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03・変態の降臨


長椅子に座り、ぼんやりと天井を眺めながら今後の事を色々と考える。

住居はまぁ何処でも良い。問題は仕事の方。

せっかくだから金融機関とかが良いな。就職活動、凄く頑張ったし。


「それにしても……弥生さん遅い……」


もしかして手続きに時間がかかってるのだろうか。それか、初の事態でまだ書類自体が出来てないとか?

いやいや、事業として成り立っている以上それは無い。

では何かトラブルでも?


「ん?」


何だか外が騒がしい。

廊下の方から、人の怒鳴り声と複数の言い争う声の様なものが聞こえる。

誰かが喧嘩でもしてるのかなぁ。

様子を見に行ってみたい気もするけど、怖いから大人しくしてようっと。


長椅子の上で暫く聞き耳を立てている内に声は遠ざかって行き、また廊下は静かになった。


コンコン


「あ、はーい!」


ガチャ、と扉を開けて部屋の中に入って来た弥生さんは、何だかひどく疲れた顔をしていた。


「……お待たせしてごめんなさいね」

「いえいえ。ねぇ弥生さん。ついさっきまで廊下からすっごい争う様な音とか声とか聞こえてたんですけど、何かあったんですか?」


それには答えず、弥生さんは書類を一枚、無言で私の方に差し出して来た。

覗き込んでみると、これまた日本語で「婚姻届(仮)」と書いてある。

ん?(仮)、とは言え何で婚姻届?保護申請書じゃないの?


「あの、弥生さんこれ……」

「見ての通り、仮の結婚届よ」


弥生さんはハァ……と大きく溜息を吐いた後、向かい側の長椅子にどさりと腰掛けた。


「……貴女からのお断りを告げたら、ルルスさんが猛抗議して来たの。貴女と直接話したいって言うんだけど、万が一結婚に至らなかった場合、お相手とは出来るだけ接触させない決まりがあるからそれは駄目だと伝えたの。そしたら”出来るだけ”で”絶対に”ではないのなら会う権利はあるってもう大騒ぎで。さっきも言ったけど、あの方とってもお強いのよ。だから警備兵にこれ以上の被害を出す訳にはいかなくて」


――警備兵に被害。

え、何、あの争う様な音って、もしかしてあの人が暴れてた音?

全然そんなキャラに見えなかったけど!?


「そ、それでどうなったんですか?納得してくれなかったの?」

「もう全然よ。埒が明かないから、香音さんには悪いけど勝手に妥協案を出させて貰ったわ」

「妥協案って、まさか……」

「そう。この仮結婚。1ヶ月仮の結婚生活を送って貰って、最後の日にもう一度意思確認をする。そこでまだ貴女が拒むならちゃんと諦めるって言ってた。正式な書類にサインさせたから、そこは間違いないわ」


これを承諾しない限り、多分貴女永遠に付き纏われるわよ?

そう呆れた様に言われてしまっては、私も頷かざるを得なかった。

だけど、私こそ納得いかないんだよなぁ。


「……異世界人って、そんなに経済的効果があるんですか?私、自分で言うのも何ですけど身なりには気を使ってますからそこそこイケてるとは思いますよ?でも、あんな美人に執着されるレベルでは無い事位は弁えてます。それなのに……」


「運命を感じたんですって」

「はぁ!?」


渋々書類を書きながらブツブツと文句を言う私に、弥生さんがまた予想外な事を言って来た。

思わず書類を書く手が止まる。

何だ運命って。あの一瞬で私の何処に何を感じたって言うのよあのお姫様は。


『一目見て直ぐにわかった!カノンは僕のものになる為に生まれて来たんだ!あの子は髪の毛一本から何から、汗も涙も唾液も血液も排泄物も全て!全てが僕のものだって叫んでる!僕はその声を聞いた!だからこれは運命なんだ――!!』


突然叫び出した弥生さんに、私は驚きの余り一瞬息が止まった。

何なら心臓も止まったかもしれない。


「……今のはお断りがあったと告げた直後のルルスさんの発言よ。因みに原文ままです」


何それ!?叫んでないから!私の汗も涙も唾液も血液も排泄物も!

そもそも髪の毛以外、どれも常時外に出てないよ!?


