29・断罪の声
「……おい、おい香音」
――何も、何も聞きたくない。だって私、あの時の気持ちは本当だったんだもん。本当に、綺麗なデューの側に居るのが辛かったから、だからその気持ちを素直に日記に書いてただけ。
「香音、聞いてんのか?」
――分かってる。私が馬鹿なんだって。あれだけ成美さんに言われたのに。私だってその意味が分からない訳じゃなかったのに。自分のトラウマを言い訳にして、デューから向けられる愛情に胡坐をかいて調子に乗ってた。おまけに自分の気持ちが晴れたからって、簡単にデューの元に戻れると思い込んで、何て思い上がっていたんだろう。私、私なんかが、私――
「香音!」
怒鳴り声と共に、頬に熱い感覚が走った。成美さんに頬を打たれたのだと理解するまでに、少し時間がかかった。
「あ、成美、さん……?」
「ったく、ボケッとしてんじゃねぇよ。着いたぜ病院。おら、降りろ早く。グダグダ考えたり泣いたりすんのは後にしろ」
「は、はい……」
ぐちゃぐちゃな頭の中で色々な事を考えている内に、いつの間にか病院に到着していた
まるで礼拝堂の様な造りの大きな病院。その中庭に飛竜が着陸し、目の前には「停竜所」の看板が立っている。私は半ば夢うつつで、成美さんに引き摺り下ろされる様にして飛竜から降りた。
「ほら、礼を言え」
「あ……ありがとう、ございました……」
御者さんは軽く会釈を返してくれた。その後、困った様な顔をして成美さんを見ている。成美さんは御者さんの方を見て、首を軽く横に振った。
「何があったか聞いてただろうが、愛には黙っておいてくれ。アイツには何一つ咎はねぇが、香音を宿泊させた事で責任感じるかもしれねぇから」
「……かしこまりました」
御者さんは一瞬私に気の毒そうな目を向けた後、再び飛竜を駆りファーブラ家に戻って行った。
◇
私は成美さんの後をついて行きながら、ぼんやりと歩いていた。デュー、どうしてるだろう。顔、痛いよね。泣いたりしてないかな。私を待ってたって事は、ご飯食べてないよね。お腹空いてないかな。
って言うか、成美さんに私が来たら泊めてやれって言っといて、大量にご飯作るってなんなの。
――私は余計な事を考えながら、現実逃避を必死に試みていた。そうでもしないと、精神が持ちそうになかった。
「……香音」
先を歩く成美さんが、急に立ち止まり、私の方を振り返った。私はゆっくりと、目線を上げ成美さんを見つめた。
「何……?」
「お前を待ち伏せに行く前、拷問局に連絡を入れておいた。入院がどの程度長引くか分からなかったからな。その時何人か寄越すって言ってたから、多分今病室には拷問局の連中が居る筈だ。お前、聞かれた事にはきちんと答えろよ」
「はい……」
成美さんの言っている事は分かるが内容が今一つ理解出来ない。私は適当に返事を返しておいた。あぁ、何だかさっきから急に頭が痛い。私はまるで雲の上を歩いている様な、ふわふわとした気持ちで病室に向かって歩き続けた。
◇
「ここ。お前の仮旦那の病室」
成美さんに言われ、病室の前で立ち止まる。この中にデューが居るのか。私は相変わらず霞のかかった様な、そして本格的に頭痛を訴え始めた頭を抱えたまま、フラフラと扉を開けた。
「やっと来たか、ルルスの嫁」
「奥様!」
「奥さん、何処行ってたんですか!?」
「デューティは今薬で眠ってる。当分起きないと思うぞ」
中に入ったと同時に、部屋の中から一斉に声がかけられた。ゆっくりと頭を動かし、声の方向を見る。
聞き覚えのある声と、初めて聞いた声。局長さんと、ミアリーさん。ウィンスラップさんに、えっと……忘れちゃった。でもあのBL漫画の攻めっぽい人だ、デューの同期の。
彼らの存在は認識出来たけど、やっぱり言葉が頭の中を上滑りして行く。そんな事よりも今はデューだ。デューは何処に居るの……?
「デュー……」
ふらふらと部屋の中に入って行くと、皆さんがザッと左右に分かれて道を開けてくれた。
真っ白なベッドが見える。人型に膨らんだベッド。足元から目線を上に上げていく。デューは、今どんな状態に――。
「…………ぅっ!」
一瞬息が止まり、喉の奥から潰れた様な声が出た。ベッドの上には、サラサラとした黒髪に閉じられた瞳。青褪めた薄い唇。そして私が妬んで憎んで愛したあの美貌は、所々血の滲んだ真っ白な包帯で覆われて見えなくなっていた。
「嘘……嘘だこんなの…‥何で……?」
先程からの頭痛と突如訪れた激しい眩暈に立っていられなくなり、私はその場に跪いた。さっきまでは、逃げられた。わざとどうでも良い様に考えたりして、現実から逃避する事が出来た。
だけど、もう無理だ。私は犯した罪から逃れる事は出来ない。
「デュー……ごめん……ごめんなさい……」
泣く資格など無い筈の私の目から、ボロボロと涙が零れ落ちる。馬鹿な香音。アナタは本当に馬鹿だ。
「ルルスの嫁、一体何があった?そこの雑貨屋は事情を知ってるみたいなんだが、口を割らないんだよ。あたしらが分かってるのは、ルルスが自分の顔をナイフで切り裂いたって事だけ。何でそんな事になった?嫁、お前さんは何処にいたんだい?」
――私が何処にいたか?彼を傷つけ追いつめて、自分は呑気に友人の家に居たわ。
「奥様、主任はずっと奥様を呼んでいらっしゃいました……」
――どうして?どうして私なんかを呼んでたの?私は貴方に向き合おうとせず逃げたのに?
