24・毒の雫
再び飛竜に乗って家に帰る途中、私を抱き締めたままデューはずっと無言だった。怒ったのかな、と思い腕の中からそっと顔を見上げても、特にそんな様子は見られない。
それには少し安心した。ちょっと踏み込んだ事言っちゃったかな、と気になってたから。
――眼下の景色がゴツゴツした岩場から草原に変わり、そして街並みに変わって行く。家に帰って来たのだなぁ、とぼんやりと実感をした。
「……ほらよ、着いたぜ」
朝と同じ様に、飛竜が家の前の通りに降下し着陸をした。デューは無言でケイヴさんに金貨を支払っていた。ケイヴさんも無言で受け取っている。
その様子を見ていると、何となく居心地が悪い様なイライラする様な、何とも言えない気分になった。
言えば良いのに。二人共、思ってる事を相手に。
私はそれを言おうとしたけれど、寸前で飲み込んだ。だって私、何だか図々しくない?正式な奥さんでもないのに。
でも奥さんになってからいきなり口出ししまくるのも変な気がするなあ。
そう私が悶々としている内に、ケイヴさんはさっさと帰ろうとしていた。
わ、大変!早くお礼を言わないと!
「ケイヴさん、今日はありがとうございました!」
慌ててお礼を言うと、ケイヴさんは片手を上げて応えてくれた。
「ほらカノン、行くよ」
「あ、うん」
デューは私の手をぐいぐい引っ張り、玄関へと向かって行く。そして扉を開けて私を中に押しやった。続いて自分も入り、扉を閉めようとした次の瞬間。
「……またね」
そう、一言だけ呟いたのが聞こえた。
その時、ケイヴさんがどんな表情をしていたのか私には分からない。 けれど、恐らく凄く嬉しそうな顔をしていたのではないかと思っている。
◇
「カノン、疲れたでしょ?ごめんね、昨日は体調悪かったのに」
「ううん、大丈夫」
家に入るなり申し訳なさそうな顔で謝って来るデューの言葉を、私は笑顔で否定した。
だって、本当に大丈夫だったんだもの。そもそも何で体調崩したのかも良く分かってないし。
「デュー、ありがとう」
「え?」
「私に話してくれて。今日はデューの事が色々と知れて良かった」
そう告げると、デューは一瞬目をぱちくりとさせた後、柔らかく微笑んだ。
そして両手を伸ばし、私を優しく抱き締めてくれる。その、まるで宝物を扱う様な優しさに私の心は温かくなって行く。デューと出会ってからずっと、彼は私の心をポカポカと温めてくれる言葉をくれる。
「カノン」
「なぁに?」
「ありがとう」
え、どうしてデューがお礼を言うの?
そんな気持ちを込めてデューを見つめる。すると彼はふわりと笑った。
「僕を、軽蔑しなかったから」
「け、軽蔑だなんて……!」
――何も知らない赤ちゃんの頃に廃棄場なんかに捨てられて魔獣の餌にされかかって、それでも頑張って生きて学校にも通って3年間一人ぼっちで頑張ってその後お仕事にも就いて、育ての親にちゃんと感謝も伝えられて。
そんな人の、何を軽蔑するって言うの。
言いたい事は色々あったけど、上手く伝えられる自信は無かった。だから私は、デューにそっと近づき背伸びをしてその頬にキスをした。
「か、カノン……」
デューの顔がみるみるうちに真っ赤に染まって行く。あの「ほぼ全裸」とも言える卑猥な下着姿で私の前をウロウロするのは平気なクセに、こんな事で恥ずかしがるなんて本当におかしな人だなぁ。
私は思わずクスクスと笑う。デューはそんな私を見て、赤い顔をしながらも子供の様な膨れっ面をしていた。
◇
「今日は夕ご飯は外で食べよう。これから料理するとカノン疲れちゃうでしょ?」
デューがそう言ってくれたので、私は有難くその提案に乗っかる事にした。
こういう所、ホント優しいと思う。前の世界での事だけど、いつだったか職場の既婚の先輩がぼやいていた事を思い出す。
『遠出した後ってさ、疲れてるから帰ってご飯なんて作りたくないじゃん。なのにさ、旦那に”夕飯どうしよっか”って聞いたら”疲れてるだろうから、簡単なもので良いよ”って言うの。それって結局”作れ”って事だよね?何一つ気遣いじゃないよね?』
うんうん、と頷く私達女性陣の横で、『えぇ!?優しい旦那さんじゃないか』と驚く課長。
そう言う課長を冷たい目で見据えた先輩は、はあぁ……大袈裟な溜息を吐いた。
『ぜんっぜん優しくなんか無いです!”簡単なもの”の基準はそもそも何ですか!?旦那が決める事じゃないんだよ!そこは”今日は外食にしようよ”ってお前から言えよ!……って思います!』
あの時の課長の引き攣った顔、思い出すと今でも笑える。
「うん、わかった。じゃあまだ少し時間あるからお茶淹れるね?」
「ありがと、カノン」
こんな風にさり気なく優しい対応をしてくれると、お茶でも淹れて労おうかなってこっちも思うよね。
私はそう思いながら、お茶を淹れるべくキッチンへと向かった。
◇
お湯が沸くのを待つ間、ぼんやりとキッチンの椅子に座っていた。そこでふと思い立ち、部屋にこっそり日記帳を取りに行った。日記帳を持ち、キッチンに戻る前にそっとリビングを覗く。
デューはソファーに座り、足を組んだままスヤスヤと寝息をたてている。それを見た後、私はそっとキッチンに戻った。
『異世界に来て20日目。今日はデューの生まれ育った……と言うか幼少期を過ごした町に行った。デューが廃棄場に捨てられていたりホームレスだった時期があったり、色々衝撃的な話を聞いた。育ての親のケイヴさんはとっても優しい良い人だった。デューは彼に出会えて良かったと思う。ケイヴさんの奥さんの事は、ちょっと残念だなとは思うけど、デューが気にする事は無いんじゃないかな。それにしても、今日は彼の事が色々と知れて良かったと思う』
ここまで書いた時に丁度お湯が沸く音が聞こえた。続きはまた後で書こう。そう思った私は、日記帳を食器棚の隙間にこっそりと隠しておいた。
◇
「僕、ヤマトに行くの久しぶりだな。最近お昼ご飯はカノンのお弁当だから」
――夕飯は、二人で相談した結果「ヤマト」に行く事になった。デューは相変わらず私の手を繋いで歩き、少し楽しそうにしていた。
「もし、お外で食べたい日があったら言ってね?そしたらお弁当お休みするから」
「嫌だ。カノンのお弁当が食べたい。いつも見せびらかしながら食べてるんだから。」
いや、見せびらかさないで良いから。たまに夕飯の残りとか入れてるから。それに対してそこまできっぱり言われると、何だか逆に恥ずかしい。
「明日も、お弁当作ってくれる?」
「うん、良いよ」
「……良かった」
そこで私はデューの顔を見た。こういう時にいつも浮かべているであろう、彼のふんわりとした笑顔が見たかったから。
(あれ……?)