「い……いや――っ!何なんあの人!ただの美人かと思いよったら、ただの変態じゃったんか!」

「方言が口から……!?香音さん落ち着いて!翻訳魔法は精神に作用してるの!それが破れる位に感情を高ぶらせたら、心が砕けてしまうわよ!?」

「落ち着けない!落ち着ける訳がない!怖い!」

「分かるわ!私も怖かったし、あの場に居た全員が怖い思いをした!でもどうか落ち着いて!」

「うぅっ……はぁ、はぁ……」


――弥生さんが懸命に背中を撫で続けてくれたお陰で、何とか呼吸を整える事が出来た。

落ち着くと同時に、弥生さんの言ってた内容を理解する余裕も出て来た。

”精神に作用する翻訳魔法”か……。

やっぱり、ある程度の思考まで標準語になってるからおかしいと思ってた……。


「……日本語を異世界こっちの言葉に翻訳するのに、一律で標準語にしてるの。心の深い所でフッと思った内容とかまでは翻訳しないから、ちょっと混乱してたかもだけど」

「い、いえ……もう平気です……」


いやもうホント。

言葉とかどうでも良い。

そんな事より、あの変態電波美人と一ヶ月も一緒に暮らすストレスに果たして私は耐えられるのだろうか。


余りの恐怖と絶望に声をあげて泣き出した私の背中を、弥生さんはずっと優しく撫でてくれていた。



「大丈夫?香音さん」

「うぅっ……ひっ……うえぇ……だ、大丈夫です……」


涙はなかなか止まらないけど、気持ちは大分落ち着いた。

仮結婚届に名前を書いて弥生さんに渡すと、入れ替わりにもう一枚書類が差し出されて来る。


「これは……?」

「誓約書。仮とは言え、一応結婚生活を送るわけだからそれなりの事はしないといけないの。その許容範囲の誓約書よ。破ったら罰則が適用される。香音さんの場合は正式な婚姻を結ぶ事になるし、ルルスさんの場合は仮結婚生活の即時中止と貴女への接近禁止令が出るわ」


項目を読み上げるから、許せるものには「はい」許せないものには「いいえ」と答えてね?

最終確認が終わったら、その誓約書にもサインして?


弥生さんの説明が終わり、私は「許容範囲」の内容を待ち受けた。


「では行きます。”料理、洗濯、掃除などの家事全般”」

「はい」


「”同じベッドで一緒に寝る”。これは本当に睡眠だけ。……ある程度の妥協はしておいた方が良いわ」

「……はい」


「一緒にお風呂に入る」

「いいえ」


「性行為」

「絶対にいいえ!」


「キスとハグ」

「い……うぅ、ハグは”はい”。キスもおでことほっぺなら”はい”。それ以外は”いいえ”」


頷きながらサラサラと書きつけていた弥生さんが、「あら?」と不思議そうな声をあげた。


「どうしたんですか?」

「えぇ、書類上ではここまでの筈なのに、もう一枚入ってるわ、確認事項」


何かしら……と呟きながらその紙を一瞥した弥生さんの顔色が瞬時に変わった。

あ、これすごーく嫌な予感がするヤツだ。

案の定、弥生さんは青褪めた顔で私にその紙を渡して来た。


「ごめんなさい。口にする勇気が無いから自分で読んで。嫌な項目には横線ひいて」

そう言い私に羽根ペンを押し付けて来た弥生さんは、無言で天井を見ている。


私は紙を確認した。あ、すごい。明らかに日本語じゃないのに何故か読める。


「えーと……」


『身体中を舐める』

『体液を舐める』

『首筋や脇の下の匂いを嗅ぐ』

『食事を膝の上でとる』

『デザートは口移し』

『トイレは扉を開けたままで……』


全て読み終わる前に迅速に紙を破ろうとした私を、いち早く気付いた弥生さんが必死に止める。


「止めんといて!こんなん気持ち悪すぎるわ!馬鹿じゃないんかあの男は!!」

「また口から方言が!香音さん落ち着いて!」


――仕方なく死ぬ思いで読み進めると、他にも信じ難い位に気持ち悪く細かい項目が山とあった。


吐きそうな顔の弥生さんと協議を重ね、「全て拒否して狂人を刺激するのは得策ではない」という結論に達し『首筋の匂いを嗅ぐ』『お昼寝は膝枕』『行ってらっしゃいとお帰りなさいのチュー・この目的に関してのみ唇可』の三項目に”はい”を出した。


「まさかあの黒蛇姫が超弩級の変態だったとはねぇ……。私、こんなに疲れた召喚縁談初めてだわ」

弥生さんはヨロヨロと立ち上がり、腰と肩をトントンと叩いていた。


私も疲れた。

って言うか今日一番疲れたの多分私だよね。

勝手に召喚されるわ縁談組まれるわ、しかもBLコミック女王様受け系の美人電波にぶち当たるわ……。


「香音さん、今日は神殿ここに泊まって行って」

「えっ良いんですか?良かったぁ、私今日からあの人の家に行かなきゃいけないのかと思ってた」

「……ルルスさんはそう主張してたんだけどね。そこは主人が説得してくれたの」


そっか。神官長さんに出て来られたら流石の電波も黙らざるを得ないのね。


「じゃあお部屋にご案内するわ。食堂と浴室も後で案内させるから」

「はーい」


――先程までの嫌な空気を払拭する様に、弥生さんと他愛もない話をしながら長い長い廊下を歩く。

最初に聞いていた、「召喚者達が良く集まるお店」のメモも貰い、ほんの少しだけ明日からの生活に希望を見出した気がした。


「着いたわ、ここよ」

「ありがとうございました」


じゃあまた後で、と元来た道を帰りかけた弥生さんが「あ、そうだ」と振り返った。


「どうしました?」

「ねぇ、アレだったわね、旦那様候補。拷問官なんてやっぱり仁義なきアレだったじゃなーい」

「いや広島そんなんじゃないですから……」


そもそもアイツと結婚なんかしないから、絶対旦那にはならないけどね。


楽しそうに帰って行く弥生さんに手を振りながら、私は気持ちを強く持っておこうと固く心に誓っていた。



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