「奥さん!何で主任はご自分の顔を傷つけたりしたんですか!?」
――それは私が彼を傷つけたから。彼の顔を切り裂いたナイフは、私自身でもあるの。
「何故、デューティはこんな事をした?アンタは何故、奴の側に居なかったんだ?」
――何でこんな事をしたか、ですって?そんなの私が聞きたいわよ!原因は分かってるけど、でも!
皆の声が、頭の中を反響して行く。止めて。分かってるから。私が悪いのは分かってるから。
涙に濡れた目で、私を囲む人たちを見返す。だけどその目を直視するのが怖い。だって、さっきの成美さんみたいに、皆が私を。
「香音?大丈夫か?」
『香音。お前は馬鹿な女だな』
「嫁、気をしっかり持ちな。ゆっくりで良いから話を聞かせておくれよ」
『嫁。気は確かなのかい?アンタの話をゆっくり聞いてなんかいられないよ』
「奥様、主任は傷は深いですがお命に別状はありません。安心して下さいね?」
『奥様。主任の傷を見て下さい。あんな深い傷。安心なんてしてられませんよ?』
「奥さん、顔色悪いですよ?どうしました?」
『奥さん。被害者面ですか?どうして?』
「まぁ、デューティもこれで安心だろ。俺らよりもカノンさんが居た方が嬉しいだろうしな」
『まぁ、デューティもツイてないな。俺らが面倒見た方が安心なんじゃないか』
――意識の無いデュー。傷ついた顔。血の付いた包帯。そして皆が私を糾弾する声が聞こえる。
「……止めて!分かってるから!私が悪いのは分かってる!だからもう責めないで!」
「は?香音、お前何言って」
「ごめんなさい!ごめんなさい、許してデュー!そんなつもりじゃなかったの!貴方を傷つけたかった訳じゃないの!」
「よ、嫁?どうしたんだい?」
私はよろよろと立ち上がった。皆の視線が突き刺さる。お前が。お前のせいで。お前さえ居なければ。
デュー、ごめん。ごめんね私のせいで。どうしよう、私、どうしたら良い?だれか助けて。
ごめんなさい、お願い。あぁ私、私、助けてお母さん――!
「……いっ……痛ぃっ!」
突如として頭を内側から殴られたかの様な、激しい頭痛が私を襲う。急速に込み上げる吐き気。
痛い。気持ち悪い。お母さん。助けて。
「おい、香音!」
「触んないでよぉっ!」
伸ばされた誰かの手を振り払い、私は病室を飛び出した。制止する声が聞こえるけれど、構わず病院内を疾走する。頭が痛い。視界がグルグル回ってもう吐きそう。
「助けて……デュー……」
気付くと中庭に来ていた私は、耐え切れずに植え込みに嘔吐した。涙と鼻水と、色んな気持ちが溢れて来てその場に蹲ったまま動けなくなってしまった。
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――頭の中に懐かしい声が響く。
『香音ー!今日はこれ観るよー』
『はいはーい!あ、今日はコレなんだ』
あぁ、これは私がラテン語研究会を辞めて名作映画研究会に入った時の記憶だ。
『あ、蘭さん。何よー何で辞めちゃったのよ、ラテ研』
『ラテ研って。すいません先輩。だって何か難しいんですもん。名研は映画観てれば良いですし』
『名研ってラッシーか。何?今日は何観るの?』
先輩に問われ、私は手に持っていたDVDを見せた。高層ビルでの火災を描く、名作パニックムービー。
『へー、なかなか渋いの観るね。さすが名研。って言うかそれ、タイトルにラテン語使われてんのよ?』
『え!?そうなんですか?』
『そ。その”インフェルノ”はラテン語で地獄を表す”インフェルヌス”から来てるの』
ふぅん。それは知らなかった。でも、そしたらちょっと変なタイトルだよね。
『じゃあ、英語とラテン語が合わさったタイトルなんですね。だって普通なら”タワーリング・ヘル”じゃないですか?』
『ううん、”インフェルノ”は英語でもあるのよ。ただその場合は”地獄”じゃなくて”地獄の炎”と言う意味で使われるんだけど。”地獄”だとやっぱヘルだよね』
なるほど。でも”インフェルヌス”って響きが格好良いな。あ、じゃあその逆は何て言うんだろう?
『先輩、地獄の反対は何て言うんですか?』
『地獄の反対?ヘヴンでしょ?』
『いえいえ、そうじゃなくてラテン語で』
『あぁ、そっちね』
先輩は、なぁんだ、と言った表情で、私に朗らかな笑顔を向けた。
『地獄の反対はね、” ”よ』