28・罪の深さは
翌日、愛さんが朝ご飯を持って来てくれた。焼き立てのパンにベーコンエッグ、瑞々しいサラダにミルクと紅茶。サラダの野菜は庭で育てているそうで、どれもとっても美味しかった。
(私も庭でお野菜育ててみようかな)
デューの自宅に初めて行った時には、庭を見ても「収穫まで住んでないかもしれないから」って野菜作りを断念していた。余りの変わり身の早さに、自分で少し恥ずかしくなって来る。
そんな事を考えながら朝食を終えた私は、お礼を伝えた後早々にファーブラ家をお暇する事にした。
帰りは来た時と同じ様に森を通って帰るつもりだったのに、アクロさん達に止められファーブラ家専用の飛竜で送って貰う事になった。私は勝手に魔獣的な生物はいないと思い込んでいたけれど、実は全然普通に森に生息しているらしい。私が魔力を持っていないから存在に気付きにくかったのでは、と言っていた。襲われたらほぼ命は無かっただろう。なんにせよ、少々の運が私を守ってくれていたのだ。
◇
お屋敷のメイドさんに案内され、玄関と厩舎の間にある空き地の様なぽっかりと空いた空間に向かう。そこには薔薇色の飛竜が繋がれていた。首に家紋の描かれたプレートを付けている、ファーブラ家専用の飛竜だ。飛竜の背には、既に御者さんが跨っている。私は飛竜の背に乗り、見送りに来てくれた愛さんご夫妻と弟のドルーさんに向かって頭を下げた。
「皆さん、この度はご迷惑をおかけしました。愛さん。色々ありがとうございました」
「ううん、気にしないで。ネックレスが届いたらそれ着けて、時々遊びに来てね?私、なかなか外に出して貰えないのよねー。香音ちゃんと初めて会った時の外出なんて、由羅ちゃんが来た時以来だったから」
アクロさん、顔怖いのになかなかの束縛魔なんだー。何か意外。
「カノンさん、これをどうぞ」
ドルーさんが手の平サイズの水晶を渡してくれた。中には、私が森でもぎ取った「月光茸」が封じ込められている。水晶はぴったりとした鳥籠の様なものに入れられ、その上部には、金属で出来た傘が付いている。
「ここに鎖を繋げばランプになりますから。夜道を歩く時に活用して下さいね?」
「ありがとうございます!……すいません、知らなかった事とは言え勝手にキノコもいじゃって」
「いえいえ。義姉に頼まれているネックレスは後日私がお届けしますからね」
ドルーさんのニコニコとした柔和な、人好きのする顔を見ていると何だかとっても癒される。
その後ろに居る愛さんの旦那さん、アクロさんは今朝も顔が怖い。ごめんなさい、昨日は遅くまで愛さんを独り占めしちゃって。その愛さんは、私に向かって「頑張れ」という様に胸元で拳を握り、密かなエールを送ってくれていた。
◇
薔薇色の飛竜が大空に向かって舞い上がり、その大きな皮膜翼をはためかせる。空には2頭ほど別の飛竜が飛んでいたけれど、彼らと比較してもファーブラ家の飛竜は大きく、珍しい色味なのが分かった。
(今度、ケイヴさんにお話ししてあげようっと)
ケイヴさんの飛竜も大きくて綺麗だったけど、似た色合いの飛竜は他にも飛んでいた気がする。今度、個体の違いを教えて貰おうかな。
ファーブラ飛竜は身体が大きい分スピードも速い。あっという間に森は遠ざかり、街の上空に差し掛かった。ふと下を覗き込むと、デューと喧嘩別れ……というか一方的に私が怒って逃げた道が見えた。
途端に私を必死に呼び止めるデューの声が脳裏を過り、ズキズキと胸が痛む。早く、早く帰らないと。今日まで休みを取ってたから、家には居る筈なんだから。
「あれ……?」
青い屋根の自宅が見えた所で高度を下げて貰った。家の前に誰か立っているのが見えるけど、シルエット的にデューじゃない。近付いて行く内に、その姿がはっきりとして来る。
見えたのは、筋肉質で大柄な体の中年男性。
「成美さん!?」
何で成美さんがウチの前に居るの?不思議に思いながら、こちらを見上げて来た成美さんに向かって手を振ってみる。成美さんは一瞬訝し気な顔をしていたけど、背に乗る私の姿を確認したのか着陸寸前の飛竜に向かって急に駆け寄って来た。その様子を見て、何だか嫌な予感が走る。
「香音!」
「成美さん?どうして……」
「お前、何処で何してたんだ!?何で昨日家に帰って来なかった!」
飛竜は無事に着陸したけど、その背から降りる間もなく成美さんに怒鳴られ、私は戸惑ってしまった。
そして直ぐに家の方を見る。でも、玄関ドアはいつまで経っても開く事は無い。
デューは、居ないの?どうして?それに彼が居ないのに、何で成美さんがここに居るの?
「な、成美さん」
デューは?そう聞こうと思った私は、成美さんが手に何かを持っているのを見た。見覚えのあるソレは、ここにある筈の無い物。魔道具屋で買った、私の日記帳。
「な、何でそれ……!」
成美さんはそれには答えず、飛竜の御者さんの方を向いた。
「すまない、アンタは愛のトコのモンだよな?急で申し訳ないが、俺とソイツを国立病院まで連れて行って貰えないか?」
「病院!?どうして!?」
まさか、デューに何かあったの?私と別れた後に?