けれど、予想に反して彼は笑ってはいなかった。代わりに、何故か苦し気な表情になっている。
「デュー……?」
どうしたんだろう。どこか具合でも悪いの?
「……カノン」
「ん?なに?」
苦し気な表情に、苦し気な声。私は一気に不安になり、デューの袖を掴んで立ち止まった。
そのままじっとデューの顔を見上げる。彼は一瞬、目線を下ろしてくれたけど直ぐに私から目を逸らした。
「デュー、あの」
話しかけようとした時、私の足に何かがぶつかった。足元を見ると、青い小さなボール。目を上げると、小学生位の男の子が一生懸命走って来るのが見えた。
「ご、ごめんなさい!」
「ううん大丈夫。はい、これ」
男の子は嬉しそうにボールを受け取った。お気に入りなのか、すりすりとボールを撫でている。
「気をつけて遊ばないと駄目よ?」
この世界には車は無いみたいだけど、馬車とかそういうのに轢かれる可能性はある。ボールに夢中になって飛び出しをしない様に、大人が注意しておかないとね。
「ありがとう!バイバイお姉さん!それから綺麗なお兄さんもバイバイ!」
「…………バイバイ」
――その時、私の心に一滴の毒が滴り落ちたのが分かった。
「カノン?」
「え!?あ、ごめん、ボーッとしちゃって。デューこそさっき何か言いかけてなかった?」
「うん……」
デューは暫く俯いていたけれど、やがて意を決した様に顔を上げた。
「……言ってくれたよね、僕には親も家もあるって。凄く、嬉しかった。僕は、ケイヴの事を家族だなんて思っちゃいけないって思ってたから。ケイヴの奥さん……養母はボクのせいで出て行っちゃったんだ。僕、10歳になった時にね、養母に”好きだ”って言われた。僕も好きだったから”僕もだよ”って言った。でも、僕の好きはお母さんに対する好きだったけど、養母は違った。そして僕の気持ちが自分とは違う事に気付いた彼女は、僕を売ろうとしたんだ」
私は愕然とした。そんな事までは聞いていない。奥さんがデューを売ろうとした話は聞いた。でもケイヴさんは単に奥さんがデューの美貌をお金になると思っていたからだと言っていたのに。
「……ケイヴはこの事は知らない。僕は言えなかった。決して養母を悪者にしたかった訳じゃないけど、ケイヴに知られたら嫌われると思ったから。僕が、奥さんを誘惑したなんて思われたくなかったから。また捨てられるのは嫌だったんだ」
デューは繋いでいた手を離し、私の頬を両手で挟んだ。そして、怖い位に真剣な顔を私に向ける。
「お願いカノン。僕の家族になって。ケイヴの事も、カノンが言う通り僕は家族だと思ってる。だけど、それは”ケイヴの家族の中の僕”なんだ。僕は、僕自身の家族が欲しい。愛する奥さんと子供が欲しい。絶対に幸せにするから、だからお願い」
「あ、えっと……」
私は酷く動揺していた。デューの真っすぐな言葉は、その通り真っすぐに私に突き刺さって来る。
だけど私の心には、二滴、三滴と毒が滴り落ちて来る。
『お姉さん。それから綺麗なお兄さん』
――”綺麗なお兄さん”か。お姉さんはただのお姉さんなのに。
『10歳になった時に、養母に好きだと言われた。その後売られそうになった』
――綺麗過ぎたから愛された。綺麗過ぎたから憎まれた。何もかも綺麗過ぎたから。
あぁ待って。落ち着いて香音。劣等感に負けちゃ駄目。それはデュー本人には関係無いじゃない。
デューは、生まれた時から辛い思いをして、なのに心根が歪むどころかこんな心の綺麗な人に成長している。真っすぐで、純粋で、優しくて。
私はそんなデューに惹かれ始めているのに。優しいデューにここまで求められているのに。
だけど、どうしても耳から離れていってくれない。
「嫉妬」と言う名の毒が、ポタポタと垂れて行く音が、どうしても。
 




