけに帰ろうとしているんです。だから、謝らないで」


 弥生さんと由羅さんは一瞬顔を見合わせた後、私に疑問の籠った眼差しを向けた。私の「罪」を知らないのだから当然だろう。私はその疑問に答えようと思った。いや違う、二人に聞いて欲しかった。


「あの、私」

「失礼します」


 話をしようと口を開いた途端、部屋の外から声がかかり、同時に扉がノックされる音が聞こえた。由羅さんに寄り添っていた弥生さんが弾かれた様に立ち上がり、小走りで扉の方に向かう。開け放たれた扉の向こうには、神殿の職員さんと思しき人が立っていた。私の方をチラチラと見ているので、恐らく私の帰還に関する事だろうと思った。


 職員さんが立ち去った後、弥生さんが私の方にやって来た。その顔は白く強張っている。


「弥生さん」

「……貴女の帰還許可が出たわ。これから魔法陣を起動させる」

「わかりました」


 私の返答を聞き、小さく頷いた弥生さんは次に由羅さんの方を向いた。


「由羅さん、これから王宮からお迎えが来るそうよ。殿下が相当ご立腹で、自らこちらにお出ましになるんですって。貴女はこの部屋から出ては駄目よ?」


 由羅さんは不満そうに立ち上がりかけたけど、やがて諦めた様に座り込み不貞腐れた様な顔をしていた。

 そんな由羅さんが可愛くて、私は思わず笑ってしまった。


「由羅さん、ありがとう。身体を大事にして元気な赤ちゃん産んでね?」

「か、香音さん……」


 途端に涙ぐむ由羅さんを見ない様にしながら、私は急いで部屋を出た。


 ◇


 弥生さんと共に、小走りで魔法陣の元に急ぐ。来た時は静かだった神殿が、今はなにやら遠くの方が騒がしい。礼拝の時間か何かなのかもしれない。


「急ぎましょ。早くしないと光が消えてしまうわ」

「はい。あの、今更ですけど魔力の無い私がどうやって魔法陣を使うんですか?」

「それはカエルムの中での話だから。異界渡りの時は魂が自動的に向こうの世界に引っ張られるからそこは大丈夫よ」


 成程。そっか、魂だけと言えども、そもそもこっちに来てる訳だもんね。

 納得している内に、最後の角を曲がった。後はひたすら最奥に向かえば、さっきの石扉に辿り着く。

 弥生さんは走りながら、いつの間にか握っていたメダルに向かって何事かをブツブツ呟いていた。翻訳魔法が効いている筈なのに、弥生さんが何を言っているのか全く分からない。


「弥生さん、それ何?」

「起動文言よ。魔力の無い私でもメダルを通して唱えれば起動させられる。これは翻訳魔法の範疇外に設定してるの。いい?扉を開けたらそのまま魔法陣に飛び込んで」

「わ、わかりました」


 前方に、石扉が見えた。それに向かって走っていく内に、私の中にカエルムに来てからの色んな思いが過って行く。


 召喚された時の不安と、理由に対する困惑と怒り。優しい成美さん。ごめんなさい。優しいからこそ貴方は私を真剣に叱ってくれたのに、私は結局それに応える事が出来なかった。召喚者の皆。もっと仲良くなりたかったけど、挨拶もせずにごめんなさい。ケイヴさん。貴方の子供を傷つけてごめんなさい。そして、それから。


「ごめんね、デュー……」

「カノン!」


 突如として聞こえた、聞こえる筈の無い声に私は思わず足を止めた。え、何。幻聴?怖くなって横を見る。弥生さんも驚いた様な顔をしていた。私は、恐る恐る後ろを振り返る。


「待って!カノン何処行くの!?」


 ――細身の革パンツに、ただ羽織っただけののシャツ。血塗れの包帯は解けかかり、顔の右半分が見えていた。顔中に縦横無尽に走る赤黒い傷痕。それでも、それでも彼は綺麗だった。