「ねぇ成美さん……!」
「黙ってろ香音。で、どうなんだ?」
成美さんに怒られ、状況の見えない不安さに押し潰されそうになりながら御者さんの方を窺う。御者さんは直ぐに頷いてくれた。
「悪いな、仕事外の事頼んで。後で愛に挨拶しとくから」
「いいえ、お構いなく」
成美さんは身軽に飛竜に飛び乗り、「少し詰めろ」と私を前方に押す。そして私の背後にドカリと座った。
「行きますよ」
「あぁ、頼む」
着陸したばかりの飛竜が再び空に舞い戻る。私はここに来てまだ何も言わない成美さんに痺れを切らした。後ろを向き、先程から抱いている疑問の数々を一気にぶつける。
「成美さん!デューはどうしたの!?病院ってどう言う事!?なんで私の日記帳持ってるの?」
成美さんは大きく溜息を吐いた。私を見つめる目は、いつもの温かさなど欠片も無い。純粋に呆れと軽蔑を多分に含んだその眼差しに、私は背筋が凍る思いがした。
「……昨日の夕方、お前の仮旦那が店に来た。お前が来ているかと聞いて来たから来ていないと答えた。奴は素直に聞いていたが、帰り際に”カノンが来たら、何も聞かずに泊めてやってくれ”と頼んで来た。あれだけお前に独占欲を剥き出しにしてた奴にしてはおかしいと思ったが、俺も昨日は忙しかったからな、それ以上は気にしなかった。だが、様子がおかしいと思った時点で引き留めるなりなんなりしてやれば良かったと後悔してる」
成美さんはそこで言葉を切った。嫌な予感がどんどん膨れ上がって行く。この先を聞きたくない。だけど聞かないとデューが今どういう状況に置かれているのか分からない。
「夜、俺は他の商売人達と飲みに行ったんだ。帰りにお前の家の前を通った。かなり遅い時間だったのに、窓から灯りが点っているのが見えた。普段なら気にしやしねぇが、その時は何かが気になったんだ。だから、家を訪ねた。何事も無くても、酔っ払いの仕業だって誤魔化せるしな。だが何度ノッカーを鳴らしても誰も出て来ねぇ。あんまり煩くするのも何だし、だから灯りの消し忘れかと思って帰ろうとした。でも何だろうな、どうも気になって庭から回ってお前んちを覗いたんだ。そしたら」
「そしたら、何!?」
私の口から発せられる声は、最早悲鳴になっていた。成美さんはそんな私を、一瞬だけ憐れみを込めた目で見つめた。
「アイツが倒れてた。顔面を血塗れにして。手に大型のナイフが握られているのが見えた。ガラス戸は開いてたから、直ぐに中に飛び込んでアイツを抱き起した。お前の仮旦那、何してたと思う?顔中を切り裂いてたんだぜ?その手にしたナイフで。傷はかなり深かったし出血も酷かった。一刻を争うって思ったから俺が抱えて病院に連れてった。入院させた後、戻ってお前を待ち伏せてたんだよ」
――嘘。嘘、何で!?
「な、何でそんな事……!?」
「俺も訳が分からなくて大パニックになったよ。だが、側に日記帳が落ちてた。開かれたままのソレを見て分かった。アイツが何故こんな事をしたのか」
日記帳。そうだ、キッチンで少し書いてからまた後で書こうと思って食器棚の隙間に隠しておいたんだ。デューはそれを見つけちゃったんだ。まさかデュー……最初の方に私が書いた――
『傷一つ無い完璧美人のデューの側に居続けるのは辛い』
「やだ、やだ嘘、どうしよう、私……!」
「……テーブルの上には二人分の食事の用意がされてたよ。すっかり冷めてたけどな。お前が帰って来るのをずっと待ってたんじゃないか?落ち着かなくてじっとしてらんなかったんだろうな、やたら品数が多かったぜ?で、料理も作り切ってウロウロしてる内に、偶然日記帳を見つけて――」
「もう止めてよ!」
嫌、嫌だ、駄目。もう聞いていられない。私、だって、仕方ないじゃない、あの時はそう思ってたんだもん。でも、もうそんなの間違ってるって気付いたから、だから私は……!
「傷……!ねぇ、デューの怪我、治るんだよね?だってこの世界には魔法があるんでしょ?だったら、きっと傷も元通りに……!」
だってそんな、理不尽じゃない。私なんかの馬鹿な戯言に振り回されて、何にも悪い事してないデューが痛くて苦しい思いをして、顔に傷が残るかもしれないなんて。
「……確かに治癒魔法はある。だが、それは事故や災害、他害によって傷ついた傷を癒す事しか出来ない。自傷の場合は本人の魔力が傷に練り込まれてしまうから、治癒魔法を受け付けないんだと。ゲームの様にはいかねぇんだよ」
「何で……?何で駄目なの……?ねぇ何で!?」
成美さんは答えてくれない。落ち着いて考えれば成美さんはこっちの世界の人間じゃないんだから細かい事を知る訳が無い。だけど、私にはそこまで考える余裕なんてなかった。
ただ、激しい後悔と犯した罪の深さに打ち震え、それらに押し潰されそうになっていた。
 