「デュー……どうして……」

「目が覚めた時に、カノンが病室まで来てた事を聞いた。でも急に走って出て行っちゃったって聞いたから、僕、探しに行こうとしたんだ。空から探そうと思って飛竜乗り場にいったら、操縦士の一人が無理矢理銀貨2枚押し付けて来た女の子を神殿に運んだって言ってた。直ぐにカノンだってわかったよ。だから追いかけて来た」


 話をしている内に傷が開いたのか、ポタポタと鮮血が滴り落ちる。


「何してるのデュー!早く病院に戻って!」

「嫌だ!カノンと一緒に帰る!」

「私は帰らない!帰れる訳無いじゃない!貴方にそんな事させた私が!何で側に居られると思うの!?」

「悪いのは僕なんだよ!カノンはちゃんと考えてくれてたのに、僕が焦ってそれを台無しにしたから!だから僕、何とかしてカノンに帰って来て欲しくて、だからカノンの望む僕になりたくて……!」

「望んでなかったわよそんな事!」


 望んでなんかなかった。貴方を傷つけたくなんかなかった。そういうんじゃ、なかったのよ!


「私、最初はどうやって貴方から逃げようかなって思ってた。でも、貴方と一緒に過ごす内にありのままの貴方に惹かれていった。それをさっさと素直に伝えなかったのは本当に私が悪い。私はとっくにデューの事好きになってた。貴方は顔を傷つける必要なんてなかった。だからごめんなさい!私、その罪に耐え切る自信が無いの!」


 それだけ言い放ち、私はクルリと踵を返した。デューと話している時に、弥生さんが後方に動いていたのが視界に入っていた。案の定、あの重い石扉が開いている。弥生さんの姿は見えない。きっと中に居るのだろう。


「弥生さん!」


 私は部屋に飛び込んだ。部屋の中央には魔法陣。弥生さんはその脇に立っている。魔法陣は、さっき見た時よりも光が弱くなっていた。


「……香音さん。もう時間が無いわ。恐らく後5分と持たない」


 私は魔法陣に向かってゆっくりと足を踏み出した。


「行かないで!カノン行かないでお願い!僕の側に居て!罪なんて感じる必要無いから!」


 悲鳴と共に、聞こえる泣き声。やだ、デューったらまた泣いてるの?貴方ったら確か27歳よね?私より5つも年上なのよね?なのに、そんなに泣かないでよ――


 泣きたくなんかないし、泣く資格は変わらず無いのに私の両目から涙がボロボロと零れて行く。

 少しだけ振り返り、肩越しに彼を見つめる。デューは冷たい石床に跪いたまま、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしてしゃくりあげていた。


「カノン、帰ろう……?ね……?またお弁当作ってくれるって、約束したでしょ……?」

「……その怪我だと暫く入院しないと駄目よ。だからお弁当なんていらないでしょ」

「カノンがお弁当作ってくれるなら、僕明日から仕事行く……。ねぇお願いカノン……こっちに来て」

「……そっちには行けないわ」


 私はゆっくりと後退った。魔法陣まで後少し。頭痛と吐き気は全く無いけど、ただただ、胸が酷く痛い。

 デューは私を見つめたまま、ゆっくりと両手を伸ばした。あの日、私が彼の元から離れた時の様に。


「カノン……おいで……?」

「……っ!」


 私は耐え切れなくなり、彼から目を離した。淡く光る魔法陣。その光がどんどん暗くなって行く。もう消えかかっているのだろう。この光の向こうには、私を案じている家族が居る。ずっと私を愛し、慈しんでくれた家族が。そしてこの光の後ろには、私を愛してくれている人が居る。これからも私を愛し、慈しんでくれるであろう人が。


「香音さん……」


 気遣わし気な、弥生さんの声。その声を聞いた時、私は心を決めた。これで良い。もう迷わない。

 それは私を愛してくれる人を裏切る選択だけれど、私は信じる道を行く。


「……ごめんなさい」


 そう一言だけ呟いた後、私は覚悟を決めて、己の選択の道に飛び込んだ。



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